鶴屋さん「キョンくんっ、愛してるよっ!」


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1 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:01:29.95 ID:B+NILJlT0


このSSは探偵ものの皮を被った恋愛ものです。
キョンと鶴屋さんという通常ありえない組み合わせの二人が
徐々にひかれ合っていく姿を描こうと思います。
私は前回 キョン「朝起きたら鶴屋さんが隣で寝ていた」を投稿したものです。

〜あらすじ〜

三学期の終業式の日にハルヒが突然春休みの間に探偵ごっこを始めようと
言い出すところから物語は始まります。
SOS団員のそれぞれが無作為に選び出された対象の個人的な秘密に迫ることになり、
古泉が荒川さん、みくるが森さん、長門がコンピ研部長を引き当てる中、
キョンが引き当てた調査対象がなんと鶴屋さん。
周囲に哀れまれながら部室に一人残されたキョンがどうすりゃいんだと途方にくれていると
そこへ突如現れた鶴屋さんはキョンの話をすべて聞かないまま強引に助手になると提案。
そうして何も言い出せないまま鶴屋さんの調査を鶴屋さんを助手にして行うことになったキョン。
元気いっぱいの鶴屋さんに振り回されながら徐々にその内面へと踏み込んで行き……

そんなキョンと鶴屋さんのちぐはぐな恋愛模様を楽しんでいただければ幸いです。

書いているうちに文章量が文庫本一冊半ぐらいになってしまい投稿に数日かかることに
なりますが最後までお付き合いいただけるとこれ以上のことはありません。

通し番号は節単位になります。章の始めにはタイトルを書きます。
スレは落とさないようなるべく気を付けるつもりです。基本はage進行で。
次回からの投稿時間は午後七時半過ぎから日付変更までの間に時間を見て行います。
終了時刻はあまり遅くならないように気をつけます。

それでは最後までよろしくお願いいたします。

2 名前:1-1[] 投稿日:2010/03/13(土) 19:03:38.48 ID:B+NILJlT0


今にして思えばこの時から、俺はおかしくなり始めていたのかもしれない。

春休みの前日。終業式の日。ハルヒがこんなことを言い出した。

ハルヒ「私たちって、宇宙人未来人超能力者異世界人と出会う以前に、
     身近な人たちのことさえ何一つ知らないのよね。と、いうわけで、
     各自SOS団に関わるいろんな人達の秘密を白日の下に暴いてきなさい!
     さぁ始めるわよ、有希、みくるちゃん、古泉くん!」

俺はどういうつもりかわからんハルヒに一人だけ部室から追い出された。
背後で扉が勢いよく締まり蝶つがいからビキビキと軋むような音がする。

やれやれ、また妙なことを始めやがって。
そうため息混じりにもたれかかったドアの向こうから朝比奈さんと古泉の悲鳴が聞こえた。
朝比奈さんはいつものこととして今日はなぜ古泉まで犠牲になっているのか。
まさか朝比奈さん達と一緒に着替えてるわけじゃあるまいな。もしそうなら許さん。

ハルヒ「有希、やっちゃいなさい!」

旋風のような轟音のような雷鳴のような音のあとで静けさが訪れた。
内部の惨状を想像するに戦慄を禁じ得ない。
手と手のシワを合わせようと思ったが思わずフシを合わせそうになったのでやめておいた。

ハルヒ「キョン、もう入っていいわよ!」

俺が恐る恐る扉を開くと、そこには異様な光景が広がっていた。

ハルヒ「それじゃぁキョン、じゃなかった新人くん、あたし達の探偵事務所へようこそ!!」

3 名前:1-2[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:06:46.46 ID:B+NILJlT0


ハルヒはもじゃもじゃ頭のカツラに長門が文化祭の映画でかぶっていた魔女の帽子を乗せ、
おまけにどこから持ち出したのか丸いサングラスに白いスーツの下にカラーシャツまで身につけていた。

裾から制服が若干はみ出している。どうやら制服の上から無理やり羽織っただけのようだ。
ハルヒのその格好をなんかどっかで見たことがあるような気がしたのだが
ついに思い当たる存在を頭の中から見つけ出すことはできなかった。

ただかなりダンディーな感じがするものとだけはわかった。

古泉は着古した灰色のスーツになぜかちょび髭を生やしている。
長門はコートなんだかジャケットなんだかわからないスーツに身を包んでいた。
若干クセッ毛の混じるカツラを被り顔には法令線をいくつかマジックで書き込んでいる。
ハルヒの仕業であることは考えるまでもない。

一方朝比奈さんはというと古めかしい黄土色のダッフルコートを制服の上から羽織りおろおろとしている。
この中では比較的一番まともな格好である。

だがその口からはしきりに「お、おくさぁん……う、うちのカミさんは……ふえぇぇ……」と不気味なセリフを
しどろもどろに繰り返し暗唱している。
俺はそんな朝比奈さんの悲劇的な姿を見ていられずつい視線を落としてしまった。
それに気づいた朝比奈さんの表情は見るまに赤くなりついにはうつむいてしまった。

すいません、朝比奈さん。正直正視に堪えません。その姿はあまりにも、あまりにも残酷過ぎます。

ハルヒの言動から察するに多分コロンボの仮装ではないかと思うのだが、なぜにレインコートでなくダッフルコート?

単に用意できなかっただけなのだろうと思い俺はそれ以上考えるのをやめた。



5 名前:1-3[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:09:42.61 ID:B+NILJlT0


古泉は先程の悲痛な叫びとは打って変わって丹念に整えられたちょび髭かっこ付けヒゲかっことじるを
得意げに撫ぜ上げて可愛がっている。

自分のちっちゃな分身みたいな感じに撫で回すのはやめろ。気色悪い。

これには古泉が困ったようなバカにしたような顔をした。

古泉「おやおや、この紅色の脳細胞を持つエルキュール・一樹に対して
    随分な口の聞きようですね。あなた、おつむ詰まってますか?」

背後でハルヒが親指を立ててなにやらグッドサインを作っている。
完璧に役に成りきった古泉に惜しみない賞賛とエールを送っているようだ。もうわけがわからん。

古泉が得意げに会釈をする。なんつーか、微笑みの方は灰色に見えたのは俺の気のせいか?
古泉、お前本当は無理してんじゃないのか。どれ、お兄さんに言ってみろ、うん?

古泉「さて、なんのことやら」

古泉は笑みを絶やさずなおもちょび髭を可愛がっている。
うぬぬ、なかなか大した役者ぶりだな、えぇおい。もういい、こいつは放っておこう。
ついでにベルギーあたりに帰ってくれるとありがたい。

キョン「ところで長門、お前のその……役どころはなんなんだ?」

長門「刑事」

キョン「刑事か……じゃぁなんとか警部ってとこか?
     警部で探偵ものって誰が居たかな……あぁ、そうか、メグレだ、メグレ警部だろ! どうだ!」


7 名前:1-4[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:12:30.04 ID:B+NILJlT0

>>4
ありがとうございます、覚えていてくれた人がいて嬉しいです
今回も長いですがよろしくおねがいします!



長門は何を答えるでもなく押し黙る。俺の見事な推理に感じ入っているのだろうか。俺は若干得意げに胸を張った。
だが長門は残念そうな、俺にわかる程苦しそうに視線を落とすとポツリとつぶやく。

長門「警部じゃない……警部補……」

キョン「……なに?」

長門「私は有希畑長三郎警部補……警部には……まだ昇進できていない……」

長門は本当に残念そうな表情で床を見つめている。俺がどうしたものかと硬直しているとハルヒがつっかかってきた。

ハルヒ「ちょっと! キョン! 有希畑警部補の繊細な就職事情に軽い気持ちで首をつっこむんじゃないわよ!
     解決した事件現場の地下室に閉じ込められたりトレイン・ジャックに遭ったり
     某メジャーリーガーの殺人事件を解決したりしても昇進のしょの字も見えない胸の内をそれとなく察しなさいよね!」

キョン「んなことが俺にわかるかっ! ところでだいたいなんなんだ、なんでお前らそんな格好をしてるんだ!」

ハルヒ「決まってるでしょう! 探偵よ! そしてこの子は刑事みくるンボ!
     カミさんの愚痴をこぼしながら犯罪者をねちねちぐちぐちと追い詰めていく粘着型の凄腕刑事よ!」

朝比奈さんは「わ、私はそんな風に人を追い詰めたりしません〜」という悲痛に満ちた抗議をする。
それを完全に無視してハルヒは話を続けようとする。朝比奈さんの目尻に若干光るものが見えた。
ところでハルヒ、お前はなんの役なんだ?


8 名前:1-5[] 投稿日:2010/03/13(土) 19:14:54.85 ID:B+NILJlT0

ハルヒ「あたしの名前はホレイショ・ハルヒ。凄腕の鑑識班を率いてテロリストや都市型犯罪者を
     ブローニング片手に追い回す凄腕のチームリーダーよ! 犯罪者は捕まえるかその場で死刑!
     きっと殺しのライセンスも持ってるはずよ」

それはイギリスの某エージェントのことだろう。しかもお前の格好はどこからどう身てもアメリカ東海岸で
マイアミでバイスな警察官には見えないんだが。どっちかというと昭和の日本って感じだぞ。

それにブローニングを使ったのはシーズン6の16話だけだ。
普段はシグ・ザウエルのP226だか228だかで……まぁそんなうんちくはどうでもいいか。

キョン「ていうかハルヒ、探偵って言ってたが古泉以外のお前ら三人とも全員刑事じゃねぇか。
    それのどこが探偵事務所なんだよ」

ハルヒは当然のごとき俺の詰問を鼻息一つで吹き飛ばした。

ハルヒ「そこがあんたのダメなところよ。なんでもかんでも常識の枠で捉えようとする。
     そんなテメーのナメきった考えがぁチームを危険にさらすんだぜぇ、ベイビー」

お前、本当は知らないだろ。適当に聞きかじった話をごちゃまぜてるだけだろ。えぇ、おい。

ハルヒ「うっさいわね。こういうのは雰囲気が重要なのよ。中身は重要じゃないの。
     いかにそれっぽく見せられるか、そういう威圧的な第一印象が雰囲気を作るのよ。
     とりあえずムードさえ出ればいいの、ムードさえ出ればね」

うわー、身も蓋もねー。


10 名前:1-6[age] 投稿日:2010/03/13(土) 19:17:02.79 ID:B+NILJlT0


ハルヒ「というわけで、あんたは今日から私たちの探偵事務所で働く
     新参の探偵見習いってことにしとくわね! 役どころは、"不思議を求める名高い探偵゛よ!」

キョン「なんだそりゃ……新参なのにいきなり名高いのかよ。
     しかも不思議を求める探偵って単なる不審人物じゃねぇか」

ハルヒ「そりゃーこのホレイショ・ハルヒのチームに入るんだもの。
     新参といえどそれなりに名声を頂いた人物になるわ。
     平凡な探偵なんてうちのチームには必要ないものね」

相変わらずむちゃくちゃを言う。で、結局俺の役どころは何なんだ?
さっさと教えてくれ。俺はもう報われないレジスタンス活動には疲れたよ。

ハルヒ「ふっふん、あんたにしては物わかりがいいじゃない。じゃぁ任命するわ!
     キョン、あんたの名前は、シャーロック・キョンームズ! ……は語呂が悪いわね。
     じゃぁシャーロッキョン・ホー、だめ! キョンーロック、シャーキョンックあぁああ!!
     もう! あんたはもうただのキョンでいいわよ! 行ってきなさい、、不思議"名"探偵キョン!!!」

キョン「どこへだよ! どこへ行けばいいんだよ! 何すんのかまだ何も聞いてねーよ!」


ハルヒは「そういえばそうね」と呟くと何かを考えるように目を閉じて唸り始めた。
なんだ、今度は何を思いつくつもりだ、って聞いてるかハルヒ。おーい、ハルヒ、ハルヒさーん……もしもーし。

ハルヒはまぶたを半分だけ開くとおもむろに立ち上がり閉じられた部室のカーテンから外の景色を眺めた。
横開きのカーテンをまるでブラインドの隙間から覗くように指先で掴んで捻り上げる。

それで雰囲気を出しているつもりかお前は。ずいぶん面白いことになっているぞ。


13 名前:1-7[] 投稿日:2010/03/13(土) 19:19:31.34 ID:B+NILJlT0


ハルヒ「宇宙人未来人超能力者異世界人と出会う以前に、
     私は私のごく身近な人たちのことをなんにも知らないのよね……」

ハルヒは静かに、そしてやや切なげな口調でぽつりぽつりとつぶやき始める。
そばにいる古泉と朝比奈さんが複雑そうな微妙にひきつった困ったような表情をして固まっている。

長門はいつも通りだったが、もじゃもじゃ頭のカツラが気に入ったのか仕切りに撫でつけている。
法令線は消えかかっていた。どうやら水性ペンで描かれていたらしい。

油性だったらハルヒをどついてやろうかと思っていたところだが、その辺のアフターケアは考えてあるらしい。
その辺はいつもの抜け目ないハルヒなのだった。
こういう思慮配慮分別を俺の方にもちっとは回してもらいたいもんだ。

ハルヒ「現代社会において隣近所という存在は既に未知の異文化を育む陸の孤島と化しているわ……
     たとえお隣さんが宇宙人でも、お向かいさんが未来人でも、
     近所のどうでもいい大学生が超能力者でも、私たちはそれを知るきっかけさえ持てないのよ……
     これってとても残念なことだと思わない……?」

キョン「それはさっきも聞いた話だが、それとお前達のコスプレと何の関係があるっていうんだ?
     まさか、隣近所に突撃かまして無理やり家宅捜索でもしようってんじゃないだろうな。
     もしそうなら俺は今すぐにこのバカ騒ぎをやめさせるぞ。さすがにお前の退屈しのぎじゃ済まなそうな話だからな」

ハルヒはそんな俺の意見に唇をとんがらせて抗議する。
そして哀れで残念な子を見るような優しい目つきに変わり、手のひらを上に向けてやれやれと首を横に振る。

ハルヒ「はぁぁ、キョン……だめね……わかってないわね……ダメな子ね……
     あなたにもうちょっと現代社会の裏側を見つめる繊細な感性があれば……進級できたかもしれないのに……」

キョン「できてるよ! 俺進級できてるよ! 春から二年だよ! なに勝手に留年したことにしてるんだおまえは!」

14 名前:1-8[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:21:43.10 ID:B+NILJlT0


古泉「まぁまぁ、ここはこのエルキュール・一樹に免じて一つ仲良く行こうではありませんか。
   争いからは何も生まれませんよ」

古泉が普段の三倍はムカっ腹の立つ見下したような目つきでしきりにちょび髭をかわいがりながら
目いっぱい役になりきった笑顔で俺を見る。朝比奈さんは相変わらずおろおろしながらも
「ま、まぁまぁそれよりもうちの……カミさんが……ふえぇえ……」と必死で役になりきろうと
努力している痛々しい見るに忍びない姿をさらしている。長門はさっきからカツラをつけたり外したりして遊んでいる。

かなり楽しそうに見えたのは俺の気のせいだろうか。……長門さん?

長門「あなたと違って私はまだ昇進できていない」

すいません。本当にすいませんでした。
俺はなぜだか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
決して永遠に昇進できないだろうな、とか次のシリーズはあるんだろうか、
とかそういうことを考えていたわけではない。なんとなくノリで。それがすべてだった。

ハルヒ「と、いうわけで!」

ハルヒがまとめに入る。この惨状のどこをどうまとめるのか見ものではあるが、
正直胸の内は聞きたくないという思いで満ち満ちていた。
俺はまな板の鯉ならぬ皿の上のビフテキのように状況に流されるがままに
ただ呆然とたたずんでいることしかできなかった。

ハルヒ「明日から春休みに入ります!
     各自このくじを引いてそこに書かれている人の個人的な秘密に迫ってきなさい!
     そして始業式の日にその経過と結果を報告しなさい! できないとは言わないように!
     できなかったら自分の恥ずかしい思い出を全校生徒の前で大声で叫んでもらいます。
     某テレビ番組の企画のようにちゃんとお膳立てはするから、もし無理そうなら早めに申し出るように。以上!」

16 名前:1-9[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:24:03.82 ID:B+NILJlT0


そう言うとハルヒは団長専用机の下からくじ引きの箱を取り出すと自分から近い順に引かせていった。

長門、朝比奈さん、古泉と引いていって最後は俺になった。
俺は嫌な予感と共に生唾を飲み込むとハルヒのいつになく真剣なニヤケ面をねめつけながら
くじ引きの箱に手を突っ込んだ。しばらくごそごそとかき混ぜて精神を統一する。

ハルヒのさっさとしなさいよねという抗議の視線が突き刺さる。
俺は意を決して一番底にあった紙切れをひっつかんだ。
実際入れられていた紙は大した量でもないので残る二、三枚から適当に引き当てただけなのだが。

ハルヒ「それじゃぁいーい? みんな、一斉に開くのよ! せーのっ!! はい!」

ハルヒの掛け声と共に長門、朝比奈さん、古泉、俺は一斉にホッチキスで封印されたクジを破いて開く。
その紙切れに書かれた名前を見て俺は呆然とした。

古泉「ふむ、僕は荒川さんですね。まぁ今さら何を調査するでもないですし、それとなくいろいろ質問してみますよ」

みくる「あ、あの……私……森さんって出てるんですけど……接点なくって……その……」

古泉「あぁ、それでしたら一緒に調査しましょう。その方が効率的ですからね」

みくる「あ、ありがとうございます」

古泉「いえいえ、チームプレーも探偵に必須の技能ですからね」

ハルヒ「さっすが古泉くん。如才ないわね」

古泉はお褒めにあずかり光栄です、と慇懃に礼をした。当然ちょび髭を撫ぜ上げる手は止めることなく。
そんな古泉をハルヒは満足そうに眺めている。なんのコントだこれは。

18 名前:1-10[] 投稿日:2010/03/13(土) 19:26:14.49 ID:B+NILJlT0


ハルヒ「ところで有希は? なんて出たの?」

長門は開いたくじを開いてハルヒに見せる。ハルヒの表情が一転げっという呻き声と共に曇る。

長門「コンピ研部長。そう出た」

ハルヒ「うわぁ……これは微妙にいやな感じね……ちょっと対象をいい加減に選び過ぎたわ……
     ごめんね有希……あたしも一緒に居てあげるから許してね」

ハルヒは心底申し訳なさそうな表情で長門の手を取ると哀願するように上目づかいの視線を向けた。

なんというか、娘を心配する母親、というよりは父親か?
そんな老婆心というか保護者精神をにじませながらハルヒは長門を心の底から心配しているようだった。

長門はそんなハルヒの向こう側からチラリと俺を覗くと短い沈黙のあとで小さくうなずいた。
俺はわずかに頬をひきつらせてそれに応える。

長門「わかった」

長門の許しを得てハルヒの表情がぱぁっと明るくなる。お前は娘と友達になりたいお母さんか。

ハルヒ「ほんと!? じゃぁ一緒にがんばりましょう! まぁなにが出てくるもんでもないとは思うけどね」

おいおい、ひどい言われようだな……。無理やり対象に含んでおいてそりゃねぇぜ。
俺はコンピ研部長の春休みの受難を想像して手のひらのシワとシワを合わせて祈ったのだった。
間違ってフシとフシを合わせたのには後で気づいたのだが。

これで長門・ハルヒ組と古泉・朝比奈さん組の二チームが誕生した。
そんな中で俺はひきつらせた頬を元に戻すことができないまま呆然と立ち尽くしていた。

22 名前:1-11[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:28:23.23 ID:B+NILJlT0


ハルヒが俺の方へ向き直る。

ハルヒ「で、キョンは誰を引いたの? 見せなさいよ!」

ハルヒは俺の手からクジを無理やりむしり取ろうと近づいてくる。
俺はそんなハルヒをかわしてクジを天にかかげた。

ハルヒはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねて必死に手を伸ばしてきた。
俺の疲れたような諦めたような表情を睨みつけながら、
抗議やら文句やら不満やらをぶちまけてくる。

ハルヒ「ちょっと、キョン! 見せない、見せなさいってば! こらー!」

俺はそれにどう答えるでもなくその場に立ち尽くしていた。

クジに書かれている人物のことを考える。

スレンダーな肢体に腰まわりを超えるほど長いストレートの髪、
いつも元気で明るい笑顔を絶やさず八重歯がまぶしい一つ上級の先輩のことを。
朝比奈さんのクラスメイトのあの地元の名家のお嬢様のことを。

ハルヒ「みーせーなーさい! みせなさい! みせなさいってばーー!」

ハルヒを無視して俺は古泉や長門や朝比奈さんの方を向く。
古泉はハルヒの視線が外れているためか役になりきるのをやめて俺に気の毒そうな視線を送っている。

中身は知らないが俺の表情からこれから俺に待ち受ける困難を読み取っているのだろう。
紅色の脳細胞は幾分か機能しているようだった。


23 名前:1-12end[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:31:04.78 ID:B+NILJlT0


朝比奈さんはおろおろしてまだしきりに「う、うちのカミさんはぁ……ふえぇ……」と必死で役になりきろうとしていた。

ここまでくると痛々しいのを通り越して微笑ましくすらあった。
こんな調子の朝比奈さんでもまぁ古泉と一緒なら大丈夫だろう
。あいつが朝比奈さんに手を出すわけがないしな。

俺はハルヒと朝比奈さんが同じ組にならなかったことに心底安堵していた。その組み合わせだけは正直シャレにならん。
最後に長門。長門は手鏡で自分の顔を確認しながら水性ペンで法令線を描き足していた。

って気に入ってたのかよ!

俺は頭の中でそうつっこんだ。

ハルヒの抗議の声。
朝比奈さんの必死そうな表情。
古泉の憐れむような視線。
長門の楽しそうな姿。

そんな四人組を視線の脇に置いて俺はクジの中身を思い出す。

そこには一行だけこう書かれていた。

[ 鶴屋さん ]

俺が頭を抱えて唸ったのは言うまでもない。



プロローグ 不思議名探偵キョン to be continued

24 名前:2-1[] 投稿日:2010/03/13(土) 19:33:13.69 ID:B+NILJlT0


一の足二の足三の足──。

おれはどうすることもできず部室で一人悶えていた。

古泉や朝比奈さんや長門やハルヒは俺のクジの内容を見るや
お祭りムードが一転お通夜ムードに転じ憐れむような視線を俺に投げかけてきた。

そして机に突っ伏してうなだれる俺の背中を各自順番にそっと叩いて精一杯の同情の意思を示すと

ハルヒ「さ〜って、哀れなキョンは放っておいてあたし達は春休みの調査計画、
     もとい進捗計画を作成するわよ! レッツ・ラ・ゴー!」

そう言ってさっさと帰ってしまった。

古泉や長門や朝比奈さんの同情の声を背中に受けて一人部室に残された俺は
今こうしてどうすることもできないでいる。
大体俺一人であの鶴屋さんの調査をどういうツテでどういう手段でどういう切り口でやれというのか。
しかもハルヒを満足させられなければ全校生徒の前で
俺の恥ずかしい秘密を自ら絶叫させられるハメになるらしい。
そんなのはご免だ。まったくもってまっぴらだ。
とはいえハルヒの理不尽に対して俺は何の抵抗も回避策も講じられないので今こうして机に突っ伏していることしかできない。

そんな自分の情けなさと突然降りかかった不幸に涙が出そうだ。
頭の中でZARDの負けないでがリピートでかかっている。

負けないで、もう少し。最後まで、走りぬけられるかっ!

俺がそんな一人ボケツッコミで気を紛らわしているところに突然稲光の如き衝撃と共に
部室の扉が盛大に開かれ謎の黒い人影が現れた。蝶つがいがメキメキと軋んだ音を立てる。

27 名前:2-2[] 投稿日:2010/03/13(土) 19:36:23.07 ID:B+NILJlT0


長髪を振り乱し堂々たる姿勢のままつかつかと部室内に侵入してくるその人物の正体とは!?

何を隠そう我らがSOS団の名誉顧問でありメインスポンサーであり
目下俺の宿題こと調査対象である鶴屋さんその人であった。
俺もよっぽど疲れてるんだな、うん。

鶴屋さん「やっほ〜っ、キョンくん! みくるに聞いてやってきたよっ!」

鶴屋さんはその輝かんばかりの笑顔と大声で俺に爽やかに暑苦しく挨拶をすると
ぴょんと一跳ねして俺の目の前に立ち止まった。なんとも豪毅な人である。
俺はそんな鶴屋さんに気だるく青ざめた表情を向けるのが精一杯で、
俺の淀んだ表情に鶴屋さんは怪訝な顔をする。

鶴屋さん「どうしたんだいっ、キョンくんっ。未来ある若者がそんなことじゃぁいけないなぁっ」

キョン「未来どころかむしろ俺の赤裸々な過去が大ピンチなんです……」

鶴屋さん「そっかぁ、キョンくんも大変だねっ」

鶴屋さんは俺の事情を把握してかしないでか心底の哀れみと共に先輩風を吹かせる。

正直、消えてしまいたかった。
俺が自分で暴露せずともどうせハルヒのことだ。
妹をたぶらかして俺のはずかしー過去の一つや二つ簡単に掘り返してしまうに違いない。

ハルヒが妹を買収して得たネタを使って嬉々として台本を作成している姿を想像してしまい
俺は余計に気が滅入った。
そんな俺の気分を吹き飛ばすように鶴屋さんは晴れ晴れとした笑顔で質問してくる。


31 名前:2-3[] 投稿日:2010/03/13(土) 19:38:47.10 ID:B+NILJlT0


鶴屋さん「ところで何を調査するんだいっ? そこんとこは何も聞いてないにょろっ」

キョン「あ、そこまでは聞いてるんですね。調査対象、ですか……」

朝比奈さんはどうやら調査の対象までは知らせなかったようだ。
そりゃぁそうだろう。秘密裏の調査という設定になっているのだから、
役になりきろうと必死な朝比奈さんこと刑事みくるンボがそうそう外部に情報を漏らすとは思えなかった。

鶴屋さんを寄越したのはきっと俺を哀れんでのことだろう。
でもきっと朝比奈さんのことだから普通にインタビューか何かをすればいいのだと思っているのかもしれない。
でなきゃ鶴屋さんに直接俺のところに行くよう頼んだりはしないはずだ。

今更鶴屋さんにインタビューした程度でハルヒが納得するとは到底思えない。
もっとつっこんだ何かしらの情報が必要な筈だ。
セクハラ大王のハルヒのことだからスリーサイズぐらい聞いてこいと言うかもしれない。

だがそんな勇気は俺にはないし、ある意味聞かなくてもいいような気がするのは
鶴屋さんには絶対に内緒である。男の目線、罪深い。
その辺はハルヒや鶴屋さんにはわかってもらえるかもしれないが正直バカにされるのが落ちである。
やめておこう。

鶴屋さん「あとこれもみくるから聞いたんだけどさ、
       一樹くんとみくると長門っちとハルにゃんでコンビ組んでるんだってっ?
       で、キョンくんだけあぶれちゃったんだねっ。お気の毒様っ!」

キョン「まぁある意味気楽でいいんですけど……ただ途方に暮れているんですよね。
     正直。一人じゃどうしたもんかと」


33 名前:2-4[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:40:55.72 ID:B+NILJlT0


俺は目いっぱい大げさに溜め息を吐いて肩を落としてみせた。
鶴屋さんの表情に若干心配の色が浮かぶ。
今は面目も対面もなく、哀れみでもいい、少しだけ優しくされたかったのである。

そんな俺の些細な目論見は意外な形で困った展開を呼ぶことになった。

鶴屋さん「だったらさっ……あたしを助手に雇いなよっ!」

この一言には思わず目を丸くした。

キョン「え……? つ、鶴屋さんを、助手に!?」

鶴屋さん「そうそう、相棒って言ってもいいかもしんないね!
      実はさ、みくるにも言われたんだよね。
      キョンくんが一人ぼっちだから助けて上げて欲しいってさっ。
      まぁでも流石に助手をやれとまでは言われなかったけどね。
      だからこれは単純にあたしの趣味みたいなもんだからさっ!
      大船に乗ったつもりで居ておくれよ! なっはっはっ!」

そう言うと鶴屋さんはそのスレンダーなお胸を目いっぱい反らして力強く叫んだ。

鶴屋さん「ところでキョンくんの役どころはなんなんだい?
      みくるが転ん坊で一樹くんが歩和郎で長門っちが法多山で
      ハルにゃんが保冷所なのはわかったけどさ、
      キョンくんは何にょろっ?」

鶴屋さんのなんだか微妙に引っかかる日本語の言い回しが気に掛かる。
ん〜なんだか知らないがツッコミの機会を逃してしまったような気がする。
そんな口惜しい微妙な気分になった。

34 名前:2-5[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:43:05.15 ID:B+NILJlT0


鶴屋さん「そういえばみんな刑事役だよね。とするとキョンくんも何か警察つながりなのかいっ?」

キョン「いえ、違いますが。それに古泉の役は刑事じゃなくて純然たる探偵でしょう」

鶴屋さん「ふっふんっ、わかってないなぁキョンくんはっ。
      そんなことじゃぁみくるのハートを射止めるには随分時間がかかりそうだねっ」

ふぐっ! 何気に心に突き刺さるような一言を……。ところで鶴屋さん、探偵ものには詳しいんですか?

鶴屋さん「んにゃっ、でも得木売・歩和郎が確か元警察署長だったってのは知ってるにょろっ。
       キョンくん、さすがに警察官同士のコンビ二組に一人で挑むのは無理があるっさっ。
       なんたって顔の広さと年季が違うからね。放っておいても事件が舞い込む、
       そりゃぁ経験値の差はダンチさっ! その分、あたし達は発想力で勝負しないとねっ!」

キョン「まぁ発想っていう点ではシャーロック・ホームズは群を抜いているでしょうね」

俺のその一言を聞いて鶴屋さんの瞳が一際輝きを増したように見えた。なんだか悪い予感がするぞ。
俺の頭の中で謎のサイレンがレッドアラートを鳴らしている。いつの間にこんなスキルが身についたんだ俺は。

鶴屋さん「キョンくんはシャーロック・ホームズなのかいっ!?
       いいねぇいいねぇバッチリだねぇ! だったらあたしはワトソン医師ってことになるのかなっ!
       名探偵と頼れる相棒! く〜っ、これはあの二組が相手でも太刀打ちできるかもしんないね!
       がんばろっ、キョンくん! みんなをギャフンと言わせちゃおうっ!」

異様に張り切る鶴屋さん。あの〜もしも〜し。どちらかというと"迷"探偵の方な気がするんですけど。
もしも〜し、鶴屋さん、もしもーし……。

そんな俺の悲痛な呻きに些かの耳も貸さず
鶴屋さんは張り切り満面喜色満面な笑顔でしきりにガッツポーズを取るのだった。

35 名前:2-6 end[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:45:44.38 ID:B+NILJlT0


俺にはシャーロック・ホームズばりの推理力も発想力も格闘技の技能もましてや捜査能力もないと言うのに。
これじゃぁどちらかというと俺がワトソンで鶴屋さんがホームズなんじゃないのか?
そんなことを考えながらなし崩し的に新造のコンビは結成されたのだった。

そもそも調査対象がその相棒であるという矛盾を抱えたままで。

鶴屋さん「それじゃぁキョンくんっ! あたしが目いっぱいお手伝いするからねっ!
       明日から一緒にがんばるっさ〜っ!」

俺は額に手を当てて唸るまでもなく、既に観念しきっていたのだった。

負けないで、俺。
最後まで。走り抜けられるんだろうか……。



思えば俺はこのときから既に引き返せないところにまでやって来てしまっていた。
そしてそれは実際に俺とあの人の心を苛んでいく物語の序章に過ぎなかったのである。

そんなことに気づくこともなくこの時の俺と鶴屋さんは
能天気に明日が当たり前のように来るものだと思っていた。

それが当たり前のことであって当たり前でないということに気づくのはもう少し先のことである。

36 名前:3-1[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:50:16.41 ID:B+NILJlT0

昨日のはなかったことにしてください。ここからスタートということで。
一次創作もやってたのですがどうしてもこちらを書く理由ができてしまったので。


一日目 不毛不才名探偵キョン


春休み初日。
俺は文化祭の映画を撮影した鶴屋公園の池のほとりで一人何をするでもなく天を仰いでいた。

上空にはトンビが数匹輪を成して飛んでいる。
なにが面白いのやら、ぐるぐるぐるぐると延々同じ場所を行ったり来たりしている。

堂々巡り。今の俺の思考とぴったり符号していた。

俺はさっきからどうしたものかと散々頭を捻っているのだが
今のところ上手い解決策には巡り会えてはいない。
シャーロック・ホームズのように薬を一発キメればハブアナイスな発想が浮かび上がるのかもしれないが、
この年で人生を棒に振るにはまだ惜しいのでやめておこう。

第一そんなもん手に入れる方法もないしな。永遠にわからないままでもいい。
ただこの状況を打開する方法だけは今すぐにでも手に入れたかった。

鶴屋さんの調査を鶴屋さんを相棒にして行う。
どんな矛盾だ、どんな破綻だそれは。
鶴屋さんにお願いして屋敷に訪問して、ほうほうこれはいいもんですな、いい素材を使ってますな、
とお宅拝見よろしく談笑するってのか?
ところでスリーサイズはおいくつですか? などと訪ねようものなら怒髪かっこ鉄拳かっことじるが
飛んでくるのは目に見えている。
それは麻薬なんかよりも確実に俺に早すぎる死をもたらすだろう。

37 名前:3-2[] 投稿日:2010/03/13(土) 19:52:26.10 ID:B+NILJlT0

鼻血を手のひらいっぱいにくっつけて「なんじゃぁこりゃぁ!」と叫ぶ度胸など俺にはないし、なくていい。
さすがにそういう冗談は俺にはハードルが高すぎるのだった。

そうこうしているうちにもう一時である。鶴屋さんとの待ち合わせは確か一時五分だった筈だ。
この微妙な五分という時間が待ち遠しくもあり、来ないで欲しくもあり、
なぜ五分?という些細な疑問を俺に呈するのだった。

数分後、俺を呼ぶ元気な叫び声が遠くから聞こえてきた。
他でもない、俺の助手こと相棒兼調査対象の鶴屋さんその人である。

さすがにもうこの季節、ジャケットやコートは羽織っていないが
黄色いワンピースの下に細い横縞の長袖を着込んで初春らしい格好をしている。
俺はというといまだに惰性で冬用のカジュアルなジャケットに身を包んでいるのだった。

二人で並ぶと若干アンバランスである。鶴屋さんはそんな俺の微妙に季節外れな格好に何を言うでもなく
いつもの爽やかで気持ちのいい笑顔を惜しげもなく披露し元気よく挨拶してきた。

鶴屋さん「やぁ、キョンくん待ったかいっ!
       待ってましたって顔だねっ、でもねキョンくん、人生にはいろんな待ち合わせがあるもんさっ。
        良い知らせも悪い知らせも、来るまでは長くても来てみればあっと言う間なんだからねっ」

微妙によくわからない言い回しをしながら鶴屋さんは俺の隣に立つと
ジャケットの袖を引いて歩き始める。俺は連れ去られるままに鶴屋さんの少し後ろをついていった。

鶴屋さんは大相機嫌が良さそうで、
いつぞやハルヒと盛大に合唱していたブライアン・アダムスの18 till I dieのサビだけをリフレインさせていた。
一応俺もそれに付き合って小声ながら小規模な合唱団が誕生する。わ〜なびや〜ん……ダメだ、恥ずい。

鶴屋さんは振り返ってチラリと横目に俺を見るとにゃははっと機嫌よさそうに笑った。


38 名前:3-3[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:54:45.68 ID:B+NILJlT0


春一番ならぬ春五番だから十番だかが吹き暖かな日差しに温められた空気が優しく頬を撫ぜる。

さて、これからどこへ行こう。
なにはともあれ一応鶴屋さんに付き従っている限りは調査の体は保たれるわけで。
まぁその辺をブラブラしているうちに何かしらの新発見があるかもしれない。

そう自分を納得させて俺は鶴屋さんと共に市街へと続く道を二人並んで歩いていった。

俺は昨日尋ねられた調査の対象についてまだ鶴屋さんに何も言っていない。
にも関わらず鶴屋さんはそれ以上何を言うでもなく隣でニコニコ楽しそうに笑っている。

鶴屋さんを騙しているような気がして頭の後ろが痒くなった。
袖が引っ張られていない方の手でかこうかと思ったのだが不自然だったのでやめた。

鶴屋さんはなおもチラチラとこちらの様子を伺いながらリフレインし続けている。
何人か散歩中の年寄りや年配の女性とすれ違ったが
皆一様に俺と鶴屋さんを微笑ましげな瞳で見つめてくる。

まさか兄妹か何かと勘違いされているんじゃないだろうな。実際はその逆だ。
言うなれば俺の方が手のかかる弟で、目の前のこの人は偉大で尊大なお姉さんなのである。

ひょっとするとそういう風に見えているのかもしれない。
俺の情けない表情を見て、あらあらうふふと笑ったのかも。
ぬう、そう思うと若干口惜しい。袖引き小僧ならぬ袖引き鶴屋さんに連れられて俺は歩き続ける。

鶴屋さん「それじゃぁキョンくん、今日はどこへいこっかっ!」

歩きながら鶴屋さんが俺に尋ねてくる。


39 名前:3-4[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 19:57:06.26 ID:B+NILJlT0


俺は少しだけ首をひねって考える。
そう言えば鶴屋さんは普段休日にどういう行動を取っているのだろう。
朝比奈さんと街に繰り出したらナンパされまくったと言っていたし、
普通に友達と市街をブラついたりしているんだろうか。

それとも長期の休みともなれば家族で海外へ行って豪奢なホテルやロッジなんかで団欒の一時を過ごすのだろうか。
そう思うと今ここでこうして俺と過ごしている時間は他の貴重な一時を潰してまで作り出したものということになる。

このまま鶴屋さんをこんなバカな調査につき合わせてしまっていいものだろうか。

だいたい俺が恥ずかしい秘密を全校生徒の前でバラしたくない一心で鶴屋さんをつき合わせているなんて
よく考えたら切腹ものだ。この人の厚意に仇なすことなんじゃぁないのか? いかん、このままでは。
俺一人が危害を被るならそれでいいじゃないか。無関係のこの人まで巻き込むわけにはいかない。

キョン「鶴屋さん、すいません……せっかく来ていただいたのですが、終わりにしませんか?」

鶴屋さんはハッと振り返って俺に怪訝そうな顔を向ける。

鶴屋さん「えっ? なんでなのさっ」

抗議と不満と不機嫌さのにじんだ表情で俺を上目遣いに睨みつける。気に入らないと言いたげだ。
ん、ということは鶴屋さんは嫌がってるわけじゃぁないのか? 内心迷惑がってるのかと思っていたんだが。


40 名前:3-5[] 投稿日:2010/03/13(土) 19:59:14.95 ID:B+NILJlT0



キョン「や、鶴屋さんの貴重な時間を俺なんかのために使わせるなんて申し訳なくってですね。
    それも春休みいっぱいですよ。二週間もですよ。どう考えても家族旅行とかの邪魔じゃないですか。
    それなら早めに打ち切った……方が……」
鶴屋さんの俺を睨みつける視線が話を続けるほどに鋭くキツくなっていく。
俺はその迫力に気圧されてたじたじになる。
鶴屋さんは俺の胸元にピッと一本指をつき立てると早口でまくし立てる。

鶴屋さん「キョンくんはそんなこと気にしなくていいにょろっ!
      これはあたしが参加したいって言い出したことなんだからさっ!
      キョンくんは黙ってあたしに助けられてればいいさねっ!
      じゃないと怒髪でどついちゃうにょろよっ!」

俺は何を言い返すでもなくただあぁとかうぅとか唸っていた。鶴屋さんの目は真剣そのものだ。
迂闊な事でも言おうものなら即制裁が飛んでくる。そんな予知めいた予感が脳裏をよぎった。

俺は恐る恐る了解の旨を顔を上下させて鶴屋さんに伝えた。
鶴屋さんは納得したように得意げに頬を緩ませると

鶴屋さん「わかればよろしいっ!」

とそのスレンダーなお胸を目いっぱいぐっと張ったのだった。

俺は引っ張られていない方の手で頭の後ろをポリポリとかいた。
もういい加減我慢をしていることがバカらしくなってきた。

鶴屋さんはそんな俺の仕草を見てなははっと大げさに笑うと指を立てて得意がる。

面目ない。その一言である。

42 名前:3-6end[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:01:25.57 ID:B+NILJlT0


そして鶴屋さんは俺の袖から手を離しおもむろに指と指を絡めてきた。
恋人同士がそうするようにしっかりと指と指の間をくっつけてその姿勢を力強くキープしてくる。

俺が驚くのにも構わない様子の鶴屋さんはいつも元気一杯の笑顔を絶やすことなく俺を見上げてきた。

キョン「つ、鶴屋さん……!?」

鶴屋さん「さぁこれで逃げられないっさ! それじゃぁキョンくん、覚悟を決めて、いざレッツゴー!」

鶴屋さんはそう言うとほとんど全速力で走り出した。
俺は必死で鶴屋さんの後をついて走る。

肌に受ける春の風は気持ちよく、空は天高く晴れ上がり。

日差しは優しく包み込むように柔らかだった。

それと同じくらい鶴屋さんの笑顔も穏やかに柔和で、
快晴の二文字で表せそうなくらい晴れ晴れとしていたのだった。

その後俺が汗だくになったのは言うまでもない。


初日 不毛不才名探偵キョン to be continued

43 名前:4-1[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:04:03.57 ID:B+NILJlT0


俺と鶴屋さんは何をするでもなくひたすら市街をブラブラとほっつき歩いていた。

噴水通りに流れる舗装された小川に敷かれた飛び石の上をぴょんぴょんと飛び跳ねながら
鶴屋さんは楽しそうに笑っている。
俺はというといい加減暑苦しくなった季節外れのジャケットを
小脇に抱えてのろのろとその後を追いかけていた。

軽やかなステップを踏んで飛び石から帰還する鶴屋さん。
そんな鶴屋さんを俺は淀みと濁りに満ちた目と疲労困憊の浮かんだ顔で迎えることしかできなかった。
鶴屋さんは少し気まずそうに苦笑いした後近くのベンチを指さした。

鶴屋さん「キョンくん疲れたにょろっ、あそこで休んでこーよっ」

疲れているのはもちろん俺の方である。
俺の力ない愛想笑いに納得すると鶴屋さんは「そこで待ってて欲しいっさっ!」と言い残し
元気一杯にどこへともなく駆けていった。

一人残された俺は大人しく言われた通りにベンチに腰掛けて呻き声をあげた。
近くを通りかかった主婦が怪訝な顔をする。
格好が格好ならくたびれた新入社員か何かに見えたかもしれない。

ただ今の俺はどちらかと言えばサラリーマンというよりも
無理なジョギングで身体を壊したバカな健康オタクに近い。
道行く人々の睥睨するような視線が痛い。

俺はどこを見るでもなくただ天を仰いでいた。覆いの隙間から日差しが覗く。
春風舞い上がり熱を帯びた俺の身体も徐々に落ち着きを取り戻し始めていた。
気持ちのいい風を感じていると小春日和というのは
こういうことを言うんだろうなと柄にもなく風流に浸ってしまった。

45 名前:4-2[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:06:15.50 ID:B+NILJlT0


ジャケットを隣に放り捨てて両手を背もたれ一杯に広げる。
もたれかかって首をブラブラさせていると
なんとも心地よい気分になって眠気が襲ってきた。

いかんいかん、流石にこの季節にこんな格好で寝たら風邪を引いちまう。

そう思った俺が勢いこんで立ち上がると目の前から驚いたような声が聞こえた。

鶴屋さん「わったった!」

鶴屋さんがいつの間にかすぐ目の前に立っていて
俺が急に立ち上がったもんだから驚かせちまったらしい。
その手に持っていた黄色い何かが一つがぽろっとこぼれて地面に落ちて潰れてしまった。

黄色い物体の正体はたい焼きで中からあんこがはみ出してしまっていた。
鶴屋さんはその場にしゃがみ込んでたい焼きの破片を残念そうに片付けている。
俺はなんとも申し訳ない気分になった。

キョン「す、すいません、鶴屋さん、驚かせてしまって……」

鶴屋さん「やーっ、そんな気にすることないってっ!
      こっそり驚かせようと思ったあたしも悪いんだからさっ。お互い様だよっ」

むしろ全面的にこっちが悪いと思うのだが、鶴屋さんは俺が罪悪感を感じられる余地を残しつつ
それでいて半分は自分で引き受けてくれた。本当にこの人には頭が上がらないな。

まだ熱々のたい焼きを鶴屋さんと片付けながら俺はそんなことを思った。


46 名前:4-3[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:09:36.89 ID:B+NILJlT0


鶴屋さんはたい焼きを二つ買ってきてくれていた。一つは俺、一つは鶴屋さん。
ふたり分の作りたてのたい焼きだ。
だがその一つは俺のせいで潰れて食べられなくなってしまった。

鶴屋さんが「上半分は大丈夫かもっ」などと言い出し始めたがさすがにそれは止めておいた。
残念そうにしていたのが非常に申し訳なかった。
俺はいいですよ、と遠慮するもそんな俺の提案をくじくように鶴屋さんは大きく首を横に振った。

鶴屋さん「若い子がそんなことじゃぁだめだぞっ!
      しっかりちゃっかり食べないとねっ、と、言うわけで!」

はい、どういうわけなんでしょう。こういうまとめ方はハルヒにも通じるところがあるな。
ハイな人間の底流には同じような志向の川が流れているんだろうか。

とはいえローになることも割と頻繁なハルヒと比べればこの人の川は相当深く太そうではある。
黄河だとか長江だとかナイル川だとか地中海ぐらいの規模で。

鶴屋さん「半分こにょろっ♪」

そう言って二つにちぎったたい焼きの片方を俺に差し出してきた。ちょっと大きい方をである。
しっかりちゃっかりつっきり食べさせるつもりらしい。

俺はそんな鶴屋さんの気遣いや遠慮をくじくようにもう一方の手から
若干小さいたい焼きを取った。鶴屋さんは「あっ!」と驚いた後

鶴屋さん「てっへへ……わりーねっキョンくん! んじゃぁありがたくいただくっさっ!」

と若干眉毛を下げ気味にして申し訳なさそうに微笑んだ。
むしろ申し訳ないのは俺の方ですよ鶴屋さん。

47 名前:4-4[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:13:06.14 ID:B+NILJlT0

俺は鶴屋さんの厚意が込められたおごりのたい焼きを
半分の罪悪感と半分の感謝を含めて頬張った。
熱々のたい焼きにあんこの甘みが口一杯に広がる。

特に甘いものが好きだというわけではないが出来立てのたい焼きの美味しさに異論を挟む気はない。

美味い。素直にそう言えない自分は随分なひねくれものだなと思ったのだが、
隣で盛大に「おいしーっ!」の大合唱をされればちっとは婉曲な言い回しを担当する奴が
一人くらいいてもいいのではないかなと夜郎自大にも思ったのだった。

俺はたい焼きをもったいなさそうにちょこちょこと頬張っている鶴屋さんを横目に
この調査の先行きについて考えを巡らせ始めていた。


鶴屋さんのことを鶴屋さんを助手兼相棒にして調べる。


随分矛盾した状況だった。まぁ調査対象を堂々と観察できるのだからこれに越したことはないのだが。

ただこうしてベンチに二人して座ってたい焼きを頬張っていても
一切の情報も洞察も得られないのだろうなということは用意に想像が着く。
とはいえ朝比奈さんが考えていたように素直にインタビュー形式にするというのもつまらない。

なんとかそれとなーく誘導的に尋問的なナイスなディテクィブテクニックを発揮できないものだろうか。
そこの本屋で探偵のハウツー本でも買って帰ってみようか。
それでストーキングの知識ばかり増えた日には目も当てられないが。

49 名前:4-5[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:15:36.15 ID:B+NILJlT0


さすがにこの人のことはググッてもわからないだろうな。
下手すりゃ国家機密よりセキュリティが固いかもしれない。
まぁそれもどんな秘密を知りたいかってのにもよるんだろうが。

案外今まで俺たちが聞いてないだけでいざ聞かれたらなんでもペラペラしゃべってくれたりしてな。
自分のことを得意げに話している鶴屋さんなんて想像もつかないが。

ま、何はともあれ行動だ。軽いジャブからストレートへ、当たり障りのないところから始めていけばいいことだ。

キョン「鶴屋さん、不躾なんですけどちょっとした質問とかしちゃったりしちゃってもいいですかね?」

鶴屋さん「なんだいキョンくんっ、やぶからぼーにっ。
      年頃の男の子なのはいいことだけれど
      女の子に向かっていきなりそれはないんじゃーないかなーっ。
      そんなことじゃぁだめさっ! もっと繊細に扱ってあげなきゃ相手の人がかわいそうにょろ」

うーん、それは朝比奈さんとかのことを言っているんだろうか。
鶴屋さんのことだからきっとハルヒやら長門とかも含んでいるんだろうな。

一瞬エルキュール・一樹の姿が頭に浮かぶ。
俺はそのまま頭の中であのムカつくちょび髭を無理やりむしりって放り投げてやった。
涙目でちょび髭を拾いにいく古泉を想像して俺はちょっと気が楽になった。
単に糊付けが強すぎて痛かっただけなのかもしれないが。

俺がそんなバカなことを考えていると鶴屋さんは何かを思いついたように両手を叩いて俺に提案をしてきた。

鶴屋さん「そーだっ! あたしが先にキョンくんに質問するから、
      それにキョンくんが答えてくれたらあたしもキョンくんの質問に答えるっさ!
      それならおあい子にょろっ」

50 名前:4-6[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:18:15.46 ID:B+NILJlT0


ナイスでグッドな解決策を提案している、ようでいてその実この先輩は
俺からハルヒ達の何か面白い情報でも引き出そうと企んでいるのだろうか。

そう思うとうっすら覗いた八重歯がよこしまな感じに見えてくる。鶴屋さん、恐ろしい子っ!

鶴屋さん「じゃーいくよっ、質問っ! キョンくんはどうしてSOS団に入ったにょろっ?」

ふつーに俺に対する質問だった。俺は自分のよこしまな憶測に素直に面目のなさを感じていた。
よこしまな俺ながらここはふつーに答えよう。うん。
大した中身でないのがこの人に申し訳ないのだが。

キョン「どうしてって……そりゃぁハルヒに無理やり入団させられたんですよ。
    有無を言わさずひっつかまれて、抵抗むなしく連行されっちまったわけです」

俺は悲劇の主人公もといピエロを気取って
目いっぱいおどけるように手のひらを上に向けたまま肩をすくめた。
顔面には悲しみに金箔を振りかけたようなこってりとした悲愴感を浮かべて。

これでうっすら涙でも浮かべた日には名役者、ならぬ名厄者である。
我が事ながら自分の才能が痛いぜ。ついでに頭も痛くなってきた。

鶴屋さん「でもハルにゃんも長門っちもみくるも一樹くんも普通の人じゃないんだよねっ」

キョン「そう……ですね。俺以外は全員……」

普段の表情からは忘れそうになるが鶴屋さんは稀代の勘の鋭さで
俺を除くSOS団の全員が常人ではないということを察知している。

そして当然のことながら俺自身がまったくの一般ピープルであるということにも気づいている。

52 名前:4-7[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:21:26.61 ID:B+NILJlT0


年末に鶴屋家所有のスキー場で遭難するハメになった後に
鶴屋さんは自分と同じ匂いがすると俺の耳元に口を寄せて囁いた。

あん時は若干耳元で吐息がくすぐったかったな。

今にして思うと鶴屋さんに耳元で囁かれるというのは
なかなかナイスなイベントだったのではなかろうか。

普段はその勢いに気圧されてほとんど意識することはないが
鶴屋さんは世間で言うところのいわゆる美少女のカテゴリーに含まれる。

先輩風を吹かせて年上らしくふるまっていても若々しさでは圧倒的に俺より上な人だ。
こう目立つ人であるから例えSOS団を通してではなくとも何らかの形で鶴屋さんのことを
目に耳にする機会はあったかもしれない。

谷口あたりから美人の上級生がいるとか聞かされて
バカな話に花を咲かせていたかもしれないな。
その時に俺から見えた鶴屋さんは台風のような覇気をまとった名家のお嬢様で憧れの先輩だったのかも。

いや今でもものすっごく尊敬しているのだが。おそらくそういったものとは別種の感情なのだろう。
今だからわかるが、この人を好きになるってことはものすごーくとてつもなく当然のようなことでいて、
すさまじくとんでもなく拳で地面を叩いて地震を起こそうというくらい大変なことなのだ。

過去にこの人に惚れた男たちの無残な有様に想像をめぐらせて俺は憐憫を禁じ得ないのだった。合掌。

鶴屋さん「ちょっち気になってたんだよねっ、ハルにゃんたちが普通の人達じゃないのに、
      なんでキョンくんがその中にふつーに混じってるのかなってさっ。
      あ、別にキョンくんがおかしいってわけじゃないっさっ、
      ただ不思議だなーって思っただけにょろっ」

53 名前:4-8[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:23:50.34 ID:B+NILJlT0


確か古泉や長門や朝比奈さんに正体を明かされたときも似たようなことを言われたな。
宇宙人未来人超能力者の次に質問されたわけであるから
俺にバカな疑惑が浮かび上がったのも無理はないと思ってほしい。

キョン「まさか鶴屋さん、あなたは自分が異世界人か何かだと言うつもりじゃないでしょうね」

俺の真剣な表情にキョトンとした次の瞬間、鶴屋さんはお腹を抱えてケラケラと大笑いし始めた。

鶴屋さん「あははははっ! あたしがもし異世界人だったら、
      キョンくんは世界の中心かなんかかもしんないねっ!
      あはははははっ!」

世界の中心っていうか台風の目みたいなもんだろうか。
それだったらむしろハルヒの方がしっくりくる気がする。

あいつの周りではいろいろ起こるがあいつだけは当の状況にそれほど関わってはいないんだからな。
ただ中心が動けば周囲もそれに合わせるので被害を一層拡大する張本人なわけだが。

俺の立ち位置を例えるなら世界や台風よりも太陽系にしたい。
当然ながらハルヒが太陽で、可愛らしい女神のような朝比奈さんは金星だ。
古泉のあの鬱陶しいニヤけ面は間違いなく火星だ。ていうか紅い玉だしな。ぴったりだろ。
長門は水星だな。情報処理に強い、どころか世界ごと書き換えちまうってところがぴったりだろう。
とすると俺は地球ってことになるのか。

なるほど、確かにハルヒの周りをぐるぐるうろつきながら明るくなったり暗くなったりしている。
俺の一喜一憂は公転運動のごとき定刻さでたびたび襲ってくるからな。まったく笑えない話だが……。

とすると残るは土星やら木星やら天海冥やらだがこの中だと鶴屋さんは木星ってことになりそうだ。
ジュピター、オリンポスの最高神。これはなかなかにハマっているんじゃないか。

54 名前:4-9[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:27:13.47 ID:B+NILJlT0


稲妻のように現れたり一撃が強烈なところなんかもぴったりだ。よし、決定。
鶴屋さんは俺の中では木星だ。願わくばそれが慈愛に満ちた女神でありますように。

なんて願うまでもないか。恩知らずにも程が有る。

そんなバカなことを考えつつ自分を情けなく感じた俺は言いしれない疲労感を感じた。
右手で目元を押さえてうなだれる。
頭の中ではハルヒや朝比奈さんの顔をした惑星達がいまだぐるぐると公転していた。
この頭痛の種はこの奇妙な太陽系なんじゃないだろうなと自分の妙な妄想のせいにしたくなった。

そんな俺を本気で心配してまぁまぁと慰める鶴屋さん。
ポンポンと慰めるように叩かれた肩が少しだけ心地良かった。

鶴屋さん「あたしはキョンくんと同じ、ふつーの人っさっ!
      だからあそこには入んないんだよっ。傍から見てる方がおもっしろいかんねっ!」

明るくあっけらかんとサバサバとした動作で言い放つ鶴屋さん。
俺はそんな鶴屋さんに改めて感心した。やっぱこの人はすげーな、と。

鶴屋さんはそんな俺の考えを見透かしたように言葉を続ける。

鶴屋さん「それよりも、すっげーのはキョンくんの方さっ!」

これには若干驚いた。俺が鶴屋さんよりすっげーってのはどういうことだろうか。
まったく思い当たるところのない俺の混乱を察してか返事を待たずに鶴屋さんは続ける。

鶴屋さん「だって、あたしだったらさっ、そんなフツーじゃない人たちのすぐ近くで
      フツーにしてるなんてできないし! これでも結構いろいろびっくりさせられてるんだよっ」


55 名前:4-10[] 投稿日:2010/03/13(土) 20:29:24.40 ID:B+NILJlT0


キョン「その割にはいつも豪快ですよね」

鶴屋さん「そりゃー面白いっからね!」

そう堂々と言い放った鶴屋さんは満面の笑みを浮かべて健康的な八重歯を覗かせた。

尊敬を通り越して呆気に取られてしまったが、
あまりにも鶴屋さんらしい答えだったので思わず頬が緩んでしまった。

鶴屋さんはそんな俺の顔を見て照れくさそうにして笑った。
笑顔の上に笑顔を重ねるという珍しい一芸を見て俺はこの世にはいろんな笑い方があるもんだと
わずかな感慨にふけった。

鶴屋さん「とりあえず今日はここまでっ! また明日、がんばろーねキョンくんっ!」

今日一番がんばったのは走ることだった、という一抹の情けなさを感じつつ俺はうなづいた。

キョン「じゃぁ鶴屋さんの自宅まで送っていきますよ。一人で帰すのもなんですしね」

心配ですしね、とは言わなかった。まぁ心配がないことは当たり前のことではあるのだが、
気恥しさもあってそうは言えなかった。

鶴屋さんはそんな俺に何を勘ぐるでもなく「ありがとっ!」と素直に感謝してくれた。
今日はこんなにいい天気なんだ。ぶらぶらだらだら、何の気なしに歩いたっていいだろ。

俺がそんなことを考えていると鶴屋さんはすぐ近くの通りにあるタクシー乗り場までたったと
軽快な足取りで駆けていって一台のタクシーと交渉し始めた。

笑顔で手招きする鶴屋さんに俺は苦笑いを返す。

57 名前:4-11[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:31:43.45 ID:B+NILJlT0


俺が到着した時タクシーの後部座席が自動的に開いた。
鶴屋さんは得意げに俺に先に乗るように勧めてくる。

キョン「や、あの。さすがにここまでしていただくってのは申し訳ないというかなんというか……」

そんな俺の機先を制するように俺の上唇に人差し指を添えて黙らせながら鶴屋さんは言う。

鶴屋さん「だめだよキョンくんっ、先輩のこーいは素直に受けておくもんさねっ!」

鶴屋さんはそう言って強引にタクシーに乗るよう勧めてくる。
もう少し抵抗してもよかったのだが、なんというか単純に頭が上がらなかった。

送り方までは指定していなかったので問題ないといえば問題ないのだが、
当然のことながら俺の財布の中身は千円札が数枚という悲惨な現状である。
当然ながら支払いは鶴屋さん持ちってことになってしまう。

そりゃあ鶴屋さんの家は資産家だから気にしないのかもしれないが、
小市民な俺はというとなんだかタカっているような気がして居心地の悪さを拭えない。
情けなさすら感じてしまう。

そうこうしているうちに鶴屋さんによって強引にタクシーへ押し込まれた俺は
鶴屋さん宅へ向けて揺られることになった。
隣では鶴屋さんがしきりに肘を伸ばしたり肩を曲げたりしてリラックスしている。

俺は疲れ眼に景色と鶴屋さんを交互に見ながら何を考えるでもなくボーッとしてしまっていた。
春の陽気のせいか、はたまた自分への情けなさのせいか、それとも今この状況のせいなのか。

時に同じくハルヒや長門や朝比奈さんや古泉はどうしているだろうか。
そんなことに考えを巡らせながら隣でうとうととし始めた先輩を見る。

58 名前:4-12end[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:34:33.08 ID:B+NILJlT0


風のない車内はエアコンもつけていないのに暖かだった。

日差しのぬくもりの中でついに眠りの大海へと漕ぎ出していく鶴屋さん。

ワンピースが若干めくれて膝上が覗いていたので気付かれないように直しておいた。
今目覚められたらいらん誤解を招きそうなので慎重に慎重に。

かくして初日の調査はこうして幕を閉じた。

そして明日から春休み終了までのことに想像を巡らせて、
俺も眠りに落ちてしまいたくなったのだった。





59 名前:5-1[] 投稿日:2010/03/13(土) 20:37:01.13 ID:B+NILJlT0


二日目 不肖名探偵キョン


翌日。調査開始から二日目。
今度は市街の駅前で待ち合わせをした。

いちいち鶴屋公園から走っていたのでは身が持たない。
当然ながら昨日着ていたジャケットはクローゼットの中で留守番だ。
俺も春らしい格好をして、ベンチに座り何をするでもなくぼうっと鶴屋さんを待ちぼうけていた。

近くの車用乗降帯に黒い高級車が一台停止した。黒塗りのセンチュリーである。

背後のドアが開くと中からその長く艶やかな髪の毛を背後でゆるく束ねた鶴屋さんが
動きやすそうな格好をして現れた。それでいて肩に羽織ったケープのようなものが
独特の風格を醸し出している。高級外車から降りてくる姿を目撃した直後ならばなおさらだ。

極道の娘。そんな不謹慎な想像をしてしまった自分はなんとも小市民だなぁと思いつつ
溢れんばかりの笑顔を振りまきながら元気一杯に駆け寄ってくる鶴屋さんに片手を上げて軽く挨拶をした。

鶴屋さん「やぁやぁっ! キョンくん、待ったかいっ?」

いいえ、そんなことありませんよ。ぼぅっと空を眺めて雲の面積を割り出すのにとっても忙しかったところです。

鶴屋さん「にゃははっ、それは一生終わんないかもしんないね!
      それよりも調査の方が先にょろっ! ハルにゃんやみくる達には負けらんないからねっ!
      それにこっちの方が雲とにらめっこするより楽しいと思うよっ」

それそれそれと追い立てられながら俺は鶴屋さんと近くのファミレスへと入った。
まったく何をするでもなく適当に談笑しながら時間を過ごす。

60 名前:5-2[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:39:37.70 ID:B+NILJlT0


鶴屋さんはクラスで起こった朝比奈さんの面白可愛い事件を
楽しげに惜しげもなく語って聞かせてくれている。

落ちを迎えるたびに鶴屋さんは面白がってバンバンと机を叩いた。
それでも昼時の店内の喧騒にかき消される程度には抑えていたらしい。
誰に咎められるでもなく会話、もとい鶴屋さんの一方的なマシンガントークは炸裂し続けた。

鶴屋さん「そいでさ〜、うちのクラスの男子がみくるにそれ代わりに運びましょうかっ、って言ったのさっ!
      そしたらみくるがその男子に花びんを渡そうとしたその瞬間っ──!」

キョン「ぶちまけたんですか……?」

鶴屋さん「いやーっ、そのまま滑って男子の腹に盛大に頭突きをかましたみくるがうっかり花びんを放り投げて、
      それが見事男子の頭の上に着地したのさ! しかもその花びんがね・・・・・・倒れなかったんだよっ、
      笑えるっしょっ、にゃっはははははっ!」

確かにそれは凄まじい光景である。哀れ死に花を添えられた上級生のむごたらしい死に様を想像して
俺は念仏の一つも唱えたくなった。ことに朝比奈さんと鶴屋さんの周りではこの手の事件が耐えないらしい。

毎日誰かしらが犠牲になるその惨状の中で、誰も朝比奈さんを恨んだりましてや近づかないようにしようなどと
思ったりしないところに朝比奈さんの人徳衆望、もとい可愛らしいオーラの魔力が見え隠れする。

男女を問わず効果を発揮するという点でも評価は高い。
ただあのハルヒとつるんでいるということに関してはクラスでも若干引かれているらしい。うーん、憐れな。

そんな天性の守られ子羊である朝比奈さんがどういう経緯で過去へ飛んで
ハルヒを監視するハメになったのか気になるところではあった。
まぁこれは鶴屋さんの口から語られることはないだろうし
いつ来るかわからない楽しい楽しい解決編の時の為に取っておこうというものだ。

61 名前:5-3[] 投稿日:2010/03/13(土) 20:42:26.09 ID:B+NILJlT0


鶴屋さんはなおも朝比奈さん関連の話題や家族で海外へ行ったときの面白い失敗談を語って聞かせてくれる。

父親がスイスでシカをハマーで跳ねてしまった時は驚いた、
しかもそのシカが怪我一つせずピンピンしていて直後に道の前方から
牧場から逃げた馬が走ってきて爆笑した、など話題に事欠かない人だった。

一通りバカ話が済んだあと、鶴屋さんは話し疲れたのかいい加減飽きてきたのか
両手の指を重ねて大きく伸びをした。そしていたずらっぽく微笑むと、

鶴屋さん「じゃっ! 最初はあたしがいっぱいしゃべったから今度はキョンくんの番だねっ!
      いろいろと面白い話を聞かさせてもらうにょろっ♪」

大きく身を乗り出して俺の顔をのぞきこんできた。
近い、近いですよ鶴屋さん、息がかかってますって。

俺の注意を受けて元の自分の席に引っ込んだ鶴屋さんは
にゃははっ!と豪快に笑いながら両手を頭の後ろに置いた。

キョン「それよりも鶴屋さん、昨日はせっかく俺が質問に答えたのに
    鶴屋さんはまだ答えてくれていないじゃないですか。
    まずそっちの方を先に片付けちまいませんか?」

鶴屋さんは人差し指を顎の横に添えて「ん〜っ」と考え込むような仕草をしたあと、

鶴屋さん「まっ、いいよっ! 実はその話、すっかり忘れちゃってたんだよねっ、
      やー、楽しみだったかんさっ、めんごめんごっ! さっ、なんでも聞いておくれよっ!
      さぁさぁさぁさぁ、はいどうぞっ!」

申し訳ないような、それでいていつも通りの明るい口調で笑う。

62 名前:5-4[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:45:24.51 ID:B+NILJlT0


鶴屋さんは一応俺とぶらぶらすることを楽しみにしてくれていたらしい。
そんなに探偵ごっこが面白いのだろうか。
まったくもって何を調べているわけでもないというのに。

俺はそんな鶴屋さんを少しからかってみたくなった。
普段はハルヒたちとグルになられてさんざん面白可笑しく振り回されている俺である。
トナカイの一発芸分ぐらいは俺も鶴屋さんのように笑ってみたいと思った。

キョン「……ずばり、スリーサイズはいくつですか?」

ほんと軽い冗談のつもりだった。本格的な質問をする前の軽い前振り、ジャブみたいなもんだ。
これを鶴屋さんにまたまたキョンくんは〜と返してもらってすいません鶴屋さんふざけすぎました、と
俺が返して和やかなコミュニケーションをするのだ。

われながら完璧なる会話の組み立てに惚れ惚れする。
だが俺のそんなくだらない自己満足を吹き飛ばす事態が起こった。

鶴屋さん「上からでいいよねっ! 」

キョン「……はい?」

鶴屋さん「んじゃぁいくよっ! 上からな──」

キョン「ちょ、鶴屋さん、だめです! ちょ、わー!! わーーーー!!!」

俺が一目をはばからずに叫んだおかげで鶴屋さんの言葉をさえぎることはできた。
だがその代わりに店内中の視線を一手に引き受けることになった。
バカにしたような嘲るような苦笑が吹きすさぶ中俺は鶴屋さんに視線を落とした。


63 名前:5-5[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:47:46.57 ID:B+NILJlT0


笑っている。それも頬を少しだけ釣り上げてにんまりと。
悪い後輩の出過ぎたおいたにお仕置きをした頭のキレる先輩がそこに居た。

もちろん俺が動揺して自分の言葉を遮ることまで見越していたのだろう。
だからあんな風になんのためらいもなく大声で言おうとしたのだ。
それ以上の声量で俺が叫ぶよう誘導する為に。

まったくもって大した先輩である。俺は自分のバカさ加減が恨めしい。
どうもこの人の前では自分は雑魚キャラになってしまうような、そんな圧倒的なレベルの格差を感じる。
もともと一般ピーポーであろうということは誰に聞くでもないことなんだが。

ぐたっと背もたれに寄りかかってうなだれる俺に鶴屋さんはなおも追い打ちをかけてくる。

鶴屋さん「あのまま言わせてたらどうなってたかわかんなかったよっ?」

その一言に背筋が凍る思いだった。

キョン「って、ほんとに言うつもりだったんですかっ!?」

俺の精一杯の指摘もといつっこみにもあっけらかんと軽快に笑ってみせて
鶴屋さんは余裕綽々の笑みを浮かべる。

人差し指を口元に寄せて小さくささやくように
目いっぱいの悪意とイタズラ心を振りまきつつ得意満面の鶴屋さんは言う。

鶴屋さん「探偵くん……まだまだ修行が足りないっさっ♪」

俺は頭を抱えてうなった。俺は読み誤っていた。


64 名前:5-6[] 投稿日:2010/03/13(土) 20:51:32.39 ID:B+NILJlT0


この人はワトソンでもホームズでもない。どちらかというとモリアーティ教授だった。
それもホームズなんかに捕まったりしない、レベルカンストのモリアーティである。

太刀打ちすべくもないのは目に見えていた。もとい俺には見えていなかった。
この人の頭の上に浮かんでいるレベル表示が。

今なら見える。残酷な格差が。ふぐぅ。

そんな俺を鶴屋さんは面白いものでも見るように嬉しそうに眺めていた。
実際面白がってらっしゃられるんだろう。俺にはもうどうすることもできなかった。

鶴屋さん「んじゃっ、罰としてもう一度あたしの質問に答えてもらうっさっ。
      もちろん引き換えの質問はなしにょろっ♪」

言葉も出ない。
俺は一回分の質問の権利を失効しただけでなくまんまと
次の質問の義務まで引き出されてしまった。

一旦こうなるとなし崩し的に根堀葉堀恥ずかしい記憶を掘り返されるに違いない。
いたずらっぽく笑う鶴屋さんに「もう好きにしてください……」と
精一杯憐れっぽく振舞うことでいささかの同情を引いて
勘弁してもらおうという企みだけが俺にできる唯一の選択だった。

そんな俺の内心を見透かすように笑う鶴屋さんはさっきからずっと笑い通しである。
決して悲しみに沈むことのないこの人のナチュラルな笑顔が恨めしい、
もとい可愛い、いやいやなんでもない。

なんだどうした、調子狂っちまうな今日は。


65 名前:5-7[] 投稿日:2010/03/13(土) 20:54:15.52 ID:B+NILJlT0


会話の中にある種のパターンが成立し始めていた。
これでは全校生徒の前で恥ずかしい秘密を叫ぶ前に鶴屋さんにすべて暴露してしまう。
それだけは勘弁してほしい。

そう伝えると鶴屋さんは重ね重ね俺にいじわるをふっかけてきた。

鶴屋さん「ん〜、どうしよっかな〜」

俺は精一杯目尻に涙を浮かべようと必死になる。
俺の微妙な細目に一瞬クスリと笑うとそれで気が済んだのか
鶴屋さんは慈悲と憐憫の心を見せてくれた。

鶴屋さん「じゃぁキョンくんが面白いから許してあげるっさっ♪」

ありがとうございます鶴屋さんっ。
俺は両手を組んで祈るように全力で鶴屋さんに感謝した。
手のひらの上で踊らされている感はまったくもって拭えないのだが。
一先ず安心した俺は自分のコーヒーに少し口をつける。

鶴屋さん「そいじゃぁいよいよ質問するよっ!
      キョンくんはぁ……SOS団の中で誰が一番好きなんだいっ?」

器の中に盛大にコーヒーを吹き出してしまった。
幸いあたりに飛沫は飛ばなかったがコーヒーが一杯ダメになってしまったのは痛かった。
ファミレスとはいえけっこう値が張るものなんである。

俺の財布の厚みにささやか且つ確実な打撃を与えながら悪びれるでもなく鶴屋さんは言う。


68 名前:5-8[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 20:57:08.97 ID:B+NILJlT0


鶴屋さん「ハルにゃん? 長門っち? やっぱりみくる?
      それとも……まさか一樹くん狙いなのかいっ!?」

キョン「な、ん、で、俺が古泉をラブアンドハンティングせにゃならんのですかーーーー!」

我を忘れた俺の自己の尊厳をかけた全否定を面白そうに笑い飛ばしながら
鶴屋さんは「ごめんごめん!」と謝ってきた。

キョン「鶴屋さんまでそういう話をし出すと本当に収まりがつかなくなるんですからね!」

俺の必死の訴えに同調して鶴屋さんは「や〜、悪かったよっ」とごめんのポーズを取っている。

鶴屋さんが意外と簡単に引き下がってくれたので俺は安堵のため息を吐いた。
なんとか残る三人のことをはぐらかすことには成功した。それ故のため息だった。

もう完全に俺は鶴屋さんの玩具である。

予定調和に予定調和を重ねて釈迦の手のひらで踊らされる孫悟空の如く、
どこまで行ってもそれはシュバルツシルト半径のごとく堂々巡りなのだった。

いっそ名前でも書き残しておこうかと思った。キョン、と。
違うだろ、フルネームで書けよ俺っ!

そうこうしているうちに二日目の調査も終了の時間がやってきた。

鶴屋さん「実は今日はちょっち忙しかったんだよねっ。だからあんまし時間作れなくてごめんよ!」

これには驚いた。鶴屋さんはこんなバカな調査のために、
そもそも目的さえまだ伝えていないというのに無理に時間を作ってまで参加してくれていたらしい。

69 名前:5-9[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 21:00:10.45 ID:B+NILJlT0


そこまでしてもらって目的を伝えないままでいるのもいい加減忍びなかった。
いっそ白状してしまおう。鶴屋さんのことを調べています、と。

たとえそれでどんな嫌な顔をされても
このまま引っ張りまわすよりはずっとマシだと思えた。

だが伝えようと口を開きかけた俺を制ように鶴屋さんは人差し指を立てて
口元に添え「言わなくてもいいにょろっ」と囁くように言った。

考えを見透かされ驚く俺に鶴屋さんは笑って答える。

鶴屋さん「それはキョンくんがわかっていればいいことなのさっ、
      だってあたしは不思議名探偵キョンくんの凄腕の助手なんだかんねっ!」

呆れたような感心したような不思議な気持ちになった。
この人の考えていることは俺なんかにつかみきれるもんじゃないな。

なんでもないことのように話す鶴屋さんに俺は改めて尊敬の念を禁じ得なかった。

鶴屋さん「そんなわけで、キョンくんが困ったときはいつでも支えてあげるにょろっ!
      んじゃ、もどろっかっ」

なんともくすぐったい言葉と共に二日目の調査はお開きになった。
鶴屋さんは先程の黒塗りのセンチュリーに颯爽と乗り込み
ドアを開けっ放しにしたまま道路脇に立つ俺に話しかける。

「送っていこーかっ?」という鶴屋さんの快い勧めを断って俺は電車で帰る旨を伝えた。

「そーかいっ」と残念そうな顔をしたあと鶴屋さんは手を振って別れの挨拶の代わりにした。

70 名前:5-10end[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 21:02:46.99 ID:B+NILJlT0



鶴屋さんの表情は少し寂しげなようでいて、俺を見る目は暖かだった。
俺は鶴屋さんの車が見えなくなるまで胸の前で小さく手を振っていた。
それは鶴屋さんが車の窓からずっと俺に手を振っていたからだ。

なんだか子供みたいだな、と思いながら、俺は駅へと歩き始める。
結局今日の調査は鶴屋さんと少し仲良くなっただけで終わってしまった。いや、それはそれでいいことなのだが。

ポケットに両手をつっこんで、途中のマツモトヤスシでジュースを一本買って帰った。
妹へのおみやげである。

もとい、口封じの一本である。




71 名前:6-1end[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 21:06:56.04 ID:B+NILJlT0


「────さま。よろしいのですか?」

「ん、どしてっ?」

「差し出がましいことを言うようですがあなたはこのような街中をうろついて時間を潰している暇などあなたにはないはずです」

「ふっふん、そんなことないっさっ。それがわからないようじゃぁ、まだまだ修行が足りないにょろねっ」

「そうですか。わかりました。これ以上本件には口出ししません。当然、──様方にも内密にしておきます」

「そうしてもらえると助かるっさ」

いつも通り、いつものこと。

楽しいことには関わりたい。
好奇心が勝るから。

いつも通り、いつものこと。

それでもあの面白おかしい連中に関わり始めてからというもの
自分が少しずつ変わり始めている気はする。

それが喜ばしくもあり、また、そら恐ろしくもあり。

「もうちょっとだけ、面白くしたいっさっ……」

こんな機会がそう何度も訪れるとは思えないのだから。

80 名前:7-1[age] 投稿日:2010/03/13(土) 22:03:01.92 ID:B+NILJlT0


三日目  不作法名探偵キョン


三日目。いい加減市街ですることもなくなってきたのでどうしようかと思い
リビングで漫然と朝の時間を過ごしていると不意に携帯の着信音が鳴った。
鶴屋さんからである。

鶴屋さん「やぁやぁ少年っ! 元気にしてっかいっ」

軽い挨拶の後で体調を尋ねられる。
おかげさまで大病を患わずに済んでおります、と返しておいた。

鶴屋さん「あっはっは! そりゃー結構なことさねっ、人間万事さいおーが馬!
      キョンくんも健康には気をつけるにょろよっ」

誰のおかげなのかはつっこまず電話の向こうで賑やかな笑い声が木霊した。

鶴屋さん一人で俺二三人分くらいの声量があるな。
あの広い日本家屋の座敷にハウリングして増幅されているのかもしれない。
無駄な家具調度品のない意外なほど簡素で素朴と言うか
浮世絵的な邸内であるからそれはもう透き通るように響くことだろう。

屋敷の端から端へ肉声で会話するために
鶴屋さんはあんなに声が大きくなったんじゃなかろうか。
んなバカな、と自分に突っ込んだところで鶴屋さんが意外な提案をする。

鶴屋さん「今日はちょっと街の方へは出られそうにないっさっ。
      だからさっ、今日はちょっとうちにお呼ばれしてみないかい?
      キョンくんがもし良ければだけどねっ」

81 名前:7-2[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 22:06:03.27 ID:B+NILJlT0


ちょうど鶴屋さんの自宅のことを考えていたので面食らってしまった。
なんだなんだ、俺の変な妄想が妙な話を引き出しちまったのか。

唖然とした俺が言葉を返せないでいると
電話の向こうで待ち詫びていたらしい鶴屋さんが返事を催促してくる。

鶴屋さん「どうだいっ? もし都合が悪ければそっちをゆーせんしてくれてもいいけどさっ」

鶴屋さんの若干遠慮がちな口調にせっかくのお誘いを無碍に断ることもできない俺は快く承諾する。

キョン「わかりました、ただチャリで向かうのでしばらくかかるかもしれませんが待っていてください。
    菓子折りかなんかでも持ってけるといいんですけど生憎今うちにないんで……。すいません」

電話の向こうで「いーよいーよっ」と笑ったあと鶴屋さんは
済ませていないなら昼食を自分の家で食べないかとも提案してきた。

鶴屋さん宅の昼食。うーん、想像がつかない。

意外に質素なのか、それとも無駄に豪華なのか。
どちらもありうる気がして俺は想像の幅をそこで止めた。どちらにしても興味は湧いてくる。

我が家の貧乏飯、もとい即席なんちゃらに比べればどう考えてもそっちの方が美味いに決まっている。
俺の不作法がのそっと鎌首をもたげてしゃしゃり出てきた。

しかしこうほいほいとご馳走になっていいものだろうか。
妹と母親は朝っぱらからデパートで買い物だし家の中には俺一人しかいない。
戸棚には昔ながらのマヨネーズやきそばが一つあるだけで
それはそれはうら寂しい昼食になる予定だったのだ。


82 名前:7-3[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 22:08:31.60 ID:B+NILJlT0


まぁこれも調査の一つに数えていいんだろう。
鶴屋家の昼食の献立。
これだけで目下作成中のパーソナルデータも一つ埋まるというものだ。
その後が果てしなく遠いのだが。

キョン「んじゃぁ、お言葉に甘えてご馳走になりますっ。
    家族は出払ってるしウチにはカップマヨそばしかなかったんで
    参っちまってたところだったんですよね、あっはっはっ」

俺のわざとらしい笑いに合わせて電話の向こうから「わっはっはっ!」という豪快な笑い声が聞こえる。
そのスレンダーなお胸を目いっぱいに張っているところを容易に想像できて
本当に笑っちまいそうになるのをなんとかこらえた。いかんいかん。
勘のいいこの人相手に迂闊な対応は禁物だ。ここは一つ慎重に行こう。

鶴屋さん「そいじゃっ、いつも食べてる奴で悪いんだけどキョンくんの分もよーいしておくっさっ。
      なるべく早く来ておくれよっ、冷めちったら美味しく食べらんないかんねっ!
      んじゃ、また後で会おうっさっ!」

電話を終えて時計を見ると十一時を過ぎようかというところだった。
大慌てて着替えた俺は自転車に飛び乗って急いで坂道を下っていった。
よく考えたら俺の家と鶴屋さんの屋敷まではけっこうな距離がある。
すぐに出て正午に着くか着かないかというところだ。

その辺の見通しの甘さが俺の人生に災難を呼び込む根本的な原因な気がした。
まぁどうせ信号に捕まるので汗をかかない程度に急いでいけばいいだろう。

数十分ぐらいキコキコとチャリをこいで坂を登ってへーこらしたり
階段を降りてひーこらしたり公園を抜けてショートカットしたりしながら
なんとか正午より前に鶴屋さんの邸宅の前へ到着することができた。

83 名前:7-4[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:12:25.99 ID:B+NILJlT0


門を叩くとそばの通用口が開いて使用人ではなく鶴屋さん本人が出迎えてくれた。
和装の普段着に身をつつみ髪を後ろで結い上げた鶴屋さんはめかしこんでいるようにも見えたし、
着こなしの自然さから普段からこうなのかとも思えた。

しかしていつも通りのいつも通りな調子と口調で鶴屋さんは俺に挨拶をする。

鶴屋さん「おっすっ! やぁやぁやっと来たね! 心配してそこまで使いを出そうかと思ってたよっ」

そのポニーテール風の髪型に若干ときめいたりしながらも咳払いで誤魔化すと
「こんにちは、鶴屋さん」と挨拶しながら小さく会釈をした。

キョン「やぁ面目ないです。ちと思ったより遠かったみたいで。すんません先輩」

鶴屋さんは申し訳なさそうにしている俺を「いーっていーってっ」と笑ってねぎらうと邸内へと案内してくれた。
長い廊下と軒先を歩いて行くと屋敷の壮大さに比べればだいぶ小ぢんまりとした部屋に案内される。

秋の文化祭の出し物を撮影した場所にも似た室内はそれでも俺の部屋ぐらいの広さはある。
ここに長くいると遠近感とか伸長感を見失いそうで怖いな。
自分の家をうさぎ小屋だと感じ始めたら精神衛生上大変よろしくない。
いかんな、ここは何も考えないようにしておこう。気にしなければどうということはない、はず。おそらく多分。

そうして鶴屋さんに案内されるままに俺は入り口を左手に見る位置に座った。

鶴屋さん「んじゃっ、配膳の方はまかせてよっ、
      ぱっぱか行ってくっからまぁ自分の部屋だと思ってくつろいでいてくれたまえっ!」

まぁさすがにごろ寝までするのは気が引けるので「りょーかいっすっ」と
鶴屋さんの口真似をしながら愛想笑いをしておく。
鶴屋さんはそんな俺の対応に満足するとたったかたっと小さな足音をさせながら廊下を駆けていった。

84 名前:7-5[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 22:14:51.93 ID:B+NILJlT0


俺が歩いたときは結構きしむ音がしたから鶴屋さんの体重がかなり軽いんだな

そんなことを思いながら俺は辺りを見回す。
壁はうす緑色のライムグリーンに影がかかった感じだった。

親戚の古い家に行ったときもたしかこんな色の壁をしていたな。
日本家屋というのはだいたいこんな壁の色をしているのかもしれない。

日向と日陰のコントラストで背景がぼうっと薄緑色のモノトーンのように
奥行きをなくして浮かびあがってくる。

部屋の奥にはまだふすまがあってその先は家人しか立ち入れない領域のように感じられた。
軒先というのは来客用で、本当の生活空間は奥に隠されているのかもしれない。

そう思うとこの殺風景さというか質素簡素で無駄のない家具の配置も当然のことだと思える。
わびさびというか細やかな気遣いというか、粋な感性が感じられて小気味いいものだった。

もっとも本当の金持ちというのは成金というより貴族華族に近いもので
俺の狭い常識の中では測れない要素を多分に含んでいるのだろうからそんな感慨さえも無粋に思えた。
うん、場違いだな。俺の存在そのものが。

苦笑いを浮かべようかというところで鶴屋さんが食膳両手に戻ってきた。

抱えた食膳にはお椀やら小皿やらが乗せられている。
器用なもので鶴屋さんは食器を一切ガタつかせることなくスッと俺の前に膳を置いた。
予め準備は済んでいたらしい、
俺が遅れたせいで料理を冷ませちまったんじゃないかと心配になった。

鶴屋さん「どうぞっ、お口に合いますかどーかっ」

85 名前:7-6[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 22:17:06.93 ID:B+NILJlT0


慇懃に礼をすると鶴屋さんは両手を合わせる。
俺もそれにならって両手を合わせた。
若干の間があった後いただきますの礼をした。

椀の蓋を取ると湯気がほわっと舞い上がった。味噌汁のようだがまぁ飲んでみよう。
一口すすると何とも言えない甘みが口の中に広がった。
赤や合わせではない純然たる白味噌が使われている。それも結構上質な奴だ。
スーパー謹製のパックものしか飲んだことがないのでその点に関しては疑いがない。
逆に断言できるところが悲しくなった。
この味噌汁は普段から料理に手馴れた人間が作ったものだと思えた。

キョン「これは家政婦さん、あ、鶴屋さんの家くらいになると料理人とかがいるんでしょうね。
    その人が作ったんですか?」

そう尋ねる俺の言葉を受けて鶴屋さんは嬉しそうに笑うと小さく首を振って否定する。

鶴屋さん「んーんっ、違うにょろっ。これはあたしが作ったのさっ」

鶴屋さんが? へー、いつも自分で作ってらっしゃるんですか。

鶴屋さん「いやーっ、恥ずかしー話なんだけどそんなことはないんだよっ。
      普段は人に任せっきりでね、自分で作ることはほとんどないのさっ」

キョン「じゃぁ今日は……」

鶴屋さん「今日はキョンくんが来っからさっ、たまには自分で作ってみよーかと思ってねっ!
      なははっ、うまくできてなかったらごめんねっ! そん時は勘弁してほしいっさっ」

そうして両手を合わせてごめんのポーズを取ると片目を閉じてウィンクをした。

86 名前:7-7[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:19:56.95 ID:B+NILJlT0


ちょっぴり下がった眉毛に照れくささをちりばめて
鶴屋さんは八重歯を見せつつ恥ずかしそうに笑った。

鶴屋さんは俺のためにわざわざ手料理をふるまってくれたようだ。
俺は気恥ずかしさと背筋に言いようの無いくすぐったさを感じながらも
なるべく平静を装って食事を続けた。

自分の為に作られた、それも鶴屋さんお手製なのだと思うと
二口目以降は先程すすった一口目以上に美味しく感じられた。

次いで口をつけたただの白米でさえ、もといコシヒカリかなんかの上等な奴なんだろうが
その元々の品質以上に美味だと思えたのは決して気のせいではないだろう。

料理の出来栄えが気になるのだろう、
鶴屋さんは少し前のめりになって小首をかしげながら
俺の顔を覗きこみ興味津々といった表情で俺を観察してくる。

なんともこそばゆい思いをしながら俺は食事を続けた。
鶴屋さんも時折自分の皿に箸をつけるものの
ほとんどの時間は俺を観察することに費やしている。

俺が完食するといつの間にか鶴屋さんも食べ終えていた。
どうも俺を観察する時間を見越して分量を調節していたらしい。

抜け目ないというか如才ないというか、隙も油断もない人である。
備えあって憂いなし、その姿勢の柔軟さは是非見習うべきだなと思った。

俺が箸を置くと鶴屋さんは「お粗末さまでしたっ!」と元気いっぱいに深々と礼をした。


87 名前:7-8[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:22:23.92 ID:B+NILJlT0


俺も「あ、どうも」と間の抜けた返事をしながら
食膳を片付ける鶴屋さんを手伝おうとしたのだが、
鶴屋さんは「とうっ!」という掛け声と共に俺の手を払いのけると

「キョンくんはお客様なんだから触っちゃダメにょろっ!」と小さな子にするように叱りつけられた。

お客様だったら手首を払われることなんてないと思うんですけど……。
そんな俺の虚しい心の中のつっこみを余所に食膳を抱えた鶴屋さんは廊下を駆け抜けて行った。

満腹になった俺はふと部屋の奥にあるふすまの向こうが気になった。

さすがに客間のすぐ隣に生活空間があるとは思えないが、若干気になるところではある。
鶴屋さんは出て行ったばかりだし、もう数十秒ぐらいは猶予があるかもしれない。

そんな不躾で無粋な計算をしながら俺はこそこそと泥棒のように奥のふすまに手をかけた。
音を立てないようにゆっくりとふすまを開く。

ふすまの中に顔を出すとそこにはもう一つ廊下が通っていた。

少し左手がト型になっていて屋敷のさらに奥へと続いている。
薄暗い廊下の先行きは暗がりでほとんど見えない。

目を凝らしてもぼんやりと影を追うのが精一杯だった。
さすがにこれ以上はとためらわれたが、好奇心が勝る。

そろりそろりと床板をきしませないように歩いてト型の角を覗き込んで目を凝らして奥を見る。

冷たい空気が頬を撫ぜて俺の気分をなんとも言えない和風ホラーな心地にさせた。


88 名前:7-9[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:24:40.32 ID:B+NILJlT0


そういえば受恩とかいう一度着た恩を万倍にして返そうと
終生つきまとってくる恐怖の幽霊映画があったな。

一生忘れませんと叫びながら這いずりまわる姿はそれはもう戦慄ものだった。

主人公の「お前はもう死んでいる」というつっこみもむなしく最後には取りつかれてしまっていた。
そうして親眷縁者にも見捨てられた主人公が幽霊と二人きりになったところで突然背後から……

鶴屋さん「キョンくんっ?」

どわああああああああああ!!

絶叫は幸いにして頭の中だけに留めておいた。決して喉がひきつってしまったからではない。

鶴屋さんは凍ったように固まって動かない俺の正面に回んで
奇妙にひきつった顔面を不思議そうに覗き込んでくる。

そして俺が「ふへっ」と奇妙な溜息をこぼしたところで爆笑に転じた。

鶴屋さん「あははははっ! どうしたのさキョンくんっ! あっははははははっ!」

鶴屋さんの爆笑吹き荒れる中で俺はへなへなと腰砕けになった。

さすがに腰が抜けはしなかったが膝下にほとんど力が入らない。
俺は逃げるように這いつくばりながら元の部屋へと逃げ戻った。

背後で鶴屋さんの笑い声が一層大きくなる。
情けない、恥ずかしい、消えてしまいたい。
そんな思いと共におれは畳に顔面をつっぷして声もなく悶絶した。

89 名前:7-10[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:27:20.97 ID:B+NILJlT0


そんな俺をふすまの影から指さしながらお腹を抱えて面白がる鶴屋さんの姿が見えた。
本当に面白そうに笑っている。

それは即ち今の俺の格好の無様さを表していた。

いっそこのまま不埒な闖入者として裁きに処してもらいたかった。
浅緑色の草香る畳の上は処刑台の上よりも居心地の悪いものだった。

一通り笑い終えた鶴屋さんはとてとてと俺の隣に歩み寄り
「ていっ!」という掛け声と共に後頭部へ手刀を振りおろしてきた。

その一撃をなすすべもなく食らってしまう。
かすれるようなうめき声をあげながら畳に額をこすりつけてしまった。

こわごわ顔を上げると鶴屋さんはにんまりと笑っていて、
それでいて責めるような視線を俺に投げかけてきた。

鶴屋さん「キョンくんっ、おいたはぁ、いけないなぁっ!」

満面の笑みの裏に屹然とした厳しさをのぞかせて、
そんな鶴屋さんに俺は何を弁明するでもなく「すいません……」とむなしく降伏の意を示した。

鶴屋さん「よしっ!」

鶴屋さんはそれ以上俺を責めるでもなく手を差し伸べて引っ張り起こしてくれた。
どうやらこれ以上追及されることはないようだった。
後は自分で自分を裁けということなのだろう。
にこやかな鶴屋さんの笑顔の向こうに剣呑さと厳然さを見出しながら
俺は肩を落としつつあぐらをかいた。

92 名前:7-11[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:29:38.70 ID:B+NILJlT0


姿勢は若干低くして肩を丸めるのは精一杯の防衛機制というか、
単純に肩身が狭かったのである。
そんな俺のしおれた肩をサバサバとした動作でバシッと強く叩いて
鶴屋さんはかんらかんらと高らかに笑った。

苦しゅうない、そんな言葉が聞こえてきそうだった。

鶴屋さん「気になっちゃったんだねぇ、好奇心が旺盛なのはいいことさっ。
      でもねキョンくん、それは猫をも殺す恐怖の好奇心にょろっ、
      分別をわきまえないとそう遠くないうちに戻れなくなっちゃうよっ?」

どこから戻れないとおっしゃるのか。
まさかあの奥に座敷牢とか地下牢みたいなものがあって
不作法者はそこに監禁されたりするんだろうか。

俺は鶴屋さんのにこやかさの裏にこれ以上ダーティーな連想をしたくないのでそこで思考を打ち切った。

とにかく素直に「すんません……」と呟くことだけが
俺が示せる唯一の詫びの意なのだった。面目ない。

鶴屋さん「そいじゃぁ、ちょっち日向ぼっこでもしよっかっ」

鶴屋さんに連れられるままについに室内から引っ張り出された俺は
なんとなく名残惜しいような余韻を残しつつ部屋を後にした。
しばらく廊下を歩いて屋敷の南側の軒先につくと俺と鶴屋さんは庭先に足を投げ出して縁側に座った。

本当に何をするでもなくぼーっと座って時間を過ごしていた。
陽だまりの中で鶴屋さんは時折俺の顔を覗いては
にゃははっと八重歯を覗かせて笑った。

94 名前:7-12end[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:32:44.08 ID:B+NILJlT0


気恥かしいようなくすぐったいような背筋が寒くなるような感覚の中で
春風と陽光のただ中にいるとだんだんと眠くなってきた。

そしてどういうわけだかまぶたがストンと下がってきて、意識はどろりと淀んでいく。

何の気もなく鶴屋さんの方を見たのだがその表情がいまいちよく判別できない。

笑っているのか、泣いているのか、
困っているのか、喜んでいるのか。

ぐにゃぐにゃと歪む視界の中で暗転、

俺の意識は深い闇に落ちた────。











95 名前:8-1end[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:35:00.93 ID:B+NILJlT0






闇と闇の間、かすかな光の射す中で。

「もしそれがあたしだったらさ────キョンくんは怒ってくれたかいっ────?」

ささやかれるように語られた言葉は俺の耳の奥の奥で、遠く──遠く残響した。







96 名前:9-1[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:37:18.82 ID:B+NILJlT0


うっすらとまぶたを開くと世界が横倒しになっていた。というより俺が横に倒れていた。

辺りはすでに薄暗く夕日もやれやれ沈もうかという時間。俺は左手で目元をこすった。

なんだ、どうしたってんだ。なんだか急に眠くなっちまって、気がついたらもうこんな時間かよ。
さっさと起きないとまた妹か母親にどやされ……。

そう思ったところで俺はここが鶴屋さんの家であることを思い出した。

急いで飛び起きようと頭を起こしたところで「とうっ!」という掛け声と共に
上から何者かの手のひらが押し付けれた。だが床に頭を打ち付けるようなことはなかった。
頬に絹のような肌触りの布が触れる。
それはふにっと柔らかくたわむと俺の頭にしっくりと馴染んだ。
なんとも居心地のいいものだった。

どういうことかと思い見上げると笑顔の鶴屋さんがそこにいた。
なんとまぁ驚いたことに、俺は鶴屋さんに膝枕をされていたのである。

鶴屋さん「おっすキョンくんっ、ぐっすり眠れたかいっ?」

鶴屋さんはそう言うと優しげに、それでいて嬉しそうに笑った。
いつもの豪快な笑い方からは想像もつかないなんとも繊細で暖かな表情だった。

暖かでいて、強すぎない、春の日差しのような。その陽だまりに浮かんでいるような心地だった。
夕日の赤が暗がりを増すほどに、鶴屋さんの表情は見えにくくなっていった。

キョン「鶴屋さん……? すいません、寝ちまってたみたいですね、
    すぐ起きますから、よっこらどぅぼわっ!」


97 名前:9-2[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:39:29.40 ID:B+NILJlT0


起き上がろうとした俺の眉間に一発空手チョップを振り下ろしその張本人こと鶴屋さんは
にゃははっといつもの調子で屈託のない笑い声をあげた。

鶴屋さん「だめだよーっ、キョンくんっ。急に起き上がったりしたらあぶないにょろ?
      でもまぁ、せっかくだしこのままでもいーんじゃないっ? 減るもんでもないしさっ」

むしろ今まさに俺の生命力が減っていってるんですけど。

鶴屋さん「そいじゃぁなおさら安静にしてないとねっ!」

そう言いながらおれのおでこをペシペシとはたく。
うぅん、下は柔らか上はペシペシ。これなーんだ。

って鶴屋さんそろそろ痛いです、強いですってば。

悪びれるでもなくただ優しく微笑む鶴屋さんに俺はそれ以上なにを言い返すこともできなかった。
そんな表情をされたらもうどうすることもできない。

なんとも言えない心地よい空間に俺は完全に馴染んでしまっていた。
正直この状態を崩すことは俺も内心望んではいない。もうこのままでもいいか。
一応会話はできるんだからな。

俺の打算と堕落に満ちた思考をよそに、鶴屋さんは先程まで俺の額を叩いていた手で
俺の後頭部や側頭部、頭頂部やらを優しく撫で下ろす。
毛の流れに逆らうことなく、とくように、撫でるように、そして時折毛先を指先で繰るようにして弄んだ。

なんというか、猫にでもなった気分だった。
つむじを指先でつんつんと突かれてこそばゆい思いをしたりうなじをこしょこしょとくすぐられたりしながらも
俺は鶴屋さんの言いつけ通りにじっとしていた。

99 名前:9-3[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:41:54.69 ID:B+NILJlT0


指先で弄ばれるたびに俺の体が無意識に反応しひざから下をもぞもぞさせていると
鶴屋さんの笑いをこらえるような息遣いが聞こえた。

俺にしっぽが生えていたらさぞ嬉しそうに床を叩いていたに違いない。
生えていなくてよかったと思った。
そういうにぎやかさは今のこの静寂には似合わないと思えたからだ。

月明かりと夕日が交わろうかという時間。俺は鶴屋さんに質問した。

キョン「あの……廊下の向こうには何があるんですか……?」

素朴な疑問だった。本当にごくちょっとした疑問。
不躾で不埒で不作法ではあるが、聞かずにはいられなかった。

自分がどれだけ悪いことをしたのか尋ねるような、
そんな畏怖と反省の意も込めての質問だった。

それに今なら、鶴屋さんは答えてくれるような気がした。そしてそれは正しい予感だった。

鶴屋さん「あの奥には奥座敷があってさ……
      精神を集中したいときはいつもそこに行くのさっ。
      一人になってゆっくり考え事をしたいときには、
      うってつけの場所だかんねっ……」

鶴屋さんでも一人になりたいときがあるのか。意外な答えに少し驚いた。
だが鶴屋さんの場合落ち込んでションボリする為にではなく、
何か儀礼的というか儀式的というか、
武道や茶道の精神統一的な意味合いでのことなのかもしれない。
そう思うと納得がいく。

101 名前:9-4[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:45:13.41 ID:B+NILJlT0


静けさ満ち満ちる暗室で精神を統一する鶴屋さんが剣呑な気迫をまとい気力を充実させていく、
というような様をいい加減な邦画の知識と想像力を用いて思い浮かべる。

この人はメンタル面でも隙がないんだと改めて感心した。
俺が及ぶ余地なんてまったくないんだなと、なんの疑いもなくそう思った。

いつかその深奥に招かれてみたい、などと無礼なことを考えながら。

鶴屋さん「ねぇキョンくん、もう大分暗くなっちったけど帰りは大丈夫かい?
      乗ってきたの自転車にょろ?」

そうだった。夕方になる前には戻るつもりだったので自宅にはなんの書き置きもしていない。
心配はされていないだろうが一言二言叱られるくらいは覚悟しておいた方がいいかもしれない。

キョン「ぁ〜……そうですね……ちっとばかしヤバイですね……」

鶴屋さん「この辺はずっとうちの敷地だから街灯なんかもないからね。
      今日は雲も出てるし月明かりだけで帰るのは無理があるにょろ。
      出会い頭に何かと衝突してどっか〜んっ!
      って弾き飛ばされないとも限らないっさっ」

何かってなんですか、熊でも出るんですか熊でも。
もしくは周辺を警護している巨漢の大男だったりして……そんなことはないか。

突然鶴屋さんが何かを思いついたように両手を叩く。

鶴屋さん「よっしっ、そいじゃぁタクシーでも呼ぼうかっ!」

キョン「えっ!?」

102 名前:9-5[age] 投稿日:2010/03/13(土) 22:48:39.82 ID:B+NILJlT0


思わず飛び起きそうになった俺の額に手を添えて制した鶴屋さんは
再び自分の膝の上に収まらせる。
悔しいことに俺の本能は居心地の良すぎるその場所を離れるだけの根性を
ひねり出さなかった。

すっかり懐柔されてしまい情けないやら嬉しいやら複雑な心境だ。

鶴屋さん「キョンくんはぁ……まだ寝てるにょろっ!」

そう言って胸元から携帯電話を取り出すと、ってどこにしまってんですか鶴屋さん。
そのままどこかへ連絡し始めた。
そういや以前も件の金属棒の調査結果を胸元にしまいこんでたな。

この人は謎の女怪盗か何かなのだろうか。
それほどしまうスペースがあるとは思えないのだが。いやこれは失敬。

鶴屋さん「うん、タクシーを一台呼んでほしいっさっ。んにゃっ、あたしじゃないよ。
      友達が乗るのさっ。そう、そう。んじゃ頼んだよっ」

そう言って電話を着る。どうやら屋敷の使用人に連絡を取っていたらしい。
一目も見かけなかったが一応住み込みの人なんかもいるのだろうか。

鶴屋さんは携帯電話を胸元にしまい込むと俺の頭を撫でるのを再開した。

一瞬覗いた鎖骨に視線が釘付けになったことには気づかれていないだろうか。
気づかれていたその時は、笑って頭を下げよう。同じく笑って許してくれる、そんな期待と予感をもって。

再びまどろんでしまいそうな時間がゆっくりと過ぎて行った。


103 名前:9-6[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:51:23.91 ID:B+NILJlT0


それでも時間というのは勝手に流れて行くもので、
この瞬間をいくら切り抜きたいと思ってもそれは無理な相談なのだった。
時の女神もまいっちんぐ、じゃねぇな、どうした俺。しっかりしろよ。
あぁ、もう心地いいな畜生っ。

タクシーが到着したようで意外と近かった門口の方からエンジン音がする。

鶴屋さんは最後に俺の側頭部をぽんっと一回はたくと起き上がるように促した。

名残惜しいながらものそのそと起き上がった俺は乱れた髪を手ぐしで整えて
鶴屋さんについて玄関へと向かった。迎えにきたタクシーに乗り込む。

自転車の方は「なんなら後で運ばせておこーかっ」と提案されたのだが、
また自分で取りにくる旨を伝えた。

鶴屋さん「そん時はまたご馳走するよっ。楽しみにしてて欲しいっさっ」

そう言って優しく微笑んだ鶴屋さんの表情は俺と会うことを
本当に楽しみにしてくれているようだった。

俺も気恥ずかしくなって頬が若干熱くなった。赤面していたかもしれない。
けれどもそれは月明かりに照らされてわかるほどのことでもなく、
夜闇に紛れて悟られはしなかった。

それでも鶴屋さんは俺に「ばいばいっ」と小さく手を振ると、「またね」と結んだ。

タクシーは走り出し鶴屋さんは背後にどんどんと遠ざかっていく。
小さくなっていく影が薄暗がりの中でぼんやりと月明かりに浮かび上がり、
それは俺の視力の限界に至るその先まで、ずっと立って見送ってくれていたように思う。

105 名前:9-7end[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:54:12.46 ID:B+NILJlT0


その場に感傷を置き去りにして、俺の肉体は鶴屋さんの家からどんどん離れて行く。

ここにもう一度戻りたい。そんな風に後ろ袖を引かれながら。


かすかな余韻と残り香に引かれながら。







三日目 不作法名探偵キョン end.
to be continued

106 名前:10-1[] 投稿日:2010/03/13(土) 22:58:00.17 ID:B+NILJlT0


四日目 不明解名探偵キョン


四日目の朝。鶴屋さんからメールが来る。
今日はどうやら調査には来れないという。
鶴屋さんの家もダメなのだそうだ。なんでもでかける用事があるらしい。

一応ないと不便なので自転車を取りにいく旨を伝える。
鶴屋さんの残念がる言葉にごめんね、という一文が添えられたメールが届く。

俺は自転車云々とは関係なしにまたご馳走になっていいですか? と返事を送る。
帰ってきたメールは賑やかにデコられていて鶴屋さんの喜びっぷりがうかがえた。

携帯電話を握りしめて飛び跳ねている鶴屋さんの姿が自然と脳裏に思い浮かんだ。
そりゃちっと自意識過剰ってもんか。

俺はそんなことを考えながらバスを乗り継いで残りは徒歩で鶴屋家の屋敷へとたどり着いた。

門口を叩いて家人や使用人を呼び出そうとするも誰も出ない。
おかしいと思って視界の隅、敷居の奥へと目を凝らすと
俺の自転車が置き去りにされていた。

勝手口というか通用口というか、それらしいものも近くにはない。
塀の前にポツンと一台自転車が置かれていた。

まぁ無理もないよな、と俺は想像を巡らせる。

旧家の令嬢についた悪い虫、まぁそんなところか。
決してそのような関係ではないのだが、まぁお定まりの展開だった。

107 名前:10-2end[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 23:00:51.13 ID:B+NILJlT0


俺は何を思うでもなく自転車にまたがって屋敷を後にした。

どこかで誰かに身られているような気配がしてふと振り返った。
そこには誰もいない。当然ながら周囲にも。

俺は小首をかしげながら再び自転車を漕ぎ出す。

後ろ髪ひかれるような余韻は今はなく、静けさだけが背中に張り付いてる。

場違いだ、ここに居てはいけない。

そんな沈黙の重圧に後押しされるように自転車を漕ぐ足は速くなっていった。

一瞬視界の隅になにかが映ったような気がしたが、
振り返る気は起きなかった。


深緑の世界から一転、俺は灰色の街並みへと還っていったのだった。



四日目 不明解名探偵キョン end.
to be continued

108 名前:11-1[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:04:49.63 ID:B+NILJlT0


五日目 不在名探偵キョン


五日目。
いつもの時間に市街の待ち合わせ場所にぼうっと座っていたのだが、
いつまで経っても鶴屋さんが現れる気配はなかった。

乗降所をじっと見つめていても黒塗りのセンチュリーが止まったりはしない。
一時間以上経過したが電話もメールも一切来ない。一体どうしたんだろうか。

まぁ旧家のお嬢様のタイムスケジュールの中には
電波圏外や忙殺されるほどの時間密度を様する行動が含まれているのかもしれない。

俺はなんの気なしにそんなことを考えながら駅へと歩き始める。
不意に誰かが走って追いかけてくるような気がしたが、そんなものは俺のくだらない妄想だった。

期待がにわかにはやし立てる。

ここで鶴屋さんが息急き切って走って現れて、俺を呼び止める。
そしてごめんごめんと言った後で待っててくれてありがとうと言う。

そんな瞬間がやってこないことはわかりきっていた。


109 名前:11-2end[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:07:01.95 ID:B+NILJlT0


淡い期待を胸の内にしまい込んで、俺は再び歩き始める。

その日一日、ついに鶴屋さんから連絡が来ることはなかった。

どうしたのだろう。

夜半そんな疑問を解くこともできずにやがて布団の中でまどろみ始め、

そのまま眠りに落ちた。

鶴屋さんの膝枕とこの枕の感触は比べるまでもなく、


それはまったくもって似ているはずもなかったのだった。







五日目 不在名探偵キョン end.
to be continued.

110 名前:12-1[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:09:18.41 ID:B+NILJlT0


六日目 不埒名探偵キョン


六日目。早朝。
鶴屋さんから電話がかかって来た。
起き抜けに布団にくるまったまま俺は携帯を耳に当てた。
鶴屋さんの賑やかな声が聞こえてきた。

鶴屋さん「キョンくんっ、昨日はごめんっ!」

電話を耳に片手でごめんなさいのポーズを取っている鶴屋さんを想像して俺は若干気持ちが和んだ。

鶴屋さん「どーーしても連絡できなくってさ……ひょっとして……
      駅前でずっと待っててくれたの……かなっ……?」

キョン「まぁ待ったには待ったんですけど、それほど長い時間でもなかったですよ。
    あんま気にしなくてください、俺の方こそ鶴屋さんに迷惑かけちまってるでしょうから」

ほっとしたようなため息が聞こえてくる。
そして鶴屋さんにしては珍しい遠慮がちな口調で話し始める。

鶴屋さん「そう……かいっ? なははっ、めんごめんご……ほんとに……ねっ……。
      あのさ、明日はふつーに時間取れっからさ、また調査を再開しようよっ。
      昨日も一昨日もなんだかんだで何もしてないからねっ!」

むしろ一昨日が一番成果が上がったんですけど。

そんな一言を飲み込んで俺は鶴屋さんの提案を受け入れる。
明日のいつもの時間にいつもの場所で会うことになった。

112 名前:12-2[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:12:33.78 ID:B+NILJlT0


また喫茶店かファミレスでだらだら時間を過ごすのだろうなぁと思いつつ、
鶴屋さんはそれをすら楽しみにしてくれているんだ。俺に文句がないことは当たり前だった。

俺自身、鶴屋さんとの調査を楽しみにしていることにだんだんと気づき始めていた。

なんの因果か鶴屋さんのことを鶴屋さんを相棒にして調べる、
そんな矛盾を孕んだ状況に順応し始めているのか、
明日の正午のことを想像するだけで俺の身体は少しばかり重力への抵抗力を強めるのだった。

キョン「それじゃぁ、お待ちしています。今度遅れたら罰ゲームをやってもらいますからね。
    それもとびきり微妙な奴を」

電話の向こうで鶴屋さんの困ったように笑う声がする。

鶴屋さん「たははーっ、それは勘弁してほしいっさ〜……。
      まっ、絶対遅れないからその点は心配いらないにょろっ!
      変なもの持ってきても、絶対無駄になんだかんね!
      だから持ってきちゃダメにょろよ? ……絶対だかんねっ」

執拗に念押しされる。変なおじさんの付け髭でも持ってくると思われているのだろうか。
いえいえ、持っていくのはペンギンさんのフルフェイスマスクですよ?

皇帝ペンギンならぬ女皇ペンギンの誕生の瞬間を想像して俺はニヤリと不適に笑う。
それが鶴屋さんの背筋に寒いものを這いずらせたのかはわからないが、
鶴屋さんは声音を若干震わせながら感想を漏らす。

鶴屋さん「キョンくん……すっごく悪い人みたいっさ……それはハルにゃんでも戦慄ものだよっ……」

なぜにハルヒが引き合いに出されるのか。微妙につっこみきれないままその日の会話は終わりを迎えた。

113 名前:12-3[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:15:20.07 ID:B+NILJlT0


鶴屋さん「んじゃねっ、キョンくんっ。
      あんまり女の子を怖がらせるようなことを言ったり考えたりしちゃダメにょろよっ!
      ちょいワルを目指すのもいいけど、そのままおかしな人になっちゃわないよーにねっ!」

女の子っていうのには鶴屋さんも含まれているのだろうか。

俺よりも万倍男らしい人だが一応はそう、女の子なんである。
学年も一つしか違わないし誕生日次第だろうが同い歳である期間もあるかもしれない。
同学年の早生まれと遅生まれ分ほどの差もないのかもしれない。

そう思うと奇妙なもので、
突然鶴屋さんが先輩ではなく同級生であるような情景がまぶたの裏側に浮かび上がって来た。

先輩フィルターを通さないで見る鶴屋さんはなんとも危なっかしいようでいて、とても気になる存在だった。
うーん……そんなことは全然ないと思うのだが……。

一歩進んで仮に俺が鶴屋さんの先輩分だったとしたらどういう風に見えたのだろうか。
まぁそこまでは想像力が追いつかないな。無理もない。
なぜなら俺は助けられるばかりの残念な後輩だからだ。

一学年の壁は実年齢よりも厚い、切なくもそう感じられた。

鶴屋さんはいつもの元気を取り戻したような高い声で「ばいばいっ!」と言うと
そのままプツリと電話を切った。俺は別れの挨拶を言うこともできなかったので
名残惜しさはあったもののまぁどうせ明日顔を合わせるんである。

ただ明日のことを楽しみに待っていよう。
今日は今日とて暇な一日を、ただだらだらと過ごせばいいのだ。


114 名前:12-4end[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:17:51.21 ID:B+NILJlT0


そういえば春休みの宿題をやっておかないとな、
などとはまったくこれっぽっちも考えもせずに俺は一階へと降りていき、
とろけている妹やシャミセンを横目にだらだらとテレビを見て過ごすのだった。

うし、最高。








六日目 不埒名探偵キョン end.
to be continued

116 名前:13-1[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:20:30.86 ID:B+NILJlT0


七日目 不恰好名探偵キョン

七日目。朝。鶴屋さんからメールが来る。
どうやらいつもの時間より一時間ほど遅れるとのこと。

俺は「鶴屋さんのかわいいペンギン姿が見られることを楽しみにしています♪」

という一文を顔文字や備え付けのフレームやらで目いっぱいギトギトにデコレーションして送っておいた。

返ってきた返事は散々に俺を責め立てるもので、
薄情者だの裏切り者だの人でなしだのありとあらゆる言葉でなじられた。

これは褒め言葉の一種に違いない。

そう思った俺が感謝の一文を送ると、それ以上余計な返事はこなかった。

たった一行、「化けてでるにょろ」と書かれたメールが一通届いただけで。

どうぞ化けて出てください。粗末な茶しか出せませんが。
俺はニヤニヤ笑いながら午後の準備を始めた。

家を出ると気持ちのいい風が吹いていた。ここんとこやけに気候が温暖だな。
この季節ならもう少し天気がぐずついてもおかしくはないのだが。まぁいい、願ったり叶ったりだ。

駅前の広場で携帯をいじりながら待ちぼうけていると
予定の時間より30分ほど遅れて鶴屋さんが現れた。
都合1時間半の遅れである。これは面白いものが見れそうだ。
そんな俺のニヤニヤ笑いに居心地悪そうにしながらも
困ったような笑顔を返して鶴屋さんは頭の後ろをかく。

117 名前:13-2[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:23:04.76 ID:B+NILJlT0


鶴屋さん「たははっ……ごめんよ、面目ないっ!」

そういって両手を顔の前でぱちんと合わせた。
小気味いい音とは打って変わって鶴屋さんの表情は不安げだ。

まさか本当に俺がペンギンさんのマスクを持ってきたと思っているのだろうか。
まぁ持ってきているのだが。
だがさすがにそれはかわいそうに思えたのと鶴屋さんの低姿勢を見ているのが
辛くなってきたのもあって結局出さず終いになった。

ちらっと荷物から覗かせて鶴屋さんの驚きおののく姿を見てみようかとも思っていたのだが、
やれやれどうしてか自分の引き際の潔さが恨めしい。

好奇心よりも不安が勝つのは俺の悪い癖のように思えた。
それを一昨日発揮できなかったことは残念無念の一言である。再来年。

キョン「ま、冗談ですよ。まさか本気にするとは思ってなかったんで……
    すいません、不安がらせちまったみたいで」

俺がそう言うと鶴屋さんは本当に心の底から安堵したようなため息を吐いた。
むぅ、俺が鶴屋さんをいじめていたみたいじゃないか。居心地が悪いったらない。

鶴屋さん「それを聞いて安心したよっ!
      もしうっかりそのまま踊れなんて言われたらどうしようかと思って
      気が気じゃなかったさっ……。キョンくんが優しい子でよかったにょろっ!」

優しい子はこんな風にいじわるしたりしないと思いますが。
それはさておきこれ以上立ち話もなんなので俺と鶴屋さんは近くの喫茶店に入ることにした。
お互いにお代わり自由のコーヒーを注文して適当に談笑しながら口をつける。

118 名前:13-3[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:25:55.94 ID:B+NILJlT0


相変わらず鶴屋さんは面白おかしい冗談みたいな話を俺に聞かせてくれた。

しばらく経つとカフェインが効いてきたのかだんだんと頭が冴えてきた。
今なら普段聞きづらいことも聞き出せるかもしれない。
状況が状況だけにその効果は三割増しだと思えた。

ふっふっふ、覚悟してくださいよ鶴屋さん。今日の俺は一味も二味も苦いですからね。

俺はおもむろに揃えていた足を崩し背もたれに片腕を乗せリラックスできるポーズを取ると
もう片方の腕で顎をつかんで不適な笑みを浮かべた。鶴屋さんの表情に軽快の色が浮かぶ。

俺が良からぬことを企んでいることを見抜いている。まぁ鶴屋さんでなくともわかるだろうが。
俺は唇の端を片方だけ吊り上げながら言う。

キョン「せっかくなので鶴屋さん、二三質問をさせてください。
    なぁに、そんなに難しい質問じゃありませんよ。気を楽にしてください」

いつもの調子でない俺にいつもの調子でない鶴屋さんが答える。

鶴屋さん「な、なんだいっ……キョンくん……。
      ま、まぁ遅れてきた手前断りにくいんだけどさっ……
      い、いいよっ、こうなったら受けて立とうじゃないか! どんとこーいっ!」

最初は肩をすくめてやりにくそうにしていた鶴屋さんも
最後には大きく胸を張って片腕でドンと胸元を叩く。
骨か筋肉かは知らないが固いものに当たったような音が聞こえて
俺は苦笑いを我慢した。スレンダー。それは無情の響きである。

鶴屋さんは覚悟を決めたように俺を睨み据えている。

119 名前:13-4[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 23:28:56.67 ID:B+NILJlT0


若干焦りの色が浮かんでいるような、また俺がバカな冗談を言って
それをやりこめるという流れを期待しているような不思議な顔色だった。
ご期待に添えないのが残念です。それじゃぁいきますよ。

キョン「まず、第一問」

鶴屋さんの生唾を飲み込む音が聞こえる。

キョン「……鶴屋さんはどうしてSOS団に関わろうと思ったんですか?」

これには呆気に取られたようで、鶴屋さんの目がまんまるに開かれた。
そして気が抜けたように姿勢を崩すと卓上にだらっと身を投げ出した。

鶴屋さん「あっはっはっ! それはあたしがキョンくんに一番最初にした質問っさっ、
      キョンくんもなっかなかに人が悪いねっ!
      てっきりもっとすっごいこと聞かれるのかと思って焦っちゃったよ。
      そのぐらいだったらふつーに答えられるっさっ!」

鶴屋さんは卓上から上半身を取り戻すと目をつぶって人差し指をピンと立て復唱するように語り始めた。

鶴屋さん「あたしはみくるのクラスメートで、
      あの子がなんかおもしろそーなことに巻き込まれてるって聞いたからさっ、
      あと野球の紅白戦で人手が足りないってんでついに助っ人として参上した次第さっ!
      あの時のあたしの活躍はきっと覚えていてくれてると思うにょろっ?」

もちろん覚えている。長門謹製のホームランバットに頼るまでもなく
男子野球部員からファールで粘る様はナチュラルな運動能力の高さを伺わせるものだった。


120 名前:13-5[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:31:15.61 ID:B+NILJlT0


キョン「あれは見事でしたね。俺なんか散々だったのに」

鶴屋さん「え〜っ、そんなことないじゃん、
      あの後みんなしてホームランぱかぱか打ってたし、
      あたしは本当にびっくりしたよっ!」

あぁ、そういえばそうだった。
自分の力で打ったわけじゃないから微妙に悪い部分だけが記憶に残っていた。

はたから見ればそうなんだよな。
俺も知らずのうちに周りから異常人種に分類されているのかもしれない。

気をつけよう。そう肝に銘じて置いた。

鶴屋さん「あとは〜、ん〜、退屈してたからかな〜。
      あんなに面白い集まりに出会うことなんてそうそうないしっ!
      そりゃあちょっかいも出してみたくなるってもんさねっ、にゃははっ!」

退屈。ふむ。なんか引っかかる単語だな。あの鶴屋さんが退屈とな。
万年お祭り気分のこの人にもそんな感情があるのか。
とはいえ鶴屋さんが賑やかでも周りがいつもこのテンションについていけているというわけでもないだろうし、
たまーに暇だなーとか世界は静けさに満ちているなーと思うぐらいのことはあるのかもしれない。
俺は意外なようでいて当たり前すぎる一面を新たにこの人に見出したのだった。

キョン「んじゃぁ二問目いいっすか?」

鶴屋さん「えぇっ!? ま、まだあるのかいっ……」

俺の軽い口ぶりにようやく開放されたと思っていたらしい鶴屋さんは辟易を隠し切れないようだった。

121 名前:13-6[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:33:25.66 ID:B+NILJlT0


とりあえず鶴屋さんにされた質問は一通り聞き返しておきたい。
次の質問はなんだったかな。そう、例の参った質問だった。

キョン「鶴屋さんは好きな人っているんですか?」

出し抜けに言った俺の質問はコーヒーを含んで落ち着こうとしていた鶴屋さんから
相当の動揺を引き起こしたたらしい。
むせ返るようにコーヒーをカップに戻してしまった鶴屋さんはケホケホと苦しそうに咳をする。
俺は紙ナプキンを渡す。

幸い服の上にはこぼさなかったようだ。その分卓上が悲惨なことなっているが。

ようやく落ち着きを取り戻したころには鶴屋さんはしどろもどろになっていた。
視線が泳いでいるとかそういうレベルじゃなく、
涙目になったり顔色が二転三転しながら若干小刻みに震えていた。

これはどう取ればいいのだろう。

キョン「つまり、いるってことでいいんですね?」

俺が鶴屋さんの反応から読み取った感想を述べると鶴屋さんは一瞬否定しようとするかのように
こちらを見て何かを言おうとしたのだが再び取り乱すようにして視線を逸らしてしまった。

顔をうつむき加減にして髪の毛がはらはらと乱れるのも構わないようだった。
両手は膝の上に置いて居心地悪そうにしている。

キョン「まさか……鶴屋さん……」

それ以上は言わないで欲しいという哀願に満ちた表情を浮かべて鶴屋さんはすがるように身を乗り出してきた。

122 名前:13-7[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:35:35.27 ID:B+NILJlT0


まるで許しをこうような格好で鶴屋さんは俺の目を見据える。
表情は不安に満ちていた。眉尻は下がり笑顔を取り繕う余裕もなく、
ただ何かを訴えるように目で何かを伝えようとしている。

残念なことに俺にはそんな鶴屋さんの内面の機微を洞察するほどの繊細さはなかったのだった。

俺はその黄土色の脳細胞をフル回転させて瞬時に結論を導き出す。
朝比奈さんのクラスメート×面白そうなことに巻き込まれているから÷俺の淡い妄想と願望。

これらを混ぜ合わせれば答えは明白だった。
不思議名探偵キョンは今ここに真の誕生の瞬間を迎えたのだった。

キョン「鶴屋さん、あなたは朝比奈さんのことが……」

そう口に出した瞬間顔面にコーヒーのカップが叩きつけられた。

コーヒーがこぼれて黒い滝をつくる。
見下ろすと俺の春用外出着の上に見事なまでに飛散したコーヒーが
洗っても消えないだろう大陸地図を描き出していたのだった。

すでに冷めていたおかげでまったく熱くはなかったのだが、
俺は呆然としながら鶴屋さんの方へと視線を戻した。

鶴屋さんの顔は真っ赤になっていた。
恥ずかしさというよりも怒りと苦渋と抗議と不満と文句と否定とあと何がしかの失望感をにじませながら
目尻いっぱいに涙を浮かべて俺を睨み据える。こんなに取り乱した鶴屋さんは初めて見た。
そしてなぜにそのようにお怒りになられてらっしゃるのだろう。

俺にはわからなかった。

123 名前:13-8[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:37:45.64 ID:B+NILJlT0


しばらくそうしていると鶴屋さんは突然我に返ったようで、
一転して顔色を蒼白にする。

鶴屋さん「あっ……ご、ごめんよっ、キョンくんっ!
      あ、熱くなかったかい!? 火傷はしてないかいっ!?」

すぐ近くにある紙ナプキンには目もくれずに高そうなハンカチを取り出して
俺の顔や服についたコーヒーを必死になって拭き取ろうとしてくれた。

そんな高価そうなハンカチを汚しては悪いので俺はとっさに鶴屋さんの手を払う。

すると鶴屋さんは一瞬言葉に詰まった後ハンカチを握った手を引っ込めて苦しそうにうつむいた。
俺はしまったと思った。

キョン「火傷はしてないですよ……熱くはなかったですから」

そういえばこのコーヒーは鶴屋さんが一回含んでむせ返したものだった。
若干唾液が混じっているような気はしたのだが今はそんなことはどうでもいい。

キョン「あー……やっぱり拭いてもらっていいすか……
    自分だとどこが濡れてるかよくわかんないんで」

そう言うと鶴屋さんは一旦は引っ込めた手をもう一度おずおずと差し出してきて
俺の顔についたコーヒーを丹念にぬぐった。

近くの席に誰も座っていなかったのと昼時の店内の喧騒から誰に気づかれることもなかったようだ。
俺と鶴屋さんの周囲の時間だけが切り離されたように静かに流れる。

鶴屋さんは俺の隣にやってきておしぼりなども使いながら俺の服や顔を丁寧に拭っていった。

125 名前:13-9[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:40:41.08 ID:B+NILJlT0


目尻にはうっすらと光るものを浮かべて、
こんなはずじゃなかったと悔悟の念をにじませながら。

きつく結ばれた唇が苦渋を示していた。うつむき気味に、
意図せぬ失敗をしてしまい叱られるのを待つ子供のように苦しそうな表情を浮かべている。

鶴屋さんが身を乗り出して俺の首筋にかかったコーヒーを拭こうとしたとき、
互いが息のかかる距離になった。

切なげな視線にドキリとする。

俺は鶴屋さんに許しをこわれていたのに、
どんな言葉を返すこともできないままただその瞳に見入っていた。

次の瞬間には俺が許しの言葉を告げることを期待していたのだろう。
その願いに答えられないままにただ時間が過ぎて行く。
服にかかったコーヒーはもう乾き始めていた。

鶴屋さんは俺の胸元に額をよせてそのままうつむいた。

鶴屋さん「ごめん……よ……」

そうポツリと小さくつぶやく。なんと言えばいいのだろう。なんと答えればいいのだろう。
俺にはその用意がなかった。思いつきもしなかった。
ただ目の前で震える先輩のことを、見ていることしかできなかった。

鶴屋さん「さっきの質問……には、さ……いつかきっと、答えっからさ……
      約束するよ……だから……許してほしいっさっ……
      ねぇ……キョンくん……」

126 名前:13-10end[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:42:53.42 ID:B+NILJlT0


無言のままに結んだ約束。宣誓文に判を押すように俺の呼び名で括られた。

俺が何もできないまま、何も伝えられないままに言葉だけが紡がれていく。

糸の切れた糸電話のように音沙汰ない俺に寄りかかったまま、
鶴屋さんはついに動かなくなる。

俺はその肩を抱きしめることも、
そっと手を添えることすらもできずにただ呆然と見下ろし続けていた。

今にして思えばこのときちゃんと伝えておけばよかったのだ。

そうすればこの後に起こる混乱は少しはマシになっていたのかもしれない。
だがいまだ名探偵を冠したままの俺には不可能なことだった。

迷いを知らない者には不可能なことだった。


すぐそばで孤独に震える小さな大先輩の行き着く先。


その未来を案ずることなんて。


127 名前:14-1[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 23:45:32.82 ID:B+NILJlT0


幕間 浮浪名探偵キョン


別れ際にも鶴屋さんに謝られ、俺はついに謝り返す機会を失ってしまった。

元々は俺のバカな悪ふざけが原因である。
にもかかわらず何も言えないでいる俺を責めるでもなく
鶴屋さんは表情に辛さをにじませつつも笑って送り出してくれた。

胸の奥にチクリと何かが刺さった気がした。

俺はなんと伝えるべきだったのだろう。
あの時どう接するべきだったのだろう。

わからない。そしてその無知がなによりも罪深いことのような気がして俺は自分自身をなじった。

目いっぱい口汚く。だがそれもやがて押し寄せる虚しさに流されてやめにした。

まだ三時にもなっていないというのに、辺りはなんだか薄暗かった。

見上げた空はどんよりと曇っていて、俺の心情を表しているようにも、
ただ自然のままに振舞っているようにも見えた。

やがて小雨がパラパラと降り出して肌に触れ服にしみこんでいく。
それでもどうにも雨宿りする気にもなれずに、
中途半端な小雨の中を俺はだらだらと歩いていく。

鶴屋さんはちゃんと雨宿りしているのだろうか。
自分のことは棚にあげ、そんなことを気にしながら自宅へと続く坂道を登っていく。

128 名前:14-2end[] 投稿日:2010/03/13(土) 23:47:41.80 ID:B+NILJlT0


鶴屋さんがしょんぼりと肩を落として
雨の中を歩いていく姿なんて想像したくもなかった。

ただそれがあり得るとすれば、間違いなく今日のあの時の俺のせいだ。

俺は近くの電柱に額を軽くぶつけた。
本当に軽くやったつもりなのだが、思ったよりもじんじんと痛んだ。

それ以上自分を痛めつける根性もないのでまただらだらと坂道を登り始める。

そうして自宅の前についたのだが中に入るのが急に億劫になる。

縁石に腰を降ろし何をするでもなくぼうっとする。

空を見上げるたびに雨粒が目に飛び込んでくる。


それは思いのほか痛かった。

174 名前:15-1[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:05:36.06 ID:54TmEdAN0

八日目 不義理名探偵キョン


八日目。春休みも折り返しに入ろうかという日。

今日は調査班の全員で集まって探偵ごっこの中間報告をする日だ。
SOS団の、と言わなかったのはそこに鶴屋さんも含まれているからだ。

昨日の今日なので顔を合わせ辛いのだが、
強制参加となっているので辞退もままならない。

気が重いなどとは言ってられない。
俺は気だるさを全身に感じながらも外出着に着替える。
自転車でいつものSOS団の集合場所となっている駅前へと向かった。

俺が到着した時にはハルヒ、長門、朝比奈さん、古泉の四人が先に到着していた。
鶴屋さんはまだ来ていない。遅れるという一報も来ていないらしい。
こちらから連絡を取ろうにも電話が繋がらないそうなのだ。
一体どうしたというのだろうか。

朝比奈さんも心配そうにしている。そしてどういうわけか古泉の表情も曇っていた。
どうしてお前がそんな顔をしているんだ? 閉鎖空間でも立て続けに現れたってのか。

古泉「いえ、そういうわけではありませんが……」

そんな古泉の顔を朝比奈さんが心配そうにのぞき込んでいる。
う〜ん、どういうことだ。この一週間で二人の間に何があったというのだろうか。
古泉、俺はお前を信じていいんだよな? もちろん朝比奈さんのことは信じている。
ただ若干、内実ものすごーく気にはなっているのだが。
もう少し気分が優れれば躊躇わずに聞けたんだがなぁ。

175 名前:15-2[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:09:19.33 ID:54TmEdAN0


さっきからやけに静かだと思っていたらハルヒと長門もなんだか疲れているようだった。

一体コンピ研部長の身辺調査にどれほどの労力を費やしたというか。
それともあんまりつまらないもんだから精神に変調をきたしたのか?

なんにせよ今は静かであるにこしたことはない。
そうして十分ほど待っていると遅れて鶴屋さんがやってきた。
珍しく駅の方から駆けてきて、ってそれは俺にしかわからないことだった。
さすがに団員の前に黒塗りのセンチュリーで乗り付けるのは
若干引かれると思ったのだろうか。

昨日あんなことがあったから心配していたのだが、
駆けてくる鶴屋さんの表情はいつも通りの晴れやかさだった。

鶴屋さん「やぁやぁみんな!
      今日は集まりに呼んでもらえて感謝するっさっ!
      ってあれ〜、みんなお疲れのご様子だね、なんかあったのかいっ?」

小首をかしげて不思議そうにする鶴屋さん。
表情も口調もハキハキしていて仕草も小気味いい。

昨日のことを引きずっている様子は微塵もなかった。俺は安堵してため息を吐く。
ハルヒはそんな鶴屋さんに心底眠たそうに返事をする。
長門はいつも通りなようでいてハルヒと似たり寄ったりな印象だった。

朝比奈さんも明るく挨拶をするのだが体調よりも気分が優れないようで
言葉尻に歯切れの悪さを残していた。
古泉は微苦笑するばかりで特に言葉を返す様子もない。
うーん、みんなどうしたってんだ。まぁ俺が言えたことじゃぁないが。

178 名前:15-3[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:13:16.90 ID:54TmEdAN0


そのまましばらく立ち話を続けていた。
気分が悪くなったハルヒの背中を鶴屋さんがさすってあげている。
ついでに長門の背中も。
本当に疲れているのか長門も少しだけ目を細めて楽そうにしている。

視線を移すと朝比奈さんが不安そうにどこかを見つめていた。
そして俺の視線に気づくとニコリと微笑んで違う方へ向き直った。

先程の視線の先を追うと鶴屋さんの立っている方だった。
なんだか嫌な感じがした。
何か隠し事をされているようで落ち着かなかったが、
とはいえ俺の勘違いかもしれないわけで。

微妙に追求しきれないまま俺たちは近くの喫茶店へと入ることになった。

ハルヒ「あぁ〜……疲れたぁ……すいませ〜ん、水くださ〜い」

キョン「水ください、ってお前、催促するほど気分が悪いのか。
    今日は帰った方がいいんじゃぁないのか?」

ハルヒ「っさいわね〜……せっかく来たんだから最後まで居るわよ……
    ぁ、あとチョコパフェとカフェラテとあとサンドイッチと」

その割にはやたらと注文が多いな。
なんでも最近甘いものがやけに食べたくなるらしい。

常に頭をフル回転させているような感覚がするそうだ。
運ばれてきたコーヒーに砂糖を何袋も注ぎながら
ハルヒはとつとつと聞かれても居ない自分の苦労話を語り始めた。

179 名前:15-4[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:16:52.03 ID:54TmEdAN0


まずコンピ研部長の自宅の住所を調べることから始めたのだが、
職員室へ行って名簿を見ようとしても個人情報がどうたらで見せてもらえなかったそうだ。

そこで長門と連れ立って手っ取り早くその他の部員を締め上げようとしたものの
ハルヒに個人情報を知られるということに
極端なまでに恐れおののいた部員達の手によって部長に連絡されてしまい、
以降コンピ研部長はほとんど自宅にひきこもるようになってしまったそうだ。

暴力的な手段を諦め住基ネットへのハッキングを敢行した二人は
ようやく部長の自宅を見つけ出したものの既に篭城を始めた部長との戦いは長期に渡り、
近くのマンションの屋上からこっそり観察を続ける日々を送り幾星霜……。

という有様らしい。俺だったら最初の個人情報云々の時点で諦めるけどな。
今回はハルヒの気の強さが完全に裏目に出たと言えよう。
まったくもって自業自得な話だ。

180 名前:15-5[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:19:55.70 ID:54TmEdAN0


机に突っ伏したハルヒの背中を再び鶴屋さんがさする。
甲斐甲斐しくもハルヒの看病を始めた鶴屋さんは
以降はほとんどハルヒに構いっぱなしだった。

なんだか俺との会話を避けているように感じたのは自意識が過剰なのだろうか。

古泉や朝比奈さんは普通にインタビューをして今レポートにまとめている最中だという。
なんとも優等生的で正攻法でまっとうな手法だった。
まぁハルヒの意図からは外れているかもしれないが
二人の立ち位置的に許される方法論ではある。

ハルヒが「それじゃぁ探偵じゃなくて単なるインタビュアーじゃないっ!」という苦情を出すことまで
見越してもう二三ネタを仕込んでいるに違いない。

如才ない、古泉如才ない、本当に如才ないなおい。
で、ついに来てしまった俺が報告する順番。

さてどうしたものか。
ハルヒは完全にグロッキーだからいいとして、問題は鶴屋さんである。

鶴屋さんには鶴屋さんが調査対象であることは知らせていない。
他の奴らもそのことはそれとなく察しているのだろう。
なんとも微妙な表情をしている古泉と朝比奈さんと眠たそうな長門。さて、どうしたもんか。

キョン「すまん、今壮大かつ長大な報告書をまとめて上げているところなんだ。
    これは数分で語りきれるものではない、是非始業式の日に一気に目を通してもらいたい」

苦肉の策というかまぁ嘘八百なのだが、
もう明らかに白々しさを振り乱しながら俺は熱くそのスケールの大きさを語った。

181 名前:15-6[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:23:00.00 ID:54TmEdAN0


ハルヒ「あ、そう」

ハルヒの冷たい一言に遮られるまで。どうやら俺の語り口が耳障りだったらしい。
一刀のもとに切って落とされた俺はしょんぼりと肩を落として自分の水をすするのだった。
ハルヒがチョコパフェを平らげた時点で集まりはお開きになった。
こいつこんなによく食う奴だったっけか。ちょっと分量が異常だな。

コンピ研部長のこととは別になんか大きなストレスでも抱えてんじゃないだろうか。

若干心配になるもこれ以上引き止めると噛み付かれそうなのでやめておいた。
人間万事さいおーが馬っ。鶴屋さんに習った格言である。

ハルヒと長門、古泉と朝比奈さん、俺と鶴屋さんのそれぞれの班に別れて
俺たちは別々の方角へと歩いていった。
俺と鶴屋さんの間にはなんとも気まずい空気が漂っていた。

せっかく鶴屋さんに何度も笑いかけてもらうも俺は愛想笑いを返すのが精一杯で、
それ以上会話を進めることができなかった。
正直不安だったし鶴屋さんの口から出る言葉が怖かったのかもしれない。

先の見えない感覚。そりゃぁいつも先の読めない人だが、今みたいな空気はそれとは違う。

胃の腑がきりきりと痛むような感覚がしたがまぁ問題ない範囲だった。
俺は気力を振り絞って鶴屋さんに提案する。

キョン「家まで……送っていってもいいっすか……・?
    別になにがどうっていうわけでもないんですけど……なんとなく……」

鶴屋さんは一拍ほど黙った後、快く許可を出してくれた。

182 名前:15-7[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 20:26:16.62 ID:54TmEdAN0


鶴屋さん「いーよっ、まー、今はね、
      ちょっと立て込んでて家の中には上がれないんだけどさっ、
      それでもいいにょろっ? もしいいならそうしてくれるとうれしいっさっ」

俺の正面に回り込み笑顔で振り返る鶴屋さん。
その表情を見ていると胸の内が晴れたような気がした。
頭の中の淀みが幾分か透き通る思いだった。

俺と鶴屋さんはバスを乗り継いだり歩いたりして屋敷への道のりを歩いていく。
それほど会話をしたわけではなかったが、
先程のような重い空気はもう感じられなかった。

鶴屋さん「それで調査の方は順調なのかいっ?」

これには上手く答えられない。
体のいい言い訳を模索していると「そかそかっ」と納得されてしまった。
鶴屋さんは、本当は気づいているんじゃぁないだろうか。

それを尋ねてしまうとこの奇妙な状況を終わらせてしまうような気がして、
俺はついに言い出すことができなかった。
もともと春休みの間だけの期間限定タッグなのだ。
その期間中すべてを使いきってもバチはあたるまい。

ついに鶴屋さんの屋敷の周辺までやってきて屋敷の門前に到着した。
鶴屋さんは元気いっぱいの笑顔で俺に向き直ると、
「また明日っ!」とハキハキした動作で手を振った。
俺も軽く手を上げて応える。また明日、か。

俺は鶴屋さんに何気なく尋ねる。

184 名前:15-8[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:30:07.95 ID:54TmEdAN0


キョン「こないだ来れなかった日は……何かあったんですか?」

鶴屋さんは少し答えにくそうにしている。
七日目の騒動の元の素の元をさらにほじくりかえせば一応はそこに行き当たる。

まぁ間に俺のくだらない冗談が挟まってしまったせいでしっちゃかめっちゃかなのだが。

鶴屋さん「なんていうか……約束事があってねっ……そっちを優先しちゃったのさっ。
      ごめんよ、決してキョンくんとの約束をむげに扱おうと思ったわけじゃないのさっ。
      だから……」

許して欲しい、と言おうとしたのだろう。鶴屋さんはそれ以上は言わなかった。

俺もそれには答えられなかった。
困ったような微苦笑の後で、鶴屋さんははぐらかすように笑った。

肝心なことは結局聞けず終いで、そして俺自身もそれに答えられず終いで。

小さく礼をして俺は足を帰路に向けた。
最後に鶴屋さんが何かを言いかけた気がしたが、結局言い出すことはなかった。

しばらく歩いてから何気なく振り返ると鶴屋さんはまだ門口の前に立っていてこちらを見ていた。

俺が振り返ったことに気がつくと小さく手を振っているのがわかった。
かろうじてここから分かる程度のかすかな笑顔を浮かべながら。
俺もそんな鶴屋さんに手を振り返す。

俺は再び歩き出す。
鶴屋さんはいつまで俺の後ろ姿を見ていたんだろうか。

185 名前:15-9end[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:32:32.68 ID:54TmEdAN0


俺は二度振り返ることはなく、
深緑色のモノトーンを背負って帰る。

灰色の街並み、俺の日常へ。


奇妙な余韻を残しながら。









186 名前:16-1[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:36:51.85 ID:54TmEdAN0


九日 不躾名探偵キョン


九日目。
あいも変わらず俺は市街で待ちぼうけている。
二時を過ぎても鶴屋さんはやってこない。

こちらから鶴屋さんに連絡を取ろうと思い電話をかけたのだが一向に繋がらない。
呼び出しはかかるのだがそれ以上うんともすんとも言わない。
途中で切れることもないからマナーモードにでもしてあるんだろうか。

俺は思い切って鶴屋さんの自宅へと突撃してみることにした。
突撃といっても門口の周りを少しうろうろしたり呼びかけたりしてみるだけなのだが。

鶴屋さんの家へ自転車を取りに行った時のことを思い出す。
あのなんとなく居づらい空気はなんだったのだろうか。

背筋の這いずる悪寒、とまでは言わないが薄ら寒いというか気味が悪いというか。
人気のない古い家屋というのはそういう雰囲気を醸し出しているのかもしれない。

そこに生活感が覗けばもう少し違った印象を受けたのかもな。

一旦自宅に戻り自転車に乗るとそのまま鶴屋家の屋敷へと向かった。
一時間ほど走って鶴屋家の敷地へと近づく。
延々と続く塀のある通りへ差し掛かったところでなんとも言えない微妙な違和感を感じた。

う〜ん、やっぱ気のせいじゃなかったか。こないだは嫌な感じがしたが、
ところがどっこい今日の俺は全く定まった目的もないごく純粋な闖入者である。
最初から不躾不作法をかますつもりであるなら全く遠慮の必要もない。

187 名前:16-2[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:41:10.36 ID:54TmEdAN0


せいぜい思いのたけうろちょろしていくとしよう。
鼻歌でも一発歌ってやろうというものだ。

俺はブライアン・アダムスの18 till I dieをメロからサビまで一番だけをリピートで歌う。
理由はそこしか覚えてないから。

へいへい、わ〜なびや〜んざれすおまらいねばせのとらいえにしんつわいす。

最低最悪の発音で騒音をぶち撒きつつ自らを鼓舞しながら塀の通りを進んで行く。

俺の音痴が雰囲気をぶち壊しにしたのかあの微妙に嫌な空気は消え去っていた。
無事に鶴屋家の門前にたどり着いたがさてここからどうしたものか。

まさか強引に侵入するわけにもいくまい。
そんなことをすればモノホンの闖入者ならぬ不法侵入者である。

警察に突き出されてもあっさりさっさと自供するしかない。
まぁとりあえず一言声をかけておくだけでもしておこうか。

使用人が出てきて一発しばかれるぐらいのイベントは起きるかもしれない。
このまま何事もなく帰るのだけは納得できなかった。

キョン「つ〜るやさんっ、あそびましょ〜」

思いついた掛け声の中で一番素っ頓狂でアホらしい一言を選んで叫ぶ。
ここまでバカバカしければ襲いかかってくるのが
家政婦でも黒尽くめのSPでも少しは手加減してくれるかもしれない。
番犬とかが出てきたらどうしよう。さすがにそこまでは考えていない。
さて、そろそろ逃げようか。

188 名前:16-3[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:47:00.88 ID:54TmEdAN0


俺がいそいそと自転車にまたがったところで通用口の鍵が開くような音が聞こえた。
やばいっ、ついに獰猛な番犬の登場かっ、それとも黒光りのSPかっ。

鶴屋さん「キョンくんっ? キョンくんかいっ」

俺が身構えたところで現れたのは和装の鶴屋さんだった。
髪の毛を結い上げることもなくうなじの辺りをこよった紐で括ってまとめている。

それは上等な和紙のようにも見えた。こういう風に使うものもあるのか?
なんか以前総合テレビかなんかで見たような気はする。
あわじ結びだか水引だか元結だかかんとか。まぁうろ覚えなんだが。

キョン「どーもっ」

自転車にまたがって鶴屋さんに背中を向けたまま俺は敬礼するように挨拶をする。

鶴屋さんはそんな俺を不思議そうに眺めている。
俺は自転車を門のそばにとめて鶴屋さんへ向き直った。

キョン「やー、鶴屋さんが来ないもんで自分から来ちまいました。
    迷惑でしたらソッコーで直帰しますんで」

鶴屋さん「ううんっ、そんなことないさっ、それよりあたしの方こそっ……」

ごめん、と言おうとしたのか、そのまま言いにくそうにして押し黙ってしまった。
視線こそ逸らすことはなかったものの、どこかよそよそしい。
困ったような歯切れの悪い表情で微笑み続けている。
まぁそれはそうだろう。突然の来訪、七日目の騒動、昨日の約束、一事が万事である。
どれもが気まずい空気を生み出すに足りる出来事だった。

190 名前:16-4[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:50:32.17 ID:54TmEdAN0


言葉を飲み込んだ鶴屋さんは辺りをキョロキョロと見回すと手招きをした。
それに従って通用口をくぐる。

そのまま近くの軒先まで案内された。以前日向ぼっこをして、
うっかり眠りこけてしまった場所である。鶴屋さんは俺よりも先に縁側に腰掛ける。
その場でつっ立っている俺を見上げるとポンポンと自分の膝上を叩いた。

横になれ、ということだろうか。
意識を失っている時ならまだしも自分からそこに頭を乗せることはひじょーにはばかられた。

俺が苦笑いを浮かべながら逡巡していると
鶴屋さんが自分の膝上を叩く調子が強くなっていった。
もはやほとんどはたきつけるような勢いになっている。

それはすでにほとんど命令のようなものだった。
俺はしぶしぶ、というか内心どぎまぎしながら鶴屋さんの膝枕の上に頭を乗せて横になった。

鶴屋さん「素直でよろしいっ♪」

そんな俺の優柔不断な決心をねぎらいつつ以前にもそうしたように
俺の髪の毛を繰ったり撫ぜ下ろしたりし始める。

こうなると居心地が良すぎて冗談の一つも言えなくなってしまうのだが、
同時に今日は招かれざる者であるためか膝から下がふわふわして落ち着かなかった。
下はそわそわ上はごろごろ、これなーんだ。俺の現状である。

キョン「鶴屋さんは自分が調査対象だって最初っから分かってたんですよね」

微妙に浮き足立った気分の中で俺は鶴屋さんに質問をする。たしか以前にもそうしたように。

191 名前:16-5[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:55:52.93 ID:54TmEdAN0


鶴屋さんは言いにくそうにしながらもやがて口を開く。

鶴屋さん「なはは、実はそうなんだよねっ。
      めんごめんごっ……でも騙してたわけじゃないっからさっ。
      そこだけはわかってほしいっさ」

騙すというならそれは俺の方だろう。

鶴屋さんは許して欲しい、ではなくわかって欲しいと言った。
その一言がすべてのように思えた。

俺は言葉ではなく仕草で返事をした。
小さく軽く、肌の感覚でわかるように。頷くことで意思を示した。

それを受けてか鶴屋さんは俺の額を指先で優しく二回ほどなぞった。
急いで来たせいで少し汗ばんでいたかもしれない。それでも鶴屋さんは構わないようだった。

人差し指を俺の眉間に押し付けてぐにぐにと皮膚をこねくって弄ぶ。
力を抜け、ということなのだろうか。
俺はされるがままに身を任せた。

鶴屋さん「今日は家の人間が誰も居なくて出られなくってさ……
      ここでいいなら済ませちゃおうよっ。なんでも訊いておくれよ。
      たまにはあたしも自分のことをいろいろ話してみたいっからさ……」

キョン「スリーサイ……」

すかさず手刀が落ちてくる。
クスクス笑いがケラケラ笑いに、そして静かな語り口に切り替わった。

192 名前:16-7[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:58:52.84 ID:54TmEdAN0


鶴屋さん「上から────」

聞いてよかったのかはわからないが、とにもかくにも聞いてしまったのだから仕方がない。

聴き終えた感想は聞くまでもなかったな、というのと、
加えてスレンダーのスの字はストレートのスの字でもあるのだなぁなどと
不埒な考えを抱いてしまった。

俺の頭の中の鶴屋さんの項目にまた一つ冗談みたいなパーソナルデータが書き込まれた。
そうして空欄は徐々に埋まっていくのだった。

鶴屋さんについて知っていることが少しずつ増えていく。

刺激的なそれは単なる情報では終わらず、俺に少しばかりの理解を与えた。

馴染んでいくように、鶴屋さんの言葉が頭の中に自然と流れ込んできた。
銘打たれたそれはかけがえのない、鶴屋さんの物語だった。
俺の脳裏に刻まれた記念碑のようなものだった。

俺は質問を続ける。

キョン「電話、もう持ってないんですか」

鶴屋さん「んっ、まーねっ。でも春休みの間だけだよ。その後はもう自由さっ」

あっけらかんと答えるものの俺の髪を弄ぶ手がかすかにたどたどしくなり
そこにはいくらかの悔しさがにじみ出ていた。
手先に感情が現れるのは癖みたいなものなのだろう。
覚えておくことにしよう。いつか役に立つかもしれない。

195 名前:16-8[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:01:55.18 ID:54TmEdAN0


誰のせいで手放すハメになったのかは推して知るべし。
というか一人しかいないわけだが。

その約一名はそろそろ限界を感じ始めている。これ以上尋ねるのは気が引けた。

俺の勇気と根気は今んとこここまでである。
笑うなら笑って欲しかったが、鶴屋さんはそんな俺を責めるでも労うでもなく言う。

鶴屋さん「あたしは別にいーよっ」

からかわれているわけではなかった。本当にしてもいいものらしい。
とはいえ次で最後の質問にしよう。

鶴屋さんがいつか話してくれると言ったあの質問の答えを聞きたかった。

キョン「鶴屋さんは……好きな人っているんですか?」

鶴屋さんの俺の髪を繰る手が止まり、それから動かなくなった。

俺の頭頂部に添えられたままぴくりとも動かない。

鶴屋さん「キョンくんは……誰だと思う……?」

逆に尋ねられても俺には答えられない。わからないから質問をしたのだから。
わからないというのは理解できないという意味で、
知らないということではなかったのだけれども。

俺にもう少しばかり知恵があればよかったのかもしれない。
それでも俺は内心の一部を吐露するだけにとどめた。たった一言主語を隠して。

196 名前:16-9end[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:05:44.60 ID:54TmEdAN0


キョン「……わかりません……」

思えば日本語というのは便利過ぎるのだ。
他人を欺くのに、これ以上うってつけのものはない。
その一点に頼みを置くことでしか会話を続けられない俺に言えたことではないのだが。

鶴屋さんは短く一言「そっかっ……」と言って再び俺の髪を弄ぶ手を動かし始めた。

たどたどしく、ぎこちなく。行為というよりも単に動かしているだけ、そんな印象と感触だった。

鶴屋さん「また明日……絶対に……」

鶴屋さんが言っていたいつかのその日は今日この時のことではないらしい。
たとえ明日が無理曜日で、来れないデーだったとしても。

また明日、絶対に。

そう一言、意思を示すことだけが今のこの状況を継続させる。
そう思って鶴屋さんは何度も何度も嘘になりかねない約束を結んでいる。俺にはそう思えた。

そしてそのいわゆる「こーい」に乗っかって、俺は再びまどろみの中に漂流する。

ただ意識が闇に落ちることはなかった。

半分起きていて、半分眠っている。
そんな風に引き裂かれたまま漂っていた。

上とも下とも判別がつかない、
横倒しの世界を見つめながら。

198 名前:17-1[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:10:47.51 ID:54TmEdAN0


十日目 不撓不屈名探偵キョン


十日目の朝。
まだ鶴屋さんの電話は繋がらない。
それは分かっていたのでどう驚くということもなかったのだが。

発信を切った瞬間着信音が鳴った。
もしかして鶴屋さん? かと思ったら古泉だった。なんだお前か。期待させやがって。

このまま出ないでもいいかとは思ったのだが前に会ったときの様子が様子なだけに気になった。
それとなく朝比奈さんの話題でも振ってみるか。何かしらの話は聞けるかもしれない。
そうして自分で理由を作った俺は古泉からの着信に出る。

キョン「古泉か? なんだ朝っぱらから藪から棒に」

古泉「少しばかりお話がしたいのですが。よろしいでしょうか?」

それはかまわんが。わざわざ呼び出してまでする話ってのはなんなんだ。
触りぐらいは教えてくれ。

古泉「どうぞ──」

電話口にガサガサとノイズが入る。

みくる「──ぁ、ありがとうございます。キョンくん?」

次いで朝比奈さんが出た。なぜに朝比奈さんが古泉の携帯に?
なんか過去にも似たような展開があったような気がするぞ。

199 名前:17-2[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:14:16.18 ID:54TmEdAN0


予感というよりもほとんど確信に近い悪寒が俺の全身に鳥肌を作る。

なんだなんだなんだ。
またあの夏休み後半みたいに時間が延々ループしてるってんじゃないだろうな。

しかして今のところあの手のなんとなくだか強烈なんだかの既視感には遭遇していない。
この時この瞬間に初めて立ちあっているという実感はある。
古泉から電話がくる予感なんてまったくなかったしな。

みくる「ごめんなさい、それは今は話せないんです。
    でも安心して、キョンくん。ただちょっとお話をしたいだけだから」

再びノイズが走って今度は古泉に代わる。

古泉「明日の午後三時、涼宮さん長門さん組を除く
   調査団のメンバーで集まってお話をしませんか?」

キョン「なんだ、明日でいいのか。てっきり話しぶりからして
    急ぎで込み入った話なんじゃないかと思ったがそうでもないのか」

俺は正直胸を撫で下ろしたい気分だった。
俺には今現在、世界が異常事態で云々かんぬん、
いざこの状況を打開しましょう!というテンションで
超常現象と向き合う気力を持ち合わせてはいないからだ。

そういう事態はせめて春休みが終わって学年が上がってからにしていただきたい。
たとえ世界が分裂するほどの出来事があったとしても、
その頃にはまぁ体力も気力も回復していつも通りの日常を過ごせていそうだからだ。
俺の内心の不安をよそに古泉は続ける。

200 名前:17-3[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:18:39.59 ID:54TmEdAN0


古泉「えぇ、その点はご心配なく。
   時間に関しては僕よりも遥かにプロフェッショナブルな方が
   となりにいらっしゃいますので。その方のご指定ですからどうぞご安心ください」

プロヘッショナブルな方とは朝比奈さんのことだろう。
プロヘッショナブリングな朝比奈さんというと大人バージョンを連想するのだが
一応ちっさい方の朝比奈さんだって未来人である。
古泉に比べたら万倍プロヘッチョナビュリャってもんだろう。

キョン「わかった、まぁちょっと気分転換もしたかったところだしな。
    朝比奈さんの顔が見れるってんなら飛んで行こうってもんだ。
    ところで古泉、お前は別に無理して来なくていんだぞ。
    こないだなんかめちゃくちゃ顔色が悪かったからな。
    静養してた方がいいんじゃないのか?」

俺は冗談交じりにそれとなく中間報告の話題を振ってみたのだが、
古泉はいつも通りのおやおや、困りましたね、といいう調子を微塵も表すことなはなかった。

それどころか俺が言ったとおりに本当にお疲れ気味のご様子だった。

古泉「あはは……まぁそのことは考えておきましょう……」



201 名前:17-4[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:23:06.39 ID:54TmEdAN0


おいおいおいおい、マジで大丈夫なのかよ古泉。一応冗談のつもりだったんだぞ。
しっかりしろよ。マジで調子狂うぜ。

古泉「その点については追い追い。とにかく明日のことです。
    絶対に来てください。頼みましたよ」

頼み、っていうか約束じゃぁないのか。なんだか雰囲気が重かった。
一体なんだってんだ。

結局用件はそこで終了だった。とにかく明日、明日と言っていた。
なんだか鶴屋さんみたいだな。

また明日。絶対に。

昨日のことを思い出して俺は身悶えしそうになった。

本当に一体どうしちまったんだ。俺も、鶴屋さんも、古泉も、朝比奈さんも、
あとハルヒや長門の体調のことだってある。明日古泉や朝比奈さんと俺とで、って、ん?

長門&ハルヒ組を除く調査団のメンバーってことは鶴屋さんも入っているのか?
ん〜微妙だ。第一鶴屋さんとは連絡の取りようがないからな。

さすがに昨日の今日でまた屋敷にお邪魔するのは正直気が重かった。
どんな顔をすりゃいいんだろうな。

キョン「こんな顔か?」

鏡に向かって両人差し指で無理やり笑顔を作ってみるも
あまりの醜態に思わず目を背けた。

202 名前:17-5[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:27:17.16 ID:54TmEdAN0


これはひどい。
どうやら俺には満面の笑みって奴は似合わないらしい。
微苦笑程度がちょうどいいのだ。

一応もう一度古泉にかけなおして確認してみるか。
俺が携帯に手を伸ばそうとしたところで再び着信音がなった。

なんだ、いい忘れたことでもあったのか古泉。
まぁちょうどいい。手間が省けたってもんだ。

キョン「もしもし、古泉か?」

鶴屋さん「ん〜、残念っ! 期待を裏切ってもうしわけないっさっ。
      なんならかけ直すにょろ?」

着信の相手はなんと鶴屋さんであった。チラッとでも発信者を確認しておけばよかった。
まぁ何のためらいなく電話に出られたんだから良しとしよう。うん。

キョン「いえいえいえいえ、問題ないです、
    ていうか鶴屋さん、電話使えるようになったんですか」

鶴屋さん「ううん、いえでんいえでん。
      よかったよっ、着信拒否になってたらどーしようかと思ったさっ」

いえでんってのは固定電話ってことだろう。
とにかく鶴屋さんと連絡が取れてよかった。
鶴屋さんの口調はハキハキしている。雰囲気の重さは感じられない。

鶴屋さん「キョンくん、明日の夜は開いてるかいっ? 暇かいっ?」

203 名前:17-6[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:30:59.31 ID:54TmEdAN0


暇っちゃぁ暇ですね。調査をしているとき以外はほとんどすべて。
はい、全くと言っていいほど。悲しいくらいにえぇ、もうほんと。

鶴屋さん「あはは〜っ、そっか〜」

鶴屋さんにしては珍しく間延びした笑い方だった。
上機嫌というか語尾が上ずっているというか。

鶴屋さん「そいじゃぁその開いてる時間の一部をあたしと一緒に使ってみないっかな?
      あ、変なこと期待しちゃダメにょろよ。そーいうんじゃないからさっ」

変なこと。そーいうこと。俺の頭にもわもわと変なそーいうことが浮かび上がる。

鶴屋さん「そこっ! そーぞー禁止っ!」

電話の向こうでビシッと指を突き出しているかは知らないが
鶴屋さんは俺の考えを見透かし不埒と不躾をかますよりも先に牽制の一撃を放った。

俺は自分の尊厳と名誉の為に全力で否定する。想像ではありません。妄想です、と。

思えばこのぐらいの冗談を言い合える仲になったというのは
奇妙を通り越して奇跡的なことなんじゃぁないのか。
なんだか後が怖いな。

これ以上鶴屋さんと親しくなってもいいものだろうか。

俺は今更ながらにそんなことを考え始めていた。

鶴屋さんはどう思っているのだろう。ふいにそんなことが気になった。

204 名前:17-7[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:36:32.62 ID:54TmEdAN0


鶴屋さん「まったくしょうがない子だねキョンくんはっ。
      まぁいいにょろっ、若さ溢れるのはいいことっさね。
      ただそれを間違った方へ向けちゃだめにょろよっ!
      取り返しがつかなくなっちゃうかんねっ!」

間違った方向。取り返しがつかない。頭の片隅に引っかかる言葉だった。
それはよこしまな方向へってことなのか、それとも……。

キョン「それじゃぁ鶴屋さんの方に向けておきます」

思わずそんな言葉を口にしていた。電話の向こうから鶴屋さんの声が聞こえなくなる。
互いに一言も何も言わず、ただ時間だけが流れた。
時計の針がカチコチと時を刻む音に混じって何かが軋むような音が聞こえた。

それは電話の向こう側からだったのか。それとも俺の気のせいだったのか。

キョン「間違ってますかね」

鶴屋さんは何も答えなかった。ただ少しだけ息遣いが聞こえた。
息を殺すような、平静を装う為にするような息遣いが。

鶴屋さん「たっはは……年上をからかうのはよくないっさ……
      そいじゃぁ明日、また明日の夜にねっ。確かに約束したよっ!
      それじゃぁばいばいっ!」

一方的に切られた電話の向こうからは単調なリフレインが繰り返され続けていた。
否定も肯定もされなかった。

そして尋ねられなかったもう一つのフレーズが気に掛かる。

207 名前:17-8end[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:40:39.26 ID:54TmEdAN0


取り返しがつかない。


俺が間違った方向へと進もうとしているならそうなのだろう。

最初の質問にイエスと答えるかノーと答えるかで、解答は自然と導き出される。

たとえ誰が誰をどう思っていようと、どのような感情をいだいていようと、
感傷や情動を通り越した冷たい類推の先行きにそれはある。

一つの答えが別の答えを導き出す。

そんなことは推理の初歩中の初歩で、
いまだ名探偵のままである俺にもわかることだった。

だが正直言って、俺は迷い始めていた。

今のこのとき、この状況を。これ以上続けていいものか。

俺は迷っていた。

今このときを、どう過ごしたらいいものか。

俺は迷い続けていた。

心は風を失って暗い海の上をただただ、流されるままに。


漂っていた。

214 名前:18-1[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:01:29.49 ID:54TmEdAN0


十一日目 不器用名探偵キョン


十一日目。午後二時半。
俺は約束の時間よりも早めに到着するよう余裕を見て出発した。

おかげで十分前には駅前に到着することができた。
古泉と朝比奈さんは既に到着していて古泉は俺を認めると手を振って挨拶した。

こんにちは、朝比奈さん。あとついでに古泉。

朝比奈さんは小さくお辞儀をして俺を迎える。
いつものように愛らしい朝比奈さん。
ただ八日目の中間報告の時にあった歯切れの悪さというか心労のようなものは
いまだ尾を引いているようだった。わずかではあるが表情が冴えなかった。

古泉の方はというと目元が若干どんよりとしている。
それでもいつものように微苦笑を絶やさない。

話口からはそれほど疲れているようには感じなかったが、
俺を見る視線にどこかよそよそしさが混じっているというか、
様子を伺われているような気がした。

古泉「では、立ち話もなんですから適当に近くの喫茶店へでも」

春休みに入ってから喫茶店かファミレスにばっか行っている気がする。
ま、他に特に行くこともないんだからな。
それに今日は鶴屋さんではなく古泉と朝比奈さんが話し相手だ。
そういう意味ではいつも通りってこともない。

216 名前:18-1[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:03:46.65 ID:54TmEdAN0


決して鶴屋さんとの会話に飽き始めたというわけではないのだが。
なんというか、七日目にあったことがやはり尾を引いている。

今ここでこうしていることに安心感を覚えていた。
そして同時に、夜の約束が俺を落ち着かなくさせるのだった。

席につく俺たち。
古泉と朝比奈さんは一応ドリンクを注文したのだが俺は何も頼まなかった。
なんとなく、今は金を使う気がしなかった。それだけのことだ。

古泉「鶴屋さんとの調査は順調ですか?」

キョン「ん、まぁな。それよりお前の方はどうなんだ。
    一応秘密結社の人間を調べるわけだから大変なんじゃないのか。
    内部調査みたいなもんだろうからな」

古泉は俺の言葉に微苦笑を返す。
ま、もともとハルヒは荒川さんや森さんのことを
影の組織の構成員だなんて思っていないんだからんなこと心配するまでもない、か。

古泉「えぇ……まぁ。ちょっと大変でしたね」

そう言うと居心地悪そうに姿勢を正した。

キョン「なんだ、ひょっとしてマジで調べてんのか?」

古泉「いえ、まぁ僕たちの話はとりあえず後回しにしましょう。いずれお話する時がくるでしょうから」

なんだ、含んだ言い方だな。まぁいいや。どうせ始業式の日に聞くことなんだからな。

218 名前:18-3[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:06:13.04 ID:54TmEdAN0


古泉「それで、鶴屋さんとの調査の方は……」

キョン「どう、っていうこともない。ただ、いろいろ収穫はあったけどな。
    お呼ばれしたり、お呼びしたり、及び個人情報などいろいろ目下調査中。
    及ばないところはあるかもしれんがな。
    ところで本日お呼び立てされた理由はなんなのでしょうか? 古泉さん」

鶴屋さんの話題を出されるとなんだか剣呑になっちまう。
胃の上というか心臓の少し下あたりに鈍い痛みのようなものを感じる。

落ち着かない。古泉の意図が読めないので余計に。

俺のトゲのある態度に困ったのか、
古泉は苦笑いするだけでそれ以上つっこんでは来なかった。

代わりに朝比奈さんが話し始める。

みくる「キョンくん、鶴屋さんは自分が調査対象になってるって……」

キョン「気づいてるみたいですよ。
    っていうか、最初っから気づいてたみたいです。
    まぁそのおかげで順調でして。
    最初の方は俺の方が質問責めにされて参っちまいましたが」

みくる「そう……」

本当に落ち着かない。もっと柔らかい言葉遣いをしたいのだがそんな余裕もない。
もう少しバカな話ができるかと思ったんだが。俺の神経も案外脆いもんだ。
なんでもないのに手元を動かしたくなる。

219 名前:18-4[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:09:03.16 ID:54TmEdAN0


キョン「まぁ、その。
    知り合いのことをあれこれ詮索するってのも居心地が悪いもんですね。
    鶴屋さんの方は結構楽しんでくれてるみたいですけど。俺の方はというと……」

楽しくなかったというと嘘になる。
むしろその楽しみのために居心地が悪かろうがからかわれようが構わないと思って
今日まで調査を続けてきた。もう調査なんだか遊び歩いてるんだかわからん状況だが。

キョン「……まぁなんとかやってますよ」

古泉はさっきから俺の内心を所作から推し量ろうとするように
視線を手元やら目線やら表情やら姿勢やらに向けてきている。

朝比奈さんはというと運ばれてきたドリンクに手もつけずに俺の顔色を伺っている。

含みがあることは明らかだった。
ただそれを今話す気はないらしい。
なるべく本題を振らずにこちらから情報を引き出そうとしているように思える。

それも俺の心情というか、感想というか。俺自身の内面の話を聞こうとしているようだ。

エピソードが聞きたいのであればもっと論理的で効率的な方法があるだろう。
厄介なことに、感情というのは出口のない迷路というか、
筋道を辿れば解答にたどり着くというわけでもない。

婉曲な言い回しになってしまうのも無理のないことのように思えた。

キョン「それで、結局何が聞きたいんだ、遠まわしに詮索するのはやめてくれ。
    俺は覚悟を決めたよ。努力する、なるべく率直に答えるってな」

220 名前:18-5[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:11:35.82 ID:54TmEdAN0


そう言って同時に降参のポーズを取る。
古泉は観察するように俺を見ることをやめ、朝比奈さんも俺を見る目が少し穏やかになった。

二人とも慣れないことはするもんじゃない。俺の機嫌を気にするようなことはやめてくれ。

古泉「すいません、でも今は本当にこちらから話せることはないんですよ。
    伝えるべき時が来たらこちらから伝えます。
    ただ今日は、あなたの精神状態がどうなっているのかを
    直接確認しておきたかったんです」

みくる「ごめんね、キョンくん……
    でもそんなに先のことじゃないから、今は待っていて欲しいんです」

今はまだ、か。そんなに先のことじゃないならまぁ、ここは納得しておこう。

場の風というかそういうのが整うまで待てってこったろう。
俺の知らないところで虎視眈々と高い役が作られているようで落ち着かんが。

キョン「解決編はおあずけか」

古泉「えぇ、そうですね。後編は次回のお楽しみということで」

冗談を言う元気が戻ってきたらしい。気に入らんが古泉は憎らしいくらいでちょうどいい。
ただあのエルキュール・一樹だけは我慢ならんが。

キョン「今度あのちょび髭をつけてきたら引っぺがして放り捨ててやるから覚悟しておけ」

これには古泉は苦笑する。それでもまぁ、さっきよりはマシな空気だった。
朝比奈さんもリラックスできたようでドリンクに口をつけ始めた。

221 名前:18-6[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:14:35.28 ID:54TmEdAN0


以降ほとんどは古泉の仮装がひどかったとか本物はもっと口が悪いとかいう話をして終わった。
ABC殺人がどうとか微妙に俺がわからない話を始めたときは聞いているだけだったが。

それから一時間ほど談笑していたがいい加減日も傾きかけてきたのでお開きになった。

朝比奈さんと古泉に別れを告げ、俺はその辺の本屋に寄って暇つぶしをする。
鶴屋さんの言っていた夜というのが一体何時ごろなのかはわからないが、
その時を自宅でのんびりくつろいで待つ気にはなれなかった。

普段はなかなか訪れないミステリーのコーナーへと足を向ける。
さっき古泉が話していたABC殺人というのが気になったからだ。

書籍は著者名順に並んでいてAの列から簡単に見つけることができた。
タイトル順に並んでるのかと思って何気なく見たら見事そこにあって笑ってしまった。
俺はThe A.B.C Murdersと書かれた文庫本を手に取った。

そのままどれほど立ち読みを続けていたことだろう。読み終えた時には外は暗くなっていた。

マナーモードにしていた携帯が振動し始めたので外に出て発信者を確認する。
鶴屋さん、かと思ったのだが090から始まらない固定電話の番号からだった。
おそらく鶴屋さんである。いえでん、って言ってたしな。俺は電話に出る。

鶴屋さん「やぁやぁキョンくんっ! お待たせ!
      今から出ようかと思うんだけど準備はできてっかな?」

キョン「えぇ、もちろん。実はもう近くの駅前にいるんですよ。
    本屋に寄ってましてね。先に行って待ってますよ。いつもの場所でいいんですよね」

鶴屋さん「んにゃっ、今日はいつものとことは違う場所に行きたいっさっ」

222 名前:18-7[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:17:48.16 ID:54TmEdAN0


鶴屋さんが行きたいという場所は丸鶴デパートだった。
なぜにわざわざ俺と連れ立って自分の家で経営しているデパートへ行こうというのか。

とはいえ今更駅前ですることもないので快く承諾しておいた。
丸鶴デパートか。今から出て到着時間はどっこいどっこいってところか。

俺は自転車を置き去りにしたまま電車を乗り継いで丸鶴デパートまで向かう。

デパートの正面の通りで待ち合わせることになっていた。
鶴屋さんの話では一方通行の車線を挟んで広場があるらしい。

到着した俺は自販機で飲み物を買って適当にくつろぎながら鶴屋さんを待った。
鶴屋さんは数分後にやってきた。

鶴屋さん「おっすっ!」

キョン「めっすっ」

鶴屋さん「キョンくん、その切り返しは古いよーっ。
      もうちょっと今風にしといた方がいいにょろっ!
      じゃないとおっちゃん臭いって思われるっさっ」

ダメ出しをされながら俺は適当に苦笑いを返す。
おっすに対する今風の切り返しを考えてみたのだがいまいち思いつかない。
俺の脳みそはもともと探偵向きではなかったらしい。固すぎるのだ。

「じゃぁお酢でも注げば柔らかくなるんでしょうかね」と
鶴屋さんに言った瞬間渋い顔をされてしまった。すんません、ほんとに。
ただその元となったネタがあったような気がしたのだがそれはついに思い出せなかった。

223 名前:18-8[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:20:50.67 ID:54TmEdAN0


キョン「そいで鶴屋さん、今日はどのようなご用件なのでしょう」

自分のバカな発言をごまかすように俺は今日呼び出された理由を尋ねる。
いつもの時間ではダメな理由も気にかかったがそれは胸の内にしまっておいた。

鶴屋さん「んーとね……あはは、
      なんか大げさな理由を期待してたんだったら悪いんだけどさっ。
      なんだか急に遊びたくなっちゃってねっ。
      今日は何も聞かずにあたしと一緒に遊んで欲しいっさっ」

鶴屋さんはそう言うと照れるように両手を後ろに回して笑った。
気恥しそうな、くすぐったそうな笑顔だった。

俺はそんな鶴屋さんの表情を見て安心感を覚えた。
やっぱり、この先輩には、鶴屋さんには笑顔が似合う。

笑っていない鶴屋さんは、鶴屋さんであって鶴屋さんでないような。
そんな居心地の悪さを感じさせる。

それだけに俺の目には一層、この人の笑顔がまぶしく輝いて映るのだった。

キョン「じゃあ今日は思いっきり遊びましょう。軍資金もほら、この通り持ってきました」

そう言って俺はポケットにつっこんであるうすっぺらい財布をぽんとはたく。
ま、内容はあんまり期待しないでいただきたい。

鶴屋さんは「重畳っ!」と元気一杯に高らかに言うと喜色満面の笑みを浮かべた。

鶴屋さん「そいじゃー、思いっきり遊ぶ準備はできてっかいっ若者よっ!」

224 名前:18-9[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:23:43.79 ID:54TmEdAN0


俺は目いっぱい力なく「おーっ」と言って見せる。
まぁそれでも納得したのか鶴屋さんは元気いっぱいに俺を先導していった。
俺の胸ぐらをつかんでぐいぐいと引っ張っていく。

何も胸ぐらなんかつかまなくてもいいものだが、袖とか、あと、手とか。
そっちの方でもいいんじゃないかなーと淡い期待を抱いたまま
俺は鶴屋さんに引きずられてデパートの中へと入ったのだった。

そして俺たちはその辺を思いっきりブラブラした。

鶴屋さんの足取りは軽く雑貨屋に入ってどーでもいい置物や
「差し押さえ」と書かれた貯金箱などを見て人目もはばからずに笑っていた。

そんな鶴屋さんを見ていると俺も自然を頬が緩んだ。
そしてどういうわけだかバニーだのメイドだののコスプレ衣装まで陳列してあって
俺が視線を逸らして居心地悪そうにしていることに気づいた鶴屋さんは
イタズラ心いっぱいに俺をからかってくる。

鶴屋さん「あれ〜? キョンくん、こーいうの好きなんじゃぁないのかなーっ?
     そんなに視線を逸らさないでさ、ちゃんと見なよ?
     おねーさんは責めたりしないにょろっ」

俺のあご先をがっちりとつかむと細い体躯に似合わない猛烈なパワーで
俺を強引に振り向かせようとしてくる。

226 名前:18-10[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:27:27.52 ID:54TmEdAN0


鶴屋さん「うりうりどしたどしたっ、見たいのかい? 着せたいのかなっ?
      さて、誰に着て欲しいのかなっ?  白状するっさっ! うりうりうりうりっ」

鶴屋さんは無理やり俺の首に片腕を回して姿勢を下げさせると
眉間に拳でぐりぐり攻撃を始めた。地味に痛い、というかそれ以上に厄介なのが、
というか鶴屋さんは気づいていないようだったが思いっきり胸が顔の横にあたっていた、
というか押し付けられていた。

鶴屋さんが俺の眉間に拳をこすりつけるたびに
柔らかいような固いような感触が押し付けられて気が気でなかった。

そしてそのまま両腕バージョンへと移行していく。
背後に回って俺の側頭部をナックルでがっちりとホールドした鶴屋さんは
嬉しそうな笑い声を上げながら両腕をひねりこみ始める。

今度は後頭部に胸があたって夢心地、いやいや俺は激痛の中で悶絶していた。

背後の柔らかいやら固いやらの気持ちのいい感触と
鶴屋さんパワーによる激烈な攻勢の中でヘルアンド涅槃を味わいながら
微妙に俺のテンションも上がっていく。

キョン「だーっもう! いい加減にしてださい、こうなったら俺にも考えがありますからね!」

なんとかぐりぐり攻撃を振りほどいてほうほうの体で逃げ出した俺は鶴屋さんに向き直り言い放つ。

鶴屋さんはというと余裕しゃくしゃくの笑みを浮かべながら横を向いて流し目をつくり
両腕を組んで権威を笠に着るような威圧感たっぷりの視線を俺に向ける。

嘲るような試すような作為的な笑みに変わるとあご先を突き上げながら言う。

227 名前:18-11[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:29:43.88 ID:54TmEdAN0


鶴屋さん「んーっ。どーするつもりにょろっ?
      まさか先輩に手をかけるなんて命知らずなことはぁしないよねっ?
      そんときは、さっきとは比べ物にならない地獄のようなお仕置きを覚悟しておくんだねっ!」

得意満面に俺を牽制した鶴屋さんはふんっと大きく鼻を鳴らした。
そしてそれはどこか嬉しそうでいて、普段の鶴屋さんの万倍も悪意に満ちていた。

小学生くらいの頃の鶴屋さんは案外こういう子供だったのかもしれない。
いたずら少女というかガキ大将というか、
土管の上で威張り散らしている鶴屋さんを一瞬想像して
笑ってしまいそうになるのをなんとかこらえた。

たしかにぐりぐり攻撃のような痛みを伴なうやり方でを報復するというのは不可能だった。
しかして俺には秘策があった。

俺は顔の正面で両腕を十字にクロスさせると
指先をわきわきわきわきと目いっぱい小刻みに動かした。

鶴屋さんの表情に焦りの色が浮かぶ。
嫌な予感というか悪い予感というか明らかな確信に満ちた不安感を浮かべ
一瞬たじろいだ鶴屋さんの隙を俺は見逃さなかった。

鶴屋さんの重心が定まらなくなったその一瞬が勝負だった。

俺は瞬時に鶴屋さんとの距離を詰めると慌てて逃げようとする鶴屋さんを
背後からがっちりとホールドして脇の下だの首筋だの横っ腹だのを
おもいっきりくすぐったりつかんだりして笑いのツボを刺激しまくった。

鶴屋さん「ちょっ! キョ、キョンくん、やめっ! にゃ、にゃは、にゃははははははははっ!」

228 名前:18-12[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:33:02.28 ID:54TmEdAN0


普段より2オクターブぐらい高い甲高い笑い声を上げながら
鶴屋さんは俺の腕の中で悶絶していた。

鶴屋さん「や、やめっ、ご、ごめんよ、ごめんっ、
      キョ、キョンくん、ゆるし、にゃはははははははははっ!」

案外笑い上戸なのだろうか。
極端なほど爆笑しながら鶴屋さんはくすぐったそうに身をよじるも
本気で振りほどこうとしているようには感じなかった。

鶴屋さんなら俺ぐらい簡単に振りほどくか投げ飛ばすかぐらいできそうなものだが、
なんというか意外なほど抵抗がなかった。

うーん、くすぐったがっているというより嬉しがっているように見えるのは気のせいだろうか。

いまいち仕返ししている感じがしないな。
とにもかくにも俺はそのままやり過ぎるくらいにやり過ぎたのだった。

ひとしきり笑い終えた鶴屋さんはへなへなとその場に崩れ落ちてそのまま座り込んだ。
振り乱した髪の毛は若干乱れてしまっている。

俺が引き起こすと手ぐしで髪を整えながら鶴屋さんはどこか申し訳なさそうに笑った。
これでお互い様だと思って欲しい。
そんな謝罪のような取り繕うような含みが込められていた。

疲れたように笑う鶴屋さんに不敵な笑みで返すと抗議の視線が突き刺さった。

怒るような責めるような視線に気圧されて俺はたじろいだ。
調子に乗るな、そんな非難の意味が込められていた。

229 名前:18-13[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:36:10.45 ID:54TmEdAN0


そんなことをしているとなんだか店員に睨まれたような気がしたので
俺たちはそそくさと雑貨屋を後にした。

調子に乗りすぎたのは俺だけではなく鶴屋さんも同罪だった。
同じくそう思ったのか鶴屋さんは
「やー、面目ないっさっ……」と笑って頭の後ろをかくと俺の袖を握って少しだけ引っ張った。

鶴屋さん「今度はあっちっ! 時計とかアクセサリーとか見てこーよっ、
      メガネなんかも見てると面白いにょろよっ」

そう言って一番初めに行き当たったメガネ屋に俺たちは入った。

鶴屋さんは俺に丸だの六角形だのザマスな奥様がつけるような
威圧的なメガネを取っ換え引っ換えかけさせるたびに爆笑していた。

鶴屋さん「に、似合わなさ過ぎだよキョンくんっ、おっかしー、あはははははっ!」

俺は鶴屋さんのおもちゃじゃないんですけど。なんだか妹と買い物に来ているような気分だった。

そんな風に兄妹か何かと思われたのか、それともこういう客はわりと居るものなのか
店員の対応はクールだった。つつーっと音もなく近寄ってきて、
どうですか、お似合いですよ、など心にもないことを言う。

似合ってたまるかこの野郎。

鶴屋さんが「今日は見てるだけさーっ」と言うと軽く会釈をした後颯爽と他の客へと応対し始めた。
そんな店員のメガネはザマスだった。俺と鶴屋さんは苦笑いしながらメガネ屋を後にした。
ふと振り返って見上げた店名には「臓腑」と書かれていた。
最低なネーミングセンスだなと思いながらも若干気持ちが和んだ。なぜだ。

230 名前:18-14[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:39:08.51 ID:54TmEdAN0


次いでアクセサリーショップに入ろうとしたのだが。
女の子女の子したエグみのある光沢と威圧感を振りまくキンキラキンの数々に
俺も鶴屋さんも若干どころかかなり引いてしまった。

照明は寒色系の中にピンクやらオレンジやらがところどころ混じっている。
明らかに人を不安にさせる色合いだった。

さすがにあれで俺をデコレーションしようという気はなくなったようで、
当初の野望をくじかれた鶴屋さんは悔しそうな苦笑いを浮かべていた。
鶴屋さんでさえたじろがせるのだからあそこには何かの結界が張ってあるに違いない。
きっとあの輝きが呪術的な効果を発揮しているのだろう。そんなことを思った。

アクセサリーは諦めて俺は袖引き少女と化した鶴屋さんに袖引かれながら
ブランドものの時計やら財布やらを扱っている店へと入った。
店の名前は「OKEY-DOKEY」といった。

キョン「おーきーどーけい? まぁ時計屋らしい名前ですよね」

そういって向き直ると鶴屋さんの俺を見る目がまん丸になっていた。
信じられないといった表情で探るように俺の目を見ている。

俺が「な、なんですか。なんかまずいこと言いましたか」と言うと
徐々にその頬が緩みうつむいて肩を小刻みに震わせると
それはだんだんと大きくなって一転爆笑に変わった。

鶴屋さん「キョ、キョンくん、も、もうだめっ、あはははははははははっ!」

そう言ってお腹をかかえてケラケラと笑い出す。
俺はわけがわからないながらもなんとか頭を使って考える。そして答えに思い至る。

231 名前:18-15[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:42:12.00 ID:54TmEdAN0


キョン「あ、なるほど、OK時計って読むんですね?
    俺が読み方を間違えたから鶴屋さんはそんなに笑って──」

そこまで言ったところで鶴屋さんの爆笑が激笑へと格上げされ
ばたばたと地団駄まで踏み始めた。どうやら本気で面白がっているようだ。

だめだ、わからん、なぜ俺がこんなに笑われているのか。
このままでは本当に残念な子になってしまう。俺は恥をしのんで鶴屋さんに尋ねた。

キョン「すいません、読めないです……読み方を教えて下さい……」

目尻にまだ涙を浮かべたまま激笑の余韻でふらついている鶴屋さんは
「どーしよっかなっ」と目元の涙をぬぐい
「このままにしておくのも面白いかもしんないしっ」と意地悪な笑みを浮かべた。

ニヤッと頬を吊り上げて八重歯をのぞかせながら。

なんともお似合いの、キュートな笑顔だった。
そう見えた自分は相当参ってるな、などと思いつつ素直に頭を下げて頼んだ。

キョン「教えてください大先輩さま、もう生意気なことを言いません、
    ですからどーか、どーかこの残念な後輩に知識を授けてやってください、お願いします」

低姿勢も過ぎれば鬱陶しいというもの。鶴屋さんは下げっぱなしの頭を
指先でつついて顔を上げさせるとそのまま俺の鼻先に指先をくっつけた。

鶴屋さん「しゅしょーだねっ、でもちょっとくどいにょろ。もっと爽やかに頼みなさいっ」

先輩口調というかお姉さん口調になりながら俺の鼻をぐにぐにと押しつぶす。

232 名前:18-16[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:44:46.06 ID:54TmEdAN0


鼻毛が飛び出てやしないかと気になった。

キョン「ふぁい。ふひはへん、へんはい」

俺がそう言うと鶴屋さんは鼻先から指を離して
出来の悪い子を見るような視線を向けてくる。

いい加減そういう扱いになれていた俺は居住まいを正しキリリと眉根を引き締めると
鶴屋さんの目をじっと正面から見すえる。

鶴屋さんは一瞬驚いたような見直したような期待の視線を向けてくる。
俺はそんな鶴屋さんから目を逸らさず真剣な表情を保ったまま言う。

キョン「わかりません」

盛大なため息が吐かれた。それはもう残念を通り越して無念といえる域だった。

無念な子。それが俺に付け加えられた新たなパーソナリティーだった。
主に鶴屋さんの中で。無念である。

鶴屋さん「キョンくんは、いい子だけど……」

そう言うと鶴屋さんは突然ハッとしたように表情になってごまかすように言葉尻を濁した。
ん、どうしたんだ。なんか違和感を感じる。なんだこれ、ん。

鶴屋さん「っ……ほんとにしょうがない子にょろねっ!」

そう言って腰に手を当て前傾になって顔の前に人差し指を突き立てて
お姉さんのポーズを取るとたしなめるように言った。

233 名前:18-17[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:47:00.36 ID:54TmEdAN0


どうやらOkey-Dokeyはオーキードゥーキーだかオーキードーキーと読んで
合点承知の助だか別に構わないでちゅよ〜とか言う軽口言葉的なニュアンスらしい。

繰り返すのがミソ。リフレイン、覚えておこう。

そのまま店内に入る。幸いガラスで仕切られていたおかげで店員に嫌な顔はされなかった。

静かで穏やかな音楽が流れた店内だった。壁や床は木目調で雰囲気のいい洒落た店だ。

ところどころ壁掛け時計やら大きなのっぽの古時計だかが置かれていて目を引いた。

財布やブランドもののバッグなんかはそれほど多くなく店のショーケースに飾ってある分と
あと少し棚に置かれているだけでメインは腕時計や置き時計のようだった。

二人並んでいろいろ見て回っているとシックな店内の低い棚に一つだけ変わった時計があった。

なんというか、悪意満面というか気色悪い笑みを浮かべながらサスペンダーをつけた少年が
時計盤を抱えている。なんっかどっかで見たことがあるような気がするんだが思い出せない。

いかにもパチもんくさい雰囲気を漂わせながら目を引くそれにはなんと店のロゴが入っていた。
なんだ、本店謹製の品ですってか。ううっむ、趣味が悪い。
内装とは偉い違いだ。デザイナーは一片精神科にかかったほうがいいんじゃないのか。

値段は驚きの570円。……安っ! 安すぎるだろ。しかも税込かよ。
何かがどうかしてるんじゃないかほんとに。

そんな奇妙な置き時計を鶴屋さんはその場にかがんで興味深そうにしげしげと眺めている。

面白いですか、それ?

234 名前:18-18[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:49:09.16 ID:54TmEdAN0


思えば鶴屋さんは楽しいこと好きだしこういう奇妙なものには目を引かれるのかもしれない。

もし鶴屋さんの部屋にこの時計があったらそれはそれは残念なことだなあ、
とそんなことを考えているといつの間にか鶴屋さんは俺の方へ向き直っていた。

屈んだ姿勢は変えず、物欲しそうに俺を見上げてくる。
瞳はじっと俺の目から逸らさずねだるような、
頼みごとをする直前の期待と不安の入り交じった表情を浮かべて。

悪い予感がする。そしてそれは的中した。

鶴屋さん「キョンくん、これ、買ってほしいっさっ」

そう言って指さした。もちろんブランドものの腕時計を、
ではなくあの残念なデザインの置き時計を。

キョン「これ……欲しいんですか……?」

訝るような俺の視線になんだか困ったような恥ずかしいような笑みを浮かべて
申し訳なさそうに笑う鶴屋さん。首の後ろに手を回して謝るような格好をする。
ダメなら諦める、そんな意思が見て取れた。

ここまで遠慮されては俺も引き下がるわけにはいかなかった。
俺はおもむろに薄っぺらい財布を抜き出すと照明にかざすように持ち上げて購入の意を示す。

「おお〜っ」と鶴屋さんの感嘆する声が聞こえる。

それは逆に「よくこんなもんを買うね!」というニュアンスのようにも聞こえた。
ていうか実際言っていた。

235 名前:18-19[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:52:03.83 ID:54TmEdAN0


キョン「いや、あなたが欲しいって言ったんでしょう鶴屋さんっ」

鶴屋さん「たははっ、めんごめんごっ!」

そう言って片手を顔の前に差し出してごめんなさいっのポーズを取る。

不覚にも可愛いと思った。
いかんいかん、正気に戻れ自分、ひっひっふーひっひっふー。

鶴屋さん「キョンくんはやさしいねっ、にゃははっ」

もとい扱い易い奴。それが俺。アンド貧乏。
しかし570円の置き時計をなぜに俺なんかにねだるのだろうか。

欲しければ自分で買えばいい、というのはさすがに無粋だが、
申し訳なさを押して俺に買って欲しい理由というのはなんだろう。

う〜ん、考えないようにしよう。くすぐったくなってきた。
かゆい、かゆいぞ俺の身体の節々が。恥ずかしくなってきたぞ畜生っ。

鶴屋さん「よっ! っとっ」

そうして鶴屋さんはその場でジャンプして俺の手元から財布を掠め取ると
置き時計を手に取って颯爽とレジへと駆けていった。

236 名前:18-20[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:54:12.65 ID:54TmEdAN0


ちょっ! むごい! むごすぎますよ鶴屋さん!
せめて俺に買わせてくださいよ! 頼んますよ、ねぇ!

そんな俺の心の叫びをまったくもって意にも介さず無視を押し倒して
さっさと会計を済ませた鶴屋さんと嬉しそうに俺の方へと歩み寄ってきたのだった。

紙袋を抱えて楽しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねながら。

鶴屋さん「キョンくんっ、ありがとっさっ♪」

満面の笑み。ま、この笑顔が見られただけで良しとしよう。
鶴屋さんの笑顔を見ていると自然と頬が緩んだ。

額の横をかきながら俺はいつの間にか微笑んでいた。
鶴屋さんもそんな俺を見て嬉しそうにしてくれている。

なんだか、とても居心地がよかった。
あの縁側の日向で戯れていたときのような、そんな暖かさを胸の内に感じる。

また明日、また明日からもずっと。

こんな風に鶴屋さんと遊び歩くのもいいかもしれない。
もちろん用事やなんかは優先すればいい。

それでも時々、こういう風に会って遊んで楽しんで、笑い合えれば。そんな風に考えてしまう。
ここに来る前はあんなに気まずかったのに。今はもう心が羽のように軽かった。

鶴屋さんの笑顔が、俺をそんな気持ちにさせていた。
そうして時計屋を後にした俺たちはそろそろ休憩しようということになった。

237 名前:18-21[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:56:52.57 ID:54TmEdAN0


喧騒を避けるように一旦デパートから出た俺たちは待ち合わせをした広場へと歩き出す。

広場から側道、細く街を貫くように続く並木通りを当てもなくさ迷い歩きながら
春の気持ちのいい夜風にさらされていると爽やかないい気分になった。

鶴屋さんもリラックスできたようで肩を伸ばして何度も屈伸する。

「ぷわっ」と大きく息を吐いた鶴屋さんは少し眠たそうだった。
昼間が昼間中元気な人だから案外夜は早いのかもしれない。

そう思うと今日は若干無理をしているようにも思えた。

そんなにまでして遊びたくなるっていうのはどういう心境だろう。
いまいち思い至ることができないままでいると時計台のある広場に出た。

それほど大きいわけではないが、いくつかベンチもある。休憩にはうってつけの場所だった。

ベンチに腰掛けて足を投げ出す鶴屋さん。俺もそれにならった。

置き時計をとなりに置いて再び伸びをする鶴屋さん。
あんまり足をブラブラさせているもんだからスカートがまくれ上がる。

すかさずしっかと掴んで直しておいた。鶴屋さんが責めるような視線を俺に向けてくる。
俺はなんでもなかったというように無視を決め込むと背もたれにもたれかかって天を仰いだ。

若干不満の色を残したまま、鶴屋さんも俺の真似をしてもたれかかった。
ただもたれかかったのは背もたれではなく俺にだったが。

手すりを足で蹴ってぐいぐいと背中を押し付けてくる。

239 名前:18-22[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:01:23.40 ID:54TmEdAN0


それでも俺が無視を決め込んでいるので腹が立ったのだろう。
手すりを蹴る音がだんだんと大きくなり押し付けられる背中の勢いもどんどん増していった。

さすがにこれ以上無視を決め込むことができなくなったので降参のポーズを取ると
鶴屋さんは嬉しそうに「なははっ」と笑った。自分の勝ち、そう言いたげだった。

足は手すりに乗っかったまま、背中を俺に預けて鶴屋さんはじっとしている。
鶴屋さんの重さを感じながらも視線は宙に置いたままで一度も目を合わさなかった。

不意にふとももに重さを感じる。
見下ろすと鶴屋さんが俺の太ももを枕がわりにしていた。
俺が鶴屋さんに膝枕をしている格好になる。
ちょ、鶴屋さん、そこは危険地帯ですよ、主に真ん中らへんが。

どいてくださいって。
俺がそう言うのも構わずに鶴屋さんは首を横にふったり寝返りをうったりして拒絶の意を示す。

こうなったらもうどうしようもない。せいぜい精神を集中して根気強くこらえるのみだ。
妹の裸でも想像してみるか。

いや、それで起き上がったらこれから生きていけないのでやめておいた。
われながら無難な判断である。

鶴屋さん「びみょーにやらかいねっ。ちゃんと鍛えてない証拠さっ。
      ダメにょろよ、そんなんじゃぁ大人になってから苦労するっさっ」

率直な感想とダメ出しをくらいながら言い返すこともできずに俺はうぐぐと押し黙った。
飛んできたサッカーボールもまともに蹴り返せない運動音痴な俺に
今から身体を鍛えろというのも無理な話であった。

240 名前:18-23[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:03:52.00 ID:54TmEdAN0


やっぱり鶴屋さんは運動神経のいい人が好きなんだろうか。

そういうことには精通している人である。
自分より強い男としか付き合わないとかそういうルールがあるんだろうか。

そりゃどんな格闘ラブコメの世界だ。俺は俺にダメ出しをあびせながら再び鶴屋さんの方を向く。

鶴屋さんは興味深そうに俺のことを見上げていた。
さっきから表情をコロコロ変えたり唸ったり首を捻ったりしていた俺である。
よっぽど面白かったのだろう。俺はいつの間にか鶴屋さんに観察されていた。

名探偵も落ちたものである。俺は既に探偵ではなく一介の観察対象と化していた。
推理小説に出てくるダメな使用人とか怯えるその辺の雑魚とかそんな感じである。

これではハードボイルドというよりソフトボイルドというかレアそのままって感じだった。
ところがどっこい、迂闊に食べると腹を壊すかもしれないぜ?
腐ってるかもしれないからなぁ。だっはっは。ふぅ……。

そんな半熟以前に割られてさえいない俺の殻を突き破るように鶴屋さんが言う。

鶴屋さん「ねぇ、キョンくんっ」

キョン「……なんすか、先輩」

鶴屋さん「あたしたちの違いって、なにかなっ?」

不意に予期せぬ質問をあびせられて俺は戸惑ってしまった。
俺と鶴屋さんの違い? そんなもん全部である。
と、答えるには鶴屋さんの目は真剣そのものだった。

241 名前:18-24[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:06:11.85 ID:54TmEdAN0


ふざけた答えを返そうものなら一生縁切りを食らいそうな、
そういう真面目な雰囲気だった。そのぐらいの空気は俺にも読めた。

というか俺にわかるぐらいに鶴屋さんが念を押していたと言える。
俺が逃げ出さないように、退路を塞ぐように。真剣に俺と向きあって。

答えを引き出そうとしていた。
俺は考えを巡らせる。どう答えればいいのだろう。

探偵のような駆け引きは、俺にはやはり不向きだった。

キョン「……先輩と、後輩……」

あまりにありきたりな答えになってしまう。
これでよかったのかとしどろもどろになるのを隠せない。

そんな俺にも構わずに鶴屋さんはなおも質問を続ける。

鶴屋さん「……他にはっ?」

欲しい答えが出るまで続ける。そんな強い意思が感じ取れた。
俺は素直に答えて行く。
一回一回、考えを巡らせながら。

キョン「……一般人と、地元の名家のお嬢様」

鶴屋さん「他にはっ?」

キョン「頭のキレる助手と、てんでダメな名探偵」

242 名前:18-25[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:08:20.25 ID:54TmEdAN0


鶴屋さん「……他には?」

キョン「SOS団員その一と、名誉顧問でメインスポンサー」

鶴屋さん「他には……?」

キョン「……冴えない一般人と、美人で頼りになる大先輩」

それ以上は聞かれなかった。どうやら質問はもうお終いのようだ。

鶴屋さんは黙って俺から視線を逸らすとずっと宙を眺めていた。
さきほどの俺の言葉を反芻するように、目を閉じたり、開いたりしながら。

胸の内に刻み込むように。

質問の答え。
それはそのまま俺が鶴屋さんをどう思っているかに通じる。
俺の自分自身に対する評価に比べて、鶴屋さんのそれはあまりにもかけ離れていた。

かけ離れ過ぎていたのかもしれない。
どこか失望したように俺を一瞥すると、鶴屋さんは俺の膝上から頭を起こした。

鶴屋さんの重さがなくなった俺のふとももはどこか気が抜けたように軽かった。
誰か一人分の重さが足りない。そう思えた。

鶴屋さん「そうだよね……うんっ、キョンくん、ありがとっさ!」

そう言って笑みを浮かべた鶴屋さんはいつも通りなようでいて、
いつもとどこか違っていた。

243 名前:18-26[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:10:52.34 ID:54TmEdAN0


どこか寂しそうな、影を背負っているように見えたのは
単に夜闇の暗がりのせいだけではないように見えた。それは考えすぎなのだろうか。

質問の答えは本当にあれで良かったんだろうか。
ただ、一所懸命に答えたことだけは確かだ。悔いは……ないと思いたい。
それがいくら後から湧いて出てきても、今更どうすることもできないのだから。

鶴屋さん「じゃっ、そろそろ帰ろっかっ。
      寒くなってきたし、あんまり遅くなるのも考えものだからねっ」

そうしてはにかむように笑う。

鶴屋さん「不純異性こーゆーに間違えられて補導されるかもしれないっからねっ」

間違えられて。間違えて。間違い、か。

またこの言葉が気に掛かるのか俺は。果たしてそれは間違いなんだろうか。

今ここでこうしていることは、間違いだらけなのだろうか。

俺は最初から間違えているのだろうか。矛盾を孕んだこの状況を受け入れていることに。

このまま鶴屋さんを返してしまってもいいんだろうか。不意にそんな考えが浮かんでくる。

引き止める理由もない。権利もない。それほど確たる意思もない。
そんな俺に、言えたことなのだろうか。

そんな逡巡の中で行ったり来たりを繰り返していると、
不意に鶴屋さんが俺の指先を握ってきた。

245 名前:18-27[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:13:05.30 ID:54TmEdAN0


人差し指の爪より上の先だけを、少しだけつまむように。
ただ触れるように。乗せるように。

鶴屋さんはうつむいていて表情をうかがい知ることはできない。
いつもの鶴屋さんではない、それだけはたしかだった。

明るく笑いかけてくれて、楽しいことに猪突猛進して、
外からはやし立てて盛り上げる、そんな鶴屋さんではなかった。

おれはどうすることもできずにただ身動きが取れないでいた。

その手を払うことも、握り返すこともはばかられた。
どうすることもできないまま時間だけが流れて行く。

焦りを感じ始めたとき、鶴屋さんがポツリとつぶやいた。

鶴屋さん「もう少しだけこうさせて欲しいっさ……」

その指先はかすかに震えていた。言葉に淀みはなく、流れるようだった。
落ち着き払っているとさえ言えた。

にも関わらず、その指先は力なく震えていた。
悲しむように、悔しがるように、凍えるように。
冷たい指先と指先の間にだけ、ほんのわずかなぬくもりがともった。

どれだけそうしていただろう。
やがて自分から顔を上げた鶴屋さんは、いつものハッキリとした表情をしていた。
そのまま小首をかしげて俺に微笑みかけてくれる。
俺はほっとして心の中で胸をなでおろす。

246 名前:18-28[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:15:16.14 ID:54TmEdAN0


鶴屋さん「それじゃっ、帰りはタクシーで帰っからさっ、
      乗り場まで送って欲しいにょろ。頼んでもいっかなっ?
      ねぇ……────っ」

最後の言葉は聞き取れなかった。
聞こえなかったのではなく鶴屋さんがわざと声に出さなかったからだ。

唇を読まれないように、口元を隠すように一瞬だけうつむきながら、
それでも確かに何事かをつぶやいていた。

ただなんとなく、なんとなくだが。俺の名前が呼ばれたような気がした。

くるりと反転、振り返り。鶴屋さんは両手を後ろに組んだまま歩き始める。
俺は置いていかれないように駆け寄って鶴屋さんの隣に並んだ。
会話は一切なく、互いに無言のまま歩を進めた。

元来た道、並木通りを遠ってデパートの近くにあるタクシー乗り場へとたどり着いた。

後部座席が開き乗り込む寸前、くるりと振り返り鶴屋さんは言う。

鶴屋さん「また、明日っ。絶対にっ!」

元気よく片手を突き上げながら、
度々繰り返されるその一言を笑みを絶やさぬそのままに。
俺に言い聞かせるように。小さな子供に言い聞かせるように。

タクシーは走り去っていく。
鶴屋さんを乗せて、他の様々な感情や感傷をこの場に残したままで。
俺を一人残したままで。

247 名前:18-29[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:17:51.49 ID:54TmEdAN0


春休みの間中、リフレインされ続けたフレーズが頭の中で耳鳴りのように響いていた。

銘が打たれたように消えないそれは俺に下された指令文のようだった。
あるいは怪盗が残した秘密の暗号文か。
いつかそれを解き明かして手放す日がやって来るんだろうか。
解決編を望まぬ探偵など聞いたこともなかったが、結局のところ、

既に名探偵をやっていることに嫌気がさしていた俺にとって
それは永遠に訪れなくてもかまわないものだった。

繰り返す日々、リフレインされるフレーズ。そのままで何がいけないんだ?
このままで何が問題なんだ? 今このまま、これ以上でもこれ以下でもない。

ただ今のこのままで、事件編を繰り返し続けることに何の問題があるんだ。
俺は思考のラビリンスの中でさ迷っていた。
そしてさ迷っているのはもはや探偵ではない俺だった。俺はただの迷い人でしかなかった。

俺の思考の堂々巡りを打ち破るように携帯の着信音が鳴った。
発信者を見ると古泉だった。

嫌な予感。ざわつく胸の内。俺の予感はどうして悪い方にばかり当たってしまうのだろう。
良いと思うこと、起きて欲しいと思ったことや淡い期待は未だ叶えられていない。

それでもまだ俺にはすることがあるのだと、自分で自分に言い聞かせながら。
俺は電話に出たのだった。

望まぬ解決編が訪れる。

そんな確信に苛まれながら。

284 名前:都留屋シン [] 投稿日:2010/03/15(月) 19:33:43.37 ID:Rkgal7Au0

前置き1

これから再開したいと思います。
ただ前置きしておきたいことがあるので二三文言を置きます。


このSSの執筆時のタイトルは

不思議迷探偵キョン
Wandering wonder detective the kyon
〜鶴屋さんが主役の物語〜

と言って推理ものの皮を被った純然たる恋愛ものという主題でした。

285 名前:都留屋シン[] 投稿日:2010/03/15(月) 19:36:14.83 ID:Rkgal7Au0

前置き2
なぜ推理もので恋愛もので鶴屋さんが主役で迷探偵なのか、
それを頭の片隅に置いたまま読んでいただけると幸いです。
今回は分量が多いので巻いていきます。
書き込みは気にせずどんどんしていただけると助かります。
それでは前回からの続きに入ります。

286 名前:19-1[] 投稿日:2010/03/15(月) 19:38:31.03 ID:Rkgal7Au0


十一日目 十一日目 不器用名探偵キョン その2


今すぐに話しがしたいんだろう、と俺は言った。
電話の向こうで古泉は数拍ほど押し黙った後、俺の質問を肯定する。

古泉「場所はこの間と同じ喫茶店です。
   深夜営業もやっているところですから時間の方は気にしないでください。
   ゆっくり来ていただいても──」

キョン「今すぐ行くよ。
    どうせただブラブラ歩きまわってたって虚しくなるだけなんだからな」

古泉は短く「そうですか」と言うと何も言わなくなった。
そっちからかけておいてそれはないんじゃないか。

そうして俺が代わりにしゃべることになる。

キョン「朝比奈さんも居るんだろう?
    ほかには誰かいるのか? 長門やハルヒは来るのか」

古泉「涼宮さん、長門さん組は参加しません。
   というより、できないといった方が正しいのですが。
   あなたがおっしゃるとおり朝比奈さんも一緒です。
   ある程度時間を取らせることになると思うのでご自宅などに連絡されては──」

キョン「必要ない、余計な気はまわさんでいい。
    さっさと行ってさっさと帰る、それから、それから……」


288 名前:19-2[] 投稿日:2010/03/15(月) 19:40:47.50 ID:Rkgal7Au0


言い淀んでしまったのはそのあとに続ける言葉が
思いつかなかったわけではない。
次に言おうとした「また明日」、の後に
どう言葉をつなげていいかわからなかったからだ。

また明日、鶴屋さんと会うんだ。とでも続けようとしたのだろうか。
そんなことを古泉に宣誓してどうなるってんだ。まったく調子が狂ってしまっている。

疑問、反証、疑問、反証、クエスチョン、アンサー、クエスチョン、アンサー……。
そしてまたクエスチョン。

しゃべることも億劫になってそれ以上何を言うでもなく俺は通話を切った。

その場に固まり根をはりそうになるのをなんとか堪えて
重苦しい足を駅の方へ向ける。電車に揺られながらも俺は考え続けていた。

この状況を正当化する術はあるのか。
俺が鶴屋さんと個人的に関わり続ける、そんな状況を肯定する術が。

電車が目的の駅に停まるまでさんざん考えてみたが、ついに思い浮かばなかった。

結局のところ、俺が鶴屋さんと知り合ったのも
こうして共同作業をしているのもSOS団の活動を通してに他ならない。

そこに根差さない関係などありえない。

だからこそそれは俺と鶴屋さんの限界であり、
超えられない壁であり、閉ざされた垣根であり、
故にそれを乗り越えたいなどと思うことはそれ自体が異端なことなのだ。

289 名前:19-3[] 投稿日:2010/03/15(月) 19:42:59.34 ID:Rkgal7Au0


駅のホームの自販機で銘柄も確認せず適当に
缶コーヒーを買ってぐい飲みする。しまったことにブラックだった。

胸やけと喉に痛みを感じたが胸の内のもやもやを晴らすにはちょうどよかった。

吐き気に助けられている自分がいた。
苦痛によってかろうじて頭を冷静に保ち
改札を抜けた俺は待ち合わせの喫茶店へと入った。

店内の人気はまばらでこちらに気づいた古泉が奥の席で手を上げている。
隣には朝比奈さんが座っている。

その姿を確認して俺は少しだけ胸の内が軽くなった。
結局のところこの安心感ってのは、俺が朝比奈さんを傷つけることはあっても
朝比奈さんが俺を傷つけることはないという信頼から来ているのかもしれないな。

それも一方的なもんだが。古泉も憎いことをする。
おそらく俺の気分を和らげるそのためだけに朝比奈さんをここに呼びつけたのだろう。
やっかいな話をする際の清涼剤として。

ハルヒや長門がいなくてよかった。
今の俺のあり様はとてもあいつらには見せられない。いや、見せたくない。

俺は古泉の正面に座った。はす向かいには朝比奈さんが座っている。
両腕を組んで古泉の言葉に備えた。
何を言われてもいいように、しっかりと心の準備をして。

ところが話し始めたのは古泉ではなかった。
おれのはす向かいに座っている朝比奈さんが口を開く。

290 名前:19-4[] 投稿日:2010/03/15(月) 19:45:10.19 ID:Rkgal7Au0


思わず動揺してしまい俺は組んでいた両腕を
いつの間にかほどいてしまっていた。心の準備などまったく意味がなかった。

みくる「メビウスの輪って、知ってる? ……キョンくん」

その口調はどことなく朝比奈さん大を感じさせるような、しっかりとした口調だった。
最初に俺に自分の正体を言ってきかせたように必要なことを伝えるための語り口だった。

キョン「……なんでしたっけ、細い紙を半回転させて
    反対方向につなげるとできる裏表のない輪っかみたいなやつでしたっけ」

朝比奈さんはそれで納得したようにまぶたを一瞬だけ閉じると続ける。

みくる「今私たちが直面している状況はそれに非常によく似ているの。
    それでもまだ端と端が閉じ切っていない、不完全なものだけれども」

なんとなく捻じれた紙が一本ある様をイメージする。
表と裏が半々に両方見えるような紙。
それが今の状況、つまりこの探偵ごっこ云々を表しているとでもいうのだろうか。

古泉「僕と朝比奈さんは、実はずっとあなたと鶴屋さんのことを監視していたんですよ」

古泉が驚くべきことを言った。
俺は動揺に動揺を重ね身構えるかのように前かがみになった。

キョン「……なんだって? お前はともかくとしてどうして朝比奈さんまで……
    まさか、最初っから……」

俺は一つの可能性に思い当たる。

291 名前:19-5[] 投稿日:2010/03/15(月) 19:47:21.57 ID:Rkgal7Au0


もしかして、荒川さんや森さんが調査対象というのは嘘だったのか?
なら、本当の調査対象は俺と鶴屋さんのどちらか、
あるいはその両方だっていうのか。

まさか、ハルヒや長門までそうなんじゃないだろうな。

俺の背筋に冷たい汗が伝い落ちていく。
だが古泉はそんな俺の疑念にとくに反応を示すでもなく無表情のまま首を横に振った。

古泉「それは違います。僕たちの調査対象はあくまで真実に荒川さんと森さんです。
   少々ややこしい事情がありまして、初日のうちにすべての調査を終えてしまったのです。
   それで余った二日目以降の時間をあなたと鶴屋さんを見守ることに使っていたわけです」

俺は少しだけ安心した。ずっとつけられていたってのは許せないが、
どうやら騙されていたわけではないようである。
ハルヒも長門も真剣にコンピ研部長のことを調査していたらしい。

ただ古泉と朝比奈さんが一日で調査を終えてしまったというのには驚いたが。
俺個人の印象はともかくとして、この二人は未来人と秘密組織の構成員なのだから
意外とこういうことには達者なのだろうか。しかし……。

古泉「あの日僕たちが調査を始めてから今現在までの経緯はこうです」

ともすると打ち切られる気配のない俺の思考を遮るように
古泉が自分たちが辿った行動や成り行きを説明し始めた。
それをまとめると次のようになる。

古泉が荒川さんのことをいざ調査しようとした矢先、
突然荒川さんから連絡が来て人生相談に乗るハメになったらしい。

293 名前:19-6[] 投稿日:2010/03/15(月) 19:49:52.15 ID:Rkgal7Au0


そこで若い頃の過ちや戦場での出来事、
外国の公安に居たとき惚れたゴリラみたいな女の話をされたとか、
偉大な英雄とされている父親を手にかけたとか、
昔コックをやっていたこともあったなど些細なことから重要なことまで
多岐に渡ったよもやまな思い出話を。

朝比奈さんも古泉と同じで突然森さんから古泉を通して呼び出され
あんなことやこんなこと、とても人に言えないような
個人的に恥ずかしい秘密まで共有することになったそうな。

そこであっという間に暇ができた二人はハルヒを長門に任せて
ずっと俺と鶴屋さんの調査を見守ってくれていた、らしい。
頼んでもいないのになんで俺が感謝せにゃならんのかは知らんが。

ところで森さんの個人的に恥ずかしい秘密というのは是非一度聞いてみたいものだ。
朝比奈さんがまとめた調査レポートに載せられてやしないだろうか。

なんとかしてそれを読んでみたいと思うのだが、
俺の良からぬ考えを察知した朝比奈さんが
人差し指を顔の前で立ててめっのポーズを取っている。

禁則事項です、と言われる前に俺は居住まいを正し古泉に向き直った。

古泉「あなたと鶴屋さんを観察していてあることに気づきました」

キョン「なんだ、そのあることってのは。
    もったいぶらずに話せ、お前らしくもない」

古泉はその後「絶対とは言えないのですが……」と予防線を張る。

294 名前:19-7[] 投稿日:2010/03/15(月) 19:52:02.72 ID:Rkgal7Au0


そうして俺の緊張を解きほぐそうとするような文言を前置きする。

確信もない話をこいつが口にするとは思えない。
それだけ話しにくいことなのだろう。

昨日会った時は俺の精神状態を確認するだのと言っていた。
即ち今日、古泉が俺に話したいという内容を聞いても
俺が正気を保っていられるかどうか遠まわしにテストされていたのだ。

そのテストに合格したからこうして呼び出されたんだと思うがいかにも釈然としない。
まぁそれでも、こいつが俺に語る真面目な話が
ろくでもないということは決まりきっているので今更構えることもない。

たとえ根拠が十分に揃っていなくても、
こいつはこいつなりに掴んだ情報を元に推論を立てているハズだ。

少なくともその点では俺のありきたりな頭よりも
その紅色だか灰色だかの脳細胞はまともに機能するだろう。

いつぞや冬山で遭難した時も俺を蚊帳の外に置き去りにしたまま
ハルヒと会話しつつほとんど一人で長門が残した謎を解いてしまっていた。
論理が完全ではなくとも何の益にもならないとは考えにくい。
その紅色の脳細胞を信頼して俺は聞き役に徹することにした。

古泉「これは、例えるなら、そう。シミュレーションなんですよ」

シミュレーション? ごっこ遊びがそうだというならそうなんだろうが……。
俺は先走りそうになる思考を制して古泉の言葉を待った。
既に手元だけでなく足元の方も落ち着かなくなり始めていた。

295 名前:19-8[] 投稿日:2010/03/15(月) 19:54:16.39 ID:Rkgal7Au0


古泉「まず始めに断っておきます。
   僕たちが涼宮さんのもとへ集められた基準は単純明快で、
   宇宙人、未来人、超能力者だからです」

そんなことは今更聞くまでもないぞ。
だがこれから話す内容に不可欠な布石だというなら黙って聞こう。

古泉「しかしここで一つの疑問浮かびます。
   ……その宇宙人はなぜ長門さんだったのでしょう?」

キョン「なっ!? ……どういうことだ……古泉……」

どういうことだ、何が言いたい。長門であって悪い理由でもあるっていうのか。

背筋に嫌な悪寒が走る。聞きたくない奴の名前が飛び出してくるような、
そんな本能を刺激するような嫌な予感がした。

古泉「もっとありていに言います。なぜ朝倉涼子ではなかったのでしょう?」

俺は古泉に掴みかかろうとするのをなんとかこらえた。
なんだ、長門よりも朝倉涼子の方がよかったってのか。

古泉がそんなことを言いたいわけではないことはわかりきっていた。
わかりきっていたのに、俺の理性によらない本能的な部分が
激しい拒絶を示していた。
俺は暴走しそうになる手を膝上の置き深呼吸をして落ち着こうとした。

そんな俺に短く「ありがとうございます」とだけ言うと古泉は話を続ける。

297 名前:19-9[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 19:56:30.86 ID:Rkgal7Au0


古泉「僕たちが部室に集められたとき、いいえ、
   涼宮さんが宇宙人未来人超能力者に出会いたいと願ったそのとき、
   もうすべては始まっていたのです。涼宮さんが願った内容は
   『宇宙人『『未来人』『超能力者』に出会いたいというものです。
   ならばそこにどうして『無口で読書好きな』とか『小柄でおびえるうさぎのような』とか
   『笑顔が爽やかな好青年』という連体修飾語がなかったのでしょうか?」

無口で読書好きとか小柄でおびえるうさぎっていう点には異論はないが、
笑顔が爽やかな好青年ってのはなんだ。
お前まだエルキュール・一樹が混じってんじゃないのか?

しかし悪びれる様子もなく古泉は話を続けて行く。
ボケ倒されてつっこめないことも俺の居心地を悪くさせていた。
野郎、わざとじゃないだろうな。

古泉「──にも関わらず、どうして我々が集められたのか。
   まったくの偶然ではないという前提に立つならば、
   答えは朝倉涼子が選ばれなかった理由を考えれば自ずと見えてきます」

長門と朝倉の違い。それは俺に対する姿勢の違いだった。
生かすか、殺すか。その一点において。

古泉「涼宮さんがその実現過程を詳細に指定していない以上、
   世界は最も自然な形で涼宮さんの願望を叶え、かつその状態を
   維持しなければならない。故に、涼宮さんやあなたに対して
   敵対行動を取りうる朝倉涼子は選択肢から除外された────」

知り合ったばかりの同級生、
せっかく作った面白同好会の団員その一が自分の教室で無残に刺殺される。

298 名前:19-10[] 投稿日:2010/03/15(月) 19:58:39.97 ID:Rkgal7Au0


そんな事態を受けてハルヒはどのような行動を取るのだろうか。
世界をリセットしようとするのか、
それともハルヒの常識って奴に邪魔されて神人が暴れるだけで済むのか。
それは宇宙を破壊するようなことなんじゃないのか?

ならどうして朝倉はそんな危険まで犯して俺を殺そうとしたんだ。
急進派の連中や朝倉だってまるごと消滅しちまうんじゃないのか。
今更ながらにそんなことを思った。
いや、もしかして、それは構わないことだったんじゃないのか。

世界が終わりを迎えてもなんとでもなる、そんな確信を持っていたんじゃないのか。
このとき俺はつかみかけていた。
時間と言うものの正体と、その振る舞い方について。

古泉「────つまるところ、涼宮さんの能力はありえないものを
   この世に付け加える性質を持ちながら、
   その実現過程は極めて消去法的なのです。
   まず最もありえない実現方法から消去されていき、
   ありうる可能性へとだんだんと絞られていきます。
   そしてそれが傍目にどんなにめちゃくちゃな実現過程でも、
   考慮された選択肢の中では最も自然で無理のないものが
   選び出されていると言えるのです」

ハルヒの能力に対する推論を語り古泉は一つ息を吐く。
ため息とまではいかないそれは古泉の逡巡を物語っていた。

ここから先は今現在の俺たちの話になる。俺はそう直感した。
なぜならよどみなく過去の事件について語っていた古泉からは
感じられないためらいがそこににじんでいたからだ。

299 名前:19-11[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:00:51.41 ID:Rkgal7Au0


俺は促すでもなく押し止めるでもなくただ古泉の言葉を待った。
視線は合わせられなかった。じっと卓上を見つめたまま、ぼんやりと。
ただ座っていた。

古泉「荒川さんや森さんの対応から察するに、
   どうやら涼宮さんの力で自然と自分たちの秘密を暴露する方向へと
   誘導されているようなのです。
   コンピ研の部長もおそらくその力の影響下にあると思われます。
   ただ、あまりにも涼宮さんに対する恐怖心が強いので
   あのような事になっているんだと思われますが」

すなわち、ハルヒの力も無理のない範囲、即ち対象の人間性を否定しない形で
その秘密に迫ろうとすれば力量をセーブせねばならず、
調査対象当人の強い感情に阻まれた場合困難を極めるというのだそうだ。

コンピ研部長がほとんどひきこもるようなことになったのも、
ハルヒのあの疲れきった表情からも伺える通り、その巨大な力と拒絶の感情とが
絶えずせめぎ合っているからなのだろう。

俺は甘いもんをバクバク食ってエネルギーを補給していたハルヒを思い出す。

あれはかつてないほど持続的に力を行使した無理がたたっていたのだろうか。
そんなハルヒが暴走しないように長門はずっとそばで付き添って見守っていたのだ。

おそらくハルヒが寝ている間も一睡もしないまま、その精神を安定させることに専念して。
まったく、これじゃぁどっちがサポートされているんだかわかりゃしない。

俺は頭が痛くなって甘いものが食いたくなった。ハルヒもこんな風だったんだろうか。
そう思って少しだけ同情の念が湧いた。自業自得だとは思ったのだが。

300 名前:19-12[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:02:58.01 ID:Rkgal7Au0


古泉「そこであなたと鶴屋さんの調査がいつまで経っても終わらないことを
   不審に思った次第です。あなた達の和やかな雰囲気を見て数日のうちには
   調査を終えるだろうと踏んでいたのですが、
   ところがあなた達はあちこちさを迷い歩いたり待ち合わせ場所に来なかったり、
   それはもう散々な追跡でした」

その点に関しては同情を禁じ得ない。
だがこっそりストーキングするつもりならそのぐらいは覚悟しておけ。
古泉の見通しが甘いのが悪い。そこだけは突き放した。

古泉「そうして日々を過ごしていると、七日目のあの日、
   鶴屋さんが突然あなたの顔面にコーヒーカップを投げつけました。
   一体何事かと思いましたよ」

どうやらあの場には居合わせていたらしい。まずい現場を見られたもんだ。
朝比奈さんも一緒だったのだろうか。
もしそうならバツが悪い、なんともかんとも、バツが悪い。

八日目の中間報告のあの嫌な感じはもしかしてそれだったのか?
古泉の疲れきった表情。朝比奈さんの心配そうな顔。
朝比奈さんの視線の先には鶴屋さんがいた。

あの時の違和感、あれはつまりそういうことだったのだ。
俺と鶴屋さんのやり取りを目撃した二人は、本気で心配をしていたのだ。

だからあんなに疲れた表情だったのだ。そして、あの後俺と鶴屋さんが
ハタからは抱き合っているかのように見えたその後のことも
ずっと二人は見ていたのだろう。

301 名前:19-13[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:05:06.54 ID:Rkgal7Au0


二人も驚いただろうが、俺だって驚いていたんだ。
どうすることもできず、ただ座っていることしかできなかったんだ。
笑うなら笑え、畜生。本当に、ここは居心地が悪すぎる。

そうした鶴屋さんの極端な行動を踏まえて出した推論は以下の通りになる。

朝比奈さんと古泉とで立てた仮説は
どうやら鶴屋さんの意思とハルヒの力が衝突しているらしいとのことだった。

ハルヒの力を改めて分析した古泉はハルヒの力はなるべく無理のない形で
鶴屋さんの個人的な秘密を引き出そうとしているのだと結論づけた。

古泉が荒川さんから、朝比奈さんが森さんから向けられた突然の好意から類推するに、
その最も無理のない形というのは
俺に向けられる鶴屋さんの関心が少しだけ増すというものだった。
そうして鶴屋さんが個人的な秘密を暴露する方向へ誘導しようというものだった。

古泉「──それが、鶴屋さんの変化に深く関係しています。
   涼宮さんの願いは鶴屋さんの秘密を強引に暴くことはしませんでした。
   ですから、鶴屋さんの方から自らを曝け出さざると得ない方向へと導いていったのです。
   導くという言い方すら大げさかもしれません。それはいわば敷石を置いたという
   ただそれだけのことなのですから。そして鶴屋さんはその歩きやすい道を
   なんの疑いもなく歩いていった。ただ好奇心に任せるままに」

だが、鶴屋さんの意思の抵抗が思った以上に強く性急な結果は期待できなかった。
ハルヒの力はさらに鶴屋さんの奥へ奥へと侵食し、俺への関心は増大を続けていると。

そしてそれはこの現状を揺るがしかねない程に大きくなってしまった。
このまま放置しておけば後々深刻な事態になる、古泉はそう言った。

302 名前:19-14[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 20:07:19.51 ID:Rkgal7Au0


古泉「鶴屋さん、あるいは涼宮さんのどちらか一方が限界を迎えて
   精神に異常をきたす可能性があります。鶴屋さんがそうなった場合、
   これはひどい言い方になりますが、まだマシな方です。
   ですが涼宮さんがそうなった場合、その影響は直接我々に降りかかってきます。
   神経を病んだ涼宮さんが何を考えるかなんて、想像したくもありません」

俺だってそうだ。ある日突然インデペンデンスなデイでもないのに
UFOがうにょんうにょんと現れてヴィーナスアタックよろしく宣戦布告の白い鳩を
そこら中に飛ばし始める様を想像して背筋が寒くなった。
エージェントMが助けてくれるとは到底思えなかった。

それはそれで愉快なんじゃないのか、
などという邪念には一切耳を貸さず俺は思考を打ち消した。
SFならまだいい。妖怪とかファンタジーとかの域にまで入ったらもうどうしようもない。
そちらに関して俺は門外漢だ。
ロード・オブ・ザ・ピンクというAVを間違って借りたことはあるが。それっきりだ。うん。

古泉「この事態をなんとかしなければなりません」

どげんかせんといかん。そこに異論はない。
たがどうやって? どうやってハルヒにこのバカな探偵ごっこを止めさせるというのだろう。
あの鉄にダイヤモンドをコーティングしたような固い意思を持つハルヒに
どうやって言い聞かせようというのだろうか。
無理じゃないのか、とは考えない方がよかったのかもしれない。

古泉「涼宮さんの方へとアプローチするのはやめておいた方がいいでしょうね。
   これ以上余計な負荷を与えるといくら長門さんがそばについていても
   どうしようもないくらいに消耗してしまうでしょう。
   そのような危険な道は辿らない方が無難です」

303 名前:19-15[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:09:28.00 ID:Rkgal7Au0


無難、か。ま、無理っていうよりは聞こえのいい言葉だよな。
まだもう少しなんとかなりそうでよ。

古泉は苦笑すると言葉を続けた。その内容はわかりきっていた。
ハルヒに対するアプローチが不可能なら、残された道は鶴屋さんただ一人。

コンピ研部長に対しては窓をぶち割って侵入するぐらいの強攻策は取れようが、
鶴屋さんその人に対してそういった強行的な手段は取りようもない。
古泉の組織での立場上、朝比奈さんの親友としての立場上
それは考えるまでもないことだった。

よりにもよってこの二人が俺と鶴屋さんを監視するハメになったのだから難儀なものである。
それは相当の苦労を伴なうものだと、今更ながらに感じ入った。

おつかれさまの一言でも言ってやりたかったが、今はやめておいた。
なんというか、そういうのはまだ早い。そんな空気だった。

古泉「──そこで世界の自浄作用を利用しようと思います。
   これには朝比奈さんが答えてくれます。どうか落ち着いて聞いてください。
   なかなかにショッキングな内容ですから」

ショッキングな内容、か。あの映画の内容もなかなかにショッキングだったが、まぁいい。
それを上回るショッキングさを出せるものなら出してもらおうじゃねぇか。

俺は半ばヤケクソになって朝比奈さんに向き直る。
なるべく朝比奈さんを不安にさせないように居住まいを正しながら平静を装う。

だがそんな俺の気遣いは無用なようで、朝比奈さんは俺の方に一瞥をくれるでもなく
視線を左斜め下に置いて言葉を選ぶように話し始める。

304 名前:19-16[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:11:42.99 ID:Rkgal7Au0


みくる「最初に私が正体を明かした時のことを覚えていますか……?
    あの時、私がした話を……」

キョン「たしか……時間は映画のコマ送りフィルムや
    アニメーションみたいに不連続なものなんでしたよね」

朝比奈さんはかつて時間がアニメーションのように
不連続なものだと言っていた。一つ前のシーンがハチャメチャなことになっても
次のコマからはまったく問題なく時間が続いてくのだと。

みくる「そうです、時間というのは連続で映し出されるフィルムのようなもので、
    映像としては連続していても、
    その瞬間瞬間では切り離されているものなんです。
    ちょうど人の意識が0コンマより小さい世界で切り離されているみたいに」

人間の意識もアニメーションのように不連続なもの。
それは当人たちには気付かれないほどの短い間隔で起きる。
ゲームの主人公がゲーム機の存在を知り得ないように、
俺たちにはまったく察知し得ない極短時間の世界なのだ。

みくる「世界には……時間の流れには、本流と支流があります。
    私は、その流れをなるべく私たちの存在する未来に向けようとしています」

そう、ゲームのシナリオに例えるなら、
主人公が勝手に台本にないセリフをしゃべりだすことが物語を混乱させるように、
それはまずいことなのだ。だからこうして朝比奈さんはここにいる。
だが古泉は自浄作用といっていた。それがなんだか気にかかった。
朝比奈さんは話を進める。

305 名前:19-17[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:13:54.11 ID:Rkgal7Au0


みくる「時間っていうのは……ちょうどこう、一本の紐があって、
    それがずっとまっすぐ続いているものだと思うでしょう……?
    時間とは不可逆なもので、光速を突破しない限り遡行することはできない、
    不可逆で不可塑なものだって。
    遡及して影響を及ぼすことのできない手の届かない世界だって」

アインシュタインの相対性理論って奴か。概要ぐらいなら俺も知っている。
NHKの教育だか総合だかでやっていた。その程度の理解ではあったが。

みくる「でも……本当はそうじゃないの。キョンくん、私が最初に
    メビウスの輪のことを知ってるって聞いたのは、つまりそういうことなの」

どういうことだ、メビウスの輪、無限に繰り返す螺旋。
それが今この状況の何を表しているというのか。

俺は背筋が凍る思いだった。聞きたくない、聞いてしまったら何かがおかしくなる。
そんな確信めいた予感に胃の上に鈍い痛みを抱えながら
俺は朝比奈さんの言葉を待つ。今はそれしかできなかった。

朝比奈さんは両方の指先を立てると人差し指と人差し指を
その場でピタッとくっつけた。決してもじもじしているわけではない。
微動だにせず、そのまましっかりと俺を見据えて言う。

みくる「時間っていうのは、そう、こうやって絶えず行ったり来たりを繰り返して、
    どっちつかずなものなの。過去に戻ったり、未来に進んだり。
    そんなことを日常的に繰り返している。誰にも気付かれないまま、
    でもそれはエネルギーの法則には反しないことなの。
    たとえ時間がさかのぼっても、物質は変わらずにそこにある。
    坂の上から転げ落ちたボールは、もう一度坂の頂上へ登ることはなくって……」

306 名前:19-18[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:16:12.48 ID:Rkgal7Au0


まるで科学者か専門家のような語り口だった。
普段の朝比奈さんからは想像もできない流暢な語り口だった。
未来と絶えず連絡を取っている、そういうサポートもあってか、
朝比奈さんは本当に未来人のように見えた。

いや、正真正銘未来人の朝比奈さんがそこにいた。
俺が普段意識していないだけの朝比奈さんの姿が。

古泉「世界を物語に例えましょう。これは通常の連続掲載のような形とは違って
   既に完結したシナリオが用意されているようなもので、
   そのシーンが単に再生されているに過ぎません。
   映画のフィルムや記録メディアのようにね。そうやって再生され、
   コンピュータ上で演算されるように再現されたシーンは限りなくライブなのです。
   舞台上の演劇のように、絶えず不確定因子にさらされている。
   観客が騒いだり演者がとち狂ったりして劇を台なしにすれば
   それはもう深刻な事態になります。ちょうど今の僕たちのようにね」

古泉はそう言って一拍間を置いた。
そして俺が思考を挟む隙も見せずに一気に頭の中の文言を読み上げる。

古泉「そうした中でシナリオが継続不可能なまでの混乱が起きた場合、
   世界はどうするのでしょうか。それはつまり、自浄作用です。
   それまでのシーンをなかったことにして、時間の輪の中に閉じ込める。
   本筋から外れた脇筋はすべてブラックボックスの中に内包され、永劫の時を刻む。
   その誤ったシーンだけを繰り返し続けながら、
   延々と、終わることのない、永劫の時を刻むのです」

時間の輪というのはそういうことだったのだ。
ねじれてしまった時間を元に戻すにはもはや閉じきってしまうしかない。

308 名前:19-19[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:18:23.01 ID:Rkgal7Au0


しかし、そうなると時間の流れが止まってしまって
未来というのがなくなってしまうのではなかろうか。
俺のそんな疑問を打ち消す言葉を古泉はポツリとつぶやく。

古泉「フィルムが切り替わる……」

俺の背筋に何度目かの寒気が走った。
映画館で上映中に何気なく見つけたスクリーン上の黒丸を思い出す。

フィルム交換のサイン。右上方に穿たれた黒い穴。
あの不安の先、あの暗がりの先に覗くもの。
それは次の世界、次のフィルムに他ならなかった。

古泉「よく考えてみてください。二月の中頃になにかがあった、
   とんでもなくとてつもない世界を揺るがすような
   破天荒な出来事があったような、そんな気がしませんか?」

俺は記憶の糸を手繰り寄せる。言われてみるとそれは確かにあった。
意識しなければ一生気がつかないような、
しかしそれでいて妙に確信的でぼんやりとした実感。
一瞬のっぺりとした表情の俺自身が浮かび上がる。

直後に記憶にノイズが走って頭痛がした。俺はなおも思い出そうとする。

なんだか小さな鶴屋さんと、あともう一人……くそ、思い出せない。
なんだってんだこれは。

少しでも映像を鮮明に思い出そうとすると頭痛がしやがる。
ほんとになんだってんだよ。

309 名前:19-20[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:20:41.59 ID:Rkgal7Au0


古泉「きっとその物語が終わったある時点でシーンが切り替わったんですよ。
   まるで映画のフィルムが交換されるように、何事もなく、予定調和に物事が進行していく。
   その中間にあったあらゆる異常事態や未来の可能性をも無視して、
   世界が本来あるべき姿として存続していく。僕たちの頭の中にあるこの記憶は
   画面に焼きついたいわば残像なのです。過去はすべて閉じ込められたんです。
   ありえた未来、ありえなかった未来、望まれた未来、追及された新たな可能性。
   それらすべてをブラックボックスに内包したままに……」

俺は愕然とする。

キョン「じゃ、じゃぁ今の俺達はなんなんだよ!
    そうやって何度も何度もリセットを繰り返して今ここに居るっていうのか!
    じゃぁ今の今までいろんな出来事や事件があったってのに
    世界のシナリオから外れるからっていう理由で破棄されてきたってのかよ!
    答えろ、古泉っ!!」

古泉はイエスともノーとも言わない。ただ小さく、首を縦に振った。
顎を軽く引くだけの些細な所作。俺の疑惑を肯定するにはそれだけで十分だった。

古泉「世界の自浄作用……」

古泉が再び呟いた。

古泉「たとえその前後にどれほどめちゃくちゃな事態が起ころうと、
   たとえその過程で世界が滅亡していようが、核戦争が起こっていようが、
   巨大流星群が落下してこようが関係なく、ある時点でフィルムが切り替わるように
   元の世界に戻るのです。我々の機関の分析班が立てた涼宮さんの能力に関する仮説の一つに、
   そうした世界の自浄作用を突破して異常現象をフィルムにまたがって継続させることが
   涼宮さんの能力だ、という見解があります。少なくともそういった要素は含んでいると思われます。

310 名前:19-21[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:22:50.50 ID:Rkgal7Au0


古泉の言いたいことは俺にもなんとなくだがわかった。

古泉「もし涼宮さんの能力にそのような性質があるとしたら、
   世界はもともとありえないことが頻繁に起こっていて、
   けれども僕たちはそれを幾度となく忘れ、
   再び何事かが起きては忘れを繰り返すことで
   あたかも何事もなかったかのように生きていく。
   その事実を永久に知ることもなく、自らの人生のエンディングを迎えるまで。
   あなたはあの8月の出来事を覚えていますか?」

キョン「忘れるもんか、一万数千回も夏休みを繰り返していたんだぞ。忘れるわけないだろ」

古泉「ですが、僕たちはそのすべてを覚えているわけではない」

キョン「うぐっ、ま、まぁそうだが……」

古泉「言ってしまえば、これは繰り返せないあの8月なんですよ。
   名づけるならそう、エンドレスレスエイト。
   まるで鎖のように閉じた時間の輪が連続的に連なって時間の”本筋”を形成している。
   そして不確定因子や不都合な結末はすべてその輪の中に置き去りにして
   次の輪へと切り替わっていくのです。おそるべきことですが、
   時間とは本来そのようなもので、我々の過去には時間の輪に閉じ込められた
   僕たちや歴史上の人物があまた置き去りにされているのです。
   次の時間へと進むことなく、映像記録のように同じシーンを繰り返し再生再現しながら。
   ”永劫回帰”、哲学者でもあり作家でもあるフリードリヒ・ニーチェの有名な思想ですが、
   案外的を射ていたのかもしれませんね」

そこで朝比奈さんが口を挟む。

311 名前:19-22[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:25:00.98 ID:Rkgal7Au0


みくる「その理論に則るなら……三年と、それと半年と少し前の七夕のあの日、
    涼宮さんが校庭に白線でいたずら描きをしたその日に、
    大規模な時間の輪の転換があったのではないかと思えるんです。
    あるいは、本来起こるハズがなかった宇宙人との交信というイベントを涼宮さんが起こし、
    かつそれを時間の輪を突破して無理やり世界の本筋にねじ込んでしまった……
    そう考えれば、あれ以前の時間に遡行できない理由もぼんやりとですけど……
    見えてくるような気がします」

古泉「下手をすれば我々は幾度となくこういった結末に遭遇しているのかもしれません。
   そしてこの話をするのも、この時点でのことに限られるわけではなくなってきます。
   何度目なのか、という疑問は、世界が幾度となくリセット、いえ、
   リカバリーされている以上意味のないことですが」

エンドレスレスエイト。終りのない終わり。横倒しのエイトナンバー。メビウスの輪。
時間の鎖。ブラックボックスに内包された世界。過去の俺たち、今ある俺たち。
その不連続性。俺の視界がぐらりと揺れた。

もし世界の自浄作用がそのような形で発揮されるのならば、
朝比奈さんのように未来から人が派遣されてきて
時間の流れを元に戻そうとする必要などないのだ。
しかしそうしなければならない理由。それはたった一つ、ハルヒの力の存在。
だからこうして朝比奈さんはこの時間で戦っている。
何度も時間の輪の中に置き去りにされる、そんな覚悟の上に立ちながら。

古泉「この状況をなるべく早めに終わらせなければなりません。
   涼宮さんの精神が崩壊して世界に取り返しのつかない永続的な変化が刻まれる前に、
   時間の輪を閉じてこの状況を元に戻す、本筋から逸れた脇筋を捨て、
   探偵ごっこなどしていないのか無事に終えたのかはわからない僕たちに向けて、
   時間の流れを修正する。それが今僕たちが取るべき最善の道なのです」

312 名前:19-23[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:27:11.92 ID:Rkgal7Au0


それをどうして俺に話す? それをどうして俺に言う、どういうことだ古泉、どういうことなんだ。

古泉「その理論に乗っ取るなら、シーンの前後の繋がりがおかしくなろうと
   本筋さえ外れなければいいのです。
   そういった脇筋は一つのイベントが終えるごとに修正されます。
   則ち、予め極端な変化を作為的に引き起こすことによって
   世界の自浄機能を故意に引き起こし、今までの変化を元に戻す、なかったことにしようという考えです。
   そうすれば涼宮さんの精神は回復し、世界は平穏無事なまま存続するのです」

世界の平和を守りましょう。そんなことを古泉は言った。
だがどうやって? どうやって守るんだ?
俺には世界を救うような超能力も時間の作用に介入する
超自然的なパワーもないぞ。お前だってそうだろ。朝比奈さんだってそうだ。
時間そのものを操作することなんて、誰にもできやしないんだ。

古泉「いいえ、あります。一つだけ、一つだけ方法があります」

古泉はもう一人の重要人物……鶴屋さんの名前を挙げた。

古泉「常に一歩引いたところでSOS団を観察する。それが鶴屋さんのスタンスですよね。
   鶴屋さんがSOS団の名誉顧問というサブ的な立場であり続けることが
   この世界の本筋から外れないための、この物語を継続し続けるための
   絶対的必須条件なのです。その立ち位置を一歩でも外れたならばそれはもう鶴屋さんの、
   鶴屋さんが望むSOS団との関わりではなくなってしまう。
   春休みに芽生えたあなたへの感情はそんな鶴屋さんの立ち位置を根底から覆す
   いわば悪魔のいざないなんです。故に、その立ち位置から強制的に引きずり出せばいい。
   そうすれば世界の自浄作用が働き、あるべき姿へとすべて元に戻る。
   それが僕と朝比奈さんが考えた世界を元に戻す唯一の方法です。
   僕たちにできる、最大最善の強攻策なのです」

313 名前:19-24[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:29:20.79 ID:Rkgal7Au0


お前はいいとして、朝比奈さんも考えただって?
鶴屋さんは朝比奈さんの友人で、
現代にやって来て出来た大切な親友なんじゃないのか。

俺は朝比奈さんの方を見る。
その朝比奈さんの表情は、言葉にならないくらい悲痛だった。

目元には涙を浮かべて、きつく唇を結び肩を震わせていた。
スカートを握る指が肉に食い込むこともかまわずに、肩をいからせて震えていた。
朝比奈さんが平気なわけがなかった。

鶴屋さんを救い、ハルヒを救い、世界を救うにはそれしか方法がない、
そんな苦渋と苦痛に満ちた決断をした朝比奈さんは、一体今何を思い、
何に耐えているのか。俺なんかにつかみきれるものではなかった。

自分の使命のために何者をも犠牲にする、そんな苦痛が俺に理解できるはずもなく。
俺よりもずっと遠いところで朝比奈さんも一人で苦しんでいたのだ。
俺と鶴屋さんを見守るその最中も、ずっと。ずっと耐えていたに違いなかったのだ。

大切な親友が戻ることのできない危険な道を嬉しそうに歩んでいくその姿を
ただ見ていることしかできないことに。
俺は考えを現状に戻す。

最初は小さな好奇心と疑問。それは時間が経つ程に大きくなっていった。
それが一線を超えた時点で、鶴屋さんの物語に俺が参入することとなった。

それは間違いなく鶴屋さんが主役の物語だ。
鶴屋さんが主役を降りる手段はたった一つ。
俺を鶴屋さんの物語から排除すること。

314 名前:19-25[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:32:22.84 ID:Rkgal7Au0


自分が参入することでSOS団がSOS団でなくなってしまう。
そうなれば鶴屋さんは想いが遂げられても遂げられなくても、
深く傷つくことになる。そんなことを考えているに違いなかった。

今この状態を続けたい。
そう思っていたのは俺だけじゃなく、鶴屋さんだってそうだったんだ。
だがこの探偵ごっこを続ける限りハルヒの力との軋轢は継続する。
それ以前に鶴屋さん個人のSOS団に対する姿勢とも相反する。
俺と鶴屋さんの関係はあくまでSOS団を通してのものであって、
単なるの先輩後輩の間柄でありそれ以上であってはならないのだと。

おそらく鶴屋さんはこの状況を続けたいと思うと同時に、
終わらせるべきだとも思っていたんだろう。

だが自分の特別な秘密を俺に語って聞かせて
調査を終えるという手段はもはや選ぶことはできない。

なぜならこれ以上自分のことを俺に話せばそこには絆が生まれてしまうからだ。
秘密を共有するものとしての、深い絆が。

それは即ち俺たちの関係を一歩も二歩も先に進めてしまうと同時に、
俺たちの現状をも終わらせてしまう。


取り返しがつかない。


鶴屋さんが言っていた言葉が不意に脳裏をよぎる。
あれはこういうことだったのだ。

315 名前:19-26[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:35:11.48 ID:Rkgal7Au0


鶴屋さんが現状を継続させようと思えばただ黙って身を引いて、
ひたすらハルヒの力との軋轢に耐え続けるしかない。
しかし耐えれば耐えるほど衝突の力は強まり俺への想いは増していく。
この状況はそんな螺旋構造になっている。

九日目に強引に屋敷を訪ねた日に、
たまには自分のことを話したいと言っていた鶴屋さんの言葉の奥の裏には、
俺との関係を進展させたいという想いと共に
現状のままにとどめておきたいという相克し合う二つの感情が隠されていたんだ。

俺の記憶の底から昨日あの時計のある広場で
鶴屋さんに尋ねられた質問がひとりでに浮かび上がってくる。

(「あたしたちの違いって、なにかなっ?」)

その後の出来事。
鶴屋さんの、俺の指先を握って震える手と押しとどめられた言葉。
あれは俺の名前なんかではなく。

ただ単純に、鶴屋さん自身の気持ちだったのではないだろうか。

おそらく鶴屋さんは昨日俺との違いを尋ね、俺が答えきった後に決心したハズだ。
このまま黙って身を引こうと。

あの人は愛情深い人だ。他人を傷つけてまで自分を出すことなど絶対にできるわけがない。
だがそれでも、それは世界の存続を危うくさせるのほどの致命的な決断なのだ。

鶴屋さんが周囲の為に俺を排除しようとすれば、
それは即ち現在の状況が継続することを示している。

316 名前:19-27[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:37:31.53 ID:Rkgal7Au0


もしそうなれば、ゆったりと破滅への道を歩むほかない。
薄ら暗い穴の奥へゆっくりと吸い込まれて行く、そんな道に他ならないのだ。

俺はそんな鶴屋さんに何をしてあげられるのか。
俺が近づくほどに、俺に近づくほどに鶴屋さんの葛藤と理性と本能の軋轢は強まっていく。

してあげられることなどない。なぜなら俺自身が、鶴屋さんの苦しみの源なのだから。

古泉「例えばそう、これをマルチエンディングのゲームに例えるのなら。
   ゲームはその答えとしてパラレルワールドを用意します。
   いくつにも分岐した結末を用意します。ですがこの世界の本筋は一つしかない。
   それはリセットできないシミュレーションのようなものなんですよ。
   世界が修正された際に起こる変化の可能性は三通りです。
   一つは当て馬。鶴屋さんと共に過ごし、鶴屋さんが気持ちを抱いた人間が
   あなた以外の誰かにすり替わるというものです。
   二つ目はパラレルワールド。脇筋そのものが本筋から切り離されて新たな本筋として
   続いていくというものです。これは一番可能性が低いパターンです。
   なぜならこうした結末になるのであれば自浄作用というのは初めから必要ないからです。
   三つ目は記憶消去及び改竄。単純に記憶が消去されたり書き換えられたりするだけです。
   最も可能性の高いパターンですね。物理的な修正の必要のないタイプです。
   私達はこの結末になると予想しています。微妙な齟齬は残るかもしれませんが、
   とにかく誰もが違和感を感じずに日々を過ごすことができるようになるはずなのです」

シミュレーションを終えた時点で世界が元に戻る。
記憶は刷新され当たり障りのない記憶に書き換えられる。そんなことを古泉は言った。

当て馬か、パラレルワールドか、記憶の改竄か。


317 名前:19-28[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:39:52.37 ID:Rkgal7Au0


仮にパラレルワールドだとしてその先に未来はあるのか?
分裂した世界に、分岐した世界に先はあるのか?

実は枝葉に生るだろう、だがその先はあるのか?
幹から外れてしまえば実や花にすら価値がないのか?

俺は最もありえない可能性にすがろうとしていた。
今、今日、この時から続く、明日があるのかもしれないと。淡い期待を抱いていた。

だがそんな泡沫めいた期待は、状況やこの世界の時間の仕組みにとっては
何の意味もないことだった。

俺は膝の上で拳を握りしめたままでどうすることもできずにただ座っていた。
あの時のように。凍えそうな鶴屋さんに何もしてやれなかった、あの時のあの俺のように。

俺はいまだ何も変わっちゃいなかったのだ。
名探偵のまま、ただ間抜けなアホ面を晒したままで。

古泉「大きくなりすぎたあなたへの感情、想いを……
   あなたの手で鶴屋さんの口から吐き出させてください」

鶴屋さんの想い。俺への想い。
ハルヒの力によって増大された鶴屋さんの想い。

だがそれだけなのか。ハルヒの力が鶴屋さんを刺激した、
ただそれだけの理由なのか?ただそれだけのことで、
鶴屋さんは俺に対して変えようのない想いを抱いたってのか?
信じたくない。そんな風には思いたくない。
受け入れたくない、そう思う自分がいた。

318 名前:19-29[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:42:04.26 ID:Rkgal7Au0


古泉「そうすることで、ついに決定的に世界の本筋から外れた物語は完結し、
   鶴屋さんも涼宮さんも衝突の軋轢から開放されて自由になります。
   時間の輪の両端は接続し閉じられ、新たな輪へと繋がっていきます。
   そうすることでしか、あの二人を助ける方法はありません。
   それしかこの世界を救う方法はありません。ですから、どうか。どうか────」

俺が受け入れたくない現実がそこにあった。だが、ここで一つだけ疑問が残る。
古泉の言葉を遮って俺は言う。

キョン「だが古泉……どうしてこの状況が本筋の世界ではないと断言できるんだ?
    その根拠をお前は用意しているのか?」

根拠があるのか、ではなく用意しているのかと言ったところに
俺の焦りが浮かんでいた。結論などわかりきっていた。
俺のはす向かいには、時間に関しては俺や古泉の及びのつかない
情報量を抱えるその人が座っていたからだ。ただ、その根拠を聞いておきたかった。
そうでなければ納得できるものではなかった。

朝比奈さんが古泉の代わりに話し始める。

みくる「私達の時代から見た今、
    春休みに涼宮さんが探偵ごっこを始めるというイベントは起こっていないの。
    それは、現在の状況が既に修正されることを前提として
    事態が進行しているからだと思うの……。
    涼宮さんが能力を行使して時間の輪にまたがって現状を継承させることはない、
    そう示してるんだって」

未来から観測した現状を分析するとそのようになるらしい。
だがハルヒの能力は時間に不確定な変化をもたらす。

319 名前:19-30[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:44:19.70 ID:Rkgal7Au0


実際に世界を本筋に戻すには俺の行動が不可欠らしい。
探偵ごっこが本筋から外れているとする根拠はそれだ。
さもなければ待ち受けるのはカタストロフ、唯一それだけだった。

俺は煩悶する。
このままでは鶴屋さんかハルヒのどちらかの心が先に壊れてしまう。

俺は鶴屋さんに何度となく助けてもらった。
深く事情も聞かずに朝比奈さんをかくまってくれたり、
頼みごとを聞いてくれたりした。

ならば今度は俺が鶴屋さんを助ける番なんじゃないのか?

ハルヒだって世界を滅ぼすようなことを望んじゃいないだろう。
このバカな探偵ごっこだって、きっと面白おかしく春休みを過ごそうと
必死になって計画したに違いない。

あいつはいつだってそうやってきた。
そうして、積極的にものごとを楽しもうとしてきた。
それだけのことだ。そんなハルヒを責める資格を、俺なんかが、
持ち合わせているわけはないのだ。
ただこうやって何かに憤っている資格さえ、本当はないのだから。

キョン「俺は……なんだ……? 古泉。俺は、一体なんなんだ? 何者なんだ?」

古泉は訝るような視線を向けてくる。
そして、釈然としないながらも俺の質問に答えようとする。

古泉「……なんだ……と申しますと」

320 名前:19-31[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:46:30.38 ID:Rkgal7Au0


これが永遠に繰り返す物語だとしても。
たとえそうだとしても、鶴屋さんや俺が幾度となく苦しんで、
幾度となく引き裂かれて、幾度となく辛い想いをしたのだとしても。
これが俺と鶴屋さんの物語であるのなら。

その最後はハッピーエンドにしなければならない。

最終的な幕引きは、俺と鶴屋さんの手で行われなければならない。
そうでなければ、報われない結末を永遠に繰り返すことになる。

この物語を終わらせる。それも最高の形で。
それだけが俺に残された、唯一の救いの道なのだ。

キョン「お前はエルキュール・一樹! あなたは刑事みくるンボ!
    なら、俺はなんだ? なんなんですか?」

朝比奈さんがシャーロッキョン……と言いかけてやめた。
どうやら話の流れを察してくれたらしい。

古泉「不思議名探偵……」

古泉が俺を見ながら小声で言う。
驚いているのか、訝っているのかわからない、複雑な表情と共に。

キョン「違うな。それはおそらく一文字違うんだ」

俺は胸いっぱいに空気を吸込み、一息で言う。
胸の内のわだかまりを吐き出すように、心の淀みを洗いさらうように一息で、
肺と喉の痛みを随伴させながら。

321 名前:19-32[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:48:43.76 ID:Rkgal7Au0


キョン「不思議名探偵、
    グレート・ワンダー・ディテクティブ……違う! 俺は──」

俺は誰なのか。俺は何者なのか。そんなことはもうわかりきっていた。
最初ハルヒに名探偵と名づけられたその時に、俺は気づいていたんだ。

自分の領分がなんなのかを。名高い探偵などではない。
自分がどういう属性を持った探偵なのかを。

キョン「俺は──、ワンダリング・ワンダー・ディテクティブ……そう……
    不思議迷探偵、不思議”迷”探偵キョンだ!
    不思議を求めてさ”迷”う探偵、それが俺だ、それが俺のやってきたことだ!」

ついに俺は目を覚ました。ここで与えられた自分の役割についてついに気づいた。
自分が今まで何をやって、何をやってこなかったのかということに。

俺の決心、それがどんなに残酷な結末をもたらそうとも、
俺は鶴屋さんに言わせなければならない。
そうすることでしかあの人の心を救えないというなら、喜んでそうしよう。

あの人の為ならそうしよう。鶴屋さんの為ならそうしよう。
俺の耳の奥の裏の裏の方で、かつて消え去ったフレーズが呼び起こされる。


また明日、いつか絶対に。


その明日を守るためなら、俺はなんだってする。
たとえありえた可能性の一つ一つを、殺してしまうのだとしても────。

322 名前:19-33[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:50:54.22 ID:Rkgal7Au0


「何か僕たちにできることはありますか」という古泉に俺は「ない」とはっきり告げた。
これは俺と鶴屋さんの調査なのだと。

古泉は何も言わずに了解してくれた。朝比奈さんには頭を下げておいた。
朝比奈さんは俺に何を言うでもなく俯いていた。
俺が席を立った後、去り際の背中にただ一言「がんばって……」とだけ呟いて。

俺は、鶴屋さんのかたくなに閉ざされた心と戦わなくてはならない。
ハルヒの力を跳ね返すほどの強烈な意思を崩さなければならない。
それは生半可なことではなく、俺と鶴屋さんの心に
どれほど深い傷を残すのだとしても必ずやり遂げなければならないことだった。

鶴屋さんとの戦いの時は、もうすぐそこまで迫っていた。
明日は十二日目。春休みはまだ三日ある。
たとえ明日すぐに鶴屋さんと会えなくても、まだ猶予はあるのだ。

俺はルールをおさらいする。
鶴屋さんに俺を好きだと言わせたら、俺の勝ち。世界は無事に元に戻る。
すべての記憶は刷新され、これ以上鶴屋さんもハルヒも、
長門や朝比奈さんや古泉が苦しむ必要もなくなる。

鶴屋さんが俺を排除すれば鶴屋さんの勝ち。
その場合、ハルヒの力は鶴屋さんやハルヒ自身を解放することなく
世界に永続的な傷を刻むだろう。世界の自浄作用とやらも及びつかない、
長大で深遠に穿たれた海溝のような傷が。

俺はABC殺人事件の内容を思い出す。あの手は使えないだろうか?
あの思考方法というか、やりくちというか、ああいったやり方で
鶴屋さんにアプローチして攻め落とすことはできないだろうか。

323 名前:19-34[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:53:03.26 ID:Rkgal7Au0


そう思い俺は再び本屋へと足を運んだ。
鶴屋さんを主役として舞台上に引きずりだす、
その秘策を復習する為に。

俺のあ頭の中でブライアン・アダムズが鳴り響く。

18 till I die.

18のまま。死ぬまでずっと。
リフレインされ続けるフレーズ。繰り返されるサビの部分。

それはこれから迎える結末を示しているようでいて、
なんとも寂しく、もの悲しかった。

軽快なロックのサウンドも、今は暗がりに沈んでいた。

水底のような黒い穴。フィルムに穿たれた交換マーク。
その奥の奥には何もない。
無限の闇が広がっている。ついに描かれなかった物語は悲しい終局を迎えようとする。
そして俺はその状況の中で踊る、踊る哀れな探偵だ。

ポワロ、コロンボ、古畑、ホレイショ、シャーロック・ホームズ、ワトソン医師。

そんな面々が今迎える最後の舞台上は、犯人と主人公とで占められる。
並み居る強豪を抑えたままで、明日、最弱の俺が舞台上に立つ。
最大最強の、レベルカンストの助手の前に。
究極無比の、モリアーティ教授の前に。

迷える一般人の俺は今まさに、”迷”探偵に変わったのだった。

325 名前:19-35end[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:55:29.79 ID:Rkgal7Au0


俺たちの今までを守ろうとする鶴屋さんと、

俺たちのこれからを守ろうとする俺との。



互いの未来を賭けた一騎打ちに向けて。







next十二日目 不思議迷探偵キョン に続く

326 名前:20-1[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:57:38.81 ID:Rkgal7Au0


十二日目 不思議迷探偵キョン


十二日目。
最後の最後は鶴屋さんの感情を揺さぶるほかはない。
それが俺の出した結論だった。

ロジックはあくまで退路を絶つ手段に過ぎない。
そこまで鶴屋さんを追い込めなければ自動的に俺の敗北が決まる。
そうなれば、まぁ厄介なことになるだろうが、その時はその時だ。

今はとにかく日取りを決めるの先決だ。正直言って自信はまったくない。
俺のロジックというのがどれだけ鶴屋さんに通用するのかということも未知数だった。

けれども現状を終わらせることだけがあの人を開放するというのなら、
そうする他ないのが俺の考えだ。
とはいえどうしたものか、鶴屋さんと連絡を取る手段を俺は持っていない。

家の電話番号にかける、という手もあるし直接鶴屋さんの屋敷へと赴く手もある。
だがそのどちらもがはばかられた。

家の電話にかけてうっかり鶴屋さん以外の人間が出たら、
というか鶴屋さん以外が出ると考えるのが普通だろう。

電話番みたいな人間がいるかは知らないが、
あれだけ大きな屋敷であるからそれは当然の考えだと思う。
直接赴いてもそう都合よく鶴屋さんが出てくるとは思えない。
ああいうことはそうそう起こらない奇跡みたいな出来事なのだ。
そこに頼みを置くのは軽率なように思えた。

327 名前:20-2[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:59:47.45 ID:Rkgal7Au0


俺はあの四日目の違和感のことを思い出す。
背中に感じた妙な感覚に今は思い当たる節があった。
俺は鶴屋さんの携帯に発信をかける。
相変わらずコール音が鳴り響くばかりで誰も出ることはなかった。

それだけを確認すると俺は鶴屋さんの携帯に向けてメールを送った。

今日の夜、丸鶴デパート近くの並木通りを抜けた例の広場で待っています、と。

俺の予測が正しいのならこれでいいはずだ。
夜、と時間を指定せずに打ったのは時刻指定がアキレス腱にならないようにする為だ。
夜の間なら何時までも待つ、そういう含みも込めて。

なんなら朝まで待ってもいい。
それで来ないなら、その時は、いよいよ自宅に突撃すればいいだけだ。
戦いの舞台としてはいささか落ち着き過ぎている気はするのだが。

そうして昼を何をするでもなく過ごす。
日が傾いて来た頃に俺は自転車に乗って駅へ向かった。
夜は冷えるだろうから初日に鶴屋公園へ着ていったジャケットを羽織ってきた。

防寒対策は十分だと思える。
そこからバスに乗って丸鶴デパートへ向かう。到着した頃には日が沈む少し前だった。
昨夜とは違って赤く染まった並木通りを俺は歩いていく。

例の広場についた俺は昨日鶴屋さんと休憩したベンチに座って天を仰いだ。
そして天を仰いで何をするでもなくずっと座っていた。
時計の短針と長針が何周目かの交差を終える頃には
辺りはすっかり夜闇と静けさに包まれて人の気配もまったくしなくなった。

328 名前:20-3[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:02:07.12 ID:Rkgal7Au0


ビルやマンションに挟まれて音響的に隔離された空間となっているここには
大通りの喧騒も届くことはなかった。
そんな静けさの中で俺は一人鶴屋さんを待ち続ける。
最後に時計を確認したときは九時を過ぎていたが、それからもう大分経つ。
一、二時間程度は経ったかもしれない。
俺はどこを見つめるでもなくただ並木通りの先をじっと見つめていた。

十数分ほどそうしていると並木通りの向こうから誰かが歩いてきた。
ここに来てから何度もそうやって誰かが通りかかるたびに
身を乗り出しては引っ込めてを繰り返している。
今回もそうなのかと思いながらも俺は身を乗り出して目を凝らした。

淡い黄色のワンピースの下に細い横縞の長袖を着た春らしい格好。
奇しくもお互いに鶴屋公園で待ち合わせをした日と同じ格好だった。

鶴屋さんは俺を見つけると大きく手を振って俺のもとに駆け寄ってきた。
そして数メートル手前で足を止める。

俺を見る目はなんともいたずらっぽく、それでいて小さな子供を叱りつける直前のように
眉根を引き締めていたのだった。最初に出た言葉は挨拶ではなく質問だった。

鶴屋さん「キョンくん、よくわかったね?
     あたしが本当はケータイを取り上げられてないってさっ」

やはりそうだったのか。俺は自分の予想が的中したことに一先ず安堵していた。
今日がダメなら明日、明後日、とは思っていたものの
朝まで待ちぼうけでは疲労もそれなりで、半日は潰すハメになるところだった。

不敵な笑みを浮かべる鶴屋さんはなんとも楽しげだった。

329 名前:20-4[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:04:30.95 ID:Rkgal7Au0


自分の嘘を見抜いた頼りない後輩、もとい探偵を少しは
褒めてやろうというのだろう。鶴屋さんはねぎらいの言葉を述べた。

鶴屋さん「こうして呼び出されたことはとても意外だったよっ、
     だってまだバレてないと思ってたからね。
     キョンくんがどこまで推理できてるかはわからないけど、
     まっ、聞いてあげてもいいにょろよっ? 採点してあげるっさっ」

そう言って余裕綽々な笑みを絶やさないまま前かがみになって小首をかしげるのだった。

小悪魔的な仕草をする鶴屋さんの雰囲気に飲まれないよう
気をつけながら俺は淡々と答える。

キョン「ケータイの件に関してはついでというか、
    一つの推論から派生したものに過ぎないんですが。
    正直確信はなかったですし、それでこうして来ていただけるという
    確信もありませんでした。俺がそう踏んだのは四日目のあの日、
    俺が自転車を取りに行った日に感じた妙な違和感からです」

鶴屋さん「違和感? どーいうことかなっ」

キョン「四日目に鶴屋さんの自宅に自転車を取りに行ったあの日、
    鶴屋さんはでかける用事があると言ってましたが、
    本当は自宅に居たんですよね?」

鶴屋さんは少しだけ頬を緩め次いでそのスレンダーな胸の前で両手を組むと
背筋を反らせながら「まーねっ!」と力強く言い放った。

それは俺を威圧するようでいて、俺との間に防衛戦を張ろうとしているように思えた。

331 名前:20-5[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:06:52.60 ID:Rkgal7Au0


まずは一歩、本丸に踏み込んだ証だった。

キョン「これは推論というほどでもなくて、ぶっちゃけ俺の勘なんですよ。
   あの背中から感じた違和感、出てけ、って言われた気がしたんです。
   ここに居てはいけないってね。それは、鶴屋さん、あなたの視線か気配かは
   わかりませんが、とにかく出どころはあなただと踏んだわけです」

今にして思えば鶴屋さんの自宅に呼ばれた三日目の日から家人や使用人を
まったく見かけていないことをおかしいと思うべきだった。
その気配や痕跡も見なかったのは、そもそもそこに家人も使用人もいなかったからだ。

普段からそうなのかはわからないが、
少なくとも春休みの期間中はそうであるように思えた。
でなければ俺一人を自宅に招き入れるということはありえなかった。

一度お邪魔しているという慣れからほとんど気にすることはなかったが、
SOS団の面々で招かれるのと俺一人で招かれるというのとでは
意味合いがまったく異なってくる。

そういった誤解を恐れなくていい状態。
それは即ち家の人間が出払っているということだろう。
そうなってくると自然とあの気配を発した人間はたった一人しかいないことになる。

鶴屋さんがどうして俺に会いたくなかったのかまではわからないが、とにかくそういうことなのだ。

鶴屋さん「そっかっ、それだけでわかっちゃったんだねっ。
     キョンくんもなっかなか頭のキレる男の子っさっ!
     でもこーいうことはわかるかいっ? キョンくんがうちにお呼ばれした日にさっ、
     うっかり軒先で寝ちゃったにょろ、あれってなんでだったかわかるかいっ?」

332 名前:20-6[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:09:02.90 ID:Rkgal7Au0


俺が鶴屋さんの屋敷に呼ばれて昼食をご馳走になった後、
俺は鶴屋さんと並んで日向ぼっこをしていた。
そして突然眠くなってしまいそのまま沈み込むように眠ってしまったのだ。
慣れない環境や手痛い失敗をした直後だった為かほとんど記憶に残っていなかった。
今の今まで気にもしていなかった事実を突きつけられ俺の内心はうろたえる。

キョン「……どういうことでしょうか?」

鶴屋さん「ま、それはわかんなくても仕方がないことだねっ。
     教えてあげるよ、答えは簡単! あたしがキョンくんに一服盛ったのさっ。
     お昼ごはんにね、ちょっとだけ、お薬をね。
     でも安心してよっ、身体に害はないはずだからさっ」

鶴屋さんはそう言って指先で何かをつまむような仕草をする。
まさか薬品を使って眠らされたとは思っていなかったが
そうでもなければあれほど急激に眠気を催したとは思えない。
ほとんど意識を失うような形だった。
とはいえそこまでして俺を眠らせたかった鶴屋さんの狙いというのはなんなのだろう。

鶴屋さん「眠っているキョンくんを観察したかったっ、ていう答えじゃぁ不満なのかなっ?」

あまりにも単純な答えだった。
いたずらっぽく笑う鶴屋さんの本気とも冗談とも取れない一言は、
それが真実なのだろうと素直に思えるほどに邪気がなかった。

本当にちょっとしたイタズラを敢行したという印象の語り口だった。
それが俺に対する予防線なのか本気で悪びれていないのかは判断がつかなかった。

キョン「俺を観察する……と言ってましたね、鶴屋さん。それはどういうことなのでしょうか」

333 名前:20-7[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:11:21.79 ID:Rkgal7Au0


鶴屋さん「それもさ、もーわかってるんじゃないのかなっ?」

キョン「いえ、それは鶴屋さんの口から語っていただきたいんです」

そうは言ったものの俺には本当に検討がついていなかった。
眠らされた事実にすら気づいていなかったのだから当然である。

その答え如何では俺の立てた推理の筋道が覆りかねない。
俺は鶴屋さんの言葉を待った。

鶴屋さんはそんな俺の考えを推し量るようにしばらく俺の表情を観察した後、
納得したように首を縦に振ってから話し始めた。

鶴屋さん「この探偵ごっこ自体、あたしが仕組んだゲームだって聞いたら、
     キョンくん。君は驚くかなっ?」

キョン「なっ……!?」

なんだって、と言おうとして俺は言葉を飲み込んだ。
そんな俺の挙動を見て嬉しそうに笑った鶴屋さんは人差し指を立てて
ちっちっと左右に数回振ったあと言葉を続ける。

鶴屋さん「ハルにゃんに探偵ごっこをしたらどーかって
     提案したのは実はこのあたしなのさっ、
     もちろん、キョンくんが聞いた隣近所に宇宙人が超能力者がっていうのも
     あたしが吹き込んだことだよ。そうやってハルにゃんを炊きつけて、
     衣装まで用意して、すべてのお膳立てをしたのもこのあたしなのさっ」

俺は開いた口がふさがらなかった。。

334 名前:20-8[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:13:39.01 ID:Rkgal7Au0


この探偵ごっこもてっきりハルヒのバカで突発的な思いつきだと思っていた。
しかしそうではなかった。完全に俺の盲点だった。
ハルヒなら何を思いついてもおかしくないという思い込みの裏側では
鶴屋さんの意図が走査線のように幾重にも張り巡らされていたのである。

一体、どこから、どこまでがこの人の計算なのか。
俺は梯子を外されるどころか足場をたたき壊されたような浮遊感に襲われた。

鶴屋さん「実は春休みに予定していた旅行がまるまる取りやめになってね、
     それで暇を持て余していたのさ。だから、何か面白い計画を立てて
     実行してみたらそりゃー面白いんじゃないかと思ってね!
     それをハタから見てたらすっげー楽しいことが
     起きるんじゃないかっていう期待を込めてさっ!」

そう喜色満面に言い放つ鶴屋さんは未だ組んだ両手を解く気配はなかった。
まだ、まだ鶴屋さんは何かを隠している。その仕草から俺はそんな意思を読み取った。

そう思い込もうとしていただけなのかもしれないが、
とにかく今は追求の手を緩めるわけにはいかない。

今はこの場を盛り上げる、それだけに徹することにした。
俺は目いっぱい自分の感情をむき出しにして鶴屋さんに言いすがった。

キョン「で、でも鶴屋さん! SOS団のことには基本的に干渉しないっていうのが
    あなたのスタイルというかやり方なんじゃないんですかっ、
    ハルヒの思いつきを煽ることはあってもあなたからハルヒに
    何かをやらせるっていうのは、あなたらしくないんじゃないですか!?」

俺の言葉に鶴屋さんは少しだけ不機嫌そうな表情をして睨みつけるような目つきに変わった。

335 名前:20-9[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:15:57.04 ID:Rkgal7Au0


鶴屋さん「んーっ? あたしらしいって何さ?
      何勝手に思い込んでくれちゃってるのかなっ?
      普段あんなに面白い奴らが何のイベントもなく一年を終えようってんだから、
      ここは一つ、何かパーッと楽しめるようなことを計画してやるのが
      先輩の優しさってもんさね! 実際、こうして楽しめてるわけだしさっ」

鶴屋さんはそう言って顎をあげたまま首を斜め後ろに傾け横目で見下すような視線を作る。
俺から見えるその瞳の印象はなんとも尊大で、且つ邪気のないものだった。

正真正銘、事実ありのままのパワーバランスを表している、そんな自負さえ感じられた。
そうやって威圧されながらも俺はなんとか食い下がろうとする。
このまま何もできずに勢いに飲まれることだけは避けたかった。

キョン「なら、どうして俺なんですか?
    観察してて面白いってんなら他の連中の方が打ってつけでしょう、
    どうして一番地味でつまらない俺なんかにしたんですか!
    ていうかそもそも誰が誰を調査するかっていうのはくじを引いて決めたんですよ、
    観察できるならSOS団の誰でもよかったって言うんですかっ!?」

鶴屋さんはふるふると首を横にふり少しだけ微笑むと
手のひらを天に向けて困ったのポーズを取る。

鶴屋さん「それはもちろん、意図的に操作したに決まってるさっ。
      別に特別なことなんて何もしてないよっ、
      ただちょっとくじ引きの箱に細工をしただけさ。
      ガサガサとかき混ぜたときにだけ、
      あたしの名前が書かれたクジが混ざるようにね」

鶴屋さんの仕掛けをてっとり早く説明すると次のようなものだった。

336 名前:20-10[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:18:09.52 ID:Rkgal7Au0


まずハルヒや古泉達におかしな探偵の格好をさせて俺の警戒心を目いっぱい煽る。
そうしてドン引きした俺をハルヒ達から遠ざけ、一番最後にクジを引くように誘導する。

そして四人がクジを引ききった時点でクジ箱の中身は一旦空になる。
そこに元々皮肉屋で疑り深い上に警戒心を抱いた俺が手を突っ込んでかき混ぜる。

その時点で側面の弱いのり付けが剥がれ鶴屋さんの名前が書かれたクジが
俺の手に渡るという仕掛けだ。

なんとも場当たり的で穴だらけの手口だったが、
その点は鶴屋さんの人間を見抜く稀代の洞察力と先を予測する目とで補われ、
見事俺の手にクジを握らせることに成功したのである。

しかしそこまでして俺を選び出した理由というのは何なのだろう。その一点が気にかかった。

キョン「……そこまでしてどうして俺なんかを
    観察対象に選んだんですか……教えてください、鶴屋さん……」

鶴屋さんは一瞬目を細めて値踏みするように俺を見た後
視線を逸らしてふっとため息を吐いた。そこから読み取れる感情はなかった。

ただ少し残念がっているように見えたのだが、それにも確信が持てなかった。
鶴屋さんはややぶっきらぼうに、面倒くさそうにしながら言う。
出きの悪い子に言い聞かせるように。それもまた一つのやり方だった。

鶴屋さん「ただちょっと……気になったのさっ。キョンくん、君のことがね。
      最初の日にした質問を覚えてるかなっ?
      あたしが一番最初にキョンくんにした質問をさっ。
      覚えてないなら別にいーんだけどねっ」

338 名前:20-11[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:20:31.01 ID:Rkgal7Au0


そうやって突き放すように言い放つ鶴屋さんに食い下がる為にはもう一歩も引くことはできない。

キョン「覚えていますよ……どうして俺がSOS団に入ったのか、でしたよね」

鶴屋さん「そーにょろっ、それともう一つ、その後に付け足したよねっ」

キョン「えぇ……普通の俺が、どうして普通じゃないハルヒ達と一緒にいられるのか。
    それを鶴屋さん、あなたはすごいと言ってくれましたよね。
    自分にはとてもできないことだって、あなたは言ってくれました」

鶴屋さん「そうだねっ……そんなことも……言ったかもしれないね……」

鶴屋さんはそう言って少しだけ視線を落とし言葉尻を濁した。
先程までの自信満々の表情とは打って変わって落ち着かない態度だった。
俺はそんな鶴屋さんの表情に一筋の光明を見た。

キョン「俺はあの時きっと鶴屋さんの期待に応えることができなかったんですよね。
    あまりにもつまらない、ありきたりで、ただことの成り行きを述べるだけの
    説明しかできなかった俺にあなたはがっかりしたんでしょう……?」

鶴屋さんは落としていた視線を再び俺に向けると
少しだけ関心を取り戻したようで俺の目を見ながら話すようになった。

鶴屋さん「そうだねっ、本当はキョンくんがどーいう気持ちだったのかとか、
     入ってからどーゆう風に気持ちが変わったのかってとこまで聞きたかったのさっ。
     普通じゃない人たちと普通に過ごすってのはどういう感覚なのか、
     すっげー気になってたからね。あたしは一歩引いたところにいるから、
     そーいうのはわかんないからさっ。みくるも普段はそういう素振りは見せないしね。
     だからキョンくんを通して知りたかったのさ。あの子たちの、日常と非日常を、ねっ」

340 名前:20-12[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:23:35.57 ID:Rkgal7Au0

>>337 ちょっとわからないですが半分過ぎたくらいです

俺を知ることがSOS団を知ることに繋がる。鶴屋さんはそう言った。
ならばその関心の主体はSOS団であって、
俺自身のことは目的のための手段に過ぎないというのか。

いや、まだ聞いていないことがある。そう判断するにはまだ一手早いのだ。

キョン「鶴屋さんは言いましたよね。自分にはできないって。どうしてなんだって」

鶴屋さんが言葉尻を濁してうつむいたこの言葉。
その先を追求することが不可欠だった。

俺がそう言うと鶴屋さんは一瞬気圧されたようにたじろぐ様子を見せた。
しかしその場から一歩も引かずに俺の目を正面から見据える。
組んだ両手は崩さず、それでいて唇は少しきつめに結んだままで。

キョン「その一点が鶴屋さんが俺を理解できない唯一の不明点、
    鶴屋さんには解き明かせない謎なんじゃないですか?
    それを解き明かすことも、この探偵ごっこの主題の一つのはずです」

鶴屋さんの居心地の悪さの正体。
それは鶴屋さんほどの頭脳と勘の鋭さを以てしてもわからない俺の唯一の特殊性。
普通であることを前提として普通ではない者たちを関わり合いを持つ。
俺自身が特殊な人間であるというならそれは疑問にすらならない。

だが俺自身がいたってごく普通の人間であるという事実がそれを決定的な疑問に変える。

なぜ、どうして。どうして俺が、どうして君が、と。

341 名前:20-13[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:25:46.15 ID:Rkgal7Au0

それは長門や朝比奈さんや古泉や、加えてハルヒに対しても抱かれた
俺とSOS団の関わりの出発点「なぜ?」という感情だった。

その感情を唯一の接続点として俺は周囲の陰謀策謀家達、情報統合思念体や未来人、
超能力者機関に「鍵」として注目される対象となったのだ。
それが今鶴屋さんに対しても起こっている。

鶴屋さんの疑念の正体は宇宙人未来人超能力者のグループにだって解き明かせない、
俺自身にさえわからない目下迷宮入り中のミステリーなのだ。
そう思えばこの事件の出発点は探偵ごっこであってもその中心軸は常に俺に向いているのだ。
やはり俺にはこの事件を解決する義務があったのである。

鶴屋さん「そうだね……そこだけは、いくら考えてもわかんなかったよ。
     なんだか自分が負けたみたいで悔しかったのさっ、
     だから何がなんでも絶対解き明かしてやろうってね!
     食事に一服盛ったり、そのあともずっと近くで観察してみようって思ったのさ。
     ま、ちょっちやり過ぎちゃったとは思うけどねっ」

やり過ぎた。やり過ぎたってなんだ。
それは鶴屋さんの当初の意図に反する事態が起こったということなのだろう。
それはおそらく、ハルヒの力のことなのだ。

鶴屋さん「情が移ったのかな……キョンくん、君は本当にいい子だと思うよ。
     やさしいし、思いやりのある子さ。でも、それだけだよ。たったそれだけなのさ。
     それだけのことで、このあたしが気を許すと思うのかいっ?
     あんなに親しくなると思っているのかなっ?
     もしそうなら、舐められたもんだなって返しておくよっ」

どこか自分に言い聞かせているような、奇妙な語り口だった。
鶴屋さんは知らない。ハルヒの介入を。ハルヒの力の正体を。その強大さのほどを。

342 名前:20-14[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:27:59.97 ID:Rkgal7Au0


しかしそんなハルヒの力と長期にわたってはり合い続けている
鶴屋さんの意思の力というのも大したものだった。
もしそれが単なる頑なさや意思の強さではなくSOS団や、
俺やハルヒや朝比奈さんたちに向けられた愛情なのだとしたら。

俺はやはりこの人に負けるわけにはいかない。
絶対にこの人に報いなければならない。
改めてそう決心した。

俺に残されたカードは春休みに過ごした日数分ある。
初日のカード、最初の質問の札は鶴屋さんが切ることになった。

二日目のカード。鶴屋さんが俺にSOS団の中で誰が好きなのかと尋ねた質問。
これは窮状の突破口となりうるので最後まで取っておきたい。

三日目のカード。鶴屋さんの家にお呼ばれした日のこと。
これは解決したようで解決していないような微妙な違和感が残っている。
話の流れ上後回しになりそうだ。

四日目のカード。俺が一番最初に切った札だ。
これはもう使えない。もともとそういうカードだ。

五日目のカード。鶴屋さんが電話にもメールにも出なくなった日。
その後の鶴屋さんが電話を取り上げられたという話をした。
それは嘘だった。このカードはもう死んでいる。

六日目のカード。鶴屋さんの様子がおかしかった理由、それはまだわからない。
俺にとっては切りづらい札だ。これはどちらかというと鶴屋さん側のカードだろう。
これに対する切り返しはまだ考えていない。

344 名前:20-15[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:30:41.51 ID:Rkgal7Au0


七日目のカード。ある意味最強の札である。
ワイルドカードになりうる俺の切り札中の切り札だ。
俺が鶴屋さんにした質問。鶴屋さんからされた質問をそのまま返した質問群。
そして鶴屋さんが俺にコーヒーカップを投げつけた事件。
これを突破口にできれば、なし崩し的に鶴屋さんを陥落できるかもしれない。
それほどの力をこのカードは秘めているはずだ。

八日目のカード。門口に経ってずっと見送っていた鶴屋さん。
弱いが、これは鶴屋さんの攻撃カードにはならない。俺だけが使えるカードのはず。
他のカードと合わせて使えばダメ押しくらいにはなるだろう。

九日目のカード。電話を取り上げられたっていうのは大嘘だった。
これも五日目同様死にかけているが、
この日の会話は鶴屋さんの本心を表していると、そう思う。
じゃなきゃ俺は、そう信じなきゃ俺はここで戦えない。
ある意味、これは俺の一番の心の支えになるカードなのだ。
許して欲しい、ではなく分かって欲しいと言った理由。
あれが鶴屋さんからのSOSだったのなら、俺はそれに絶対に応えなくてはならない。

十日目のカード。俺は電話口で鶴屋さんに
自分の溢れる若さを鶴屋さんに向けていいですか、
と今にして思えば七転八倒宙返りでもしたくなるようなセリフを吐いた。
肯定も否定もできなかったのはSOS団の現状維持と
俺との間で気持ちが揺れていたというのであれば、最も鶴屋さんの心の隙を
突くことができるカードのはず。一番最後に使いたい、そういう種類の札だ。

十一日のカード。鶴屋さんが俺との違いについて質問したこと。
俺はまともに応えられなかった。だからいまいち使い方がわからない。
先に使ってしまいたいが、迂闊に使いようもない。扱いが一番難しい札だ。

345 名前:20-16[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:32:57.98 ID:Rkgal7Au0


そうして一通り手持ちの札を数え上げて俺は鶴屋さんに向き直る。
俺が持っているカードは裏を返せば鶴屋さんのカードでもある。
盤面の見えない将棋を打っているような、そんな居心地の悪さはあるものの。
戦いというのは常にそういうものだと思う。
将棋の名人だから軍師になれますかというと、決してそんなことはないのだ。

キョン「六日目、鶴屋さんの様子がおかしかった理由を聞かせてください。
    それと関連して、七日目のことも。
    鶴屋さんはあの時、どうしてあんなに動揺していたんですか?」

俺は六日目のカードと七日目のカードを重ねて差し出した。
俺のバカな冗談で鶴屋さんがコーヒーカップを投げつけるほど動揺した理由。
初日の俺への疑念を足がかりにしてこのまま一気に畳み掛ける。
だがそれはいささか軽率な判断であった。

鶴屋さん「なにって……おかしいところなんて何かあったかなっ?
      それはキョンくんの勘違いだよっ?」

そう言われて逆に俺が動揺してしまった。
あまりにも単純な答えに出鼻をくじかれてしまう。
面食らうと共に胸の奥に衝撃を受けた俺は
取り繕うこともできないほどに動揺し始めていた。

キョン「な、七日目にコーヒーカップを投げつけたことだって────」

鶴屋さん「あれは単純にキョンくんがみくるをダシにして
      つまんない冗談を言うからだよ。
      そりゃあ親友をあんな風におちゃらけた冗談に使われたら
      誰だって怒るっしょっ」

346 名前:20-17[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:35:10.17 ID:Rkgal7Au0


至極まっとうな答えではあるが、一つ足りない点があった。
その一点に隙を見つけて俺は追求する。

キョン「ではその時の俺の質問────」

あの時、俺は二つ質問をした。

1つ。鶴屋さんはどうしてSOS団に関わろうと思ったんですか?
2つ。鶴屋さんは好きな人っているんですか?

この二つはまだ殺されてはいなかった。
だが二つの質問に一片に答えてはくれないだろう。
今使えるのはどちらか一つだけだった。
2番……といきたいところだが、これはまだ早い。焦るな、落ち着くんだ。

キョン「────どうして、SOS団と関わろうと思ったかについてですが……」

これには鶴屋さんは失望したように俺を見る。
2番を選べない以上、最初からこの七日目のカードに意味はなかった。
俺は自分の下策に最強のカードを最悪の場面で切ったことに深く後悔した。

鶴屋さんはため息を一つ吐いて俺の質問にスラスラと答えた。
七日目に俺に聞かせたように、それを簡潔にまとめて。
俺の質問にはまったく意味がなかった。

次いで鶴屋さんが攻勢に移る。

鶴屋さん「八日目にさ、キョンくんがあたしを家まで送ってくれてさ、
     嬉しかったよ、うん、すっごくねっ!」

348 名前:20-18[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:37:18.73 ID:Rkgal7Au0


鶴屋さんは八日目のカードを切った。俺だけが使えると思っていたカード。
その裏の意味を鶴屋さんだけが知っていた。

鶴屋さん「でもね、あたしの調査はあの時すでに終わってたんだよ。
      もう、これ以上キョンくんを振り回すのもかわいそうだなってね。
      だから、あの時もう終わりにするはずだったのさっ。
      でもキョンくん、君が翌日にうちにやってきてさ、少々事情が変わったのさ」

鶴屋さんを送った翌日、俺はアポなしで鶴屋さんの家に突撃をし、
塀の通りでヘタクソな18 till I dieを熱唱しながら行進した正真正銘の闖入者だったあの日。

鶴屋さん「キョンくんの歌があんましおかしかったからさっ、笑っちゃったんだよね!
      そいで玄関の前でまたまた面白いこと言うもんだからさっ、悪い気がしちゃってね。
      このまま放っておくのもかわいそうだなって、そう思ったのさっ」

あの時俺は確か、「つ〜るやさんっ、あそびましょ〜」とかかんとか
壮絶にバカなことを口走ったんだった。

そりゃー笑うだろう。俺だってまさか本人が聞いているとは思いもしなかった。
なんとも言えない居心地の悪さが俺の全身を這い回る。穴があったら滑り込みたかった。

結局俺は鶴屋さんに八日目のカードと
九日目のカードをまとめて切られてしまったのだった。
見事なコンボである。俺とはえらい違いだ。

鶴屋さん「そいでさ、その後で最後に一回遊んであげようとおもったのさ。
     その日は遊んであげられなかったからね。それで十日に電話して、
     十一日にうちのデパートへ遊びに行ったってわけさ。
     どうだいっ、聞いてみれば単純な話だって思わないっかなっ?」

349 名前:20-19[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:39:34.01 ID:Rkgal7Au0


立て続けに十日目と十一日目のカードも殺される。だがまだ半分だ。
裏の意味が半分殺されただけだ。まだ、尋ね切っていないことがある。
残されたカードに必死ですがりつつ、俺はまともに考えられない頭で文面を読み上げた。

キョン「……俺が鶴屋さんに、溢れる若さを向け────」

鶴屋さん「やめなよ」

吐き捨てるように鶴屋さんはそう言った。

鶴屋さん「そーいうことは、気やすく女の子に言っていいことじゃないって、
      たしか言ったはずにょろっ?  もう忘れちゃったのかなっ?
      キョンくん、ちょっとおいたがすぎるにょろよ」

キョン「十日目、否定も肯定もしなかったのは……」

俺が力なくそうすがるように言うのを鶴屋さんは
鼻で笑うように切り捨てると睥睨するように俺を見た。

鶴屋さん「……キョンくん、自分がそこまで優しくしてもらえてるのはどうしてだと思うのさ?
      かわいい後輩だから多目に見てもらえてるだけにょろよ。
      その一線を超えようっていうのなら、あたしも容赦はしないっさ。
      もっとひどい言い方をしたっていいにょろよ? ハッキリ言って────」

俺は心臓が止まる思いだった。
手先は力なく震え、理性で感情を抑えようにも胃の腑から押し寄せる吐き気が
それを遥かに凌駕していた。どうしようもない否定の感情が、
俺の思索を妨害していた。
計画を練る、筋道を立てる、まったくそれどころではなかった。

350 名前:20-20[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:41:43.33 ID:Rkgal7Au0


鶴屋さん「────鬱陶しかったってさ」

その一言が言い放たれた瞬間、俺の瞳孔は散大と収縮を繰り返すように揺れ動いた。
視点が左右に強烈にズレるような、そんなストレス反応を示していた。
俺は痛む眼球の焦点をなんとか鶴屋さんに合わせて、絶え絶えに言葉をつないでいった。
感情での駆け引きも、鶴屋さんは俺の一枚も二枚も三枚も上手を取っていたのだ。

俺は嗚咽をこらえるように残された二日目のカード、唯一残されたそれにすがった。

キョン「二日目に……俺に尋ねましたよね、鶴屋さん……どうして、だったんですか。
    どうして、SOS団の中で俺が誰が一番好きなのか……なんて質問を────」

鶴屋さん「好奇心、それだけ。それだけだよ」

俺はその場に崩れ落ちそうになったのをなんとかこらえた。

鶴屋さん「……下品だけどね、そんなもんだよ。よくある話さっ。
     他人の恋愛話に首をつっこむなんて。ま、らしくないっちゃないけどねっ」

らしくない、という一言。とくにそういう印象は受けない。らしくないとしたらその後のことだ。

キョン「鶴屋さんは、俺が古泉狙いなのか、ってからかいましたよね」

鶴屋さんは怪訝そうな表情をしたその後どう表情を変えるでもなく言う。

鶴屋さん「そういえばそんなことも言ったね。あぁ、そっか。
      だから七日目にあたしがみくるを〜ってなことを言ったわけだね。
      それは謝るよ。ごめん。あたしが悪かったさ。キョンくんは悪くないよ。
      ちょっと仕返しをしただけなんだからね。ま、それも、よくあることだよねっ」

351 名前:20-21[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:44:09.41 ID:Rkgal7Au0


そう言って鶴屋さんはクスリと笑った。
敗北者を見つめるような優しい目で、目いっぱいの哀れみを注ぐ女神のような瞳で。
それでいて、雨に打たれる子犬を見捨てる少女のような陰りをたたえながら。
俺は拳を握りしめて肩をいからせる。

布石は打った。あとは、最後の一撃を放つだけだ。
もってくれ、俺の精神と神経よ。最後の一言を、言い放つその時まで。

俺の推理と手口はたった一つ。
それは例えるならデザイナーズ・ロジックとでも呼ぶべきものだった。
鶴屋さんが語れば語るほど、その布石は確固とした堅牢さを発揮する。

自分の感情と精神と神経を犠牲にして、俺は今この場に立っていた。
自分の正気のすべてを犠牲にしてでもこの人を守る、その決心と共に。

俺は片手を上げて人差し指を立てる。そしてゆっくりと鶴屋さんを指差した。

差し出していない方の手は小刻みに震え、足元はがくがくと定まらない。
だがそれでも差し出すその指先だけは震えないように、
明後日の方向を示さないようにこらえながら、正面から鶴屋さんを指し示す。

鶴屋さんは身構えるように組んだ両手をほどくと少しだけ重心を後ろに引いた。
それだけで十分だった。
俺が決意のほどを実行するにはそれだけの反応で十分だった。
それだけ目にすれば十分だった。

俺はしっかりとした口調で言い放つ。

揺れそうになる焦点を必死で定めながら。

353 名前:20-22[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:46:23.94 ID:Rkgal7Au0


キョン「鶴屋さん……犯人は、あなたです────」

指さされた鶴屋さんの表情は曇っていた。怯えていた、とさえ言っていい。

正真正銘理解できない対象に接触した、そんな表情だった。
不思議迷探偵である俺の行動は、誰にも予測がつかない。
なぜなら俺にも予測がつかないからだ。だがそのさ迷いにはすべて意味があった。
今この時を引き出すための、大切な意味が。

しかし半歩足を引きながらも鶴屋さんはその場で俺に立ち向かう。
姿勢は前傾になり今にも俺に跳びかかりそうだった。
俺の一撃を正面から受けて立つ、そんな覚悟と凄みを全身から発していた。
そうして全身から剣呑さと辛辣な気迫を発しつつ
俺を睨み据えながら言葉の端々に噛み付いてくる。

鶴屋さん「どういうことだい……? キョンくんっ、あたしが、犯人ってのはさっ。
     どういう言葉のアヤなんだい?」

キョン「いいえ、あなたが犯人というよりも……あなたは犯人になった。
    とでも言っておきましょうか」

鶴屋さんの表情がますます疑念に曇る。
鶴屋さんは俺のことを理解しているようで理解しきれていない。
内心の感情が読めても、そこから出てくるものが予測できていないのだ。
それは俺が周囲の連中から抱かれる「なぜ?」という感情に根ざしていて
普通でない連中と付き合うハメになった理由が俺自身にさえわからないとしても、
鶴屋さんから俺の言葉への関心を引き出すには十分なはずだ。

端にも棒にもかからなければ、この一言にはまったく意味がないんだ。

354 名前:20-23[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:48:43.15 ID:Rkgal7Au0


キョン「朝比奈さんと古泉は、ずっと俺たちのことを観察していたようなんですよ。
    春休みの二日目からずっとね。だから鶴屋さん、
    あなたの立ち位置というのはもう覆らないんですよ。
    俺と過ごした時間や出来事は、既に古泉や朝比奈さんの知る処なんです。
    ですから、どうかお願いです……本当のことを言ってください、鶴屋さん。
    本当の気持ちを、言ってください。あなたの本心を聞き出す、そのためだけに、
    俺は、今……ここに来たんですから……」

古泉と朝比奈さんが知っている情報と知らない情報の境界線を
知っているのは俺だけだ。それを利用して鶴屋さんを誤認と誤解へと誘導する。

推理に表面的なデザインを与えるというのが俺の手口だった。
木を隠すには森の中。犯罪を隠すには犯罪の中。感情を隠すには感情の中。
そして、推理を隠すには推理の中、だ。

俺は鶴屋さんに対してすがろうとしているようにポーズを取りつつ、
神経をすり減らしながら質問の意図を履き違えるよう今の今まで誘導してきた。

鶴屋さんがさっきまでに話したようなことを
単に好奇心ゆえに愉快犯的に行ったのだとすれば、
朝比奈さんや古泉といった外部から見た視点との間で
認識上の致命的な齟齬を生じさせることになる。

それは俺さえも含んでのことだった。鶴屋さんが俺を誤解させたというのなら、
それは古泉や朝比奈さんたちをも誤解させたということになる。
鶴屋さんがしてきた振る舞いはそういう振る舞いだと言うことになる。
鶴屋さんは俺のことが好きだと、少なくとも古泉や朝比奈さんに思われるということは、
既に鶴屋さんがSOS団にとって、
俺にとってサブ的な部外者ではないということを示す。

355 名前:20-24[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:50:54.65 ID:Rkgal7Au0


故に、鶴屋さんはもう名誉顧問といいう脇役的な立ち位置でSOS団と関わることはできない。
鶴屋さんのロジックのすべては虚勢で、鶴屋さんが俺のことを本気で好きだと言わなければ、
後輩の感情を弄んだ正真正銘の愉快犯となってしまう。

自分の本当の気持ちを話す。
さもなければ、朝比奈さんとの間にも埋められない禍根を残すことになる。

俺はいまこそ朝比奈さんを正真正銘ダシに使っていた。古泉はついでである。
だがそのついでは保証人の如く機能し、二重の証明が真実性を高める効果を発揮するのだ。
それは欠かせないピースだった。

俺は心の中で古泉と朝比奈さんに感謝していた。
逆転の秘策は、既に放たれたのである。

俺は鶴屋さんが、本気で俺のことを好きになってくれていたのだと信じている。
そう信じる他はない。たとえどれだけ俺を拒絶しようとも、
それだけは真実疑いのないことだと、勝手ながらそう思いたかった。

自惚れ、自意識、そんなことはもうどうでもよかった。
古泉や朝比奈さんの後押しもあって、今俺はここに立てている。
そうでなければ、とっくに倒れていた。この人に倒されていた。

誰も救えないまま、ただ自分の悲しみや寂しさ、悔しさに飲み込まれていた。
俺は一人で今ここに立っているのではない、そう思えた。

そしてそれは鶴屋さん、あなたにとってもそうなんですよ。
俺は心の中でそう強く想った。

鶴屋さん「っ…………──」

356 名前:20-25[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:53:05.59 ID:Rkgal7Au0


鶴屋さんは何を言うでもなく、肩を小刻みに震わせていた。
悲しんでいるのか、悔しんでいるのか。

それはわからなかった。
だが、真実の一言を鶴屋さんの口から引き出せる、そういった確信があった。


そしてそれは次の瞬間にいとも容易く裏切られ、覆されたのだった。

鶴屋さん「あははははははははははっ!
     それがキョンくんの切り札だったんだねっ!
     面白いよっ、よく考えたね! 褒めてあげるよ、すごいすごい!
     あっははははははははっ!」

お腹を抱えてケラケラと楽しそうに笑う鶴屋さんに俺は戦慄を覚えた。
鶴屋さんに向けて突き出したままの指は力をなくしてわなないた。

もはやどこを指し示すでもなく、ただ揺れる指先の向こうには何もなく、
それは俺の内心の絶望感に根ざしていた。
もはや手を上げていることもできなくなった俺は力なく肘を曲げ、
下がりきりそうになるその腕を反対側の腕で支えてこらえた。

呼吸は荒くなっていく。神経はとっくに限界を超えていた。

嫌な汗が吹き出す。いったい、いったい何が起こった?
俺は何か勘違いをしていたのか?いったい、いったい──。

鶴屋さん「たしかに、そうなるとあたしにとっては
      とっても大変な事態になるよねっ。それでも、キョンくんは誤解しているよ」

357 名前:20-26[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:55:18.36 ID:Rkgal7Au0


誤解? いや、俺は誤解を引き出したんだ。
鶴屋さんが、俺の意図を読み誤るように、そういう風に誘導していったんだ。
なのに、誤解してたのは俺の方だって言うのか?
どうして、どうしてなんだ。それは、何故なんだ。

鶴屋さん「それを、このあたしが知らなかったとでも思っているのかいっ?
     まだまだだなぁ、キョンくんはっ。本当にまだまだだね。
     これじゃあみくるやハルにゃんや長門っちが
     君を放って置けない理由もわかるってもんさね。
     だって、放っておいたら勝手に自滅しそうで危なっかしくってさっ、
     ついつい手助けしたくなっちゃうもんねっ。
     あははっ、それはもう才能だよキョンくん、すごいすごい!」

そうやって手を叩いて俺を見下ろす瞳は暗く、陰っていた。
もはやそこから意図や感情など読み取りようもない、
手の届きようもなく深い暗がりが広がっていた。

映画のフィルムに穿たれた暗い穴。その向こうに何もないように。
その先を見通すことはできなかった。
鶴屋さんの感情は、意思は、
既に俺の手が届かない深い暗闇へと吸い込まれているようだった。

俺は足に力をなくしてその場にひざまずくと、
倒れる混むことだけはなんとかこらえて地面に片手をついた。
もう一方の手で胸元を抑え、小さく、深く、うめき声をあげた。
両手の指を重ねて鶴屋さんはおやおやと言いたげな表情を作る。
そんな鶴屋さんを見上げながら、俺はどうすることもできずにただ見下されていた。
お互いの立ち位置を示すように、頭の高さが代弁していた。
勝者と、敗者の、そのどうしようもない格差を。

358 名前:20-27[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:57:27.34 ID:Rkgal7Au0


鶴屋さん「そんなことは了解の上だよ。言ったよね、あたしらしさって何? ってねっ。
      キョンくんが一体あたしの何をどれだけ知っているっていうんだい?
      家族は何人? ペットは買ってる? 好きな食べ物は?
      好きな色は? 誕生日は? そんなことさえ、何一つ知らないってのにさっ!」

めっと小さな子供をたしなめるように、
人差し指を立てて腰を曲げると鶴屋さんは俺に言い放った。
満面の笑みとは裏腹にその目はまったく笑ってなんかいなかった。

深い暗がりをたたえたまま、
ただただ夜の闇を吸い込むように横たわっていた。


失望と、悔悟の念が。


残念な後輩に対して、いじめすぎたという上位者の確かな優越心が。
俺は見下ろされていた。物理的に、心理的に。
あらゆる点で、この人の足元に這いつくばっていた。

笑う鶴屋さん。愕然とする俺。
そんなシンプルな構図が、この戦いの結末を物語っていた。

勝敗は決した、そんな絶望感に包み込まれながら、
俺は地面についていた膝を上げ、なんとか両足で立ち上がった。

苦痛で歪む表情のままに鶴屋さんを見据え、
その余裕綽々の先輩の胸の内を推し量ろうとした。
鶴屋さんはそんな俺にクスリと一瞬微笑むと言った。

359 名前:20-28[] 投稿日:2010/03/15(月) 21:59:46.13 ID:Rkgal7Au0


鶴屋さん「キョンくん……みくるだって、内心ホッとすると思うよ?
      あたしが君のことを、好きでも全然ないってさ、知ったらどう感じると思う?
      きっと安心すると思うなぁ、あたしはっ。
      だってみくるは、君みたいな子が放っておけないからさっ。
      君みたいな子がさ、必要なんだよ。
      自分が誰かに助けられるタイプでもさ、誰かを助けていたいんだよ。
      そういう優しい子なんだよ、みくるはさっ。だから裏切っちゃダメにょろ。
      そんなこーいをさっ」

こーい……こーいだと。鶴屋さんは今「こーい」と言ったのか?

鶴屋さん「じゃないとさぁ……かわいそうっさ。あの子の気持ちがさ。
     それはハルにゃんや長門っちでもそうでしょ。
     キョンくん、君はなんであたしと一緒にいるのさっ?
     君のことを大切に思っている人が、もっと他にいるんじゃあないのかいっ?
     なのになんでここであたしとこうしてるのさっ。それは、裏切りなんじゃぁないっかな?」

鶴屋さんが春休み中に幾度か口にした「こーい」という言葉。
それは厚意のことなのか? それとも、好きとか嫌いとかいう、

その「好意」のことなのか?

鶴屋さん「じゃーないとさぁ……ほんとのほんとに、あたしが許さないっさ。
     怒髪で突いて! こうしてこおして! 懲らしめちゃうにょろよっ!
     キョンくん……っ」

鶴屋さんは俺のことが好きだ。それは間違いない。
朝比奈さんも、古泉も、その点は保証してくれた。
鶴屋さんが俺のことを好きになった、そのことが世界を変えたのか?

360 名前:20-29[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:02:24.53 ID:Rkgal7Au0


それが罪なのか? 誰かが誰かを好きになることが、そんなにも悪いことなのか?

それだけで、時間の輪ってやつは閉じるのか?
そんなわけはない、そんなわけは、ないのだ。

鶴屋さんが俺を好きになったから世界が閉じる。
そんなこと、あってたまるわけがない。


そこまで考えたところで俺は自分の決定的な勘違いに思い至った。

思わず笑ってしまいそうになるのをこらえるのに必死になるくらい、
圧倒的な勘違いだった。不意に立ち上がる力が湧いてきた。

俺は曲げていた膝を伸ばして、しっかりと大地を踏みしめた。
ただつっ立って居るだけではなくしっかりと自分の足を明確な意思に根ざして。
今度こそ本当に、居住まいを正して。

鶴屋さん「キョンくん……?」

鶴屋さんが訝るように俺を見る。その目には若干の焦りが浮かんでいた。
俺の真剣な目つきを見て鶴屋さんは一瞬だけたじろいだ。

だがそれもすぐに気をとりなおしたようで俺に負けないくらい真剣な目つきで俺を睨み返す。
だが、俺にはわかっていた。この人が俺に勝つことはない。その真実の一点について。

推理をデザインする、それが俺の取った手法だった。
ところが、行き過ぎちまった俺は
ついに事件までをもデザインしちまっていたのである。

362 名前:20-30[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:04:41.96 ID:Rkgal7Au0


俺は勘違いをしていた。致命的な、だが取り返しのつく、突破口になりうる勘違いを。
このときの為に準備をしていたんじゃぁないかと思えるくらいベストなタイミングで、
これ以上ないほどの智恵を得た。

そうして再び俺は鶴屋さんの瞳を正面から見据える。
今なら感情が見て取れる。

焦り、戸惑い、疑惑、不安、そして……懇願。

俺がもしこの人を負かすような一言を発しでもしたら。
そう思って鶴屋さんは不安がっている。そして怯えている。

鶴屋さん「キョンくんっ……何を考えてるかは知んないけど、
     今更、あたしに何を言ったって変わんないよ……
     もう話は全部終わったんだから、諦めて降参しなよっ……ねぇ……」

鶴屋さんは俺の内心の自信に対して本気で恐れを抱いているようだった。
肩を小刻みに揺らして、手はワンピースをしっかりとつかんでいる。
本能的に察知した危険に全力で立ち向かっていた。健気に、気丈に。
鶴屋さんらしく立ち向かっているのだ。

俺はそんな鶴屋さんをなだめすかすように優しく微笑んで見せた。

呆気に取られたように鶴屋さんは表情を崩す。
その瞳はもう俺を睨んではいなかった。

鶴屋さん「やめなよ、キョンくん……そんな顔したってダメさ……
      よしなよ……よしなってば……もう、こんなこと終わりにしようよ……
      キョンくん……ねぇ……キョンくんっ……」

363 名前:20-31[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:06:50.77 ID:Rkgal7Au0


鶴屋さんはただ怯えるようにすがるように俺のことを見ていた。
春休み七日目のあの日に、俺に言わないで欲しいと目で語ったように、哀願していた。

俺はそんな鶴屋さんにもう一度微笑む。
鶴屋さんは泣きそうな表情に変わって、一歩たじろいだ。
俺は俺がここに居る理由を思い出す。

俺はこの人を倒しに来たんじゃない。俺はこの人を、救いに来たのだ。

俺は再びゆっくりと腕を一本天に掲げる。
その人差し指を力強くピンと伸ばしたまま、天を貫くように高々と掲げた。

そしてそのままゆっくりと下ろす。
今にも泣き出しそうな鶴屋さんに向けて。許しを乞うような瞳に向けて。

キョン「鶴屋さん……犯人はあなた────」

鶴屋さんは全身をこわばらせて戦慄する。

キョン「────じゃありません」

そう言った俺の言葉を受けて盛大にずっこけそうになった
鶴屋さんはなんとかその場で姿勢を保った。

そして獣のような唸り声をあげたかどうかは知らないが
責めるような視線を俺に突き刺してくる。

世界を終わらせるのは鶴屋さんの企みでも、ハルヒの力でも、
朝比奈さんと古泉からの指令でもない。

364 名前:20-32[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:09:02.22 ID:Rkgal7Au0


鶴屋さんが仕組んだこの状況は本を正せば
俺一人を堂々と観察する為のお膳立てに過ぎない。
面白そうだったからと鶴屋さんは言った。だがそれは真実ではない。

ハルヒの力と衝突するまでもなく、
鶴屋さんは既に俺に対して「なぜ?」という疑問を抱いていたのだから。

それが今回の探偵ごっこを思い付くことに繋がった。
そしてハルヒをそれとなくたきつけると自ら敷石を敷いていったのだ。

鶴屋さんはハルヒに敷かれた敷石を歩いていたのではない。自ら置いていたのだ。
しかし一つだけ誤算があった。
鶴屋さん自身は自分の秘密をさらけ出すつもりなどなかったのである。

故に、自らが作り上げた探偵ごっこのルールに反した鶴屋さんは
ハルヒの力と衝突することになったのだ。

鶴屋さんの自業自得かというとそんなことはない。
鶴屋さんは単に俺を観察することが目的だった。
面白可笑しく話をして、それで満足するはずだった。

たった一つ、誤算があっただけなのだ。
鶴屋さんの誘導に乗ったハルヒに同じく、
面白可笑しく春休みを過ごそうとしたというそれだけのことだ。

それはあまりに普通過ぎて俺以外の誰にも思い付かないことだった。
普通でない人間には思いつけないことだった。
何故俺が舞台上に立つことになったのか。その疑問が確信に変わる。
俺でなければならなかったその理由を確信する。

365 名前:20-33[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:11:10.95 ID:Rkgal7Au0


普通な俺にしか出せない明確な答えがそこにあった。
宇宙人未来人超能力者、ハルヒや鶴屋さんの誰にも出せない俺だけの、
普通な俺だけが出せる唯一無二の答えが。俺専用の決断が。

一瞬だけ、俺と鶴屋さんが笑いあって隣同士並んでいる姿が見えたような。
そんな気がした。もしそれが実現したならどれほど素晴らしい未来になるだろう。

俺はそんなありえない可能性に想いを馳せ、
そして、決して似合わない涙を流したのだった。

その涙を鶴屋さんに悟られないように、
目元を手のひらで覆い隠した俺は高らかに笑う。

泣き笑い。半ば嗚咽が混ざりそうになるのをなんとかこらえて
俺は目いっぱい邪悪に高笑いする。

シャーロック・ホームズがするそれではない。ワトソン医師のそれでもない。

モリアーティ教授がするように、俺は高らかに、不敵に、邪悪に笑った。
悪意を全身に散りばめるように、人を苦しめ、傷つけ、苛ませる。

そんな巨大な悪を騙って。

キョン「おかしいと思いませんか? 鶴屋さん。
    おれはおかしいですよ。とっても。
    腹がよじ切れそうになるほどおかしいんですよ。
    笑っちまいたくなるほど、面白可笑しくって仕方がないんです」

鶴屋さん「キョン……く──」

366 名前:20-34[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:13:41.39 ID:Rkgal7Au0


キョン「俺に言わせてくださいよ。先にね。
    そもそもこれを事件だと思うこと自体がおかしな話だったんです。
    鶴屋さんが俺を誤解させて、気持ちを弄ぶ?
    そんなもの、事件でもなんでもない。
    それって俺の単なる一人相撲ってことでしょう?
    そんなことが罪になるのなら、世界は罪であふれ返っている。
    時間の輪だって、何度閉じられるかわからない。
    それほど強烈なことじゃあないんですよ。ねぇ、鶴屋さん」

俺は勘違いをしていた。たとえ鶴屋さんの言っていることが本当でも
それは単に面白いゲームを思いついたというだけのことに過ぎない。
それのどこが罪なのか? 罪状はそれじゃない。
それだけで世界の本筋を外れるわけがない。

そう、これは鶴屋さんの物語だ。ならば悪役は鶴屋さんではない。

鶴屋さんの物語にずかずかと侵入した犯人。
すべての元凶、異分子。

俺の言っていることのところどころがつかみとれない鶴屋さんは
必死で俺の意図を読みきろうと思索を巡らせている。しかしそれは意味のないことだ。

知恵では埋められないどうしようもない知識の差。
情報量の違いがこの場ではものを言う。

鶴屋さんの頭脳では、立ち位置では決してつかめない情報。
俺が朝比奈さんと古泉から託された世界の真実が、鶴屋さんを威圧していた。
それだけで十分だ。俺の一言を、この人に聞かせるには。

367 名前:20-35[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:15:51.61 ID:Rkgal7Au0


キョン「真犯人は────」

これは鶴屋さんが主役の物語なのだ。
主人公が鶴屋さんなら最後の舞台上に立つもう一方の人間。
それが犯人だと相場は決まっている。

間抜けにも探偵役を気取っていたとんだ道化師。それがこの事件の真犯人。

時間の輪を閉じ、永劫回帰のブラックボックスに放り込む存在。
時間の輪を閉じるのは、鶴屋さんの感情ではない。それはまた別の物語だ。
ある意味許された未来だった。結末を違えないのであれば、許された可能性だった。

そんな可能性すら巻き込んで、すべての可能性を否定してしまう感情。
その持ち主は、今この場にいる。今ここで、間抜け面を晒している。

助けを求めるような鶴屋さんの視線。
それすらも貫いて俺の感情は一点を指し示す。

フィルムに穿たれた穴の向こう側には、俺がいた。
薄暗い闇を背負ってニヤニヤと笑う世界の敵が。

キョン「────俺です。俺だったんですよ、鶴屋さん……」

世界を終わらせるのは俺自身だ。俺自身が真犯人だったのだ。
探偵が真犯人、まさに笑えないジョークだった。
あまりにもありきたりでつまらない答え。
それは月並みな俺にお似合いの結末だったのである。

鶴屋さん「キョン……くん……?」

369 名前:20-36[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:17:59.69 ID:Rkgal7Au0


キョン「聞いてください、鶴屋さん。俺の言葉を。俺の意思を」

頭の中にカードが浮かび上がってくる。
無残に切り裂かれ残骸をさらす屑山の中から
一枚だけ浮かび上がるそれは、二日目のカード。

鶴屋さんが、俺にした二度目の質問のカード。

そして言う、乱す。その一言で。最低最悪の方法で。
手段として。方法として。犯行として。

最終犯行を。

変えようのない影響を世界に及ぼす悪の異分子。
世界の修正作用を引き起こす者。
時間の輪を閉じるキーワード。

キョン「鶴屋さん、あの質問の答えはもう必要ありません……
    鶴屋さんが誰が好きなのかと……尋ねたあの七日目の質問には……
    もう答えなくてかまいません」

鶴屋さん「…………」

キョン「鶴屋さんが誰を好きになろうと、それは鶴屋さんの自由です。
    それは罪ではない。何の犯罪性もない。そう、それはごく当たり前のことなんですよ。
    ごく当たり前に起こるイベントなんです」

たとえ鶴屋さんが俺のことを好きになろうとおそらく世界の本筋とやらは継続していく。
だがその継続性を経つものがあるとすれば、そう、それは他ならぬ──。

370 名前:20-37[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:20:40.32 ID:Rkgal7Au0


キョン「俺の好きな人は──」

真の罪状は鶴屋さんが俺を好きになったことではない。
真実の罪状。それは、俺が鶴屋さんを好きになってしまったことだ。

鶴屋さんが誰をいつ好きになろうとそれは鶴屋さんの物語の範疇だ。
だが、俺は違う。この世界を終局に導いて時間の輪を閉じる存在。
それは他ならない俺自身の感情だ。

俺が鶴屋さんを好きになってしまったから世界は閉じられるのだ。
ならば裁かれるべき悪役は、俺自身だった。
鶴屋さんに俺が好きだと自白させれば俺の勝ち。

そう思っていた。そう思い込んでいた。
だが違う。俺が勝つ手段は最初から簡単だった。

ただ一言、こう言えばよかったのだ。
聞かれた時に答えればよかったのだ。

たとえそれが嘘でも、真実でも、そんなことは関係なく。
ただ言えばよかったのだ。


俺の隙な人は────鶴屋さんです、と。


これは鶴屋さんが俺を好きになる物語じゃない。

俺が鶴屋さんを好きになる物語だ。

372 名前:20-38[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:23:30.69 ID:Rkgal7Au0


鶴屋さんのシナリオを乱しに乱したのは俺だ。
故にこの探偵ごっこは鶴屋さんの物語ではなく俺と鶴屋さんの物語に変貌してしまった。

鶴屋さんが脇役で、俺が主役であったハズなのに。
俺の想いが鶴屋さんを主役にしてしまった。

俺という存在の謎。
いつの間にか妙な連中が周りに集まってくる。それはなぜだ?
多分答えはない。
それは俺が普通すぎるからか。
普通でありながら普通じゃない連中や状況を受け入れようとしてきたからか。
あるいは、普通じゃない連中の普通の部分を見ようとしてきたからなのかもしれない。

鶴屋さんはだんだんと俺と接しているうちに、
普通に、俺を好きになってくれたのかもしれない。どの時点で何故とかではなく。

この広場で鶴屋さんは俺に、自分と俺との違いはなんだと尋ねた。

俺の返答は散々なものだった。
そりゃぁ宇宙人未来人超能力者に比べれば俺たちは普通の部類に入るんだろう。
だが、それでも、視点を俺と鶴屋さんの範囲に絞れば
その相違は宇宙人未来人超能力者に匹敵する大きさな隔たりになる。

それが俺と鶴屋さんの間に伸びる溝の正体であり
鶴屋さんが俺と一緒にいることを諦めた根本なのだ。

鶴屋さんは、全然普通なんかじゃない。
それは比較対象としての俺があまりにも普通すぎるからだ。

374 名前:20-39[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:26:50.58 ID:Rkgal7Au0


普通で平凡で、何の見所も驚きもないからだ。
最初の調査の日にされた質問。そんなあまりにも平凡な俺が
どうしてあんな奇々怪界な連中と四六時中一緒にいられるのか。
それが鶴屋さんが俺に見出した最大のミステリーだった。

自分にはできないことが俺にはできると言ってくれた。
だからか。だからなのか。

普通じゃない自分にも普通の恋愛ができるかもと。
横たわる溝を、俺なら、飛び越えられるかもと。
鶴屋さんが本当に俺のことを拒絶したいのなら、この場に来る必要などなかった。
ただ暗黙の中に、放置すればよかったのだ。

そうすれば俺は普通に、あまりにも普通に諦めていただろうし、
鶴屋さんも敗北の危険を犯すことはなかった。
それでも鶴屋さんがここに来たのは、ここにやって来たこと自体が、
心の底では自分の敗北を望んでのことだったのかもしれない。

俺ならばその隔たりを飛び越えられるかもしれないと。期待して。

そんなに居心地がいいんだろうか、俺のそばは。
俺は、どんな奇天烈な人間でもなんとか受け入れてきた。
故に、自分も受け入れてもらえるかもしれないと思ったのか。だからなのか。
鶴屋さんがかつてつぶやいた言葉。

(キョンくんは……いい子だね……)

その一言がすべてだったのか。

375 名前:20-40[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:29:05.42 ID:Rkgal7Au0


俺のそばでは、普通でないことが許されているから。
鶴屋さんは俺に笑いかけてくれたのかもしれない。

キョン「────鶴屋さん……あなたです」

鶴屋さんの背後で、あらゆるロジックが音を立てて崩壊した。
俺の布石も、鶴屋さんの防御線もすべて巻き込んで、
現状を保つためのありとあらゆる鶴屋さんの努力を俺の一言が吹き飛ばした。

鶴屋さんがSOS団のサブ的な立ち位置で関わり続ける為に
必要だった条件は俺自身を遠ざけること。
その目論見は呆気なく崩れ去った。

今や鶴屋さんは、ハルヒや朝比奈さんや長門や、
ついでに古泉も押しのけて、ついに主役に躍り出てしまった。

鶴屋さんとSOS団とのつかず離れずの位置関係は、完全に崩壊したのだ。
修復不能な深い傷跡と共に。

鶴屋さんの両手が力なくわなないた。
置き場の定まらないその手は鶴屋さんの額に添えられ、
頭を抱える格好になった鶴屋さんは肩をいからせて震えていた。

丸まるように身を屈めて、その場に座り込んでしまった。
俺の位置からその表情をうかがい知ることはできない。
泣いているのか、困っているのか、
悔しんでいるのか、悲しんでいるのか。

俺にはわからない。

376 名前:20-41end[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:31:14.46 ID:Rkgal7Au0


ちょうどその時、時計が鳴った。日付の変更を知らせる、控えめな鐘の音が。

近所迷惑に配慮したそれが。


今日は十三日。午前0時0分だった。










377 名前:21-1[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:34:32.31 ID:Rkgal7Au0


十三日目。午前0時1分。
身をかがめたまま顔を上げない鶴屋さんに俺はゆっくりと歩み寄った。

驚かせないように気を遣ったつもりではあったが、
俺が数歩手前に足を置いた時点で鶴屋さんは怯えるようにその身をすくめた。

手痛い失敗をしてしまって親に叱られるのをただ怯えて待つ子供のように、
小さく丸まって震えていた。
まるでそのまま嵐が過ぎ去って欲しいとでも願うように。
小さな動物のように無力に震えていた。

俺が二の腕に手を添えると一際大きく身体が強ばり、そのまま拒絶するように首をすぼめた。
そんな鶴屋さんは全然鶴屋さんらしくなかった。

思えば今日この広場で出会ってから、鶴屋さんは全然鶴屋さんらしくなかった。

尊大な態度を取ってみたり、邪悪に笑ってみたり、見下すような蔑むような視線を送ってみたり。
そんな行為は全然鶴屋さんらしくなかった。

鶴屋さんだってきっと無理をしていたのだ。
必死になって俺を遠ざけようとしていたのだ。

SOS団の今と今までを壊さない、ただそれだけのために。それだけを願って。

たとえそれで鶴屋さんの心にどれだけ深い傷を残そうとも、
自分を犠牲にしてまで俺たちを守ろうとしてくれていたのだ。
そんな鶴屋さんの願いを俺は木っ端微塵に踏み砕いた。

残酷な方法で、最低最悪の犯行として。

379 名前:21-2[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:38:06.11 ID:Rkgal7Au0


今この場で俺を裁いてくれる探偵はどこにもいなかった。
居るとすればそれは俺自身で、償いの機会は今この瞬間しかなかった。

俺はうつむいた鶴屋さんの頬に手を添えて無理やり顔を上げさせようとする。
むずかるように、拒むように肩と首をゆすった鶴屋さんは、
やがて抵抗するのを諦め俺の手に導かれるままに顔を上げた。

鶴屋さんは泣きじゃくっていた。声もあげず、音も出さず。
無言の沈黙の中で泣きじゃくっていた。

頬は真っ赤に染まり大粒の涙を流しながら泣いていた。
かすかな嗚咽が聞こえた気がしたが、風の音と区別がつかなかった。

それくらいに声を殺して、鶴屋さんは泣いていた。

きつく結ばれた唇がゆるんで大きく息を吐いた鶴屋さんはその場に倒れこみそうになった。

そんな鶴屋さんを脇から支え、もう一度その表情を伺った時、
鶴屋さんの表情はどこか安心したような、
張り詰めていた気がすべて抜けきってしまったような穏やかな笑みを浮かべていた。

そして力ないながらも何かを言おうとする。
上手く呼吸が出来ないのか、苦しそうに宙を噛んでいる。

鶴屋さんの背中をさすりながら俺は言葉を待った。
鶴屋さんはそんな俺に唇の動きだけでありがとうを言うと、
数回深呼吸を繰り返してようやく落ち着いたらしい。

そしてゆっくりと口を開いた。

380 名前:21-3[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:40:15.87 ID:Rkgal7Au0


鶴屋さん「あはは……負け……ちったよ……
      すごいなぁ……キョンくんは……っ……
      このあたしに、勝つなんて……さっ……♪」

そう言いながら力なく笑った。
ついでに片目でウィンクをして、俺の労をねぎらうように優しく笑いかけてもくれた。

それでもそれが精一杯だったようで、糸が切れた人形のように
その場にへたりこんだ鶴屋さんは助け舟を出せと促すように上目遣いに俺を見上げてきた。

その姿はなんとも可愛らしかったのだが、
そうやっていつまでも見ているだけの俺に業を煮やした鶴屋さんの目つきは
だんだんと責めるようにキツくなっていく。

俺が鶴屋さんを抱き抱えると一瞬困ったような恥ずかしがるような表情になった後、
「よろしいっ」と堂々たる先輩の威厳を以てして納得したように頷くのだった。

鶴屋さん「そこのさ……ベンチでいっから、座らしてくんないかな……
      いつまでもこうしてるのは……ちょっち……恥ずかしいっからさっ……」

そう言って俺の手をポンポンと軽く叩く。
若干胸元に手が当たっていたのだがそんな俺の手を強く拒むでもなく
何か言いたげな表情を俺に向けた後で鶴屋さんは恥ずかしそうにうつむいた。

半ば偶然、半ば確信的な俺の犯行に文句ひとつ言わず、
恥ずかしさに耐えるように唇を結ぶ鶴屋さんの横顔を見ながら
俺は嫌がられないのは愛されているからなのかもしれないなどと自分勝手な感慨に浸っていた。

あんまりそこにあぐらをかいていると手痛いお仕置きを受けそうなのでこれぐらいにしておこう。

381 名前:21-4[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:43:38.33 ID:Rkgal7Au0


今はスロットの確変フィーバータイムみたいなもんなんだろうからな。
あんまり調子に乗ってると箱の中身が空になる。

そうなったとき、鶴屋さんがまだ笑っていてくればいいのだが。
そうじゃないだろうな。よしておこう。

鶴屋さんを抱える姿勢をお姫様抱っこに切り替えて
俺は慣れない重心の変化によたよたと振らつきながらもベンチへとたどり着いた。

突然抱え上げられたことに驚いた鶴屋さんがいよいよ抗議の色を濃くし
調子に乗るなと言わんばかりに腕の中でじたばたと暴れ始めた。

なんというか、虎の子供をさらってきたような心地だった。
未成熟ながらも鋭い爪で引っ掻いてくる虎の子の攻勢を受けながら、
俺はなんとか鶴屋さんをベンチに座らせた。

ベンチに座った途端に借りてきた猫のように大人しくなった鶴屋さんは
そのまま肩を落とし膝を抱えて縮こまってしまった。

抱えた膝の隙間からチラチラと俺の顔色を伺うように視線を向けてくる。
そのなんとも鶴屋さんらしくない姿に今ひとつ納得できなかった俺は
鶴屋さんの隣にどっかと腰を下ろした。

一瞬怯えるように肩を抱いて身をすくめた鶴屋さんだったが、
俺の不満そうな表情を見て対抗心を燃やしたのだろう。なんと蹴りかかってきた。

足を踏むところから初めてすねから膝下から太ももへとだんだんと登っていき
最後は横っ腹を思いっきり連続蹴りされた。
両手をベンチについてなんとも嬉しそうに俺を蹴ってくる鶴屋さんの表情は晴れやかだった。

382 名前:21-5[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:46:08.24 ID:Rkgal7Au0


おそらくあの申し訳なさそうな表情の裏側では反撃の機会を終始伺っていたのだろう。
仕掛けた罠にハマった獲物を見るように嬉しそうな顔で俺に攻撃を仕掛けてくる。

ワンピースの奥に何度かチラチラと覗くものがあったのだがそれでもお構いなしに俺を蹴ってきた。

生意気な後輩の出る杭を必死で打つような、自分の体面を必死になって保とうとしているような、
非常に大人気ない鶴屋さんがそこにいた。

しかしそれはある意味俺への信頼の裏返しのようでいてなんとも心地よかった。
蹴るのに飽きた鶴屋さんはくるりと背後に向き替えるそのままベンチの手すりを蹴ってもたれかかってきた。

十一日にそうしたように、俺の膝の上に頭を置く。
まるで自分の指定席だと言わんばかりにふんぞり返って、堂々たる威厳を伴って居座っていた。

いささか不法占拠だとは思ったのだがそれは言わないでおいた。

鶴屋さんの俺を見る目がとても真剣だったからだ。
そしてその真剣な表情のままで、
俺の鼻先や口元を指先でつついて攻撃してくるもんだからたまらない。

俺はなすすべなく顔面をぐりぐりと弄ばれながら、
ケラケラと笑う鶴屋さんの格好の玩具と化したのだった。


384 名前:21-6[] 投稿日:2010/03/15(月) 22:48:24.33 ID:Rkgal7Au0


一通り表情を作って遊び終えた鶴屋さんは足も手も投げ出しだらりと力を抜いて俺に体重を預けてくる。

このままだとうっ血しそうだなと思いながらも
そんな鶴屋さんを押しのけることもできず俺は座布団に徹していた。

鶴屋さんはくるくると自分の髪を弄んだり、
その髪を鞭のようにしならせて俺の顔を叩いたりしてくるのだが、
俺が無言の置物に徹しているのが気に入らなかったのだろう。

かまって欲しがる飼い猫のように俺の腹に額をこすりつけてきた。
そのなんとも言えないむずがゆさというかくすぐったさに負けて、
俺は手のひらを上に向けて降参の意を示した。

見下ろした鶴屋さんの表情はなんとも穏やかで、まなざしは暖かだった。
先程俺をなじっていた時に見せたような、陰りも淀みも微塵もなく。
透き通ったまなざしを向けていた。そして俺の頬に手を添えると愉快そうに微笑んだ。

「それでよしっ!」と、聞こえた気がした。

目で語り表情で語った鶴屋さんは、「よっ!」という掛け声と共に起き上がると
正面に向き直り俺の肩にしなだれかかってきた。

全身全霊で甘えてくる鶴屋さんに対抗する手段もなく、
ただそれもシャクだったので一応手ぐらいは背中に回しておいた。

それで十分だと言うように、
猫の喉鳴らしの声まねをした鶴屋さんは額を俺の顔面にこすりつけてきた。
というかほとんど頭突きをくらったような形になった。
俺がうめき声をあげるのもかまわずに額を頬にめりこませてくる。

385 名前:21-7end[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 22:50:34.23 ID:Rkgal7Au0


それがだんだんと上に登って額と額がくっつき合った瞬間に目と目が合わさった。
鶴屋さんの瞳の奥にはここまで近づかないとわからないくらい
かすかな動揺と不安の色が浮かんでいた。

そのままおずおずとまぶたを閉じた鶴屋さんが何を要求しているかなんて考えるまでもなかった。

俺もゆっくりと目を閉じてそのまま互いの唇を重ねた。

触れているだけの、重ねているだけのささやかな口づけだった。

俺はいつまでもそうしていたかったが、
皮肉なことに鶴屋さんが笑い出したせいでせっかくの雰囲気は台なしになったのだった。

「ごめんごめんっ!」と謝りながらも愉快そうに、
嬉しそうにしている鶴屋さんの笑顔を見ていると、
まぁこれもいいかと思えてくるのだからタチが悪かった。

そうしてしばらくの間、俺たちは互いをからかい合ったのだった。
先程までの傷を癒すように、積極的に、傷ついた獣のように。



互いの傷を舐めあったのだった。

437 名前:22-1[] 投稿日:2010/03/16(火) 19:45:11.78 ID:q2mzJGXr0


鶴屋さん「あ、あのさっ! キョンくんっ……。
      た、ためしに下の……名前で読んでくれないっかなっ……
      お願いしてもいいにょろ……? そいでよければその後も、
      ずっとそうして欲しいっさっ! ……ダメ、かなっ?」

鶴屋さんが突然妙なことを言い出す。
フルネームでかまいませんか、と言うとジト目で睨まれてしまった。

俺はいい加減ふざけるのをやめた。
鶴屋さんは耳元で囁くように言って欲しいと言う。

その指示に従って俺は鶴屋さんの耳元に口を寄せその名前をささやいた。

キョン「……────っ」

鶴屋さんの頬が真っ赤に染まる。
そして手を顔の前でひっきりなしに交差させると
俺の顔をまともに見れないそのままで叫ぶように言う。

鶴屋さん「や、やっぱいいよっ! い、今のなしなし!
      今まで通りで、それでいっからさっ!
      そんな風に見ないでほしいっさっ……た、頼むよキョンくん……」

俺のニヤニヤ笑いに心底バツが悪そうにした鶴屋さんは言葉尻を上ずらせた。
俺に名前で呼ばれるのはそんなに気恥ずかしいことなのだろうか。

俺も鶴屋さんに名前で呼ばれたら恥ずかしさでこんな風になるのかもしれない。
案外今の呼び名のままでいるのがちょうどいいのかもしれないな。

438 名前:22-2[] 投稿日:2010/03/16(火) 19:49:04.92 ID:q2mzJGXr0


とはいえ鶴屋さんだけが俺の本名を読んでくれるっていうのも非常に特別な感じがして
想像するだけで腰の据わりがゆるくなるのも決して悪い気はしないのだが。

キョン「まぁ、ダーリンよりはマシですよね」

鶴屋さんが信じられないといった表情で俺を見る。
その顔は自分の名前を呼ばれた時以上に真っ赤だった。

この人は顔色をあと何色残してらっしゃるのだろーか。
紅に朱を重ねがけしたような夕日も裸足の強烈な赤を浮かべながら
鶴屋さんは声をなくして押し黙った。

案外こういう、色恋沙汰には疎い人なのかもしれない。
余裕綽々で他人の恋路を応援する人間にはまぁありがちな話だと言える。

ただそれが鶴屋さんに起こるというのはらしくないというか心底意外というか、
あぁこの人も人間だったんだなぁという若干どころか思いっきり失礼な
感慨と安心感を俺に与えるのであった。

そんなニヤつく俺の考えを
いとも容易く見透かした鶴屋さんの視線が痛いくらいに突き刺さる。
うつむき加減はそのままに非難するような視線を俺に向けてくる。

おもちゃにするな、という抗議の視線だった。

だが構うことはない。
今更鶴屋さんに何を見透かされようとどんな不埒をたしなめられようと、
意に介さない自信がある。むしろそうして叱られる立場に居たほうが、
自分がからかっているよりも居心地がいいのだからしょうがない。

439 名前:22-3[] 投稿日:2010/03/16(火) 19:52:38.35 ID:q2mzJGXr0


諦めてください鶴屋さん、
今の俺はレベルカンストのモリアーティ教授より悪趣味です。

俺は鶴屋さんの抗議の視線に明るい笑みを返して応える。
鶴屋さんは呆気に取られたようだった。

次いで睨むような責めるような視線に変わる。
その瞳にはかなりの凄みがあったが俺は意に介さない。

とはいえからかう意思はなく、ただ純粋に、なんとなく。
微笑んでみたかったからそうしただけだ。

さらに疑り深そうな表情に変わった鶴屋さんも、
「しょーがないなっ」と鼻息まじりのため息をついて俺に微笑み返してくれた。

ただそれは俺なんかとは比べ物にならないくらい晴れやかで、
優しくて、輝くような笑顔だった。実際八重歯が輝いていたと思うのだが、
それは光の加減であったと思うことにしよう。

この人の八重歯は自ら発光するんじゃないか、などという超常現象は、
今のところ俺にはどうでもよかったからだ。

ただこの人が笑っていてくれればそれでいい。
それですべてが報われる。一点のくもりもなくそう思える。

俺は、鶴屋さんをぐいっと抱き寄せた。
友達同士でするように、兄妹同士でするように、ぶっきらぼうに、自然に。
鶴屋さんが困ったような恥ずかしがるような表情を浮かべるのもかまわずに。
その額に口づけた。

440 名前:22-4end[] 投稿日:2010/03/16(火) 19:54:46.94 ID:q2mzJGXr0


直後思いっきり鶴屋さんに頭突きをかまされた俺は、
ゆっくりとベンチの下に落下していきながら
こういうバカで漫才じみた喧騒を繰り返し続けるのもまた、
悪くはないと思った。

地面に落ちるその直前に、
怒ったように笑う鶴屋さんのしてやったりといった瞳に目を奪われて。

受身を取ることも忘れた俺は背中を地面にしたたかに打ち付けた。

繰り返す、そんな日々に想いを馳せながら。

叶わないことだと知りながらも。

それでも想いを止めることはできなかった。

441 名前:23-1[] 投稿日:2010/03/16(火) 19:57:50.61 ID:q2mzJGXr0


俺と鶴屋さんは表通りへとつながる並木道を会話をしながら歩いていた。
俺たちは互いの事情のおさらいというか種明かしというか、
説明会のようなものを開いていた。

キョン「電話に出なくなったのはどうしてだったんですか?」

俺の質問に鶴屋さんは言いづらそうに困ったように
「んーっ」とうなると観念したように口を開いた。

鶴屋さん「出なかった、っていうか出られなかった、
      って言ったらキョンくんは信じてくれるかいっ?」

キョン「信じますよ、なんでも。今更疑り合ったって何にもなりませんからね」

鶴屋さん「あははっ、まーねっ。
      そん時にはもう大分キョンくんのことが気になってた、
      って言ったら笑うかいっ!?」

俺の正面に回り込んでズビッと指を突き出す鶴屋さんはどこか焦っているような表情だった。
それはまず間違いなく俺が鶴屋さんを本格的に好きになった時点よりも前のことである。
そうなってくると鶴屋さんはよそうやめようという気持ち半分、
俺の気を引こうという気持ち半分で俺と調査を続けていたことになる。

本当は三日の時点で打ち切ってもよかったそうなのだが、
四日に自転車を取りに来た俺をこっそりとどこかから見ていたらしく
去っていく後ろ姿を見ていると急に名残惜しくなって
翌五日目まで丸一日半悩みに悩んで悩みぬいて
結局六日目に電話をかけてきたらしいのだ。
電話口の様子がおかしかった理由はそういうわけだったのである。

442 名前:23-2[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:03:02.38 ID:q2mzJGXr0


鶴屋さん「そいでさっ、七日目にあーいう失敗をしちゃったわけだけどさっ、
      許して欲しいとは言わないよっ、ただ、ちょっとだけ
      あたしの気持ちもわかってもらえると助かるっさ……
      そう言えた義理じゃないってのは、わかってるんだけどねっ……」

まぁ無理もないというか、あの時点で相当期待する方向へ
針が振れていた鶴屋さんは俺のバカげた冗談に失望と怒り心頭と
なにがしかの安堵を覚えそんな様々なやりきれなさを爆発させて
俺にコーヒーカップを投げつけたそうなのだ。

しかしまぁ、下手をしたらあの時点でエンディングを迎えていたかもしれないと思うと
それはそれで勿体のないことだなぁと思う俺がいた。

なんだかんだで今の今まで状況を引きずりに引きずったことは
決して無駄ではないよな、と、鶴屋さんには悪いと思いながらも
俺はそんな風に思ったのだった。

俺の考えを知ってか知らずか不満と申し訳なさという相反する感情を
同時ににじませる複雑な表情を作りながら鶴屋さんは俺を見る。
なんとも言えない寂しさをたたえた表情だった。

九日にも言った分かって欲しい、の正体はこれだったのだ。
そばに居るのに理解がないのではそばにいる気がしない、
そんなことを訴えかけていたのだ。
とはいえなんとかその理解の壁を乗り越えて今、俺と鶴屋さんはここにいる。
それは確かなことだった。話は十日目のことに移る。

鶴屋さん「あん時すんごいこと言ってくれちゃったよね、
      キョンくんはっ! まったく困った子だったにょろっ」

443 名前:23-3[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:06:29.18 ID:q2mzJGXr0


キョン「なんて言いましたっけ」

俺はわざととぼけて見せる。
鶴屋さんの非難するような視線に構うことなくおどけるように肩をすくめて見せた。

俺に自分から言わせることを諦めた鶴屋さんは
半ば呆れながらも恥ずかしそうに、言いにくさをなんとか堪えながら言う。

鶴屋さん「あー、ほらっ、あたしにさ、なんだっけ……
      ほにゃららを向ける……とか……っ」

キョン「向けましたねぇ、溢れる若さを」

まぁ今もなんですけどね。とは付け足さないでおいた。

鶴屋さん「じゃぁさ、キョンくんは、あたしにそんな風に言われてもへーきなのかいっ!?
      ふつーにしてられるのかいっ!? どーなのさっ!」

俺はえっへんと胸を張り居丈高に構える。

キョン「わりと平──」

そんな冗談を飛ばすまでもなく鶴屋さん渾身のローキックが
俺の弁慶的な泣き所にめり込んだ。

そのままその場に硬直した俺が力なく「全然平気じゃありません……」と言うと
鶴屋さんはぷんすか怒りながらも納得したように両手を組んで頷いてくれたのだった。
二の矢三の矢が飛んで来なかったのは幸運だった。
この場で立ち往生するというのはさすがにあんまりな結末だと思えたからだ。

444 名前:23-4[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:11:24.39 ID:q2mzJGXr0


不意に鶴屋さんの表情が曇る。
先程とは違った意味で言いにくそうな許しをこうような表情に変わる。

鶴屋さん「デパートで遊んだ後でさ、さっきの広場で話したにょろっ……
      いろいろ……あたしが質問したことをさっ、キョンくんは覚えてるっかなっ?
      あん時すっげー困らせちゃったと思うん……だけどさっ……」

口調は軽くとも重たそうに話す。
俺が尋ねられたこと。俺と鶴屋さんの違いについて。
あの時上手く答えられなかった俺は直後に深く後悔した。
もっとしっかりと答えられればよかったと。それはいまだに尾を引いていたのだ。

キョン「あん時は……上手く答えられなくてすいませんでした」

鶴屋さん「いーよいーよっ! 別にあたしが勝手に気にして尋ねたことだかんね……
      ただちょっと……やっぱ違いすぎんのかなーって思って
      がっかりしちゃったんだけどね。キョンくんが悪いんじゃないよっ、
      あたしが勝手にそー思っただけだからさっ、全然、気にしなくてもいいっさっ」

気にしないわけはなく。
質問を終えた時点で俺との残酷なまでの相違と距離感を認識して
ついに気持ちを諦める決心をした鶴屋さんの心はボロボロにすり切れていたのである。

俺はあの時の自分のあまりの不甲斐なさに改めて後悔した。
もっと気の利いたことが言えていたなら。
鶴屋さんほどの知恵のめぐりを以てしてその心の負担を軽くできていたなら。
最終的に戦い合うことはなかったのかもしれない。傷つけあうことはなかったのかもしれない。
そう思うと胸が痛んだ。結局のところ、俺がすべての原因で
状況を悪化させる根源であるという点はいつの時点でもまったく変わらなかったのである。

446 名前:23-5[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:16:06.77 ID:q2mzJGXr0


キョン「鶴屋さん……俺は……わからなかったんですよ。
    あなたをそばに居続けられる理由が。そんなこと、思いもつかなかった。
    最初から、無理だと諦めてたんですよね。だから、そこにあなたは失望した」

鶴屋さんは俺の言葉には何も答えなかった。
ただそれでも、そんな俺をいたわるように優しく微笑んでくれた。

むしろ許されたいのは俺の方だったが、
鶴屋さんはただ理解を示すように笑いかけてくれた。

鶴屋さん「諦めかけてたのはあたしも同じだけどさっ、
      キョンくんは最後には諦めなかったっさっ。
      あたしはとっくに諦めてたのにさ、キョンくんは諦めなかった。
      だからあたしはキョンくんに勝てなかったのさっ、
      あたしはキョンくんと戦う前から、自分自身に負けてたんだかんねっ、
      だからキョンくん、誇っていいにょろっ。自慢していいっさっ。
      あたしにだけは偉そうにしてもいいにょろよっ?」

そう言っていたずらっぽく微笑んだ。
無論俺がそんな風にしないことを見越した上でのことだった。
その予想を裏切ってもいいのだが、それはよそう、などという
ダジャレめいた感想を漏らす前に、俺には言うべき言葉があったのだ。

キョン「鶴屋さん……このまま……帰るつもりですか……?」

鶴屋さんの足が止まる。
どちらが先に言い出すかはわからなかったが、結局は時間の問題だった。
俺は時計の針を少し進めただけ。その理由はたった一つ。
今日はもう十三日。今日を含めて春休みは残すところ二日しかないのだから。

447 名前:23-6[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:18:36.52 ID:q2mzJGXr0


立ち止まった鶴屋さんの方へと振り返る。
鶴屋さんは戸惑うような困ったような表情を浮かべていた。

薄暗がりの中でその頬が何色に染まっているかなど考える必要もなく、
俺も困ったようなカオを作って頭の後ろをかいてみせた。

全身から頑張りました、褒めてくださいオーラを発している俺を
見て吹き出しそうになった鶴屋さんが、笑い声を押し殺した理由はただ一つ。

この雰囲気を壊したくなかったから。茶化したくなかったからだろう。

まっすぐに向き直ったとき、鶴屋さんの表情は穏やかだった。

そしてたった一言、「おっけー!」と言った。

まだ俺が何も言っていないのに、ただ帰るのかどうか尋ねただけなのに、
鶴屋さんはイエスと言った。

それはこのまま帰るという意味なんかでは勿論なく。

言葉の裏のその枠線の外側で意思を通じた俺たちは手を取り合って歩き始めた。

さすがに終電は過ぎていたのでタクシーに乗ることになったのだが、
得意げに万札をピラピラと見せびらかす鶴屋さんに俺は土下座でもってして応えたのだった。

というか平伏というのだろう。背後にまだその辺をうろついていたカップル共が
クスクス笑う声を背負いながら俺と鶴屋さんはタクシーに乗り込んだ。

向かう先は決まっている。鶴屋さんが自宅に戻らないというのなら行き先は一つだけ。

448 名前:23-7end[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:20:42.27 ID:q2mzJGXr0


そこへ向けてタクシーは走る。

俺と鶴屋さんのありとあらゆる感情を乗せて。

健闘を讃えるように鶴屋さんが俺の肩をバシンと叩いた後、
そのままくたっともたれかかってきた。

そのままゆらゆらとゆられながら、何をするでもなく時を過ごす。

まくれあがった鶴屋さんのワンピースの裾を直そうとして指をかけたその時、
手の甲を指先でつねられたのは何を隠そう、



俺がさらにまくりあげようとしたからに他ならないのだった。

449 名前:24-1[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:23:02.37 ID:q2mzJGXr0


俺の自宅の前にやってきた俺と鶴屋さんは妹や両親を起こさないように
静かに鍵を開けこっそりと抜き足差し足で階段を登っていった。
特に妹なんかは同じ二階で眠っているで細心の注意を要した。

息を殺し床が軋むたびにハッとしながらも
なんとか自室にもぐりこんでドアを占めたとき、
俺と鶴屋さんは深い安堵のため息を吐いた。

俺がそのままベッドの上に腰を下ろすとそれにならって鶴屋さんもすぐ隣に腰を下ろした。
そしてそのままゴロンと横になると毛布や掛け布団を巻き込んでゴロゴロと転がり始めた。

器用に音を立てることなく布団を巻き込み終えた鶴屋さんは
その中からピョコンと顔だけを出した。なんとも、奇妙な光景だった。

たしか以前シャミセンがこんな感じでコーンフレークかなんかの
空き箱にもぐりこもうとしていたが、鶴屋さんにも似たような習性があるのかもしれない。

というのは俺の冗談なのだが、とにもかくにも鶴屋さんは俺の布団の中で
なにやらもぞもぞと動くばかりで一向に出てくる気配がない。

俺は怪訝に思い布団をまくって様子を伺おうとしたのだが、
まくったそこに当たり前のように鶴屋さんのおしりがあったので即座に閉じておいた。

別に裸だったというわけではなかったのだが
ワンピースが思いっきりまくれあがっていたのでさすがにこれはまずいと思ったんである。

俺がなんとも居心地悪く宙を仰いでいると背後から突然鶴屋さんが抱きついてきた。
いつの間にか布団の海から脱出していた鶴屋さんは
俺の耳元に唇を寄せて囁くように語りかけてくる。

450 名前:24-2[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:26:36.61 ID:q2mzJGXr0


鶴屋さん「キョンくん……? たしかイケないものをー、見たんじゃあないのかなっ?
      どーなのさっ? ね、キョンくん。さっさとはくじょーしたほーが身のためにょろっ!」

そう言ってがっちり俺の首をホールドしたまま髪の毛をワシャワシャとかき乱してくる。

キョン「ちょ、鶴屋さん、ダメです、妹とかが起きます、
    起きたら、それはもうまずいことですよっ」

鶴屋さん「んーっ? そんなことでお茶をにごそうとしてもダメさっ、さぁっ、
      何を見たのか白状するっさっ! じゃないと開放してあげないよっ!
      うりゃうりゃうりゃっ!」

俺が抗議の声を上げようとするのもかまわずに鶴屋さんは
背後から鼻先や口元をつついてきて俺の耳元でいたずらっぽく笑う。
そうして俺は特に何の意味もなく蜂の巣にされていた。

鶴屋さんはどうやら俺に触りたいだけらしい。
「えいさっ!」だの「とりゃさっ!」だのよくわからない掛け声と共に俺の顔中をつっつき回す。
若干迷惑に感じてきたおれは先程の仕返しもあって
悪戯小僧ならぬ悪戯少女となった鶴屋さんに向き直って言い放つ。

キョン「正直言って、若干鬱陶し──」

鶴屋さん「やぁっ!」

キョン「──ぶぼほっっ!」

はずだったのだが目にも留まらぬ素早さで両頬を思いっきり両手で挟み込まれ
そのままホールドされてしまった。変形した顔面がひじょーに痛い。若干爪が食い込んでくる。

451 名前:24-3[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:29:32.18 ID:q2mzJGXr0


キョン「ひはひへふほへんはい(ひどいですよ先輩)」

鶴屋さん「キョンくんはっ、そーいうこと言っちゃだめにょろっ!」

ひどい言い草である。
つい一時間ほど前まで散々俺の精神と神経を痛めつけておいて
何をおっしゃるのだろうかこの傍若無人娘さんは。

キョン「ひふんはっへはっひはひっへははひへふは
    (自分だってさっきは言ってたじゃないですか)」

俺はタコチューの口のまま抗議するもまったくもって聞き入れてもらえなかった。

鶴屋さん「そーだけど、そーだけどさっ……キョンくんは言っちゃだめ!
      ダメったらだめさっ! とにかくだーめーにょーろっ!」

発言に後悔をにじませながらもそれより俺の口から
そのワードが出ることを阻止する方が先決らしい。
鶴屋さんは駄々っ子のように俺の口からその言葉が飛び出すことを妨げていた。

あからさまにわがままを押し通そうとする鶴屋さんの表情は本当に子供のようだった。

そうしてすっかり童心に返った鶴屋さんは全身全霊体当たりでもってして
俺に甘えてくれていた。
そのどうしようもない甘ったるさに内心悪い気がしなかった俺は
鶴屋さんをたしなめようとは思わなかった。

鶴屋さんの手をなんとか振りほどき
俺はわざと不機嫌そうに表情を作ってぶっきらぼうに言う。

452 名前:24-4[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:32:36.32 ID:q2mzJGXr0


キョン「まーいーですよ、どーせ俺は鶴屋さんのていのいいおもちゃですからねっ」

子供っぽい鶴屋さんがたまらなくキュートだったからということだけではなく、
そうさせ続けることで今以上に鶴屋さんが俺のことを身近に感じてくれたらいいなあという
セコいんだかバカげてるんだかわからない淡い下心を抱いていたからだ。

キョン「ただ爪を食い込ませるのだけはやめていただきたいんですが?」

そう言うと鶴屋さんは「にししっ♪」と否定も肯定もしない
嬉しそうな笑みを返事の代わりにしたのだった。

要はこのどついたりはたいたりというのは素直にべたべたと触れない鶴屋さん流の
愛情表現みたいなもので、時々飛んでくるパンチやキックも
決して俺をサンドバッグ代わりにしているわけではなく──

鶴屋さん「ほいさっ!」

そう思った次の瞬間元気で控えめな掛け声とともに放たれた右ストレートが
みぞおち付近にめり込んで俺は「かふっ」という奇妙なうめき声をあげながら
ベッドの上に仰向けに倒れ込んだ。

倒れ込んだ俺の腹の上に鶴屋さんがボディプレスをかまし、
というか飛び上がってのしかかってきた。

妹とは違ってしっかりすっかり高校生の鶴屋さんがいくら細身でスレンダーで
スリーサイズの一番上がな行で始まろうとも、
それがトップなのかアンダーなのかはさておきそこはそれなりの体重があるわけで、
横隔膜が痙攣しているところにたたみかけるように
追い打ちをかけられたのだからたまったもんではない。

454 名前:24-5[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:35:41.94 ID:q2mzJGXr0


一瞬意識が遠のきかけた。
酸欠と呼吸困難による意識不明。危うくそうなるところだった。

それでも大して音をたてるでもない器用奇天烈な鶴屋さんは
俺の腹の上でしばらくもぞもぞと動いた後、
死にそうに呻く俺の顔の隣に手をついてまっすぐに見下ろしてきた。

鶴屋さん「さて……キョンくん、あたしをここに連れてきたんだから、
      とーぜん、こーいうことを考えてたんだよねっ?
      いけない子だなー、キョンくんはっ、ほんとにねっ!」

そう言って笑う鶴屋さんの表情はなんとも艶っぽく、
艶美というか妖艶というか、見たことがないくらいに扇情的だった。

事実そんな表情の鶴屋さんを見たことは一度限りもないわけで、
いつもの元気いっぱいでハキハキした表情や困った顔や
ケラケラと大笑いしている姿からは想像もつかないくらい女らしい鶴屋さんがそこにいた。
女性、というかもうほとんどネコ科の動物みたいだったが。

これはもう狩人の目だ。獲物はどこだ。どこだろうな。見当たらないのが残念である。

俺のそんなとぼけた態度を意にも介さず鶴屋さんは囁くように呟いた。

鶴屋さん「キョンくん……まだみくる達のことが気にかかるかいっ……?」

そう言って意地悪く笑う鶴屋さんの猫撫で声に
若干どころでは済まない戦慄を覚えながらも俺は問われるままを正直に答える。

キョン「えぇ、まぁ、すこ……し……は……」

455 名前:24-6[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:38:33.21 ID:q2mzJGXr0


ぶっちゃけそれが俺の本音である。
男の本音と言い換えてもいいだろう。

こうして鶴屋さんに押し倒されながらも今の未だに
朝比奈さんの愛らしい表情が忘れられない俺の胸の内を白日にさらして
鶴屋さんは納得したように俺を見下ろす。

しかしてそれが鶴屋さんの意をくじくわけもなく、
より一層勢いを盛り立てる結果になったのは言うまでもなく。

鶴屋さん「じゃぁっ、さっ……キョンくんが……
      他の子のことなんかほんの一瞬も考えらんなくなるくらい、
      あ・た・し・が! めちゃくちゃにしてあげるかんねっ!
      覚悟しておくっさ……いいね、キョンくんっ……?」

そう言い放つ鶴屋さんの目は俺を捉えて離さず完全に据わっていた。
息は荒く獲物を狩る直前の猛禽類のような、
今まさにご馳走にむしゃぶりつかんとする百獣の王者や深緑の覇者よろしく
辛抱たまらんといった艶っぽい表情を浮かべている。

タガが外れた鶴屋さんを俺なんかが制せようはずもなく。
鶴屋さんはあり得ないくらい積極的で獰猛だった。
手に入るはずがないと思っていた宝を前にして愉悦に打ち震えているようだった。
一方俺はまな板の上の鯉ならぬ皿の上のビフテキだったわけで、
憐れなすすべのない獲物はせめて完食されることを祈るのみだった。

キョン「あの……お手柔らかにお願いします……」

鶴屋さん「そーれーはっ、無理な相談ってもんさねっ!」

457 名前:24-7end[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:41:27.74 ID:q2mzJGXr0


その後がどれだけめちゃくちゃなことになったかは推して知るべし。
ただ大変だったとだけは言っておきたい。

そして誰が思いいたるまでもなく、
皿ごと平らげられたのは言うまでもない。

俺の名誉なんてものはそこにはまるでなかったのだった。







next 不能迷探偵キョン へ続く

459 名前:25-1[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:45:52.54 ID:q2mzJGXr0


都合三回は操を奪われたと思うのだが
鶴屋さんが休もうとするかというと全然そんなことはなかった。

既に十二割方グロッキーであった俺はオーバーした二割分の体力が
いったいどこから捻り出されてされているのか不思議に思いながらも
なんとか屹立していた。

ここでやれねば男が立たん、とまでは思いはしなかったものの
そうした俺の覚悟を箸にも棒にもかけるでもない鶴屋さんから
当然のように再戦を要求された。

「いや、もう勘弁してください」と言った瞬間強烈な空手チョップを眉間にくらった俺は
さらに一割ほど体力をオーバーロスして次のゲインまでにいったい何回くらい
余計に死ぬんだろうかと心配しながらも命令されるままに要求に応えた。

そうした中でも耳に聞こえる鶴屋さんの声はなんとも心地よく、
俺の体力を一時的かつ限界以上に引き上げるには十分であった。

何度も耳元で名前を呼ばれた。
残念なことに俺は自分の仕事にかかりっきりで呼び返すことはできなかったのだが、
それでも鶴屋さんは俺に不満を抱いてはいなかったようで満ち足りた笑みを浮かべていた。

上か下かは関係なく、鶴屋さんは満足しているようだった。
ただ俺とつながっているこの瞬間に、幸せを見出してくれているようだった。

鶴屋さん「キョンっ、くんはっ、どうにょろっ……? 気持ちいいっ、……かいっ、……?」

とぎれとぎれに俺を気遣うように尋ねながらも、
やはり答えは必要ないといった表情だった。

461 名前:25-2end[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:48:02.73 ID:q2mzJGXr0


聞かなくてもわかる、そう目で言っていた。

ただそれでもやはり口に出してしまうのは、
一つでも多くの器官でつながりを持っていたいという、
本能的なわがままというか、欲求なのだろう。

それは俺としても同じことで、
なんとか言葉を返したいという想いと共に別のものも高まっていく。

たった一言、肯定の意味を込めて鶴屋さんの名前を呼ぶ。
鶴屋さんは目を細めて嬉しがっていた。

最後に一回奥に触れ、思いのたけを出しきった俺は強烈な睡魔に襲われた。
そのまま気を失いかけた。

鶴屋さん「ありがとっさ……キョンくんっ……」

そう呼ぶ鶴屋さんの声が耳をくすぐって、俺はなんとか意識を保った。

微笑みかけてくれる鶴屋さんに同じようにそうしていると、朝まで眠ることはなく。


抱き合ったままでいられたのだった。

462 名前:26-1[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:52:31.74 ID:q2mzJGXr0


早朝までは起きていられたものの、その後見事に
爆睡した俺と鶴屋さんが目覚めた頃には時刻は既に正午を過ぎようとしていた。

慌てて服を着た俺と鶴屋さんは妹や両親に見つからないよう再びこそこそと
様子を伺いながら俺の自宅を後にした。
幸いにして家人もとい妹と両親は出払っていて、
全く存在の気配もなかったので俺は胸をほっとなでおろした。

まぁそれでも昨夜は少しと言わずに騒ぎ過ぎた感があったので
感づかれてやしないだろうなと不安にはなるのだが、
そん時はそん時で観念するしかない。

せめて相手が誰かくらいは秘密にしておきたいのでこそこそしていた次第である。

俺と鶴屋さんは家の前の坂道を下っていった。
鶴屋さんは手ぐしで乱れた髪の毛を直している。
長さが長さなので本当ならシャンプーの一つもしたいところだろうに。

少し心配になったのだがふるふると二三度首を振っただけで鶴屋さんの髪の毛は
何の手入れもしていないとは思えないくらいしなやかに風を切った。

さらりと流れた髪の毛にはキューティクルが整いその元々の質の高さを伺わせた。
さりげなくそうした鶴屋さんは見惚れる俺に気づいて不思議そうな表情をした後、

鶴屋さん「なになにっ、なんか面白いもんでも見っけたのかなっ?」

と興味津々に笑って俺の顔をのぞき込んだ。「えぇまぁ」と生返事をしながら
内心「ふーむ」と唸った俺の感心を余所に興味の対象その人は嬉しそうに笑っている。
どうやら俺の返事を待っているらしい。

463 名前:26-2[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:54:45.09 ID:q2mzJGXr0


まぁごまかしても意味のないことなので俺は正直に話すことにした。

キョン「鶴屋さんの髪がですね」

鶴屋さん「えっ!? ね、寝癖とかついてるのかいっ……?
      や、やだなキョンくん、気づいてるなら早く言っておくれよっ、
      後ろの方っかな、ちょっち直してもらってもいいかい? この辺とか、どうかなっ?」

鶴屋さんは俺の言葉をすべて聞かずに早とちりしたまま
うなじに手を添えて髪の毛を持ち上げる。

そのまま不安そうに俺の方をチラチラと横目に伺ってくる。
誤解させてしまって悪い気はしたのだが、
せっかく鶴屋さんが触ってもいいと言ってくれているのだから
ここは素直に触らせてもらおう。

背後から鶴屋さんの髪の毛に手を添えスッと軽くなぜる。
それは驚くほど艶やかだった。

力を入れれば吸いついてくるし、力を抜けばすっと馴染んだ。
まったく跳ねてなどはいなかったのだが、
一応は寝癖を直すような振りはしておかなくてはならない。

頭頂部からなでおろすように数回、人差し指と中指の間に髪を挟んで指櫛でといていく。

そうやっているとなんだか猫の毛づくろいをしているような気になってきた。
鶴屋さんの方も頭皮を撫でられるのは気持ちがいいらしい。
ゴロゴロとは言わなかったが、少しくすぐったそうに首をすぼめたり頭を振ったりしている。
そのたびにふわりと舞った髪の毛が俺の肌をくすぐった。

464 名前:26-3[] 投稿日:2010/03/16(火) 20:57:58.58 ID:q2mzJGXr0


なんとも言えない感慨にふけっているといつの間にか
両手で鶴屋さんの髪の毛を束ねてポニーテールを作っていた俺は
ハッと気づいて手を引っ込めた。

しかし時既に遅く、俺が決して寝癖を直しているわけではないことに気づいて
振り返った鶴屋さんが冷ややかな眼差しを投げかけてくる。

俺が居心地悪さに苦笑いしていると鶴屋さんの表情がニヤリと悪意に満ちた笑みに変わった。

あからさまに何かを企んでいた。
そして、今から俺がその犠牲になるから覚悟しておけ、と心の準備を促すものだった。

おおよそ何をされるかは見当がついていたのだが
その被害規模までは予測がつかなかった。

当然の如く、俺の甘い見通しと赦免への期待は粉々に打ち砕かれた。

坂の上に駆け上がって慎重差を埋めた鶴屋さんは
背後から俺にアイアンクローをかますとわしゃわしゃと髪の毛をもみくちゃにし始めた。
揺れる視界の中で為す術のなかった俺が開放された頃には
すっかり静電気が蓄えられてビロビロに伸び上がった髪の毛が爆発ヘアーを形作っていた。

触るたびにへなへなとちぢれる哀れな犠牲者達に
涙を捧げるまでもなく鶴屋さんの得意満面な笑みが視界いっぱいに広がった。

鶴屋さん「そんなにポニーテールにしてほしーんだったらさっ!
      ふつーに頼めばいいにょろっ!
      キョンくんっ、あたしの髪の毛で遊ぶのは禁止だよっ!
      じゃないともー触らせてあげないっさっ」

466 名前:26-4[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:00:51.22 ID:q2mzJGXr0


たしか俺は髪の毛を直して欲しいと頼まれていたハズなのだが、
いつの間にか俺から触っていたことになっているのはさておき、
つまり正面から堂々と頼めば鶴屋さんはポニーテールにしてくれると言うことなのだろうか。

俺の期待はいやが上にも高まってくる。
そんなわけで、正面玄関から堂々と闖入の許可を得た俺は
まったく何の遠慮もなく不躾に言い放つのだった。

キョン「すいませんでした、どうかポニーテールにしてくださいっ!」

些かの淀みも逡巡もプライドも感慨もなく底抜けに
あっけらかんと言い放った俺の表情のあまりの清々しさに呆気に取られたのか
鶴屋さんはポカンと口を開けたまま固まってしまった。

それでも数拍もすれば顔を伏せて口元に指の背を添えてクスクスと笑い出す。

まぁなんというか、俺にも少しは笑えるところがあるんだなと安心するところではあった。

何の面白みもないとすぐに飽きられてしまうかもしれないからなと
勝手に安堵していると鶴屋さんのグーパンが飛んできた。
幸い鼻先で急停止したので顔面が変形することはまぬがれた。

何を思って拳を突き出したのかはわからないが、要は調子に乗るなという牽制だろう。
そう思って拳の影から向こうを覗くとやはり鶴屋さんは笑っているのだった。

それでも俺がこうして時々おいたをすれば容赦なくお仕置きするぞっ、という意思が見て取れた。

それはもう、御自由に。
そういう意味を込めて俺は肩をすくめてみせる。

467 名前:26-5[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:03:02.54 ID:q2mzJGXr0


叩かれても蹴られても構いませんよ、と表情で語ると
鶴屋さんも手強い敵でも見るかのように顎に手を添えて「ふーんっ」と唸った。

やがて何かを思いついたのだろう。
クスクス笑いをした後俺に向き直って何かを訴えかけるような視線を投げかけてくる。
決して悪い気はしないながらも嫌な予感を背筋に感じ取っていた俺は
無意識のうちに、とっさに腰ポケットに入った財布をかばっていた。

そこまでわかっているのなら、と言いたげな表情で
イタズラ心を満開にした鶴屋さんは、

鶴屋さん「アイス買ってほしいにょろっ♪」

と目いっぱい可愛らしい作り笑顔を浮かべたのだった。

キョン「この季節にアイスですか……微妙に寒くないですか?」

鶴屋さん「ううん、平気にょろっ。だってキョンくんが食べんだかんねっ」

両手で顔を覆いその場に崩れ落ちたくなった俺は
うんともかんとも動けないままに両手を力なくだらと垂らして口を開けたまま宙を仰いだ。

顎の下から鶴屋さんの悪意に満ちた笑い声が聞こえてくる。

さすがこの人は人の弱点を突くすべを心得ていらっしゃる。

鉄拳制裁ならぬ経済制裁によって、哀れ俺の手綱は完全に鶴屋さんのものとなったのである。

まぁこうしているのも悪くはないと言える。そういう気持ちが俺の中にはあった。

468 名前:26-6end[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:05:54.64 ID:q2mzJGXr0


鶴屋さん「それじゃ、ちゃっちゃか遊びに出かけるよっ!
      時間は待っちゃくれないんだかんねっ!
      さぁ行くよキョンくんっ! いっち、にぃっ、さんっ、さーーー!」

キョン「さっ、さーーー……さー?」

なんだか微妙に気合いの入らない掛け声を上げならも
元気いっぱいに坂道を下っていく鶴屋さん。

俺もなんとか置いていかれないようについて走る。


今は十三日の多分二時くらい。

春休み終了まで、あと一日半しかないのだった。

469 名前:27-1[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:09:03.09 ID:q2mzJGXr0


俺と鶴屋さんは市街の公園というか広場のベンチに座って
コンビニで買ってきた棒アイスを片手に休憩していた。

ここに来るまで度々ダッシュを強要されて火照った身体には心地いいものだった。

先程自分は食べないと言っていた鶴屋さんも
何食わぬ顔で堂々と棒アイスに口をつけている。

舌先で棒アイスを控えめに舐める姿を横目に、
さて一つ不埒な妄想にでも浸ろうかと思ったところで
おもむろに大口を開けた鶴屋さんがバクリとアイスを噛みちぎった。

決して春先にアイスを食べたからではない寒気を背筋に感じて
俺は股の間がきゅっと引き締まる思いだった。

そんな俺を横目に見る鶴屋さんの視線が痛い。
やれやれと言いたげな表情を作ってから再びアイスに夢中になる。

やはり俺の考えなどはお見通しであるらしい。
というか微妙に誘導されているような気がするのは気のせいというか考え過ぎだろうか。

すっかり身体が冷えてしまい食欲までなくした俺は鶴屋さんに自分の棒アイスを差し出した。

キョン「これ、食べていいですよ、なんだか急に食欲がなくなっちまいまして……」

俺の差し出す棒アイスを見て「ふむっ」と小さく相槌を挟んだ鶴屋さんは
次いで何か面白いことでも思いついたような企むような表情に変わった。

鶴屋さん「なんだい、キョンくんっ? あたしに間接キスでもさせようっていうのかなっ?」

471 名前:27-2[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:11:53.96 ID:q2mzJGXr0


そう言って小首をかしげながらいたずらっぽく微笑む鶴屋さんに俺は返す言葉がなかった。

決してそんなことはまったくこれっぽっちも企んでなどいなかった俺は
慌てて自分を弁護しようとしたのだが、俺が口を開きかけたところで
いきなり鶴屋さんの棒アイスを無理やり口につっこまれた。

キョン「おふんっ────」

間抜けなうめき声を上げて俺は思わず口元を抑えた。

鶴屋さん「はいっ! どーぞっ!
      そんなに食べたいならそー言えばよかったのにさっ! にひひ♪」

そう言って鶴屋さんは俺のアイスに口をつける。

突っ込まれた棒アイスが口の中に思いっきり命中していた俺は
アイスの甘ったるさよりも上顎の痛みに悶絶していた。

鶴屋さんはと言うと「そんなに喜ばれると照れるっさ〜♪」などと
鼻歌混じりにニヤニヤ笑いを浮かべながら俺の肩をバシバシと叩いてくる。

完全にいじめっ子モードに入った鶴屋さんを止める方法はなく、
涙目の俺に棒アイスを事故かわざとか鼻先につっこんだりしながら
鶴屋さんは元気いっぱいにケラケラと笑っていた。

472 名前:27-3[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:15:15.04 ID:q2mzJGXr0


結局二本とも棒アイスを始末することになった俺は口一杯に広がる甘ったるさが
上顎に染みるのを我慢しつつなんとかすべてをなめきった。

俺の食べっぷりを横から観察していた鶴屋さんはしれっとした顔で
「おいしかったかなっ?」などと小首をかしげて上目遣いに訪ねてくる。

えぇ、そりゃぁもう美味しかったですとも。おかげさまで。

鶴屋さん「どの辺のフレーバーがよかったのかな?」

キョン「ここらへんですね、間違いなく」

そう言って俺は鶴屋さんの口元らへんを指差した。
鶴屋さんは俺の人差し指をしげしげと眺めながら「ほほーうっ!」と唸ってみせたかと思うと
突然俺の人差し指に噛みこうとした。

間一髪難を逃れた俺の人差し指を鶴屋さんは物欲しそうに見つめてくる。
いや、これは食べ物じゃありませんから。俺の指ですからマジで。

鶴屋さん「ここらへんっていうから味見してみよっかと思ってねっ。
      心配しなくてもほんとに食べたりしないってっ」

キョン「それなら昨夜さんざんなめまわしたじゃないで────」

473 名前:27-3-2[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:17:28.13 ID:q2mzJGXr0


突然鶴屋さんの人差し指が俺の口の中につっこまれた。
目にも留まらぬ早業で俺の舌をホールドし
鶴屋さんは反対側の人差し指を立ててちっちっと振ると、

鶴屋さん「キョンくん、そういう冗談はぁ、
      公共の場で言うもんじゃーないよねっ? わかるにょろっ!」

そう言って俺をたしなめた。



476 名前:27-4[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:19:44.85 ID:q2mzJGXr0


俺が力なくあうあうと下顎を震わせると納得したようで人差し指を引っ込めた。
そして何のためらいもなく俺の口につっこんだ人差し指を口に含むのだった。

俺は目眩がしそうになるのをなんとか堪えながら弱々しく鶴屋さんに尋ねる。

キョン「それ、美味いんですか……?」

鶴屋さん「まーまーかなっ」

そう言ってちゅぱっと音を立てながら人差し指を引き抜きちっちと振って
何事もなかったようにケロッとしている鶴屋さんを見ていると
こうして一喜一憂している自分が馬鹿らしくなってきた。

鶴屋さん「昨夜で思い出したんだけどさっ、広場でさ、キョンくん呼んでくれたよねっ。
      あたしの名前をさっ。親とかにしか呼ばれることないから
      時々わすれそーになるんだよねっ!
      自分の名前なのにおっかしーよねっ、にゃははっ♪」

キョン「そう言うなら俺だってそうですよ。
    俺の場合親も妹も知り合いの誰も呼んでくれないんで
    もうあってないような感じというかテストの答案用紙にしか書きませんからね。
    社会保障番号とほとんど変わらない感覚になってます」

鶴屋さんは「ふーんっ」と言ってしばらくキョロキョロと視線を動かした後、

鶴屋さん「じゃぁさっ、あたしがキョンくんのことを名前で呼んであげるっさ!
      まー、二人っきりのときだけだけどねっ! ……いいにょろ?」

俺の内心を伺うように俺の顔を覗き込んできた。

479 名前:27-5[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:21:59.45 ID:q2mzJGXr0


鶴屋さんは昨夜自分が呼ばれたときは気恥ずかしさで相当うろたえていた。

俺にもそういうところがあると思っているのか真剣に尋ねてくれているらしい。

キョン「いいですよ、ていうか、そっちの方が、俺としてはありがたいんで」

俺の許しを得て鶴屋さんの表情がぱぁっと明るくなる。
そしてしきりにガッツポーズを取ると俺に向き直ってビシリと指を突き出してきた。

それが危うく俺の顔面に命中しそうになる。
この人はいつか思いっきり突き指をするかもしれないな。
その時に備えて注意深く見守っておこう。うん。

鶴屋さん「じゃぁ、いくよ、せーのっ!
      ────って……キョンくんのお名前……なんだっけ……?」

俺はその場で盛大にひっくり返りそうになってしまった。

キョン「し、知らないのに呼ぼうとしてたんですか……
    ていうか、知らなかったんですか……」

鶴屋さん「ご、ごめんにょろ……自分でも気付かなくってさ……面目ないっさ……」

あんまりというにはあんまりな話ではあるが、まぁ仕方がないっちゃ仕方がない話ではある。

別段鶴屋さんに限った話ではなくいつの間にか周囲の誰もが忘れている、
それが俺の名前が持つ特性である。

もう今更何の感慨もわかない。俺もタフになったもんである。

480 名前:27-6[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:25:09.08 ID:q2mzJGXr0


鶴屋さん「昨日はあんだけ散々あたしのこと何知ってるんだっ、とか
      偉そうに言っておきながらさっ……
      あたしだってキョンくんのこと何にも知らなかったんだね……
      あはは……ごめんよっ……」

そう言ってふさぎ込みかける鶴屋さんのおでこを軽く指先で弾いて、
俺は少しだけ怒るような顔を作った。
鶴屋さんは額を押さえて少しだけ目尻に涙を浮かべながら俺を見上げる。

俺のデコピンが痛かったわけではないだろう。
どうやら純粋に自分の言ったことを後悔してくれているらしい。

そうして鶴屋さんは俺に助けを求めるような視線を送ってきた。

言いっこなし。その一言を込めて俺は軽く頬を吊り上げてみせた。

鶴屋さんは一瞬戸惑ったあと、俺の意図を察したのだろう。
恥ずかしそうに微笑み返してくれた。

鶴屋さん「それじゃぁ……あの、
      お、お名前を教えていただいても、いっかなっ……?」

キョン「いいですよ、それじゃぁ、少し耳を貸してください」

こういう言外のコミュニケーションが成立するのも鶴屋さんの勘の鋭さがあってのものだなと
感じ入りながら俺は鶴屋さんの耳元に口を寄せて自分の名前をそっと耳打ちした。漢字の方も忘れずに。
誰が聞いているというわけでもないと思うのだが、なんとなくそうした方がいいような気がした。
なぜかはわからない。おそらく永遠に。

481 名前:27-7[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:27:34.48 ID:q2mzJGXr0


俺の本名を聞いて意外そうな顔をした鶴屋さんは楽しそうに笑いなが言う。

鶴屋さん「へぇーっ、かっけー名前じゃんっ!
      なんとなく壮大で高貴な感じがするところがいいねっ」

なぜに俺の名前を聞いた人たちは皆一様にこういう反応をするのだろう。

不思議には思うものの一応は褒められているのだから何も言わずに納得しておこう。

そう自分に言い聞かせ何気なく向き直ると
鶴屋さんは何やら考え込むような表情になって視線を宙に漂わせていた。
なにやらつぶやくように唇を動かしている。何を考えてらっしゃるのだろうか。

鶴屋さん「うんっ! いいお名前だねっ、見栄えもばっちしさっ!」

キョン「何がばっちしなんですか?」

鶴屋さん「キョンくんの名前がうちの名字と合────」

そこまで言ってから鶴屋さんははっと我に返ったようで、
なんとも複雑な表情を浮かべながらゆっくりと俺の方へと向き直った。

笑っているような困っているような、泣き笑いにも似た表情を浮かべて苦笑している。
俺は意識して表情を作るでもなく、素直に自分の心情を浮かべた。

俺の困ったような笑みに何を見出したのか、鶴屋さんはそのまま顔を伏せてバタバタと悶え始めた。
もっと違うカオをしてもよかったのだが、嬉しさ半分恥ずかしさ半分で表情を作ってもどうせ
ギコチないニヤケ面になるのが関の山である。人間素直が一番だ。
まぁ今の鶴屋さんほど素直になってしまうとこういう墓穴を掘るハメになるのだが。

482 名前:27-8[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:32:00.61 ID:q2mzJGXr0


そんなことを思っているとおもむろに立ち上がった鶴屋さんが
両手で頭を抱えたままその場でぐるぐると回転を始めた。
何事にも豪快でスケールのでかい鶴屋さんは墓穴の堀り方も
そのリアクションもまた盛大なのだった。

ひとしきりぐるぐるとまわり終えて目が回ったらしい鶴屋さんは
そのままよたよたと後退り俺の膝の上に座り込んだ。

半ば確信的なもくろみを感じるものの
ここは鶴屋さんを立てて抗議の声はあげないでおく。
あまりにも堂々とした腰掛けっぷりに先程の失敗さえ
このための布石だったのではないかと思えるほどの見事な収まりっぷりに
俺は感嘆の呻き声を上げるのだった。

俺の胸元に後頭部をぐりぐりとこすりつけた鶴屋さんはそのままの姿勢で俺に話しかける。

鶴屋さん「ねっ、キョンくん。そーいやまだ言ってなかったんだけどさ。
      三日目のときにキョンくんに薬盛ったって言ったけど、
      あれ嘘だったんだよね」

なんですと? それじゃ俺はふつーに爆睡したってことですか。マジですか。

鶴屋さん「うんにゃっ、いちおー入れたには入れたんだけどね。
      薬じゃなくてお酒だったにょろ。
      それも大した量じゃなかったからさっ、
      あんなすぐにぶっ倒れるとは思わなくて驚いたさっ。
      そーいやあの時バタバタしてたから
      そのせーじゃないかなーって後で思ったにょろっ」

484 名前:27-9[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:35:26.92 ID:q2mzJGXr0


食事を終えた直後俺は不作法にも奥の戸を開いて廊下の向こう側を覗いたのだった。

薄暗い廊下の向こうを見つめながらホラーな映画のワンシーンを
思い出している真っ最中に鶴屋さんに発見されて悲鳴こそあげなかったものの
心臓が飛び出すかと思うくらい大げさに驚いた。

その後ほうほうの体で部屋に逃げ戻ったりあの時の俺の心臓は
激しく動悸を打っていたんじゃないだろうか。いや確実にそうなんである。

しかしなぜに鶴屋さん、あなたは俺の食事に酒を……。

鶴屋さん「やーっ、キョンくんが緊張してるみたいだったからさっ、
     ちょっとだけ酔わせたら話もし易くなっかなーって、
     まーほんとにそれだけだったんだよねーっ。ごめんにょろっ」

つまりは結局俺は自分自身の不躾と不作法と間抜けなリアクションによって
ものの見事に昏倒したわけである。
目も当てられないとは正にこのことだ。

鶴屋さんがこの話を顔を突き合わせずに話したのは
どうやら俺が顔を見られたくないだろうということを察してのことだったらしい。

ということは先程から続く一連の流れはすべてこのための伏線だったのだろうか?
いや、そうは思えないくらい恥ずかしがっていたような、いや、今は鶴屋さんのことじゃなく
俺自身の失敗が問題なのであって、というかもう何がなにやらわけがわからん。

俺の頭脳は思考と慚愧の狭間で揺れに揺れた挙句にオーバーフローして
ものの見事にショートしたのだった。
そんな俺の痴態を責めるでも慰めるでもなく鶴屋さんは言葉を続ける。

485 名前:27-10[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:38:28.00 ID:q2mzJGXr0


鶴屋さん「そいでさっ、キョンくんが寝ちゃったからどーしよーかと思ってたらね。
      そのままなんとなく寝顔を観察してたのさ」

俺はどんなアホ面をさらしていたのだろう。
だらしなく床にツバを垂らしたりしなかっただろうな……。
いまいち思い出せん。

鶴屋さん「そいで床に寝かせとくのもいたそーだったから膝枕したにょろ」

なんつーか。すいません、ほんとに。面目次第もございません。

鶴屋さん「あははっ、気にしないでいーさっ。
      飲ませたのはあたしなんだからさっ、キョンくんは被害者だよ。
      全部あたしが悪いのさっ」

キョン「や、そんなことはないと思いますよ。すくなくとも全部ってことは……」

鶴屋さん「んーん、全部だよ。キョンくんを膝の上で寝かせてたらさ、
      うちで文化祭の映画を撮影したときのことを思い出したにょろ。
      あん時は調子に乗りすぎてさ……迷惑かけちゃったからねっ、
      今でも忘れられないっさ」

文化祭の映画のワンシーン、古泉と朝比奈さんの濡れ場を撮ろうとしたハルヒが
鶴屋さんに酒を盛るよう頼んだんだったな。
その後はもう大変で、朝比奈さんはぶっ倒れるわ古泉はハルヒの言いなりだわ
ハルヒは妙にトゲトゲしいわ俺はマジギレするわでてんやわんやだった。

鶴屋さんも端っこで面白がっているだけだったし、
あの時は妙にその場の良識というか常識感覚が狂っちまってたな。

486 名前:27-11[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:40:38.49 ID:q2mzJGXr0


それを鶴屋さんは思い出してしまったという。
なんというか、嫌なこと思い出させてすんません。

俺の謝罪に何を返すでもなく鶴屋さんは淡々と言葉を続けた。
胸の内を吐き出すように吐露するように言葉をつないでいく。

鶴屋さん「あの後さ……思ったんだよね。
      結局、あたしは横からはやし立ててるだけでさ。
      結局自分は安全なところにいて、周りや、
      キョンくんが困ってるのを見て楽しんでたんだよね。
      それってすっごく嫌な奴じゃん。
      すっげー無責任でさ、自分勝手でさ、嫌な奴じゃん。
      そー思ったらさ……なんか自分が嫌になっちゃったんだよね。
      逃げ出したくなったのさっ。自分のしたことからね」

鶴屋さんの言葉に抑揚は乏しく特に感情がこもっているというわけでもなかった。
ただその一言一言はとても重く響いた。

鶴屋さんが俺の顔が見えない体勢でこの話を始めた理由がわかった気がした。

きっと、そうでもしないと話し出せなかったに違いない。
俺は相槌は打たず、ただ手を鶴屋さんの手に重ねて静かに耳を傾けた。
鶴屋さんは小さく俺の手を握り返して返事の代わりにする。
そして続けた。

鶴屋さん「そしたらさっ、すっげーわがままなこと思いついちゃったんだよね。
      キョンくんの寝顔を見てたらさ。このままキスしちゃおっかなって」

鶴屋さんはさらっととんでもないことを言い放った。

487 名前:27-12[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:43:09.86 ID:q2mzJGXr0


つまりあん時の朝比奈さん役が俺で、古泉役が鶴屋さんってことですか?

さすがに俺に朝比奈さん役はキビシーと思うんですけど。
とはこの重い空気の中では言い出せない小心な俺なのだった。ただそれで正解のようだった。

鶴屋さん「まー、すぐに思い直したんだけどね。
      結局あたしは何の反省もしてなかったのかなって恥ずかしくなったからさっ。
      でももう一つ、思っちゃったんだよね。
      自分でも最低だなって思うんだけど、ほんとにサイアクなんだけどさ。
      思わずポロッと言っちゃったのさっ、寝ているキョンくんに向けて」

俺は記憶の糸を手繰り寄せる。
うっすらと、意識が闇に落ちた中でそれでも薄ぼんやりと記憶の海を
さらってようやくかろうじて拾えるようなかすかな言葉。

俺が思い出し切るよりも早く、鶴屋さんは自らの過ちを語り出す。

488 名前:27-13[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:45:27.13 ID:q2mzJGXr0


鶴屋さん「あん時、酔っ払って倒れて、
      キスされそうになったのが、もし、もしさっ──」

語り聞かされているだけではなく、俺は質問をされていたのだ。

鶴屋さん「あたしだったらさ────」

自分の行いを最低最悪だとなじった鶴屋さんは、それでも俺に尋ねてくる。

鶴屋さん「キョンくんは────」

自分を罵り貶めたまま、許しをこう罪人に身をやつしたまま。

鶴屋さん「────怒ってくれたかい?」

そう言ってゆっくりと俺の方へ振り返った鶴屋さんは、
薄く笑みを浮かべながらもその瞳に悲しみと後悔をたたえていた。

微笑んでいるのにどこか泣いているような、
影を背負った鶴屋さんの表情から目が離せないまま俺は言葉を失った。

かつて許しよりも理解を求めていた鶴屋さんは
今は許しも理解も求めなかった。ただ単純に、俺に質問していた。

それ以外のことはどうでもいいと言うように。純粋に心の内を晒していた。
鶴屋さんの真実にむき出しの心を前にして俺は何も考えられなかった。

鶴屋さんが求めているのは赦免でも理解でも、ましてや慰めでもなく。
ただ俺の返答を求めていた。

489 名前:27-14[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:47:38.32 ID:q2mzJGXr0


時が惜しく奥歯をかみしめた俺は鶴屋さんの心が閉じてしまう前に、
強く抱き寄せてその耳元に唇を寄せた。

何を考える必要などなく。ただ、一言。

囁くように耳打ちするようにつぶやいた。

「当たり前です」、と。

鶴屋さんの小さな、それでいて嬉しそうなかすかな声が聞こえた。

笑い声というにはあまりに控えめなそれに
鶴屋さんの俺に対する感情のすべてが込められている気がした。

そして薄く微笑んだ鶴屋さんの、俺に対する返事はこうだった。

490 名前:27-15[] 投稿日:2010/03/16(火) 21:49:44.11 ID:q2mzJGXr0


鶴屋さん「浮気すんなよっ」

そう言って俺の背に腕を回して胸に顔をうずめてくる。

俺はなんとも恥ずかしく、そのまま参ってしまいそうになりながらも、


一回だけ宙を仰いだ後で、
腕の中の小さな先輩の言葉と期待に応えるように。


しっかりと抱きしめ返したのだった。

539 名前:28-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 19:37:06.68 ID:0cIhMt790


日が傾きやがて沈み、
それでも俺と鶴屋さんは街中を渡り歩き
どこを目指すともなく遊び歩いていた。

といってもすることはもっぱら散歩と会話であって
たまにアミューズメント施設を覗いたり軽食を取ったりするものの
その中でもほとんどの時間は会話やらスキンシップやらに費やしていた。

俺としてはどこかカラオケでも行きましょうか、
と二三遊び方を提案してみたりしたのだが俺のアイデアは
面白くなさそうな顔をした鶴屋さんにことごとく却下されたのだった。

そうして時間を過ごしているとあっという間に夜の十一時になってしまった。

俺と鶴屋さんの足は自然と互いに傷つけ合い
そして慰め合った時計台のある広場へと向かっていた。

昨日とまったく同じ場所、同じ立ち位置、
同じ時間、同じ格好で向きあって、今度は戦い合うことはなく。

ただ互いに笑い合った。

そしてそのままベンチに腰掛けた。
さて今度は俺の番だと思い鶴屋さんに膝枕をしてもらおうと腰を浮かせた直後、
俺の太ももの上に機先を制した鶴屋さんがのしかかってきた。

俺はなんとか鶴屋さんを引き起こして立ち退かせようとしたのだが、
断固として拒否する鶴屋さんの頑なで意固地な態度の前に
敗北を喫したのだった。スリーツーワン、のホールド負けである。

540 名前:28-2[] 投稿日:2010/03/17(水) 19:41:29.51 ID:0cIhMt790


俺が呆れかえるのも困りかえるのも構わずに
得意げな表情を浮かべて鶴屋さんは鼻息を一つならす。

一つ年上というアドバンテージはそうそう埋められないのだぞとでも
言いたげだ。そのくせ非常に子供っぽい手段で俺をやり込めるのだから
たまったもんではない。

俺の手にあまることが最初からわかっていたように、
膝上の大きな子供かっこ偉大な先輩かっことじるは嬉しそうに笑うのだった。
その表情は本当に俺より年上なのかと疑いたくなるくらい
天真爛漫で純粋無垢だった。

かつて想像力が足りずに思い浮かばなかった、
もし俺が鶴屋さんの先輩だったらという光景。
こうして無邪気にはしゃいでいる鶴屋さんを見ていると今なら想像できる気がした。

その鶴屋さんはなんとも危なっかしく、気になる存在だった。

その劇のような想像でも
俺はやっぱり鶴屋さんに頭が上がらず尻にしかれていた。

先輩のくせに、などと言われて怒られている自分の姿ばかりが思い浮かぶ。
覆されるのをただ待つだけの俺の言葉が鶴屋さんをたしなめても、
それでも面白そうだから!の一点張りで無理を押し通される。

そんなやりとりは今このときと何一つ変わらず、
気遣われることも遠慮されることもない今の立場の俺と重なるようで
なんとも気持ちがいいもんだった。
それでもどこか今とは違う、今は今だけの今この時の感情に俺は心を還らせた。

541 名前:28-3[] 投稿日:2010/03/17(水) 19:50:33.99 ID:0cIhMt790


何気なく見下ろせば鶴屋さんは俺を見上げていて、
そしてやはりいたずらっぽく笑い、
俺の不埒な妄想をたしなめるように威厳に満ちた笑みと
目つきに変わって口元に人差し指を突き出ごぼふっ。

鶴屋さん「キョンくん、一人でなにニヤニヤ笑ってんのさっ、
      似合わないよっ!もっとここをこうして眉間に
      目いっぱいシワを寄せないとキョンくんらしくないにょろっ、
      ほらこうしてぐりぐりぐりぐりっと!」

そう言って鼻先に命中したばかりの人差し指で
俺の眉間に無理やりシワを作ろうとする。

頭を傾けて抵抗するたびに指先が明後日の方向を
突き刺すもんだから観念してじっとしていると
今度は頬に指を添えられ無理やり笑顔を作られてしまった。

俺の片側の頬だけが奇妙に釣り上がる。
なんとも言えない微妙な表情になってしまった。
俺は仕方なく自分で反対側の頬を釣り上げると
おどけるように首をかしげてみせた。

その仕草はやはり似あわなかったようで、
残った手でお腹を抱えた鶴屋さんはケラケラと大笑いし始めた。

鶴屋さん「それでもやっぱり笑ってるほーがいーさっ、
     似あわなくてもいいにょろっ、ぶかっこーでもさっ。
     あたしの前ではずっとそーしてて欲しいっさ。
     そーすれば、いつでも笑えるからねっ! なっはは♪」

542 名前:28-4[] 投稿日:2010/03/17(水) 19:54:55.09 ID:0cIhMt790


そう言ってねぎらっているんだか慰めているんだか
分からない言葉の後で俺の頭を「よしよしっ♪」と
ご機嫌な表情で撫でた鶴屋さんは「よいしょっ!」の掛け声と共に起き上がり
ベンチから降りるとくるりと回って俺の前に立ちはだかった。

広くスタンスを取った鶴屋さんはそのまま両手を腰に当てて
慇懃かつ尊大な仕草で俺に手を差し出してきた。

ふんぞり返っていながらも決して華麗さを失わない鶴屋さんに導かれるままに、
俺は手を引かれて時計台の前へと連れ出された。

電光の灯りでライトアップされているような、ショーアップされた舞台上に並び立ち、
ダンスなんだか単に飛び跳ねてるだけなんだかわからない奇妙なステップを
踏みながらぐるぐると回る。主に鶴屋さんが俺の周りを。

手を離さないままそうしているとなんだか本当にダンスをしているような気になった。
だが何分俺のセンスはからっきしでまったく以て流麗とは行かない。
むしろ加齢臭がしそうなくらい不器用な足踏みだった。

流れるように麗しく、鶴屋さんがステップを止めたところで
長い髪が風を切りつつ静かに頭を垂らした。

そして鶴屋さんは話し始める。

鶴屋さん「ねぇ、キョンくん……
      もっとずっとこうしてたいと思わないかいっ……?」

そう言って俺を見上げてくる鶴屋さんの表情は晴れやかなようでいて、
その実どこか不安げだった。怯えているようとさえ言っていい。

543 名前:28-5[] 投稿日:2010/03/17(水) 19:58:00.79 ID:0cIhMt790


一体何にそんなに怯えているのか。
俺にはつかみとれなかったが、
それでも俺の答えは決まっている。

常にイエスであり、肯定なのだ。

キョン「もちろんです」

そう言って慇懃に目いっぱい恭しく頭を下げる。
それでも鶴屋さんの不安はぬぐえなかったらしい。

鶴屋さんはくるりと振り返ってすたすたと二三歩進んだ後、
再び俺に向き直った。

昨日と同じ距離。違う空間。

その舞台上で俺たちは言葉を交わす。

鶴屋さん「だったらさっ! もっとたくさん遊ぼうよっ!
      そんで、もっとたくさん一緒にいようよっ!
      そいでさっ、えっと……もっとたくさんキスもしてさ……してさっ……
      あとさっ……もっと……
      もっとたくさん……エッチもしたいっさっ……」

そう言って恥ずかしそうに笑う鶴屋さんの顔をまともに見ることができず、
俺は額に手を添えて恥ずかしさをこらえたのだった。

顔を上げると次はそっちの番だぞ、と言わんばかりに
ふくれっ面をしている鶴屋さんの面白おかしい顔がそこにあった。

544 名前:28-6[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:00:46.41 ID:0cIhMt790


しかしそれでも瞳の奥にまだ怯えが浮かんでいる。
いくら信頼を寄せても、それでも言葉を聞くまでは拭えない。
そういう種類の会話だと、鈍い俺だって理解していた。

俺がまたバカなことを言ってからかうんじゃないかと不安なのだろう。
鶴屋さんは顎を引いて上目遣いに期待するように俺を見つめてくる。
そんな顔をされたら、返す言葉なんて一つしか思い浮かばない。

キョン「体力の続く限り、お相手しますよ。
    俺なんかでよろしければ」

両手を叩いて喜びながら、
それでも最後の一言は余計だったと責めるように、
鶴屋さんは笑いながら嬉しそうに俺を睨みつけてくる。

その視線にくすぐられて俺の頬も思わず緩んでしまった。
そして俺の言葉に合いの手を返す。

鶴屋さん「それじゃあ、すぐにお腹いっぱいになっちゃうねっ!」

一体どこまで俺の体力という体力を絞り尽くすおつもりなのだろうこのお人は。

そう言って前のめりになった鶴屋さんはお腹を抱えるような仕草をした。

面白いことに出会ったときの、
ケラケラとお腹を抱えて笑ういつもの格好にも似たそれが表す裏の意味を
想像するまでもなく、俺は想いを巡らせていた。
お腹いっぱいのいっぱいは幸せいっぱいのいっぱいだといい。
あとついでに夢とか元気もついてくれば言う事なし。

545 名前:28-7end[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:03:14.17 ID:0cIhMt790


そんなクサいんだかカユいんだかわからないセリフが
ポンと浮かび上がってくるあたり
俺も相当のぼせちまってるんだと思う。
しっかりしろよ、と思いながらも、ついつい顔がニヤけてしまう。

嬉しそうにはしゃぎながら全身で喜びを表す鶴屋さんを見ていると
どうしてもそうなってしまう。

ただそれでも、今この時は二度訪れない。
そう思うのなら。許されてもいいじゃないかと思えた。

俺と、鶴屋さんに。

たった一時の安らぎを。

たった一時の慰めを。

たった一時の睦み合いを。

たった一時の……幸せを……。

それぐらいは、許されてもいいだろう?

笑顔で嬉しそうにはしゃぐ鶴屋さんの傍らに。

たった一時。


俺が並ぶことぐらい。

546 名前:29-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:06:28.97 ID:0cIhMt790


何気なく携帯を開くとメールの着信があったようだった。
それは古泉からだった。

ハルヒが回復したと長門から連絡があったらしい。
メールの着信時刻は今朝で、
俺と鶴屋さんが部屋で寝ていた時間だった。

どうやら、カタストロフの危機は回避されたらしい。
ならもう思い残すことはない。

俺は今日の今この時を、目いっぱい楽しんでも良かったのだ。

ふと目に入った時刻は日付変更五分前だった。
もうすぐ、一日が終わる。そして明日は春休み最終日。

このバカな探偵ごっこの、最終日である。

俺は鶴屋さんに向き直る。
鶴屋さんはとても何かを言いたそうにしていた。
手を胸の前で合わせてひっきりなしに指先を
くっつけたり離したりを繰り返している。

なんとも初々しい少女のような姿に俺は笑い出しそうになる。
それは普段の鶴屋さんからはあまりにもかけ離れていて、
それでいて妙に似合っていたからだ。

この人のこういう意外性に俺は惚れてしまったのかもしれない。
元気いっぱいかつ繊細。豪放磊落でいて気遣い十分。
そんなこの人の途切れ途切れの胸の内に、引き寄せられていった。

547 名前:29-2[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:08:48.13 ID:0cIhMt790


鶴屋さんが俺を好きになったことが悪いことなら、
俺が鶴屋さんを好きになったことは当然のことだ。

ずっとこの人のそばにいて、
この人の魅力に抗うことなんて、重力に抗うことよりも難しい。

そうして俺は、吸い込まれていった。この人の内側に。この人の内面に。

そんな感慨に浸りながら、俺は鶴屋さんの言葉を待った。

鶴屋さんはなおも恥ずかしそうに言いにくそうにしていたものの、ようやく決心がついたらしい。

ハッキリとした表情で、俺の目を見据えてしっかりと胸を張る。

そうしてポツリポツリと言葉をつなぐ。

鶴屋さん「あのさっ、実はさ……
      まだ、言ってなかったことがあるんだよねっ……
      ほんとっ、ほんっとーに今更なんだけどさっ……
      い、言ってもいいかなっ? 笑ったり、しないっ……かな……?」

そう言って不安げに俺に回答を求める鶴屋さんを見ていると
俺は胸の内が締め付けられる想いだった。

キョン「かまいませんよ……
    笑ったりなんかしませんし、からかったりなんかもしません。
    言ってください、鶴屋さん……
    あなたが思っていることなら、なんでも聞きます。
    そしてできれば……それは俺だけに言ってください」

549 名前:29-3[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:11:39.53 ID:0cIhMt790


そう言って芝居じみたセリフを吐くと、
鶴屋さんは思わず吹き出してしまったようだった。

身体を屈めつつ笑いをこらえた後、
顔を上げた鶴屋さんの表情は晴れやかだった。

鶴屋さん「いい具合に緊張がほぐれたよっ! サンキュー!」

そう言ってビシッとVサインを作る。ニカッと歯を見せて笑ったその顔には何の陰りも迷いもなかった。

空気を胸いっぱいに吸い込んで深呼吸をし、
穏やかな表情で俺を見る鶴屋さんの瞳には俺だけが映っていた。

世界で唯一俺だけのかけてくれる言葉を言おうとしていた。
その内容は、俺にも予想がつくものだった。

鶴屋さん「キョンくん……あたしはさっ、君のことを!
      キョンくんのことをっ────」

俺の頭の中には、ぐるぐると景色が回っていた。

鶴屋さんと過ごした風景。
鶴屋さんと巡った情景。
鶴屋さんと辿った光景。

鶴屋さんと歩いたすべての景の中に。


そのすべてに鶴屋さんがいた。

550 名前:29-4end[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:14:15.64 ID:0cIhMt790


俺の過ごした春休みのすべてに。

鶴屋さんは居たのである。

たとえ共に過ごさないその時でも
心はずっとそこにあった。

鶴屋さんのところに。鶴屋さんのそばに。

心の奥に。その裏側に。

常にあったのである。

鶴屋さん「ずっとずっと! これからもずーーっと────」

つながれなかったのは、言葉ではなく、想いでもなく、
ましてや運命なんかでは決してなく。


鶴屋さん「愛してるっさ! ずっとずっと、いつまでも愛してるよっ! キョンくんっ!」


ただ単に、時間の流れというそれだけのことだったのである。

551 名前:30-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:16:25.75 ID:0cIhMt790


時の流れが逆さになってもエネルギーが逆転することはない。
朝比奈さんはそう言っていた。

坂の上から転がり落ちたボールは
たとえ時間が遡ろうとも坂を登り始めることはない。

それはもっともな話だった。
映画の特殊効果なんかで見なれているせいか
ついつい当然のように想像してしまうのだが、
時間の流れそれ自体と物理的な運動というのはそもそも軸が違うのだ。

重力や空間のたわみによって時間の方がねじ曲げられることはあっても、
時間の流れそのものが重力の方向を逆転させたり磁極を反転させたりはしない。

もしそうなればすべての物質はバラバラに弾け飛んでしまうだろう。

それがこの世界のルールだ。

時間が静止するとはこういうことなのだろうか。
何の変化も兆候もないまま、ただ感覚だけが訴えていた。

ただ”知っている”というその一点において俺は変化を感じ取っていた。

惑星の逆行さえ主観上のトリックに過ぎないのに、
今はすべての景色が逆回転し始めるんじゃないかと思えるような、
奇妙な浮遊感と慣性を喪失して
突然静止してしまったような不思議な感覚に囚われた。

日付が変わり控えめな時計の鐘が鳴らされる。

552 名前:30-2end[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:18:50.52 ID:0cIhMt790


そしてその中で、俺はなだめるように鶴屋さんに微笑んだ。
ただ不安の色は隠しきれなかった。

悲しいことに、
鶴屋さんは俺のそんな気遣いも、
必死の努力も通り越して瞬時に洞察してしまう。

稀代の勘の鋭さで、
俺の表情から読み取ってしまう。

俺が必死に隠そうとして、
隠し通そうとしてきたその事実を。

いともたやすく見抜いてしまう。


鶴屋さん、お願いです。

そんな顔をしないでください。

あなたがそんな風に悲しむ顔だけは。

見たくなかったんです。

553 名前:31-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:21:11.29 ID:0cIhMt790


鶴屋さんの当初の筋書きでは主役は俺で、鶴屋さんは脇役である。

だが俺が鶴屋さんの物語に参入した時点で状況は一変し、
俺と鶴屋さんの二人が主役となった。

これが鶴屋さん一人の物語だというなら、
俺はこの人に言わせるだけでよかった。

それでも俺自身がこの人に自分の気持ちを告げたのは
単にこの人に勝つためだけではなかった。


最後の幕引きは俺たち二人の手によって行われなければならない。


それが古泉にさえ読めなかった俺一人が抱え込んでいた真実である。

故に今ここでこうなることは必然だった。
春休みを一日残して、すべてが終わることは。

それは時間の問題だった。それを防ぐ手立てはなかった。

その為にはなんと言えば良かったのだろう。

俺たちの明日を守るために永遠に愛をささやかないでくださいとでも
言えばよかったのだろうか。

そんなもの、想いを結んだ幸福な時間の中では土台無理なことなのだ。

554 名前:31-2end[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:23:20.14 ID:0cIhMt790


俺は鶴屋さんと想い合うことができた直後にも、
自分の想いを止めることができなかった。

それは鶴屋さんも同じことだった。
止められないなら突っ走るしかない。

たとえその先が谷底で、無限の暗闇が広がっていようとも。


想いを止めることはできない。


その事実だけを呼び水にして、
今、終局の幕は下ろされるのだ。


すべてをブラックボックスに包み込むために。

555 名前:32-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:25:51.64 ID:0cIhMt790


鶴屋さんの表情に絶望の色が浮かぶ。

「なぜ?」と「どうして?」

初日の質問とはまた別の、
すがりつくための疑問が表情に浮かび上がっていた。

俺は精一杯優しく微笑み返すことしかできない。
張り裂けそうな胸の内がたとえ同じだとしても、
俺には笑顔で送る義務があった。

最後の最後のその瞬間を笑顔で締めくくる責任があった。

しかしそんな努力も、俺の事情も、目の前の彼女には何の関係もない。

俺の目いっぱいの作り笑いの裏側に不格好に隠された絶望や後悔を
いともたやすく見通してその感情を自らの内に取り込んでしまう。

幸福の頂上から突如足場をなくした浮遊感。
それは落下していく感覚そのものだった。

暗闇へと飲みこまれて谷底に叩きつけられることを予測しながら
ただ待つことしかできない絶望感だった。

鶴屋さんの指先が小さく震え、やがて力なく俺へと差し出される。
言葉で何かを伝えようとしていた。

環境の異質な変化を俺を通して感じ取った鶴屋さんは一歩、
俺との距離を縮めた。

556 名前:32-2[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:28:19.61 ID:0cIhMt790


そうしてゆっくりと、
一歩ずつ偽りの笑みを浮かべる俺との物理的な距離を縮めていく。

鶴屋さんはそのまま俺に駆け寄ってきて、俺の胸元に抱きついた。

そしてすがりつくように力いっぱい服をつかむと
助けを求めるような瞳で俺を見上げてきた。


なぜなのか? どうしてなのか?


そんな答えは俺の中にはない。あるのは一つ。


フィルムの交換マークのような。    黒い暗い穴ぼこだけだった。


鶴屋さんの目元から涙が一筋伝う。
そうして破れた堤防はなすすべなく決壊して洪水へと変わった。

後から後から溢れて止まらない涙の中で、
嗚咽を堪えながら鶴屋さんの言った言葉。

ただ幸せになりたいと願っただけなのに

何故俺と鶴屋さんには許されないのか

何故俺と鶴屋さんには許されていないのか

557 名前:32-3[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:30:28.70 ID:0cIhMt790


鶴屋さん「わかんないよ……キョンくんっ……
      あたしは、こういう風にしてちゃいけないのかいっ……?
      こんな風にキョンくんと過ごしてちゃいけないのかいっ……?
      どうしてさっ、あたしには、わかんないよ……
      自分でも、ダメだって、ずっと無理だって、思ってたけど……
      でも今は……ずっとこうしてたいって……
      思っちゃ……いけないのかいっ……?
      なんで、どうして……ダメなのさっ……!?
      やだよ……助けてよ……キョンくんっ……
      もう一回、あたしを助けてよ……
      お願いだよ、キョンくん……キョンくんっ!」


薄暗がりの向こうで誰かが泣いている気がした。
俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。

黒く暗く穿たれた穴の奥の底の底で、助けを求める声がした。
ただそこに届かせるには、俺の手はあまりに短く、
その力は、あまりにも頼りないものだった。

いや、もしかして。ひょっとすると。

穴の奥に落ちていったのは俺の方だったのか?
重力に引かれるまま。あの人に導かれるまま。
時間の井戸に落ちていく。

そんな感覚の中で。

すべてが反転していた。

558 名前:32-4[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:32:37.24 ID:0cIhMt790


「私たちって、宇宙人未来人超能力者異世界人と出会う以前に、
 身近な人たちのことさえ何一つ知らないのよね。と、いうわけで────」────

「おやおや、この紅色の脳細胞を持つエルキュール・一樹に対して────
 あなた、おつむ詰まってますか────」────

「警部じゃない……警部補────」────

「お、おくさぁん……う、うちのカミさんは────」────

「やっほ〜っ、キョンくん! みくるに聞いてやってきたよっ────」────

「それじゃぁキョンくんっ! あたしが目いっぱいお手伝いするからねっ!
 明日から一緒にがんばるっさ────」────

「キョンくんはどうしてSOS団に入ったにょろ────」────

「それよりも、すっげーのはキョンくんの方────」────

「んじゃぁいくよっ! 上からな────」────

「キョンくんはぁ……SOS団の中で誰が一番好きなんだい────」────

「キョンくんっ、おいたはぁ、いけないなぁっ!────」────

「キョンくんっ、昨日はごめんっ!────」────

「んじゃねっ、キョンくんっ。あんまり女の子を
 怖がらせるようなことを言ったり考えたりしちゃダメにょろよっ────」────

559 名前:32-5[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:34:45.77 ID:0cIhMt790


「あっ……ご、ごめんよっ、キョンくんっ!
 あ、熱くなかったかい!? 火傷はしてないかいっ!?────」────

「さっきの質問……には、さ……いつかきっと、答えっからさ……
 約束するよ……だから……許してほしいっさっ……
 ねぇ……キョンくん……────」────

「あぁ〜……疲れたぁ……すいませ〜ん、水くださ〜い────」────

「なはは、実はそうなんだよねっ。めんごめんごっ……
 でも騙してたわけじゃないっからさっ。
 そこだけはわかってほしいっさ────」────

「うりうりどしたどしたっ、見たいにょろ? 着せたいにょろ?
 さて、誰に着て欲しいのかなっ?  白状するっさっ!────」────

「キョンくんはやさしいねっ、にゃははっ────」────

「あたしたちの違いって、なにかなっ?────」────

「メビウスの輪って、知ってる? キョンくん────」────

「これは、例えるなら、そう。シミュレーションなんですよ────」────

「こうして呼び出されたことはとても意外だったよっ、
 だってまだバレてないと思ってたからね────」────

「そうだね……そんなことも……言ったかもしれないね────」────

562 名前:32-6[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:36:54.10 ID:0cIhMt790


「そーいうことは、気やすく女の子に言っていいことじゃないって、
 たしか言ったはずだよ────」────

「────鬱陶しかったってさ────」────

「そんなことは了解の上だよ。言ったっしょ?
 あたしらしさって何? ってねっ────」────

「キョン……く────」────

「あはは……負け……ちったよ……。
 すごいなぁ……キョンくんは……っ────」────

「や、やっぱいいよっ! い、今のなしなし!
 今まで通りで、それでいっからさ────」────

「諦めかけてたのはあたしも同じだけどさっ、
 キョンくんは最後には諦めなかったっさ────」────

「じゃぁっ、さっ……キョンくんが……
 他の子のことなんかほんの一瞬も考えらんなくなるくらい、
 あ・た・し・が! めちゃくちゃにしてあげるかんねっ!────」────

「ありがとっさ……キョンくんっ……────」────

「そんなにポニーテールにしてほしーんだったらさっ!
 ふつーに頼めばいいにょろっ!────」────


564 名前:32-7[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:39:02.61 ID:0cIhMt790

「いっち、にぃっ、さんっ、さーーー!────」────

「へぇーっ、かっけー名前じゃんっ!────」────

「結局、あたしは横からはやし立ててるだけでさ。
 結局自分は安全なところにいて、周りや、
 キョンくんが困ってるのを見て楽しんでたんだよね。
 それってすっごく嫌な奴じゃん────」────

「あん時、酔っ払って倒れて、キスされそうになったのが、
 もし、もしさっ────」────

「あたしだったらさ────」────

「キョンくんは────」────

「怒ってくれたかい────」────

「浮気すんなよっ────」────

「ねぇ、キョンくん……もっとずっとこうしてたいと思わないかいっ……?────」────

「そいでさっ、えっと……もっとたくさんキスもしてさ……してさっ……
 あとさっ……もっと……もっとたくさん……────」────

「それじゃあ、すぐにお腹いっぱいになっちゃうねっ!」────」────

「あのさっ、実はさ……まだ、言ってなかったことがあるんだよねっ────」────

「キョンくん……あたしはさっ、君のことを! キョンくんのことをっ────」────

565 名前:32-8end[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:41:11.15 ID:0cIhMt790


「ずっとずっと! これからもずーーっと────」────

「愛してるっさ! ずっとずっと、いつまでも愛してるよっ! キョンくんっ!────」────

「やだよ……助けてよ……キョンくんっ……
 もう一回、あたしを助けてよ……お願いだよ、
 キョンくん……キョンくんっ!────」


──────────────────────────────────









今にして思えばこの時から、俺はおかしくなり始めていたのかもしれない。

春休みの前日。終業式の日。
ハルヒがこんなことを言い出した────────────────────────────

566 名前:33-1end[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:43:24.34 ID:0cIhMt790


俺は泣き縋る鶴屋さんに何も言えなかった。

ハッピーエンドで終わらせるはずだったのにな。

そんなことは全然、最初から無理だったんだ。

最後に助けを求める鶴屋さんのあの声が、

いつまでも俺の耳の奥に残って、

何度も何度も。何度も繰り返されて。



それは俺の正気に深い傷跡を残した。


焼き付いたフィルムの残骸のような──




記憶と共に。

567 名前:34-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:45:33.07 ID:0cIhMt790


すべてを置き去りにして俺は今ここにいた。

自分の部屋。ベッドの上に。
まるですべてが夢だったかのように。

差し込む朝日が目に痛かった。

目覚まし時計を手に取って時刻を確認すると既に正午過ぎだった。

探偵ごっこの調査活動をする為に鶴屋さんと待ち合わせをしていた時刻だ。

だがもう鶴屋さんは俺のことなんか覚えちゃいないだろう。

俺と過ごしたあの時間。あの空間。
そんなことはこれっぽっちもだ。

俺は痛む頭を抑え足を半ば引きずるようにして
階段を一段一段慎重に降りていった。

気を抜いたらマジで階段から転げ落ちてしまいそうなくらい
陰鬱な気分と吐き気がした。

テレビの音がしたのでリビングに向かうと
妹が春休みのアニメ連続放送を見ているところだった。

俺に気づいた妹は振り返って不安げな表情になると
心配そうに俺に尋ねてきた。


568 名前:34-2[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:47:47.12 ID:0cIhMt790


妹ちゃん「どーしたのキョンくん、昨日はどこいってたの?
      夜中に突然帰ってきて何も言わずに寝ちゃったってお母さん言ってたよ。
      それに今のキョンくんすごい顔だよ! 顔洗ってきなよっ。
      あとお風呂も入ったほうがいいよ! じゃないとリビング侵入禁止だからね!」

キョン「……あぁ、そうだな。顔洗ってくる。
    母さんにはお前からごめんって言っておいてくれ」

俺は背中に「自分で言いなよ」という妹の叫び声を背負いながら
脱衣所へ向かい洗面台の前に立った。

なるほど確かに、ひどい顔だ。
目元はどんよりと曇って嫌な色をしている。思いっきりくまができていた。

指先で数回こすってマッサージをしてみるも楽になる気配はない。
頭痛や吐き気もどうしようもないくらい俺の神経を苛んでいた。
呼吸に力はなく吐き出す息に湿り気もない。
喉も身体も乾ききっていた。

着たきりの服を脱ぎ捨てて風呂場の扉を開く。

湯には浸からず簡単にシャワーだけで済ませた。
腰にタオルを巻いただけの状態でリビングの前を
通りかかったとき妹と鉢合わせになった。
どうやら母親が使ってリビングに置きっ放しにしていたドライヤーを
俺に持ってこようとしてくれていたようだ。

俺があんまり早く出たので驚いたのだろう。
すくむように身体をこわばらせている。

569 名前:34-3[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:50:08.45 ID:0cIhMt790


キョン「すまんな。驚かせちまって。ドライヤーありがとな。
    ありがたく使わせてもら────」

妹ちゃん「そ、そんなのいいよ……キョンくん……
      大丈夫なの……? ねぇ、大丈夫なのっ?」

言葉を遮ってまで妹が俺のことを心配する。一体どうしたってんだ。
何をそんなに驚いている。

キョン「俺の顔になんかついてんのか?」

妹ちゃん「違うよっ、そうじゃなくて……
      キョンくん鏡見てみなよ、もっかい、もっかいさ!」

妹に促されるままに母親の化粧台で自分の顔を覗いてみる。

目元のくまが大きくなっていた。より深く暗い色に。
そしてそれと同時に、俺の目つきの険悪さといったらなかった。

先程にも増してひどい顔になっていた。
軽くシャワーを浴びてリラックスできたと思ったんだが。

こんな顔じゃ外も出歩けやしない。
もっとも、出歩く気なんか初めからありゃしないんだがな。

まぁいい、今日は一日家で過ごそう。思えば俺は忙しすぎた。
この春休みの間中、することが山積みで、
もうどうしようもないくらいせっせと働いてきた。
それが報われたかというとどうなんだろう。俺にはさっぱりだ。

570 名前:34-4[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:52:39.72 ID:0cIhMt790


しかしこんな格好のまま鏡で自分を見つめてつっ立ってるのも何だ。

俺は離れようとしない妹を振り払って自分の部屋に着替えを取りに戻った。

扉をしめようとすると妹も俺について階段を登ってきていた。

妹ちゃん「キョンくん……おくすりとかいる……?
      飲んだほうがいいよ、あたしお母さんがしまってるとこ知ってるから、
      すぐ取ってくるよ、お水も欲しいでしょ、待っててよ」

そう言われた瞬間、耳の少し上の部分、
側頭部に刺すような痛みを感じた。

キョン「いや……いらん。必要ない。
    ただちょっと疲れてるだけだ。心配かけてごめんな。
    だからそっとしておいてくれ」

どういうわけか妹の俺を気遣う声が鼻につく。
頭の痛みが鋭くなったような気さえした。

妹ちゃん「ダメだよ! だってキョンくんなんかおかしいもん、
      昨日や一昨日だって全然家にいなかったし、
      春休みに入ってからずっと一人でどこかに出かけちゃってさ、
      みんな心配してたんだよ、どうしちゃったんだろうって、
      お母さんもお父さんもみんなで心配してたんだよ!」

キョン「……っせえ……」

思わず眉間に力が入る。

572 名前:34-5[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:55:33.27 ID:0cIhMt790


直後に眼の虹彩が痙攣したような気がしてつっ張るような痛みが走った。
まぶたを開いていることさえ煩わしく手を額に添え光を遮っても
目の痛みは消えない。いつの間にか耳鳴りがしていた。

やめろ。やめてくれ。それ以上俺に話しかけるな。

妹ちゃん「キョンくん変だよ、おかしいよ!すっごく気分悪そうだし、
      なんか、なんか知んないけどおかしいよ! そんな顔のキョンくん、見たことな────」

キョン「うるせぇって言ってるだろ!
    聞こえねぇのか! 静かにしろ!!」

そう叫び思いきり拳でドアを殴りつけて俺はハッと我に返った。

視線を戻すと固まったまま微動だにしない妹が
怯えるような泣きそうな顔で俺を見ていた。

俺は自分のしたことが情けなくなった。
何やってんだ俺は。なんで妹に怒鳴り散らさなきゃいけないんだ。

なんでだ。どうしてだ。そんな理由や資格があるのか?
あるわけがない。俺は俺自身の、バカさ加減に翻弄されているだけなんだからな。

俺は奥歯を噛みしめて扉を殴った手を引っ込めながら妹に向けて言う。

キョン「わりぃ……一人にしてくれ……」

なだめすかすようになるべく優しい声を作ったつもりだったが、
生憎とかわいた喉では擦り切れるような音にしかならなかった。

573 名前:34-6[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:58:04.31 ID:0cIhMt790


俺の声を聞いた妹は何も言わず小さく頷いただけだった。
そして無言のまま、一階へと降りていった。

俺は腕を組んだまま額に手を当ててうなる。

どうした。一体どうしちまった? なんで俺はこんなに荒れてるんだ。
なんでこんなにすさんでるんだよ。

ふらふらと自室に舞い戻り下着や服を身につける。
下をすべて履き終えてTシャツを着たところで頭が不意に鋭く痛んだ。

様々な記憶がよみがえる。
それはさながらフィルムに焼き付いた残像のように俺の脳裏に焼き付いていた。

そんな風に思い出さなくても、俺は最初から覚えていた。

事の初めから、終わりまでのすべてを。
あますところなく記憶にとどめていた。

俺が探偵役で、そして真犯人であった事件のすべてを。

それでも頭の中でフラッシュバックする情景を止めることはできなかった。

あの人の笑う顔。あの人の吐く息。
あの人の体の温もり。あの人の言の葉。

それらすべてが俺の胸の内にあった。

フィルムの残骸などではない、確かな想いの記憶が。

574 名前:34-7end[sage] 投稿日:2010/03/17(水) 21:00:30.86 ID:0cIhMt790


俺を一つの感情が支配する。
これは一体誰のせいなんだと考える。


ハルヒのせいでもない、古泉のせいでもない、朝比奈さんのせいでもない、

他の誰のせいでもない。


俺自身の行いのせいだ。


込みあげた感情は怒りではなく。ましてや憎しみなんかではなく。




もう鶴屋さんに想われていない。




ただそのことだけが辛かった。

575 名前:35-1end[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:02:40.24 ID:0cIhMt790


痛む頭では何も考えることができず。

俺は自分のベッドで横になっていた。

ずっとずっとそうしていた。

日が傾いても、日が沈んでも。


そうして俺は春休み最後の一日を過ごした。


やがて日付の変わる時間がやってきた。

薄ぼんやりとする意識の中で時計を見つめていた。

短針と長針が重なり、俺の春休みはついに終わった。

それと同時に、春休みの初めからずっと続けてきた探偵ごっこも。



終わりを迎えたのだった。

579 名前:36-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:15:27.88 ID:0cIhMt790


最終章 キョン


春休みが終わり。始業式の日。
俺は学校へ続く坂道を登っていた。

足取りはけだるい。
どうしようもないくらい頭痛がするのに、それでも休むわけにはいかなかった。

俺には責任があった。
その後のハルヒや朝比奈さんや長門や古泉がどうなっているのか。
自分の目で確認する義務があった。

鶴屋さんが守ろうとして、俺が壊したSOS団の、今がどうなっているのか。

考えるまでもなく、それは今まで通りに続いているのだろう。
何一つ変わることなく。今までと何一つ変わることなく。

そのことが俺の精神を苛んでいる。俺はどうしたかったのか。
俺達の今このときを犠牲にしてまで、得たいものがあったのだ。

そしてそれは永遠に手に入らなくなった。最初からわかっていたハズなのに。

思考がオーバーフローしたように俺は唯一そのことだけを気にかけていた。

気がつくといつのまにか途中で鉢合ったらしい谷口が
横から俺の顔をのぞき込んでいた。
何度も声をかけているのに俺が全く返事をしなかったと非難してくる。
その声を聞いていると頭の奥がひどく痛んだ。

580 名前:36-2[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:18:20.53 ID:0cIhMt790


谷口「なんだよキョン、んなしかめっ面でよ。ま、それはいつものことか!
   しかしいつにも増して不機嫌そうだな。
   涼宮にまたなんか無理難題でも押し付けられたのか?
   しっかし、それにしても随分やつれてるな。目元とがすごいぞ、ほれ」

そう言って俺の目元を指さしてくるウザったい手を払いながら
俺はだんまりを決め込んで早足で坂を登り始めた。

背後から「なんだよー、キョン! 無視すんなよ!」という谷口の叫び声が聞こえる。
悪いが、今の俺にはお前とじゃれ合えるほどの心の余裕がないんだよ。
さもないと、ホントに神経が参っちまう。

昨夜はほとんど横になっていた。
不思議なことにぐっすりと眠れた。
だが目覚めても眠った気はまったくしなかった。

相変わらず目元はどんよりと曇って気分も悪い。
時間の輪をまたいで記憶を継承したひずみなのだろうか。
いや、単純に俺の神経が参ってるんだろうな。

言いようのないストレスに晒され続けて、ついに摩滅しちまったんだ。
それでも俺はこれから新学期を、新学年を過ごさなきゃならない。

今日は特に授業があるというわけでもない。
始業式が終わって、クラス替え発表の前に前年度のクラスの連中で一旦集まる。
そしてそれが最後で、翌日からは新しい教室と新しいメンバーで新年度が始まる。
最後ぐらいはクラスの連中の顔を拝んでもいいだろう。
それもあって今こうして重い足を引きずっている。
玄関口で朝比奈さんを見かけた。

581 名前:36-3[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:21:14.22 ID:0cIhMt790


俺を認めた朝比奈さんが手を振って朝の挨拶をしてくる。

俺は小さく手を振り返して応えると
その隣に鶴屋さんがいないことに気がついた。

たまたま今日は一緒に登校しなかったのだろうか。
せっかくの新年度の初めにしては不自然だった。

俺は挨拶をしながら何気なく朝比奈さんに尋ねる。

キョン「こんにちは、朝比奈さん。今日は鶴屋さんと一緒じゃないですね」

朝比奈さんは不安げな表情で俺の目元を見た後、心配そうな表情に変わった。

みくる「鶴屋さんは、なんか昨日風邪をひいちゃったみたいなんです。
    それで始業式には出られないそうなんですけど、
    その後クラスのメンバーで最後に集まる時には来るって言ってました」

鶴屋さんが風邪をひいた、か。
あの万年元気娘の鶴屋さんが風邪をひくとはな。
まぁなんだ、俺もこうしてボロボロになっているんだし、
鶴屋さんの方も何らかの肉体的後遺症を引きずっていてもおかしくはない。

俺なんかはこうして異様な体調に苦しめられているわけだし、
それを風邪ひとつで済ませた鶴屋さんは
やはり強靭な身体を持っているということなんだろうな。
俺とは、偉い違いだぜ……。

違い、か。

582 名前:36-4[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:23:36.05 ID:0cIhMt790


その一言を思い出すとなんとなく頬が緩んだ。
そうしてふと視線を戻すと朝比奈さんは俺の顔を不安げに眺めていた。

さっきの心配顔が鶴屋さんに向けられたものなら、
最初の不安げな顔はどうやら俺に向けられたものらしい。

やれやれ、俺は一体どんなひどい顔をしているんだろうな。
ニヤケ顔の方がまだいい。

みくる「あの……キョンくん……大丈夫?
    なんだか顔色が優れないみたいだけど……
    保健室とかに行っておいた方がいいんじゃ……」

朝比奈さんは昨日の妹と同じようなことを言う。
やっぱり、俺の顔はそういう顔らしい。
病人めいた幽鬼的な顔にでもなっているんだろうか。
土色の肌なんて怖気がする。目元が暗いだけの方がまだ、マシだ。

キョン「大丈夫ですよ、朝比奈さん。ただちょっと昨夜徹夜で宿題やってたんで、
    それでこんなになっちまっただけですから。
    ハハッ、やっぱ課題は計画的にやらなきゃいけないですよね。参った参ったっ」

俺は嘘を言った。
結局春休みの間中遊び歩いていたという事実そのものはまったく変わっていないようで、
俺の課題のノートやらレポートやらは真っ白け、一面銀世界だった。

ところどころに浮かぶ黒い線は何を隠そう、問題文だけなのである。
内申点がどうとか心配する気も起きない。
もはや今更の事である。

583 名前:36-5[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:25:47.93 ID:0cIhMt790


それでも俺の様子がおかしいことを察したのだろう。
単に体調が悪いだけではない、俺の精神的な歪みを敏感に感じ取って
朝比奈さんはなおも保健室に行くことをすすめてくれた。

俺は昨日の失敗で懲りていた。
これ以上会話を続けたらまた昨日みたいなことになりかねない。

キリのいいところで終わらないとな。自分の限界は自分で測るしかないんだ。

キョン「すいません、俺はもう行きます。
    心配してくれてありがとうございます朝比奈さん。でも俺は大丈夫ですから。
    ほんとに課題やってただけですから。それじゃぁ……」

振り返るときに朝比奈さんが俺を呼び止めようと
一瞬手を伸ばした姿が横目に映ったが、俺は気づかないふりをした。

そのまま微妙に定まらない足取りで自分の下駄箱へと向かう。
背後で朝比奈さんがどんな顔を俺に向けているのかなんて考えたくもなかった。

靴を履き終えて教室に入ると、朝比奈さんと会話していた俺をいつの間にか
追い越していた谷口が国木田とダベっていた。

俺を見るや否や緊張したように固まり、
特に声をかけるでもなく俺を一瞬だけ見て国木田と会話し始めた。
国木田は困ったような表情で俺の方を見ている。

その隣を通り過ぎるとき国木田が俺に声をかけてこようとしたのだが、
俺の目元を見た瞬間に驚いたように固まるとそのまま黙って身を引いた。
そうだ、それでいい。谷口も国木田も、お前らどっちも正解だ。

587 名前:36-6[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:28:11.50 ID:0cIhMt790


朝比奈さんとは少しだけ距離を置けば済むが、
クラスメイトのお前らはそうはいかないんだからな。

触らぬ神に、今は俺に祟りなしだ。
神といえば俺の目下の懸念の対象、ハルヒが俺にどう絡むか。

正直、今の俺の剣呑さにハルヒの気の強さで噛み付かれれば一騒動になりかねない。

なるべくなら穏便に一日を終えたかった。しかしそれには多大な努力を払うだろう。
なぜならハルヒその人は、やはり俺よりも先に登校していて、
俺の席の一つ後ろに座って窓の外を眺めているのだ。

向こうを向いてるなら好都合だ。なるべくなら顔を見られたくない。
俺は特に何の挨拶もせずに自分の席に座った。

相変わらず国木田は俺の方をチラチラと谷口の背後から伺っている。
谷口は俺に背を向けたままこちらを見ない。
クラスの連中は特に俺のことを気にしている風ではない。
近くで見られなければ大丈夫だろう。

そう思い少し安心してカバンを机にひかっけると、背後からハルヒに声をかけられた。

ハルヒ「せっかく新学年になったのに挨拶もなし? ちょっと態度悪いんじゃないの」

俺は小さく深呼吸をした。
不意打ちのように気遣われるよりは予想のつく悪態の方が
いくらか冷静にあしらえるというものだ。俺は言葉も少なにハルヒに謝った。

キョン「わり、徹夜で課題してたんだ。眠くってよ。ぶっ倒れそうなんだ」

588 名前:36-7[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:30:34.98 ID:0cIhMt790


ハルヒが鼻息を鳴らす音が背後から聞こえた。
ガタンと机と椅子が動く音がする。ふんぞり返ってでもいるんだろうか。

顔も見ようとしない俺に怒っているんだろうが、今は振り返る気はない。
今は勘弁してくれ。

内心にそう思いながら二の矢三の矢に身構えたのだが
それ以上特に何かを話しかけられるということもなかった。

ハルヒのことだからてっきり
「それはあんたの落ち度でしょ。あたしを巻き込むんじゃないわよ」などと
俺のことをなじってくるかと思ったのだが、どうやら様子が違っていた。

ハルヒ「ま、あたしも今年は珍しく春休みが終わる数日前に
    課題にとりかかったからその気持ちはわかるわ。
    眠くて仕方がない気持ちもわかるつもりよ。なんでかしんないけど
    その日までずっと体調が悪かったし、今日のところは見逃してあげるわ。
    次からはちゃんとあたしの顔見て挨拶しなさいよ。じゃないと今度こそ見逃さないわよ」

春休みが終わる数日前、というと俺が鶴屋さんを負かしたあの日のことか。
体調が回復したハルヒはそれ以降宿題にとりかかったらしい。

なるほど、ハルヒは課題に手をつけられないほど消耗してたってわけか。
マジで危なかったんだな。

どうやら俺は本当に世界を救っていたらしい。
だがそんな愉悦に浸る気分にはまったくなれない。

引き換えに俺は、今ここでこうして……。こうして……どうしているんだ俺は。

589 名前:36-8[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:32:51.36 ID:0cIhMt790


何をやっているっていうんだ。俺は。

不意に側頭部が鋭く痛んだ。考えてもわからない。何も、わからない。

俺は痛む頭を抑えながら手を上げて返事の代わりにする。
ハルヒもそれで納得したようでそれ以上俺に絡んでくることはなかった。

窓を見てそこに映ったハルヒを見ると再び窓の外に視線を移していた。

どうやら俺は、最大の難関を乗り越えたらしい。安堵のため息を吐いてもいいだろう。
俺は少しだけ肩の力を抜いた。どうやら今日一日は無事に過ごせそうだ。
もう肩肘張る必要もないんだな。安心したぜ。

だがそう思ったのは間違いだった。

背後で谷口がハルヒに話しかける声がした。
俺はどうでもよかったので力なく机につっぷしたままだった。

だがそれはどうやら俺に向けてのものでもあるらしかった。

谷口「おい知ってるか、涼宮」

ハルヒ「何よ、うざったいわね。気安くあたしに話しかけないでよね」

谷口「まぁまぁそう言うなって。今こいつの顔どうなってるか知ってるか?
    マジでヤバイぜ、パンダみたいにどす黒くなってるんだ。
    ある意味一見の価値があるぜ」

なんてことを言うんだこいつは。あの坂道で無視したことの仕返しのつもりか。

590 名前:36-9[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:35:19.58 ID:0cIhMt790


なんてこった。このままハルヒに顔を見られなければ万事無事に済んだというのに。
しかしこれも俺自身の行動の結果とも言える。

おれは、またやってしまったのか。
おれは、また自分で自分の首を絞めるのか。俺は。俺は。

ハルヒ「……本当なの、キョン……?」

やめろ、俺を気遣うな。俺を気遣うんじゃない。
まだ悪態をつかれた方がマシだ。不意打ちみたいに俺を気遣うんじゃない。

お前に、お前らに気遣われたって、俺は、俺はどうすることもできないんだ。

どういう顔で、お前に、お前らに振り返れってんだ。
そんな顔を持ち合わせちゃいないんだよ。今の俺は。

そうして黙って耐えるしかない俺の肩に不意に谷口の手が置かれた。

谷口「ほれ、見てみろよ、面白いぜ。パンダみたいでよ。
    映画の悪役みたいに淀んでんだぜ。
    たしかジョークマンとかいう名前だったよな。そんな感じなんだぜ。
    見せてやれよキョン、ほれ、どうしたっ」

谷口は悪ふざけに悪ふざけを重ねてぐいぐいと俺の肩をゆすってきた。
俺はじっとしているだけで精一杯だった。
一目でもこいつの顔を見たら俺は何をするかわからない。
これ以上墓穴を掘るのはご免だった。

妹の怯える顔が思い浮かぶ。これ以上揉め事だけは起こしたくはなかった。

593 名前:36-10[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:38:46.93 ID:0cIhMt790


谷口「なんだよ、やっぱ無視かよ。感じワリーな。
   お前そんな薄情なやつだったのかよ。変だよなー、今日のお前。
   なんかすっげー感じわりーぜ。どうしたんだよ、なんか言えよっ!」

そう言って谷口が俺の後頭部を平手ではたいた瞬間が最後だった。

俺の忍耐の限界、最後の一線はそこだった。
指先や足元が震えてくる。その定まらない感覚に俺は恐怖した。
そして同時に、臓腑の底から湧き上がる衝動に抗うこともできなかった。

キョン「……せぇな……」

谷口「なんだ、今日一番、新学期早々言うことがそれかよ、
   友達に挨拶の一つもできないやつに、なっちまったのかよっと!」

そう言って谷口はもう一度俺の後頭部をはたいた。

俺の衝動は忍耐の限界を一足飛びに越えた。

そのまま何も言わないまま立ち上がり谷口の顔面を思いっきり殴りつける。

よろめく谷口の背後で国木田やクラスメート達が蒼白な顔で俺の目を見ていた。

その景色を振り切り横に流して呆然とする谷口の頭をひっつかんだ俺は
そのまま自分の机に向けて力いっぱい投げ落とした。

背後で女子の悲鳴が聞こえる。
ぐるりと周囲を一瞥すると何事かと驚いた表情で固まる男子、口元を押さえて驚愕する女子、
青白い顔の国木田、うずくまったまま頭から血を流して俺を見上げる谷口の姿があった。

595 名前:36-11[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:42:22.50 ID:0cIhMt790


谷口は最初は顔に怒りの感情を浮かべていた。
だが俺が谷口を見て谷口が俺の目を見た瞬間に、凍りついた。

ついで怯えるような表情に変わった谷口は顔の前で両手を交差させ身をかばった。

何からだ。俺からだ。

俺の視線から、俺の剣呑で険悪な目つきからその身をかばったのだ。

俺がどんな顔をしているかなんて、鏡を覗くまでもなかった。

ハルヒ「ちょっと、キョン、何やって────」

俺の正面にハルヒが回り込んできた。俺は何も考えることができなかった。
ハルヒの蒼白な表情を見て、何一つ思考することができなかった。

思わず半歩後退るハルヒに、俺は事の重大さを垣間見た気がした。

クラス中が俺に注目し、俺はその中で一人孤立していた。

徹夜で課題をやっていたから疲れている、
なんてことは作り話だとハルヒにも悟られてしまっただろう。

そしてその理由を俺が説明しても誰も、決して理解しようとはしないだろう。

時間の輪が閉じたからこうなりました、なんて、言えるわけがない。

いよいよ頭のおかしい人間だと思われるのがオチだ。
これじゃぁ、本当に殺人事件の犯人みたいだな。そんな自嘲めいたことを思った。

596 名前:36-12[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:44:34.58 ID:0cIhMt790


たしか死んだ探偵の足跡を辿って怪人を追いかける映画があったな。

それもやはり最後は探偵の足跡を辿る狂言回しが犯人だった。
よくある筋書き、よくある結末だ。俺の現状はまさにそれだった。

時間の輪を閉じるという重大な犯罪行為を終えた俺は、
ついにただの罪人を通り越して怪人にまでなってしまったっていうのか。

ならこの目もとのクマも、なるほど、お似合いってことか。

あの広場で鶴屋さんを追い詰めたとき、
高らかに笑って騙った真犯人に、俺はなってしまったらしい。

本当に、真実に。
実際に。

俺は疲れ切った体を引きずりながら
自嘲めいた笑みを浮かべてふらふらと教室の出口へと歩いた。

誰一人止める者はいなかった。それでいい、それで。

今俺を止めるその行為が、いくら俺の為だろうと、他の誰かの為だろうと。

俺は傷つけてしまう。殴りかかってしまう。
どうすることもできない。時を閉ざした罰がこれだというなら、効果は十分だ。
俺の精神は、十分に病んでしまった。

俺の正気は、とっくのとっくに苛まれてしまったのだ。

597 名前:36-13[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:46:51.02 ID:0cIhMt790


安っぽいサスペンスの犯人が最後にする行動はなんだ?

断崖絶壁の波が押し寄せる高所に追い詰められた犯人がすることはなんだ?


自供か? 懺悔か? 自首か? それとも、自殺か。

ところがどっこい俺にそんな度胸はない。
今の今更になっても俺は探偵役にも犯人役にも徹しきれないでいる。
そうして中途半端なまま、あの時も俺はエンディングを迎えたのだから。

境界の上で不安定に揺れる俺の足取りはやはり定まらないものだった。
自分を支えるものが俺の中には何もなかった。

何が足りない。何が足りなくて今俺はさ迷っているんだ。

何が俺を迷わせている。何が俺を放浪させているんだ。

何が足りなくて俺はさ迷い始めてしまったんだ。

何が足りない。
足りないものは、決まっている。


ただ、あの人が足りなかった。

春休みをずっと共に過ごした、あの人が。
どこに行きつくこともない足取りの先に。
あの人がいないことなどわかっているのに。

598 名前:36-14[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:49:18.77 ID:0cIhMt790


それでも俺はさ迷わずにはいられなかった。

不思議な魅力を持つあの人を求めてさ迷わずにはいられなかった。

手先が震えて足ががくがくと震え、
嗚咽が漏れて涙が頬を伝おうとも。


さ迷わずにはいられなかった。


何も考えずに歩きまわったせいでいつの間にか
屋上への入口とは反対側へと歩いてしまっていた。

やはり俺の動きにも足取りにもしまりはなかった。
この後に及んで俺はまた間抜けをしてしまった。

あまりの情けない姿に俺は俺自身を嘲った。

そうして辿りついたここは玄関口を見下ろす吹き抜けの廊下、二階の通路だった。

なんでこんなとこに来ちまったんだ。
朝比奈さんの言葉を聞いて鶴屋さんを待つつもりだったのか?

無意識のうちに? 笑えない冗談だ。

ただ、一目ぐらいは見たかった。
これから俺がどうなってどういう顛末を辿るのか、
まったくもって予想がつかない。

599 名前:36-15end[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:51:27.45 ID:0cIhMt790


なら一目ぐらい、こっそりと、遠くから眺めるだけでもいい。
それぐらいなら許されると思えた。

誰に知られることも、気付かれることもないなら。ならいいだろう。

それぐらいなら、許されたって。


不意に背後で声がした。

俺の名を呼ぶ声がした。

その声に俺は聞き覚えがあった。振り返るとすぐそばに人が立っていた。

その人は突然俺の手をひっつかんで無理やり引っ張り起こした。

そして堂々とした気品溢れる笑顔の上に威勢のいい気風をはりつけて
そのスレンダーな胸を目いっぱい張ると
サバサバとした動作で俺の肩をバシバシと叩いた。

鶴屋さん「よっ、少年っ! こんなとこで何やってんのかなっ、
      ダメにょろっ、前途ある若者がこんなところで座りこんでたら、
      もったいないさっ! まーでもそれも青春かもね! なははっ」

そう言って明るく笑うその人の、鶴屋さんの笑みに照らされて。



俺の暗い目元にも赤みがさしたのだった。

600 名前:37-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:57:36.98 ID:0cIhMt790


鶴屋さんは自分の目元をくりくりと指さしながら俺の顔を覗き込む。

鶴屋さん「どーしたのさっ、キョンくん、その目!
      あ、でもなんか色が戻ってきたね。変なの!
      キョンくんの目っていつもそんな感じにょろ? おっもしろいね!
      七色の目! 虹色の視線を持つキョンくん!
      たっはー、想像しただけで笑えてきちゃったよ! ごめんにょろっ、にゃっはははっ♪」

キョン「いや、あの、これは……その……」

鶴屋さん「どしたどしたっ、元気がないぞっ! もっとシャキッとしなよ!
      あたしだって今朝まで風邪ひいてたけどこの通り、
      もう元気いっぱいだからさっ、キョンくんも気合を出せばなんとかなるよ!」

どうやらこの人が始業式も始まっていないのにここに居るのは気合で風邪を直したかららしい。

んなバカな、と思わせながらもあり得るかもと感じさせるところがこの人のすごいところだ。

俺は手を額に添えて小さく唸った。
泣いてしまいたい気分だったが、あまりにも意味不明すぎるのでなんとか堪えた。

再び視線を戻したとき鶴屋さんは不思議そうに俺の顔を覗き込んでいた。

笑顔を浮かべて俺を慰めるように微笑んでくれる。
ずっと悩まされていた頭の痛みが消えて視界もハッキリと定まり始めた。
そうして見る鶴屋さんの笑顔はとてもまぶしかった。目がくらみそうなくらいまぶしかった。

そういえば鶴屋さんはどうしてこんなところにいるのだろう。
登校できた理由はさっき聞いたが、この吹き抜けの廊下に何の用事があるのか。

601 名前:37-2[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:00:29.39 ID:0cIhMt790


それともただ通りかかっただけなのだろうか。それもなんだかおかしい。
玄関口から二年の教室に向かう通り道でもないのにだ。
俺は疑問を素直に鶴屋さんにぶつけることにした。

キョン「えっと、どうしてこんなところに居るんですか……?
    本当なら教室に居るはずなのに……」

俺の言葉を受けて「う〜んっ」と顎に指を添えてしばらく考えるようにした鶴屋さんは、

鶴屋さん「わかんないっ!」

とあっけらかんと言い放った。
俺は虚を突かれてこけそうになるのをなんとか堪えた。

キョン「わかんないって……また突拍子もない……」

半ば呆れかえって鶴屋さんを見るも
当の本人は嘘偽りもないと言いたげな清々しい表情だった。

どうやら本当にわからないらしい。
信じがたいがおそらくそれが真実なのがこの人の恐ろしいところだ。

鶴屋さん「なんかねっ、最初は教室に向かったんだよっ。
      そしたらなんとなーく、何が気になったのかわかんないんだけどさ。
      ほんとになんとなーくこっち来ちゃったんだよね。なんでだろねっ。
      それとなんとなーく、人を探してたような気はしたんだけど、よくわかんないやっ!
      あはは、おっかしいよねっ! そしたらキョンくんが座りこんでたからさっ、
      しんどそうだったしここは声をかけなきゃって思ったにょろっ。
      ところで体調の方はだいじょぶかい、キョンくんっ?」

602 名前:37-3[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:05:11.81 ID:0cIhMt790


そう言って早口にまくしたてると俺に顔を近づけて表情を確認しようとしてくる。
あんまり顔が近いので俺は思わずたじろいでしまった。

今の俺と鶴屋さんはそういう関係ではない。
それはわかっているのだが、気恥かしさを隠せなかった。

俺の反応が面白おかしかったのか、
鶴屋さんは俺の顔を指さしてケラケラと笑った。

鶴屋さん「君は怪人百面相かいっ、キョンくんっ! あっははは!」

怪人百面相キョン。うん、思いっきり正体バラしてるな。不採用。

キョン「や、まぁ、春休みにいろいろありまして……」

春休み、と言ったところで鶴屋さんの表情が若干変わった。
どういう風に、とはうまく説明できないが。

なんとなく雰囲気というかその場の空気が変わった。
いまいち状況に対応しきれないでいる俺を見つめながら
鶴屋さんが不思議そうな顔をして尋ねてきた。

鶴屋さん「春休みって言えばさっ、
      キョンくんはどーゆー風に過ごしたんだいっ?」

俺は自分の春休みを思い返す。
さすがにずっとあなたと一緒に居ました、とは言えない。

うまく答えられないでいると俺の返答を待たずして鶴屋さんは話し始めた。

603 名前:37-4[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:08:05.23 ID:0cIhMt790


鶴屋さん「あたしもね、上手く説明できないんだよねーっ。
      なんか家族の予定とかほっぽってずっと一人で街中を遊び歩いてたみたいでさ、
      別にみくると一緒に居たわけでもないのにおっかしいよねっ!
      なんか他に誰かと一緒に居たよーな気もするんだけどさ、
      思い当たらないし気のせいって感じなんだよね。
      それに何やってたかってのもどーしても思い出せないし、
      不思議なこともあるもんだよね、にゃっははっ♪」

そうあっけらかんと笑う鶴屋さんを見て、俺は悲しくなった。

いくらか穴はあるもののどうやら記憶の辻褄は合っているらしい。
こうして納得して、何事もなかったように日々を過ごしているうちに
奇妙な感覚もやがて薄れていくのだろう。

そうして、なんでもない出来事へと変えられて過去という闇に埋没していくのだ。
事実と虚構の境界さえなく。だがこれが本来の、正しい俺たちの姿なのだ。

今のこの状況こそが世界の本筋なのだ。
さすがに俺が暴れ出すことまでは含まれていなかったろうが、
それもまた誤差の範疇に過ぎない。大筋は変わらず、時は平穏に流れていく。

俺だけが、俺だけが一人で、すべてを覚えていればいい。
俺はもう、それでいい。それで十分だ。

そう納得しておこう。この鶴屋さんの笑顔を壊すわけにはいかない。
たとえそれが、俺がかつて知っていた鶴屋さんと同じで、
俺が知ることになった鶴屋さんの姿と違っていても。
この笑顔を壊すわけにはいかない。この笑顔を守りたくて、
俺はああして戦ったんだ。この人と、この世界のルールと。自分自身と。

604 名前:37-5[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:11:28.06 ID:0cIhMt790


俺一人が諦めれば、それで世界が守られるのだ。
その世界の中に、鶴屋さんが含まれているのなら。
それは守られるべき価値ある世界なのだ。

鶴屋さん「あ、そーいえばさ、春休みに変なもの見つけたんだよね。
      ちょっち待ってて!」

俺の考えを遮って鶴屋さんはカバンの中を無造作にごそごそと探り始めた。
中にはなにやら妙なものがたくさん詰まっていた。
びっくり箱みたいなカバンだなと思ったとき、
中から何か紙袋のようなものを取り出した鶴屋さんは
その場で包みをバリバリと破り始めた。

キョン「いいんすか、それ……。破いちゃって」

鶴屋さん「いーっさいーさっ、ほらっ!
      じゃじゃーんっ! こんなん買っちったよ!」

そう言って悪意満面というか気色悪い笑みを浮かべながら
サスペンダーをつけた少年が時計盤を抱えている微妙に
パチもんくさいデザインの置き時計を俺に差し出してくる。

それは俺が鶴屋さんに買ってあげた、
というか財布を無理やりむしり取られた挙句に強引に買わされた
あの時計店謹製の激安置き時計だった。

鶴屋さん「そのお値段、なんと570円っさ! ありえないよね、
      なんでうちのデパートでこんなん売ってるんだろっ、
      わっけわかんないよね! あははははっ」

605 名前:37-6[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:14:19.72 ID:0cIhMt790


一人でボケて一人で受ける鶴屋さん劇場に
半ば巻き込まれる形で俺もはははと苦笑いする。

鶴屋さん「しかもいつ買ったかも思い出せないんだよね。これもまたミステリーだよ!
      しかもさ、どーいうわけか自分のお金で買ったって気もしないんだよね。
      誰かすっごく貧しい人から搾取したような後ろめたい感じがするにょろ。
      きみょーだよねっ、おかしいよねっ、あんまりおかしいから面白くって
      うっかり持ってきちゃったよ! ほんとはいけないんだけどねっ、
      まぁバレなきゃいいのさっ! なっはははっ♪」

そう言って豪快に笑う鶴屋さんに、俺はかすかに微笑み返すことしかできなかった。
顔に寂しさが浮かんでやしないかと気をつけようとするも、
どうにもこうにも、今の俺は表情をうまく作れなかった。

感情は感情の中に隠すことができる。
だが胸の内の空虚さだけは、隠しきることはできなかった。

それでも楽しそうに話す鶴屋さんを見ているといくらか気持ちが安らいだ。
ささくれだっていた俺の精神に潤いが戻ったような気がする。

やっぱりこの人のそばは居心地がいい。
ただこれからは、この人のその明るさに甘えてはいけない。
それが俺の寂しさの根本だった。心細さと言ってもいい。

鶴屋さんが俺の表情の微細さよりも
置き時計の話に夢中になってくれていることが唯一の救いだった。

だが次の瞬間鶴屋さんの表情がわずかに曇った。それはずっと、
ずっとこの人のそばで観察してきた俺にしかわからないほどの微細な表情の変化だった。

606 名前:37-7[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:16:33.81 ID:0cIhMt790


鶴屋さん「そいでさっ、こんなに面白い時計なのにさ……」

どこか寂しげに遠くを見るような目だった。

鶴屋さん「なんてことのない時計なのにさ……
      なんとなく、見てると寂しくなっちゃうんだよね。
      なんでだろ……おかしいよね……」

そうしてポツリポツリとつながれた言葉を鶴屋さんは照れ笑いで締めくくった。

鶴屋さん「あっ、なんでこんなことキョンくんに話しちゃったのかなっ……ごめんね!
      キョンくん、変な話聞かせちゃってさっ、あたしらしくなかったよねっ、
      ごめんよ、許して、ってのもなんか変だね、あははっ」

胸の内が締め付けられる思いだった。
心音が高鳴り動悸が早まった。腕に力がこもり思わず拳を握りしめた。

鶴屋さん「そいでさ、昨日なんかひどかったんだよ。
      なんの目的もないのに夜中まで駅前をぶらぶらっとほっつき歩いちゃってさ、
      そりゃー親もカンカンだったさっ、何やってんだって、
      そいで風邪ひいちゃったんだけど、この通り、ばっちおっけーさ!
      まーほんとに面目は丸つぶれだったけどねっ! まーいいさっ!」

豪快な笑い声で締めくくられた鶴屋さんの言葉の意味を俺は考える。

ずっと駅前をほっつきあるいていた? 夜中まで? なぜだ? 誰かを探していたのか?

なら、それは誰だ。誰を探していたんだ。駅前ってのは、あの駅前なのか。
俺と鶴屋さんが待ち合わせに使っていたあの駅前の広場のことなのか?

607 名前:37-8[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:19:11.74 ID:0cIhMt790


もし、そうなら、鶴屋さんが探していたというのは……。

早口でまくしたてる鶴屋さんの言葉の一つ一つを拾い上げて、
俺は一つの可能性に思い至った。

鶴屋さんは、忘れてなんかいなかったのだ。

風邪をひくまで探していた人物。それは他でもない俺だ。

俺が自室でぶっ倒れている間も、鶴屋さんは俺を探して、
あの駅前で、ずっと待っててくれていたのだ。

俺のことを、わけもわからないまま探してくれていたのだ。
俺がくるまで、ずっと。
俺が来ないまま、春休みを終えるその時まで。

鶴屋さん「およっキョンくん、なんか目元の黒いのすっかり消えちゃったね。
      ていうか顔が赤いくらいさっ、なんかいいことでもあったのかなっ?
      それに今日のキョンくんは表情がくるくる変わっから
      見ててなんだか楽しくなるっさ! 本当に怪人百面相を名乗れるかもよっ、
      そん時はあたしが白痴GOGOGOをやってあげよう!
      あれ、あけちごごごーだっけ。まぁいいやっ!
      こっちのがかっくいいからそゆことでっ!」

機関銃のように俺に言葉を浴びせる鶴屋さんは本当に楽しそうだった。
なんだか浮き足立っているような、そんな印象さえ受ける。

ほとんど返事を返さない俺にこれだけ積極的に話しかけてくれるのは、
鶴屋さんの心のどこかに今も俺と過ごした記憶が残っているからなのだろう。

608 名前:37-9[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:21:47.59 ID:0cIhMt790


そこから希望の光がさすような気がした。

鶴屋さんの心の中にはまだ、俺と過ごした時間の記憶が焼き付いているのだ。

それはやがて失われてしまうほどささやかなものなのだろう。
だが、それならなおさら俺はここで引き下がるわけにはいかなかった。

ここからは俺の完全なわがままだ。

鶴屋さんに、あの時あの時間のあの気持ちを思い出してもらいたい。

そんな俺の身勝手なわがままだった。
しかしどうやって? どうやって、鶴屋さんから記憶を引き出すってんだ。

考えろ、俺。何か秘策を思いつけ、俺の普通の頭脳。
何色でもいい俺の脳細胞よ。思い出せ俺のありきたりな脳細胞!

何か、何かないのか────!


ある。たった一つだけ、思いつく方法が。俺がかつて実行したことのある作戦が。

浮かび上がった単語は「スリーピングビューティー」

今ここで、あれをやるのか? だが迷ってる時間なんてない。迷っていい暇なんてない。
今ここが、俺の、名探偵でも迷探偵でもない。


俺自身の物語なのだから。

609 名前:37-11[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:24:37.65 ID:0cIhMt790


俺は鶴屋さんに向き直り居住いをただした。

首筋を数回なぞって息を吐く。
そんな俺の心の準備を不思議そうにじっと見つめながら、
鶴屋さんは小さく小首をかしげた。

手を後ろに回して、俺が何を始めるのか見守っている様子だった。

鶴屋さんが手を後ろに回しているのは僥倖だった。
正面から立ち向かえば呆気無くぶっとばされかねないからだ。

ある意味一瞬の隙が勝負を分ける。
しかしこう、今さらながら真正面から向き合うと
どうにも腰の据わりが悪いというか足元が定まらないというか
落ち着かない感じがする。

パンパンと軽く頬を叩いて気合を入れる。
鶴屋さんは面白いものでも見るようにクスクスと笑っていた。

実際はたから見れば面白いんだろう、俺のやっていることは。
ただここから先は面白い結果になるのか、
それともただ単に上級生かっこ美人のお嬢様かっことじるに不埒なマネをした
軽犯罪者になるかという運命の瀬戸際である。

この方法が有効だという保証もまったくと言っていいほど、ていうか皆無だ。

もし失敗すれば殺されても文句なし、じゃない文句は言えない。

思えばもっとすごいことを堂々としていたくせに今さらながらなんだこの恥ずかしさは。

610 名前:37-12[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:27:58.46 ID:0cIhMt790


ええい、もうどうにでもなれってんだ!

俺のあらゆる 不躾と 不作法と 不埒と 不義理と 不撓不屈と
不器用と 不格好と 不在と 不毛不才と 浮浪と 不明解と 不能と、不能ってなんだ、
あとなんか不思議っぽいものをありったけかきあつめて、

過去のありとあらゆるシーンの俺よ、現在の俺に、勇気を、
あとついでに下心をわけてくれ! 頼むっ!

キョン「鶴屋さんっ、ちょっといいですか────」

鶴屋さん「んっ? なんだい、キョンくん、やぶからぼーにっ」

キョン「俺の好きな人って知ってます?」

鶴屋さん「えっ────」

完全に不意打ちだった。
本日さんざん不意打ちに苦しめられてきた俺は
ついに自分でも不意打ちを敢行することになった。

意識の隙間の虚をついて、俺は鶴屋さんの唇に自分のそれを重ねた。

抱き寄せた鶴屋さんの肩が強張った。
驚愕と共に、雷に打たれたように小刻みに震えていた。

それでも不思議と何の抵抗もなかった。
あの時にしたように、春休みの十三日目に俺の部屋でさんざんそうしたように、
深く、深く永い口づけを交わした。

612 名前:37-13[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:30:23.43 ID:0cIhMt790


どれほどそうしていただろう、
舌を何度も重ねて離しては重ねたその後も何の抵抗も受けなかった。

ただ所在なさげに震える手先が俺の体に添えられて、
そこから突き出されるでもなくひっつかまれるでもなく俺の胸元に移った。

ゆっくりと、唇を離した時。
まぶたを開いて見た鶴屋さんの瞳は、俺を愛してると言ってくれた鶴屋さんの、
あの時のあの時間のままの瞳だった。
鶴屋さんの俺を見る瞳は、あの時と何にも変わっていなかった。

あの時あの時間のままの鶴屋さんが、目の前にいた。

そう確信して笑いかけようとした瞬間、鶴屋さんの目から一筋涙が伝った。
そしてそのまま大粒の涙へと変わり、俺を見る表情は悲痛なものとなった。

俺は驚愕し一瞬たじろいでしまった。
その隙をついて、鶴屋さんは俺の腕を振りほどき走り出した。

まさか、まさか失敗したってのか。俺の狙いが外れたってのか。
いや、だがあの目は間違いなくあの時の鶴屋さんの目だった。

今は考えている時間さえ惜しい、ここは自分の直感を信じて追いかけるしかない。

キョン「鶴屋さん、待ってください! 鶴屋さん! 鶴屋さん────!」

考えることを後回しにして俺は鶴屋さんの後を追いかけた。
さすが鶴屋さんは俊足だったが、俺の方にも意地がある。
俺はなんとか気力だけで鶴屋さんに食い下がった。

613 名前:37-14[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:33:18.22 ID:0cIhMt790


走りながらも頭は勝手に考えてしまう。
どうして鶴屋さんはすべてを思い出してなお俺から逃げ出すのか。
どうして俺を拒絶するのか。

わけもわからないまま俺は鶴屋さんを追いかけた。
いろんな学年の教室の前を通るたびに背後から生徒が騒ぐ声が聞こえた。

扉が開かれ教師が顔を覗かせたり俺と鶴屋さんの追走劇は注目の的となった。

下級生男子が上級生女子を追いかけまわしているというその異様な光景に
誰もが顔に驚愕の色を浮かべていた。

これって下手すると退校処分になるんじゃないだろうか。
ふとそう思った油断が命取りだった。

何度目かのターンの後廊下の曲がり角から急に現れた教師に体をひっつかまれ
そのまま引きずり倒されてしまった。
そのまま制服で締め付けられたあげく腕ををねじあげられて身動きがとれなくなった。

キョン「くそっ! 放せ! 放せよ、畜生! 畜生、畜生────!」

吠える俺の耳元に教師の怒鳴り声が響く。
つんざくような騒音の中で耳にした言葉に俺は驚愕した。

一年五組の教室でクラスメイトに怪我をさせたのはお前か、
今度は女子を追いかけまわして何をやっているんだ、
さっきからずっとお前をさがしていた、じっとしていろ、と。

俺はまたしても墓穴を掘っていた。

614 名前:37-15[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:35:37.92 ID:0cIhMt790


谷口に流血させた俺を探して教師たちは廊下をうろついていたらしい。
そこに俺が鶴屋さんを追いかけながら通りかかった。
そしてものの見事に捕まったのだ。結局、結局また俺のせいか、俺自身のせいなのかよ。

やりきれないまま、鶴屋さんの背中がどんどんと遠くなっていく。
その背中に向かって、俺は力いっぱい叫んだ。

キョン「鶴屋さん、今日、あなたの家にお邪魔してもいいですか!
    訪ねて行ってもいいですか! 鶴屋さん、何か言ってください!
    あの時みたいに不躾で不作法な俺ですけど、かまいませんか、鶴屋さん!」

鶴屋さんは一度も振り返ることなく廊下の向こうに消え去った。
角を曲がって見えなくなった鶴屋さんの姿が脳裏に焼き付いていた。
俺を拒絶するように走り去った鶴屋さんは、俺の前から消えてしまっていた。

俺の言葉に一言も返さないまま。鶴屋さんは行ってしまった。俺を置いて、置き去りにして。

打ちひしがれる俺の上に何人もの教師がのしかかってきた。
すでに抵抗する意思さえも失せていた俺はただ弱々しくうめき声をあげるだけだった。
力づくでその場に押し付けられ、床に頬を擦りつけながら俺は後悔していた。

俺は、なんで、いつもこう、何もかも裏目に出てしまうんだ。
俺の暴挙とわがままが全てを台無しにしてしまっていた。
俺の高校生活はここで終わるのかもしれない。
鶴屋さんともSOS団ともここでお別れなのか。すべてが、ここで終わってしまうのか。
これが世界の本筋なのか? それとも、こんな事件さえやがて
時間の輪が閉じることで修正されるのか。そうやって、俺は何度も何度も何度も何度も、
何度も同じ失敗を繰り返すってのか。
何度も同じ悲劇を辿るってのか。いやだ、そんなのは嫌だ。

616 名前:37-16[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:37:47.13 ID:0cIhMt790


嫌だ────────────────。

のしかかってきた教師の一人が足を滑らせたのだろう。
俺は後頭部に鈍い衝撃を感じた。

そのまま意識が遠のいていく。
暗闇に吸い込まれるようにして、俺の意識はそこで途絶えた。


次に目を覚ましたときは保健室だった。

始業式はとっくに終わっていて今はもう生徒が帰る時間だった。
とっくに帰路についている生徒が校庭を横切っていく姿を俺は呆然と眺めるしかない。

そして保険医の連絡により現れた教師たちに職員室まで連行され
こっぴどく叱られることとなった。日が傾くまで事情を聞かれていたのだが、
俺のあまりの覇気のなさに拍子ぬけした教師たちによって
一旦は家に返されることになった。当然のことながら親にも連絡するという。

自分で自分の首を締め付ける俺の無様さったらなかった。
まったくもってその無様さといったらなかった。

職員室を出て扉を閉めたところで俺を呼びとめる声がした。

声のする方へと振り返ると
ハルヒ、長門、朝比奈さん、古泉が並び立って俺のことを見ていた。

どうやら今の今まで俺が出てくるのを待ち構えていたらしい。
俺はそんな連中に何の言葉も返すこともできなかった。

617 名前:37-17end[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:39:55.98 ID:0cIhMt790


ただあいつらが俺を見る目の、

不安げな、心配そうな、憐れなものを見るような視線に晒されるのは。



たまらなく居心地が悪かった。

10 名前:都留屋シン ◆wScl9LyheA [sage] 投稿日:2010/03/19(金) 18:53:24.28 ID:imSbaqCO0

さて、それではぼちぼち再開したいと思います。
前回トリップを思いっきり
つけ忘れてしまったのですがまぁなんとかなるでしょう。
それでは続きを始めたいと思います。
最後までお付き合いいただけるとこれ以上のことはありません。
基本sage進行で、思い出したときにageていきます。

11 名前:38-1[] 投稿日:2010/03/19(金) 18:57:46.43 ID:imSbaqCO0


日が傾いているせいで窓の冊子や光の加減によって
俺の顔にだけ黒い影が張り付いていた。

さながら映画の悪役のようである。
あいつらからは俺の目の光だけが見えているって寸法か?

これはますます犯人染みてきた。
哀れな怪人と化した探偵の、その哀れな末路を看取ってくれるのは
どうやらこいつらだけらしい。このまま消え去ってしまいたかったが、
そんなことは土台無理な話なので俺はただそこにたたずんでいる他なかった。

誰も何も言わない。
俺も、ハルヒも、長門も、朝比奈さんも、古泉も誰も何も言わなかった。
ただ互いの腹のうちを探り合うように、時間だけが過ぎ去っていった。

そうしているうちにいい加減疲れ切っていた俺は
何を言うでもなく連中とは反対方向へと歩き出した。

数歩歩いたところで背後から朝比奈さんの声がした。
俺を呼びとめるその声が。それでも俺に立ち止まる気はなかった。
そのまま歩き去ろうとする俺に朝比奈さんは尚も言葉をかける。

みくる「キョンくん……鶴屋さんが、これを校庭に置いて行ったのっ、
    キョンくんへって、書き置きが添えられてたの、だから、
    だからせめてこれだけは受け取ってあげて、キョンくん!」

そう叫ぶ朝比奈さんの声は悲痛に満ちていた。
叫び慣れていない朝比奈さんのかすれるような声とその言葉の意味するところに
思い当たった俺は脚を止め振り返った。

12 名前:38-2[] 投稿日:2010/03/19(金) 19:00:12.69 ID:imSbaqCO0


朝比奈さんは今にも泣き出しそうな顔で俺を見ながら、
その手に例の置き時計を抱えていた。

例の趣味の悪いパチもんくさい置き時計である。
あれは俺が鶴屋さんに買ってあげた、というか無理やり買わされた時計である。
その時計が捨てられたということはすなわち、
鶴屋さんはもう俺との関係を打ち切るつもりなのか。俺はそんな風に感じた。

どうやら鶴屋さんは俺と過ごした時間をすっぱりきっぱりと忘れるつもりらしい。
そして、今まで通り、日々を過ごすことに決めたようだ。
俺のいない時間を過ごすことに決めたようだ。

結局、最初から無理だったのか。
俺が鶴屋さんの隣に立つなんて。共に未来を過ごすことなんて。

最初から無理だったんだな。

キョン「それ……いりませんから……処分しといてください……
    お手数おかけしてすいません……朝比奈さん……」

朝比奈さんはすがるように俺を見て言う。

みくる「え、で、でも、これは鶴屋さんが、あなたにって……」

キョン「いりません。捨ててください」

朝比奈さんはしゅんとして押し黙りそれ以上俺に声をかけることはなかった。

これ以上ここですることはない。そう判断して俺は再び歩き始めた。

13 名前:38-3[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 19:04:53.68 ID:imSbaqCO0


背後からハルヒが俺に向かって叫ぶ声が聞こえた。

ハルヒ「ちょっと、みくるちゃんが持ってけって言ってんだから
     持っていきなさいよ! ちょっと、キョン!」

そういって何度も俺のあだ名を叫んだ。
怪人キョン、なんともしまらない名前だな。
これじゃぁどっかの物珍しい草食動物みたいじゃないか。
これが怪盗とかならまだ、いや、関係ないか。
怪傑ってのもいいが、生憎俺は悪役だ。

そんなバカみたいなことを考えていると
ハルヒの呼び声に混じって古泉が俺に語りかけてきた。

古泉「やれやれ、困ったものですね。
    これだけ皆さんに迷惑をかけておいて無視して帰るなんて、
    男らしくありませんね。まったく、とんだ腰抜けですよあなたは」

うるせぇ古泉。その挑発には乗らんし、男らしくないことは今に始まったことじゃない。
とにかく今は誰とも関わり合いたくないんだよ。俺のことなんか放っておいてくれ。
お前に返す言葉なんて初めから持ち合わせちゃいないんだ。

古泉の言葉に胸中悪態を吐きながら俺は振り返らずに歩き続けた。
それでも古泉は俺への非難をやめないとしない。
いい加減に腹が立ってきたが、今さら振り返る気も起きなかった。

古泉「どうして逃げるんですか。谷口さんを殴り飛ばしたからですか?
    鶴屋さんに逃げられたからですか? あなたは何に怒っているんですか?
    そもそも誰かに怒る資格があなたにはあるんですか?」

14 名前:38-4[] 投稿日:2010/03/19(金) 19:11:22.16 ID:imSbaqCO0


んなもんねーよ、ねーから俺はさっきまでこっぴどく叱られてたんだ。
そしてこれから正にその代償を払うんだ。
これ以上俺の傷口を広げるような真似はやめてくれ。頼むからよ。

古泉「まったく、あなたという人には失望しました。
    これまであなたを信じて見守ってきた僕たちに
    失礼だと思わないんですか?
    あなたは本当に馬鹿ですね。馬鹿な人です。
    どうしようもないくらい残念な子です」

畜生、腹が立つ、やっぱりこいつには腹が立つ。
一回くらい決着をつけておいてもいいかもしれないが、
腕っ節がいつものゲームの結果と違うのは目に見えている気がした。

一回ぐらいはこいつを殴りつけてやりたい。
だがそれでも振り返ってやらん。絶対に、絶対にだ。
もうこれ以上は、これ以上は何もしたくないし、されたくもない。
誰にも、誰とも関わり合いたくないんだ────。

古泉「やれやれ、あなたもまったくしょうがない人ですね。
    そんなあなただから、鶴屋さんにも逃げられてしまうのでは?」

その一言で俺は立ち止まった。

キョン「なんだと……?」

その言葉はまさに事実だった。少なくとも俺にはそう思えた。
その事実に胸をえぐられて俺は脚を止めてしまった。
したり顔で微笑む古泉の顔が思い浮かぶ。畜生、また、俺は、自分で────

15 名前:38-5[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 19:16:59.48 ID:imSbaqCO0


古泉「あなた、”おつむ詰まってますか?”」

その一言にはっとして俺は思わず振り返った。

視線の先にいる古泉の表情は俺が想像した通りのニヤケ面だった。
しかしそれは挑発に成功したからというわけではなく、
本当に俺を見守っているような穏やかなものだった。

呆気にとられて体から力が抜けてしまう。
なんだ、聞き覚えがあるぞ。今の言葉は、確か、確か────

古泉「どうですか、涼宮さん。この僕の紅色の脳細胞にかかれば、
    彼を引きとめることなど造作もないのです」

ハルヒ「さすがね、褒めてつかわすわ。
     そしてどうやら、あっちにも話をする準備はできたようね」

そう言って堂々と胸の前で腕を組んだハルヒの浮かべる笑みは
いつもの何倍も迫力溢れるものだった。

気迫と言ってもいい、それほどの凄味を感じさせていた。
俺は思わずサスペンスの三流悪役のようにたじろいでしまった。

そのリアクションを見て大いに満足したハルヒは朝比奈さんの手から
置き時計を取り上げると大きく振りかぶり力の限りおれに投げつけてきた。
あんまり強く投げるもんだから危うく受け取り損ねるところだった。

こんな安モン、落としたらバラバラに砕けて大変なことになるだろうに。
そんなことにも構わずにハルヒは銃を構えるような仕草で人差し指を俺に向ける。

16 名前:38-6[] 投稿日:2010/03/19(金) 19:22:03.65 ID:imSbaqCO0


ハルヒ「あんたが何するつもりなのかはわかんないけど、
     中途半端に終わらせたら承知しないんだからね!
     その時はあたしがブローニング片手に学校中を追い回して
     蜂の巣にしてあげるわ! 覚悟しときなさい!」

ハルヒがとんでもない事を言う。
だからブローニングはシーズン6の16話に一回使ったきりだっつーに!
ってこのツッコミも前にもしたことがあるような……そんな気がする。
終業式の日、春休みの前日に。SOS団の部室でした会話にそんなやりとりがあった。

こいつら、覚えているのか。まさか、覚えているっていうのか?

それははっきりとはわからなかったが、それでもそこには、
あの探偵ごっこをやっていたあいつらの変わらない姿がそこにある気がした。

たとえ時間の輪が閉じても変わらない、バカみたいなあいつらがそこにいるような感覚が。
それだけはまったく、これっぽっちも、変わることがないと強く主張するように。

自分たちの存在を示していた。
消えてしまった過去の、閉じ込められてしまった過去のその向こう側から。

確かに聞こえた気がした。
こいつらのバカ騒ぎが、喧騒模様が、そして、続いていく日々の宴が。
長門が突然カバンの中からもじゃもじゃのカツラを取り出しおもむろに頭に装着して言い放つ。

長門「新シリーズは……近い────」

長門の目が力強くキラリと光った。マジか、それマジなのか長門、
信じていいんだな? 信じていいんだよな、長門さん!?

17 名前:38-7[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 19:25:51.27 ID:imSbaqCO0


長門は俺の言葉に小さくコクンと頷いた。
ってなんでお前にそんなことがわかるんだよっ!とはツッコミきれないままに
長門が放った「我々がそうする」という言葉に内心ドン引きしながらも
楽しみにしているようなその表情に何も言い返すことができなかった。

海外ドラマが延々とシーズンまたぎで作り続けられる秘密がそこにはあったのかもしれない。
だがそんな秘密を掘り起こす気は俺にはまったくこれっぽっちもなく、
エリア51にグレイ型の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースが
いるかどうかなんて考えたくもなかった。

どうも長門の方は微妙に覚えているみたいだった。
さすがというかなんというか、
8月に夏休みを繰り返した時も一周欠かさず覚えていた長門なら不思議はないのか。

というよりもあの法令線とカツラにかける情熱が時間の壁を突破したのだと思う方が
俺的にはしっくりくるのだが。どうなんだろう。
それはちと面白おかしく考えすぎなんだろうな。うん。

若干鶴屋さんの癖が移ってしまったような自分に奇妙なおかしさを覚える。

一方朝比奈さんはというととても何かを言いたそうにしていたのだが、
ハルヒに背中をドンッと叩かれて
「さぁ、みくるちゃん、カミさんの話をしてあげなさい!」とたきつけられると
「う、うちのカミさ……え、あたし女の子なのに……カミさんなんていませんー……ふえぇ……」
となんとも痛々しい目を伏せたくなるような悲痛な表情で
一つしかないネタを繰り返しそのたびに涙を潤ませて押し黙っていたのだった。

南無阿弥陀仏、成仏してください朝比奈さん。
あなたのごこーいはほんとーに忘れませんから。ええ、もうほんとに。

18 名前:38-8[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 19:30:01.97 ID:imSbaqCO0


俺はハルヒに投げつけられた鶴屋さんが校庭に残していった置き時計に
視線を落とす。たしかにテープで紙がくっつけられていて俺への宛て名がある。
だがそれ以外には何も書かれておらず鶴屋さんの意図がさっぱり読めない。

いったいどういうことだ。また謎解きかよ。俺のありきたりな脳細胞には酷な作業だ。

そう思って置き時計を眺めているとなんだかその嫌味なデザインに腹が立ってきた。
いったいどこの馬鹿がこんなデザインを好むというのか。
あ、鶴屋さんだった。これは失敬。考えろ、考えろ俺。ううむ、うーうむ。

そうして置き時計を何度かひっくり返しているとメーカーのロゴが目に入った。
たしかこれは丸鶴デパートにあったあの時計店謹製の品だったよな。

あの店の雰囲気にまったくそぐわないこの悪意に満ちたデザインに
とてつもない違和感を感じたんだ。そう、あの店の名前を、俺は確か……。

Okey-Dokeyを、置き時計と読み間違えたんである。
そのあとOK時計とも読み間違えたな。

Okey-Dokey。
確か鶴屋さんに意味を教えてもらってたんだが、なんだっけか。忘れた。

いやいや、思い出せ、思い出せ俺。
なんかすげぇ大切で重要なことのような気がするぞ、がんばれ俺。ふぁいとっ! 俺!
主になけなしの脳細胞! よし、ピンと来た、違った、なんだっけ、思い出した! かもしれない。

そうしてようやく回答に思い至った瞬間俺の全身に電撃が走った。

正確にはそのあまりのくだらなさに驚愕しちまった。

19 名前:38-9[] 投稿日:2010/03/19(金) 19:34:49.58 ID:imSbaqCO0


鶴屋さんはこれをどこに置いていったって。
確か校庭だったよな。これを校庭に置いていったんだよな。
それが本当なら、もしそうなら、これは、これはあまりにも─────────


馬鹿馬鹿しい事件だった。

置き時計のロゴ。Okey-Dokey=OK
買ってきた店の名前。OK時計、じゃなかったロゴと同じOkey-Dokey=OK
置いていった場所。校庭=肯定

そのあまりのくだらなさに俺は放心した。
あまりにもくだらないダジャレだった。
そしてそれにすぐ気付かなかった俺の脳細胞の残念さといったらなかった。

おそらく俺が一つのヒントで気づかなくても大丈夫なように
それはもう念入りにダブルトリプルミーニングで答えを用意してくれたに違いない。

つまり、このシャレのくだらなさはイコール、
俺への気遣いというか保険のようなものである。

俺がどんだけ馬鹿で阿呆で残念な子でもさすがにこれには気づくだろうという
深い深いおもんぱかりと遠謀の結果である。
それすら見過ごしかけた俺のあまりの間抜けさを自分自身でも残念に思った。

ようはフツーにOKの返事である。
鶴屋さんがなぜに逃走したのかはまだわからないが、
それでも自宅にお邪魔してもいいことにはなった。
俺の不躾と不作法とその他もろもろの下心は無駄ではなかったのだ。

20 名前:38-10[] 投稿日:2010/03/19(金) 19:40:00.34 ID:imSbaqCO0


そう思うと現金なもので、
腹の底や胸の奥からふつふつと力がわいてくるようだった。
頬が緩むのを止められない。
怪人百面相というのもあながち間違った例えでもないのかもしれない。
きっと今の俺の表情は緩みに緩みきってだらしがないくらいなのだろうから。

顔を上げて連中を見るとあいつらも俺に負けないくらい嬉しそうに笑っていた。

ハルヒ「谷口の馬鹿にはあたしが追加で制裁を加えておくから気にせずに行ってきなさい!」

いやそれはだめだろう! おい! 謝っといてくれとは言わないがそれだけはやめてくれ頼むから!

古泉「後の処理は機関に任せてください。今あなたを失うのは、我々にとってもマイナスですから」

そう言って目いっぱい邪悪に笑う古泉。悪人くさい雰囲気すらかもしだしている。
こえーよ、お前らの組織こえーよ! ていうかいったいどこまで権力あるんだよお前ら。おい笑うな。

長門「大丈夫。それがかなわないときは私が全員逮捕する。安心して。自供を引き出すのは得意」

いやいやそれ自供じゃねーから、脅迫だから!
頼むから暴力的な手段だけは控えてくれ、マジで!

そして唯一特にすることがない朝比奈さんはしばらく周りを見回しておろおろとしていたものの、
意を決したように真剣な表情で眉根を寄せると珍しく普段より一際大きな声を上げて叫ぶ。

みくる「か、カミさんに全部やってもらいます!」

そう言って俺に向けて力強く人差し指を突きだした。
勇気と元気を目いっぱい振り絞った朝比奈さんは居もしないカミさんに何かをさせると言う。

21 名前:38-11[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 19:43:12.86 ID:imSbaqCO0


朝比奈さん、そこまで無理をしなくても……。
俺がそう思っていると組んでいた腕を崩して
朝比奈さんの隣に歩み寄ったハルヒがその背中をバシンとはたく。

ハルヒ「みくるちゃん、よくぞ言ったわ!
    それでこそ刑事……なんだっけ? まぁいいわ、とにかく偉い!」

ハルヒの気合のこもった一撃に
「ふえぇ!」とたじろぎながらも朝比奈さんは恥ずかしそうに照れ笑った。

そんなハルヒと朝比奈さんを見ているとふとある疑念が浮かんだ。

朝比奈さん、まさかカミさんってのは神さんのことじゃないでしょうね。
それだけは、それだけは本当にやっちゃいけないことですから!
触らぬ神になんとやらですから! マジで洒落になりませんからっ!

触る神どころか叩いてくる神にバシバシとはたかれながら
朝比奈さんは頭をかばいつつ何度も「やめてください〜」と悲鳴を上げている。

ハルヒもちょっと調子に乗り過ぎな気もするが、勇気を振り絞って
ついに配役を完遂した朝比奈さんに対するねぎらいの気持ちの表れなのだろう。

いわばこれは古泉に出したグッドサインと同じものなのだ。
それにしては過激だが、まぁハルヒなりの愛情表現のようなものだと思われた。

22 名前:38-12[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 19:46:07.96 ID:imSbaqCO0


似たような感じで鶴屋さんにバシバシとはたかれたり殴られたり蹴られたり

口の中にアイスをつっこまれたり脳天に空手チョップをくらわされたり

指に噛みつかれそうになったり舌をホールドされたり顔面を指で突かれたり

両頬をつかまれタコチューにされたりなじられたり罵られたり

無理やり押し倒されたり頭を鷲掴みにされ髪の毛をめちゃくちゃにされたり

指で無理やり眉間にシワを作られたり……多いな……

された俺としてはその気持ちは痛いほどにわかるのだった。
ついでに若干凹む気持ちも併せて。がんばれ、朝比奈さん。

思えば俺は鶴屋さんに何かをしてもらって、もといされてばかりだった。
自分からあの人に絡んだことはあったものの、
それよりも圧倒的に鶴屋さんが俺に絡んできた回数の方が多い。それがとても心残りだ。

俺があの人に、鶴屋さんに何をしてもらえるかなんてどうでもいい。
ただ俺は何かをしてあげたかった。

俺なんかにもできることがあるのなら。俺なんかを求めてくれているのなら。
あの人のもとへ駆けつけないわけにはいかなかった。

あの人が逃げるというのなら、俺は追いかけるまでだ。
そうしてずっと引き寄せられるままに。

俺は鶴屋さんのそばにずっと居たのだから。

23 名前:38-13[] 投稿日:2010/03/19(金) 19:50:03.28 ID:imSbaqCO0


キョン「お前ら、ありがとよ! 恩に着るぜ、後のことは全部任せた!
     っていうか俺にはできることなんて最初からないしな、だから全部、
     任せたぞ! 俺はさっさと行ってくる、やり残したことを済ませてくる!」

そう言ってあいつらの返事を待つまでもなく走り出した俺の背中に、
あいつらの声援が浴びせられた。

ところどころアホだのバカだのボケだのキョンだの酷い罵詈雑言を
主にハルヒに浴びせられながら俺はカバンも取りに戻らないまま学校を出た。

脇目も振らず人気のない校庭を走り抜け校門を通り過ぎると
路肩に黒塗りのセンチュリーが停まっていた。

いつぞや鶴屋さんが乗ってきたいかがわしい高級車である。
運転席のウィンドウが音を立てて下がる。

なんだ、鶴屋家が寄こしたヒットマンでも出てこようってのか、
そいつはGか、それともバーコードか、弾道を曲げるタイプのスタン、じゃねぇ暗殺者か、
なら物影に隠れても無駄じゃないのか? マジでピンチかもしれない。

などといい加減な洋画の知識を駆使しながらなんとか生存の可能性を探っていく。
俺が本気で戦慄したのも無理はない。
窓の向こうから発される空気の異質さというか凄味と呼べる迫力を肌で感じ取ったからだ。
数多幾多の戦場と人生を駆け抜けたような
渋いダンディーさを纏ったその人物が車の窓から顔を出した。

荒川さん「どうも、お待ちしていましたよ」

……なぜに荒川さんがここに?

25 名前:38-14[] 投稿日:2010/03/19(金) 19:54:34.17 ID:imSbaqCO0


しかもこれ、鶴屋さんが前に乗ってきた車でしょうに。
機関と鶴屋家は相互不可侵じゃないんですか?

荒川さん「スポンサー特権ってやつです。
      株主優待のようなものだと思ってください。わりとよくあることですよ」

地味にリアルな話だった。しかもわりとよくあるんですか。意外といい加減な組織だなおい。
それともそれを頼む鶴屋家の人間がちゃらんぽらんなのか?

キョン「まさか普段からそうしてるとか……」

荒川さん「いいえ、スポンサーから依頼があればたまに、という程度です。
      春休みの間に常の使用人全員に暇を与えたそうでしてね。
      あなたが探しているお方のお父上に指名されまして、
      私はいわば日雇いの勤めに出ていたわけです。
      と言っても臨時の送迎サービスみたいなものですよ。
      私は超能力者ではありませんから手が空くこともありますからね。
      こうして組織に貢献するのも悪い気はしませんよ」

とするとあの日も荒川さんが運転してたってのか。
如何に優れた組織であろうと運営資金なくしては人も物も集まらないだろうし
案外こういうサービスをそこかしこでやっているのかもしれない。
そう思えば納得がいくようないかないような。とにもかくにも俺には僥倖である。

キョン「それじゃぁ、乗せて行ってもらってもかまいませんか……?」

荒川さん「もちろんです。その為にここでお待ちしていたんですからね。
      もっとも、あなたが嫌がろうと無理やり連れてくるよう
      厳命されていますからあなたの意思は関係ありませんが」

26 名前:38-15[] 投稿日:2010/03/19(金) 19:58:48.33 ID:imSbaqCO0


笑みをたたえながら言う荒川さんの言葉を聞いて
俺は思わずずっこけそうになった。そして背筋に寒気が這い回った。

どうやら鶴屋さんは俺が謎解きに失敗したときのことまで考えて
保険を用意しておいたらしい。たぶん、おそらくではあるが
俺と荒川さんが顔見知りなのを知っていたのかもしれないし、
単に荒川さんの腕っ節がいいと踏んだだけなのかはわからないが、
まぁいい、俺は黙ってこれに乗ればいいだけなんだから話は簡単だ。

座り心地絶妙なバックシートに腰を下ろした瞬間車が突如急加速して
明らかに法定速度を数十キロは超えた速度で走りだした。

不安は感じるが俺にできることはもちろんない。
荒川さんが大丈夫だと判断してるんだから大丈夫だろう。

そうして俺は何度も顔面を青ざめさせたりパトランプの赤に照らされて
紫色に染まりながらもなんとか無事に鶴屋家の門前までたどりつくことができた。

正直言って死ぬかと思った。
しかしそこはそれ荒川さんの運転技術が素晴らしかったおかげで
酔って吐くこともなかった。

俺を下ろした荒川さんは俺に通用口の鍵を渡すと
戦闘機のパイロットの如き堂に入ったグッドサインを作って
何も言わずに走り去って行った。

手渡された鍵を呆然と眺めつつ
一応これも鶴屋さんが用意したものなのだろうと思い
通用口を開けて扉をくぐった。

27 名前:38-16[] 投稿日:2010/03/19(金) 20:01:51.28 ID:imSbaqCO0


一応中に入ったはいいが
ここからどうすればいいのかさっぱりわからない。

その場に靴を脱いで無断で上がらせてもらった俺は
一度行ったことのある場所、春休み三日目に日向ぼっこをしたり
膝枕をされたりした縁側に足を向けた。だがそこには何もなかった。

強いて言うならどういうわけかごはん粒が一つだけ落ちていたということぐらいだ。
ごはん、ごはんか。
以前鶴屋さん手作りの昼食をご馳走になった部屋に行けってことなんだろうか。

自分の推測に自信は抱けないながらも俺は指示されたであろう部屋へと向かう。
屋敷に人の気配はなく一見して無人のようにも感じる。

果たして鶴屋さんは本当にあの部屋にいるんだろうか。
とにもかくにも行ってみないことにはな。
障子戸を開いて昼食をご馳走になった部屋を覗くも鶴屋さんはいなかった。

なんだ、違うのか。とすると台所か? ダメだ、場所がわからん。
それともあのごはん粒はただの落し物だったのか。
いや、そんなことはないと思うんだが。

そう思って部屋の中を観察していると奥のふすまが目に入った。

俺が勝手に侵入して鶴屋さんにとっちめられたあの廊下に出るふすまである。
鶴屋さんが俺をここに導いたのはつまりこの戸を通って来いということなのだろうか。

俺は部屋の奥の扉を開いて廊下に顔を出した。
そこはなんとも薄暗く不気味な感じがした。

28 名前:38-17[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 20:04:54.40 ID:imSbaqCO0


ところどころ障子を透き通った光が覗くものの、
日が傾いた今はその光もほとんど届かず不気味な空気が漂っている。

日本家屋のこういうところは苦手に感じる。
これだけ大きな屋敷になればなおのことだ。

俺は恐る恐る脚を踏み出しながら軋む床の音を耳障りに感じつつ
屋敷の奥へと続くT字路へとたどり着いた。
確か、俺はちょうどここで鶴屋さんに発見されて盛大に驚いたんだった。

思い出すだけで情けない、それはもう情けない探偵だった。まさに不作法探偵だ。
とはいえ今は探偵ではなくモノホンの闖入者、じゃなかった
招かれたる者なので遠慮することはない。

妖怪とか飛び出して来やしないだろうな、などと真剣に失礼なことを考えつつ
俺は奥へ奥へと足を踏み進めた。正直帰りたい、いやダメだ。
怖い、じゃないがんばれ俺。

そういえば鶴屋さんはこの廊下の向こうには奥座敷があると言っていた。
家人や使用人を遠ざけて一人になりたい時はそこに居るのだという。

その話を鶴屋さんの口から聞いたとき俺はいつかそこに招かれてみたいと思った。
今思っても不躾な話だが、それが今実現しているというのか。

つまり今この状況はあの日俺が願った通りだっていうのか。
鶴屋さんが一人で居る為の空間。そこに招かれるというのはどういうことなのか。

あの時はなんの実感もなくただそうなればいいと漠然と願っていた。
それはごく曖昧な願望だった。

29 名前:38-18[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 20:09:19.82 ID:imSbaqCO0


今現実となって俺の目の前に続いている道筋。
それで正解なのかどうかはわからないが、今は何も考えず進むしかない。

日の光も届かない暗がりの中を歩いていくしかない。
その先に鶴屋さんが居るのかどうかもわからない。だが進むしかないんだ。
それしか俺にはできないんだ。

あの人が俺を待っている、その僅かな可能性でもあるのなら。
足を踏み出さないわけにはいかなかった。

手で壁をなぞりつつ足元を確認しながらつまづかないよう慎重に
一歩一歩進んだ俺は廊下の先に光を見た。
ふすまの隙間から覗くごくわずかな光だった。

おそらく日は沈んでしまっているだろうから日の光じゃない、
おそらく間接照明か何かの灯りなんじゃないだろうか。

誰かがいるのか。居るとしたら一人しかいない。
俺が鶴屋さんが用意した道を正しく辿ってこれたのなら
このふすまの向こうには鶴屋さんが居るはずだ。

吹き抜けの廊下で唇を重ねた後、
涙を流しながら俺に背を向け走り去った鶴屋さんの後ろ姿が脳裏によぎる。

何を今更ためらっているんだ俺は。

今更鶴屋さんと会うのが怖いのか?
あぁ、怖いとも。この先に居るのが鶴屋さんだとして、そうして何を話し、
何を伝えればいいのか。その言葉を俺はいまだ用意できていない。

31 名前:38-19[] 投稿日:2010/03/19(金) 20:16:44.11 ID:imSbaqCO0


そして、この先に待っている鶴屋さんが俺を受け入れてくれるとは限らない。

鶴屋さんは一度記憶を失って、俺と関係を持つ以前の鶴屋さんに戻っているのだ。
その鶴屋さんが俺の知っている鶴屋さんと同じように
俺との関係を継続することを選んでくれるのか。それはまったくの未知数だった。

この先に居るであろう鶴屋さんは、俺が知っている鶴屋さんとも
俺が知っていた鶴屋さんとも違う全くの、いわば新たな鶴屋さんだと言える。

それは俺の知らない鶴屋さんだ。
その心情を俺は正しく読み取ることができるのか。
誤解なく、想いを伝えあうことができるのか。
以前と同じように、俺の言葉に笑顔を返してくれるのか。全く以て不明解だ。

その事実がふすまにかけた俺の手をためらわせていた。
拒絶されてもおかしくなく。
受け入れられたとしても以前の鶴屋さんとは違う部分に対して
俺はどう接すればいいのかがわからない。

ただそうだとしても、一人で居る為の空間に
俺を招き入れてくれたその事実だけを心の支えにするしかない。

迷いがあるのは常にそうだ。俺は常に、ずっと、一番初めの最初から。

こうして迷い続けてきたんだからな。

そんな状況を常にひっくり返してくれたのが鶴屋さんの底抜けの明るさと押しの強さで、
そして、俺自身の鶴屋さんのそばに居たいという想いだった。
推理はもういい。何もかもここに置き去りにして、俺は今ふすまを開くしかない。

32 名前:38-20[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 20:21:46.40 ID:imSbaqCO0


ここに居る俺は迷探偵でも、真犯人でもない。
ただの俺だ。ただそれだけの俺だ。

何者でもないジャスト・ライク・ザットだ。
なら、俺は。

俺が俺の思う通りに。やりたいようにやろう。

その想いだけがややもすれば止まりがちな俺の足を踏み出させてくれる。

俺は日本家屋独特の木材に囲まれ篭もった空気を静かに深く吸い込み、
肺の底に溜めてからゆったりと吐き出した。

腹は決まった。俺はふすまにかけた手を横に動かす。


そこは小さな部屋だった。

俺の部屋ほどもない小さな暗室だった。
一応採光用の小窓が奥に一つ見えたものの
構造上必ず部分的な暗がりが生じるよう設計してあるように見えた。

広さは本間の畳で四畳半ぐらいだろうか。
何分暗いせいで具体的な広さが把握しづらかった。

確かに精神を統一するとかそういう用途には向いているように見えた。
卓台というか小さな文机のようなものが一つ据え置かれている。
ごく小さな収納や飾り棚もある。
ただそれ以上余計なものは一切なく無駄のない簡素な室内だった。

33 名前:38-21[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 20:27:49.67 ID:imSbaqCO0


多少広い茶室といった趣きである。
部屋に一歩足を踏み入れて左を見ると間接照明が一つだけ床に置かれていた。
デスクライトとそう変わらない大きさの和紙でくるまれた照明で
やわらかな光を発していた。

ただ部屋全体を照らすような灯りではなく、
むしろ光と影の境界を明確にするためのそれであるように思えた。

奥の窓からは月明かりさえも覗かない。
おそらく奥に採光用の空間があるのだろうが月光の反射ではここまで届かないらしい。

右手を見ると奥にもう一つふすまがあった。押し入れのようにも見えたが、
こう広い屋敷のことだから奥にまだ部屋があるのだとも思える。

俺はかろうじて照明の光が届き光と闇の境界に立つそのふすま戸に手をかける。
扉を開くことは簡単で奥はやはり部屋のようだった。

だが先程の部屋とは比べ物にならないほど広い。
空気の感じや音の響きから少なくとも十畳では済まないだろう。

照明に照らされるのは敷居の少し手前までで室内の様子はまったく伺えない。
先程の照明を使えないかとは思ったが充電式のものには見えなかったし
こう暗く広いと電源が見つけられないどころかそもそもあるのかすらもわからない。
先は読めないがもう考え込む気にはならなかった。

俺は何も考えずに足を踏み出すことにした。

俺はもう探偵でもなんでもないんだ。
ならここは普段何も考えていない俺の通りに。何も考えずに進もう。

34 名前:38-22[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 20:31:51.97 ID:imSbaqCO0


開き直ってみれば案外楽なもので半ばヤケクソ気味に大股で
部屋の奥へ奥へと踏み出した俺はやがて闇の真っ只中に佇んだ。

照明のかすかな光も届かない本当の闇の中に。

さてこれからどうしよう。
そんなことを思っていると背後のふすまが音も立てずに閉まり、
突然まったくの暗闇になってしまった。

暗黒の中に取り残された俺はふすまを閉じた者が誰なのか、
考えるまでもなくその名を呼んでいた。

キョン「鶴屋さん? 鶴屋さんなんですか……?」

正直自信はなかった。
闇の中に閉じ込められるような形になったのは
正体を知られるのが不都合だからという可能性もある。

ふすまを閉めたのが鶴屋さんだと言うならなぜそんなことをする?
俺に姿を見られたくない理由でもあると言うのだろうか。
混乱しながらも俺はその場に佇んで返ってくる言葉を待った。
だがそれは待てど暮らせどやってこなかった。冷や汗が頬を伝う。

もし鶴屋さんじゃなかったら? などというくだらない考えが頭をよぎる。
鶴屋さんでないなら誰だっていうんだ。
こんな不気味な雰囲気に飲まれてたまるか。

そう決心した俺はふすまの方へ振り返り周囲を手で探りながら
わずかずつ足を擦って前に進んだ。

36 名前:38-23[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 20:37:50.38 ID:imSbaqCO0


ふすまの隙間から光が漏れてくることもない。
元々そんなに確かな光でもなかったのだから当然か。

ふすままでそれなりの距離がある。
一歩進むたびに距離感と方向感覚を失いそうになった。
少しずつ方角が見失っているような気がして俺の不安は一層高まった。

手で何かを頼りにできればいのだが。
そう思って周囲を探っても何に触れることも、壁に触れることもなかった。
自分が今どこに立っているのかもわからないまま、俺は手探りでゆっくりと歩み進んだ。

暗中模索。今の俺にふさわしい言葉だった。

キョン「鶴屋さん、そこに居るなら返事をしてください。
    あなたが許してくれたから俺はここまで来れました、
    だから顔を見せてください、鶴屋さん。そこに居るなら、出てきてください!」

そう天井が高いというわけでもないのだろう。
部屋の奥や天井に反響した俺の声は距離感を狂わせるには十分なほど
何に減衰されることもなく跳ね返ってきた。調度品などは何も置かれていないに違いない。
でなければここまで綺麗に音が跳ね返ってくることはないだろう。

それはさらに、もしかするとこの場には俺一人しかいないのではないだろうかという
疑念と不安を増幅させる。まさか座敷牢というわけではないだろうが、
生活感のない雰囲気が俺の神経を摩耗させていた。

何度も鶴屋さんの名前を読んだ。
しかしそれでも言葉が返ってくることはなかった。
そうして歩み進んでいるうちになんとか元のふすまにまで辿りつくことができた。

38 名前:38-24[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 20:42:11.65 ID:imSbaqCO0


手をかけてふすまを開こうとしたが
何かがつっかえているような抵抗を受けて少しも開くことができなかった。

まさか、本当に閉じ込められたっていうのか。
俺の背筋に寒気が伝った。かけた手に力が入らない。

もしかして、もしかすると、いや、まさか。
そんな風に俺は何度も自分が置かれた事態にあれこれと考えを巡らせていた。
そうして閉じ込められたということ以外に、思い当たることが一つ。

このまま今以上に力を込めれば無理やり開くことはできるかもしれない。
だが、それはふすまを閉じた者の意図に反することのように思えた。

俺を閉じ込めるだとか、そんな目的で閉じられたとは思いたくなかった。
顔を見たくない、あるいは見られたくない理由、いや、事情があるのだとしたら。

このふすまは開いてはいけない。たとえ俺の不安がどれだけ増大しようとも。
それが鶴屋さんだったというのなら、なおさら俺はその意図に従う義務がある。

それが俺をこの空間に招き入れてくれた鶴屋さんに対して
俺が返せる唯一の謙譲の姿勢な気がした。

戸にかけた手を離して俺はふすまを背にしてその場に座り込んだ。
深く息を吸い込んだ後軽くもたれるとふすまは俺の体重でたわまずにわずかに抵抗した。

まるで反対側から誰かがもたれかかっているような感覚だった。
ふすまを手で抑えるということはないだろう。それなら位置がおかしい。
それは間違いなく、俺と同じように反対側でふすまに背を預けている者が居ることを表していた。
その人物が何者なのか。考えるまでもなかった。

39 名前:28-25[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 20:46:38.87 ID:imSbaqCO0


キョン「鶴屋さん……ですか……」

おれはもう一度その人の名を呼んだ。
暗闇の中で何度も呼んだその人の名を。

春休みの初めから。ずっと呼びつづけてきた人の名前を。

俺はそれ以上言葉を発することなく、
沈黙の中で暗闇を見つめ続けながら言葉を待ち続けた。

見ることも、感じることも叶わない空間にまるで言葉だけが置き去りにされているようだった。

感じることも見ることも許されない、
聞き、話す、言葉のやりとりだけが許された空間だった。
まるで他の何者も余計で邪魔だとされているように。

背中の抵抗感が少しだけやわらぎ、ついで少しだけ重たくなった。
感覚が変わった。
おそらく背をもたれさせるのをやめ正面に向き直ったのだろう。

重心を先程よりも上に感じる。ふすまに寄りそうような形になっているのだろうか。

頭の中でその姿を想像する。
俺はふすまの反対側の人間を鶴屋さんと断定した。

やはり鶴屋さんは俺を待っていたのだ。ここで、この空間で。
伝えたいことがあったから今ここでこうしているのだ。
俺は鶴屋さんの答えを待った。
ふすまの向こう側からポツリポツリと、声が聞こえ始めた。

41 名前:28-26[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 20:50:38.18 ID:imSbaqCO0


鶴屋さん「キョンくん……ごめん……
      こんな風にしか話せなくてさ……ほんとにごめん……」

その声音は弱々しく、覇気が感じられなかった。
俺が知っていた鶴屋さんの声でも、俺が知っている鶴屋さんの声でもない。
やはり今の鶴屋さんは、俺の知らない鶴屋さんだった。

キョン「いいんです……無理やり訪ねてきたのは、俺の方ですから。
    招いてくれて、ありがとうございます」

鶴屋さんは俺の顔を見たくないのではなく、
おそらく見ることができないのだろう。

だから直接俺に来てもいいと答えることはできなかったし、
玄関で迎えることもできなかった。

まわりくどいささやかな手がかりを残して俺をここに誘導することしかできなかった。
温もりも表情も押し隠すために、それは自分の感情を俺に見せないためなのだろう。

あの探偵ごっこを通して俺たちは互いの仕草や表情や
瞳からさえ互いの感情が洞察できるほどに互いの距離を縮めていた。

その洞察が、今は余計なのだ。

ただ純粋に言葉を交わすにはあまりにも性急過ぎるのだ。
今の俺と鶴屋さんに必要なのは瞬間的に心を通わせることではない。
それでは何も解決しない。今必要とされているのは、ちゃんとした言葉によって。

想いを伝えることだけだった。

42 名前:28-27[] 投稿日:2010/03/19(金) 20:55:01.02 ID:imSbaqCO0


鶴屋さん「ううんっ……来てくれてありがとっさ……キョンくん……
      あんな風に逃げておいてさ、キョンくんを傷つけたのに……
      いろいろ勝手なことまで手を回しちゃってごめんよ……」

キョン「少しだけ怖い思いはしましたけど、大丈夫です。
    むしろ助かりました。さすがに走ってここまでくるのは無理がありましたからね」

ふすまの向こうで鶴屋さんが少しだけ笑ったのがわかった。
声は聞こえなかったが、なんとなく、背に感じる感覚で。

俺もなんとなく微笑んでしまう。少しだけ息を吐く時間を得て俺はもう一度深呼吸をした。
俺は鶴屋さんに伝えることがあった。

キョン「過去は……閉じ込められてしまいました……
    時間の輪ってやつに……説明すると、ややこしいんですけどね……」

鶴屋さん「それは、なんとなくわかってっからさ……いいよ……
      まだ、他にも……話したいことはあるんだよねっ……?」

その言葉は俺の考えを見透かしているというよりも
そうであって欲しいという願いに根差すものなのだろう。
そして当然のこと、俺はまだすべてを伝えていない。
最初から最後までの何もかもを。その感情のすべてを。

キョン「えぇ、もちろん……」

俺はもう一度深く息を吸い込んだ。その音も重さの感覚も伝わっているのだろう。
今度は鶴屋さんの方が何も言わずにじっと待っててくれていた。
俺はゆっくりと息を吐き出し呼吸を整えてから話し始める。

43 名前:28-28[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 20:58:56.14 ID:imSbaqCO0


キョン「過去は、閉じ込められてしまいました……、
    だから、今これから、あなたと始めたいんです……。
    新しい時間を、新しい俺たちの時間を、今、これから……。
    正直、あなたが居ないと、俺はどうにかなってしまう。
    これは本当に俺のわがままで、何の正しさも根拠もありません。
    ただ、俺にはあなたが必要で、俺にはあなたが足りなくて……
    それが……苦しくてたまらないんです……鶴屋さん……」

俺は自分の気持ちを吐き出した。
感情に流されないよう必死に自分をなだめながらありのままの本心を語った。

先走らないよう気をつけながら発した一言一言に何の嘘偽りもなかった。
その言葉がどれだけ鶴屋さんに届いたのかはわからない。

そうして今度は、俺の待つ順番がやってきた。
しかしそれはすぐに終わりを迎えた。

鶴屋さん「キョンくん……聞いてほしいっさ……」

なだめるように、落ち着かせるように語りかけた鶴屋さんの言葉に
悪い予感を感じて俺は唇を噛みしめた。

拳を握りしめて後に続く言葉に備える。
そんなことは無意味なことだとわかっていても、それをやめることはできなかった。
そうして耳に聞こえる音だけに意識を向け言葉の意味だけを拾い上げる。

鶴屋さん「あたしたちって……さ……
      本当に、一緒に居ても……いいのかな……許されることなのかな……」

44 名前:28-29[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:02:29.51 ID:imSbaqCO0


俺は何かを言い返したくてたまらなかった。
鶴屋さんの言葉を否定したくてたまらなかった。

それなのに、返す言葉が見つからなかった。頭の中のどこを探しても見つからなかった。

俺と鶴屋さんの関係は世界に受け入れられざるもので、一度はなかったことになった。
その時間の輪を突き破ってまで俺は想いをつないでしまった。

時間の輪にまたがって記憶を継承させてしまった。
その俺達がこれからどうなっていくのか。それはまったくの未知数で、
誰にも予測がつかないことだ。その先が本当に存在するのかどうかさえもわからない。

世界の自浄作用ってやつはもう俺達を護っちゃくれない。
安全を保障してはくれない。むき出しのまま艱難辛苦にわが身をさらされるしか道はない。

鶴屋さんが語る恐怖というのは即ちそれだった。
異端として一度は打ち捨てられた想いを正しく受け継ぐことができるのか。
それは俺自身にもわからないことだった。

わかっていたつもりだったのに、いまだに俺は引きずったままだった。
胸の奥から否定の感情が次々と湧き上がってくるのを抑えることができない。

鶴屋さんの話はまだ終わっていない。
俺の待つ順番はいまだ継続している。その途切れ途切れの言葉を俺はただ待ち続けた。

言葉を返さないないままでいる俺の背に
ふすまを挟んで感じる鶴屋さんの重さが少しだけ増した。
胸の内が張り裂けそうだったが今は耐え忍ぶしかなかった。鶴屋さんの話は続いていく。
悲しみと悔しさをにじませるようにポツリポツリと言葉をこぼすように。

45 名前:28-30[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:05:41.83 ID:imSbaqCO0


鶴屋さん「こうして一緒に居ても……いいのかなって、
      正直、わからなくなっちゃってさ……。
      キョンくんのことは、好きさっ……大好きっさ……
      今でも……それは変わらないにょろ……でもさ……
      それってすごく、勝手なことだよね……ずるいことだよね……
      あたしたちにはさ……一緒に居ていい理由が、あるのかな……?
      それがキョンくんの為になるのかな……
      あたしには……わかんないよ……信じられないよ……」

俺は何も答えることができなかった。
言葉を選ぶことも偽りを述べることもできなかった。

手段や犯行として言葉を紡ぐことさえもできなかった。
泣きたいのに、どう泣けばいいのかさえわからなかった。

涙は涙腺を通ることなく押しとどめられ、頭の奥がひどく痛んだ。
それでもかすかににじんだそれを目元を押さえてこらえた俺は
最後まで鶴屋さんの言葉を聞こうと思った。

それが俺の果たすべき責任なのだと自分に言い聞かせつつ。
そして自身の犯行の代償なのだとも。

扉の向こうから鶴屋さんが深呼吸をする息遣いが聞こえた。
耳に聞こえる音はそれだけでも心地よかった。
この人の息遣いや些細な仕草さえもが俺を安心させてくれる。
言葉を耳にする勇気を与えてくれた。

自分を落ち着かせた鶴屋さんはゆっくりと言葉を続ける。
心情を吐露することにどれだけ苦痛が伴おうとも俺に宛てた言葉を選び出していく。

46 名前:38-31[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:10:22.94 ID:imSbaqCO0


その痛みがどれほどのものなのか。苦しさがどれほどのことなのか。
想像だにできない俺はただ自分の唇を噛みしめていることしかできなかった。

鶴屋さん「今のあたしはさ……前みたいに、
      キョンくんと笑い合ったり……じゃれ合ったり、
      きっとできないと思う……」

言葉を耳に拾うたびに震えを増す手先を腹に抱え肘で押さえつけ、
反対側の手は額に添えて抑えた。

あの時の鶴屋さんはもういない。俺と笑いあった鶴屋さんはもういない。
その事実が俺を悲しくさせる。

俺とあの人の時間は時間の輪に置き去りにされたまま還ることはない。
怒りでも憎しみでもなく。ただ辛さだけが俺の神経を苛んでいく。

背中にかかる重さが増した、そんな気がした。

鶴屋さん「今のあたしはさっ……前のあたしであって……前のあたしとは違う……
      キョンくんの知らない、違うあたしなんだよっ……」

言葉の端々に嗚咽が混じるのも構わずに
鶴屋さんは息を殺しながら必死で言葉だけをつないでいった。
喉の奥から絞り出すようにかすれるように、
か細く発された言葉が俺の胸の奥に深く突き刺さった。

心臓の直下に痛みを感じる。途切れ途切れに背中に感じる鶴屋さんの重さから、
彼女が泣いているのがわかった。悲しみと悔しさで身体を震わせているのがわかった。
感情を俺に悟られないように必死で押し隠そうとしているのがわかった。

47 名前:38-32[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:12:32.77 ID:imSbaqCO0


そんな鶴屋さんに、俺は何をしてやれる。何をしてあげられるっていうんだ。

傷ついて、寂しがっている彼女に対してどうしてやれるっていうんだ。

ただ暗闇を見つめ続けることしか俺にはできないっていうのか。

光も熱も音も無くした俺自身に最後に何が残っているというんだ。

感覚のすべてをなくした俺に残っているものを探り出す。
五感のすべてを遮断された俺に残されているものはたった一つ。

それが唯一、俺を勇気づけてここに居させてくれるものだった。

時間の輪に閉じ込められた俺が胸の内に留め切れなかったもの。

ただ想いというそれだけ、たった一つそれだけだった。

背後に感じる鶴屋さんの重みが増して殺されていた息遣いがよみがえる。

息を殺すことも忘れた鶴屋さんがつなぐ言葉を俺は耳に聞く。
光も熱も音もすべてふすま一枚を隔てた向こう側にあった。

そして想いだけが暗闇の中に置き去りにされていた。
その閉ざされた闇に向かって、俺に向かって鶴屋さんは語りかける。

鶴屋さん「それでも……それでもさ……」

必死で搾り出した声に俺は確かに感じていた。
鶴屋さんの俺に対する想いを。偽らざる感情を。

48 名前:38-33[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:14:43.17 ID:imSbaqCO0


その中に確かに、光を感じることができた。

鶴屋さん「それでも……さ……」

背に感じる重さに温もりを感じることができた。

たとえ何に隔てられていたとしても。
俺には感じることができた。

鶴屋さんの胸の高鳴りを。肌を合わせることがなくとも。
想像することができた。

かすれる声が一際大きくなり、ついに鶴屋さんは息を押し殺すことをやめた。

鶴屋さん「それでもっ……あたしを……
      キョンくんはあたしを、さっ……選んで……くれるのかなっ……」

いつか尋ねたあの時の。
その時のように。

鶴屋さん「ねぇ……キョンくんっ……」

俺の心臓が一際大きく高鳴った。

俺の頭の中に。
言葉だけが取り残されたような暗闇の中で。
俺の胸の内に。

すべての感覚が蘇った。

49 名前:38-34[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:17:28.68 ID:imSbaqCO0


俺の答えは決まっている。たった一つ、決まっている。

あの時、許しでも理解でもなく。

俺の言葉を求めてくれた鶴屋さんにそう伝えたように。

もう一度。俺は言う。
伝えるべき言葉を。俺が一番伝えたかった答えを。


キョン「当たり前です……」

その一言を。

ならば鶴屋さんが俺に返す言葉もやはり決まっている。
そう、その言葉は俺の求める、俺が求めて求め続けてやまないものだった。

ゆっくりとふすまが開かれ、
あらかじめ背を離していた俺の背後から柔らかな光が射し暗闇の中から俺を照らし出す。

振り返る間もなく、背中に重みを感じた。

確かな温もりが俺の背中を伝って胸の内に届いた。

再びともった灯りに俺は懐かしさを覚えた。
こんな風に、心に灯りを灯したことがある。そんな気がした。

耳元にそっと唇が寄せられ、
息遣いにくすぐられながら俺は確かに聞いた。

50 名前:38-35end[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:20:48.79 ID:imSbaqCO0


鶴屋さん「浮気……すんなよっ……」


泣くようにかすれる声と吐息の奥の裏にこの人のすべてを。
この人の感情のすべてを。
鶴屋さんという人の何もかもを。


知ることができた気がした。

そうして薄明かりの中、
俺の背にそっと身を寄せて手を回した鶴屋さんのその手を取って。

そのまま振り返った俺は、かすかに照らし出された明りの中で。

鶴屋さんの確かなぬくもりを感じていた。

すべてを取り戻した温まりと明るみの中で。

互いの心音と感情をいつまでも。


感じ合っていたいと思った────。

51 名前:39-1[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:27:36.47 ID:imSbaqCO0


かすれる声と薄明かりの中に浮かび上がった素肌は赤みの中に白さを湛えていた。

中心の筋目に舌を這わせて奥に探りを入れる。
拒むように体が戦慄くことも構わずに指先で入口を押し広げると
小さく息を漏らした鶴屋さんは批難するように俺を見る。

強引さを指摘されても已むことのない衝動が俺を突き動かしていた。
それでもそこは若輩者の俺であるから上手く自分を導くことができなかった。

何度も失敗を繰り返す姿を見かねて鶴屋さんは俺を抱きよせ自ら体を動かして位置を示す。

俺はただその場から前進するだけでよかった。
鶴屋さんはため息と共に自ら身をよじって自分が気に入る場所を俺に教えようとする。
そこに及びついたとき鶴屋さんの体がひときわ大きく強張った。
俺を見る目の中に扇情が混じる。
呆けたように俺を見つめる胡乱な表情に引き寄せられるままに唇を重ねた。

ねだられるままに刺激を与えていく中で何度も俺の名前が呼ばれた。
耳をくすぐる吐息に混じって肝胆相照らす仲になったことを悦ぶ声が聞こえる。

胸の内を吐きだすように思いのたけを奥に注ぎ込むと
背に回された指が立てられ爪が肉に深く食い込む。それでも俺は構わなかった。

鶴屋さんが俺に何かを感じさせてくれるのなら
それが痛みだろうと楽しみだろうと苦しみだろうと何でもよかった。

俺はただ単に楽しみたかったわけじゃないし、ただ痛みを通して実感を得たいわけでもなく。
ただ彼女から、鶴屋さんから何かを感じていたかった。
感じ続けていたかった。

53 名前:39-2[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:31:23.78 ID:imSbaqCO0


それが俺の望む唯一のことで、鶴屋さんに望む唯一のことで。

すっかり乱れてしまった普段着の和服の上に雫が滴り落ちる。
汚れてしまうのも気にせずに鶴屋さんは俺の頬に手を添え
自分の方へ向き直らせると満足していないと盛んに主張してきた。

それでもやはり控え目に、おずおずと言葉尻を濁らせながら
吐き出す言葉の一つ一つに気遣いをにじませながら、最後には俺に決めさせようとする。

鶴屋さん「キョンくんは……その……まだ、平気なのかなっ……?
      良ければ、だけどさ。場所変えてさっ、ちゃんと布団の上でしないっかなっ……?
      い、一応用意してあったりするんだけど……さっ……」

鶴屋さんが一体どんな気持ちでその準備をしていたのかを想像するだけで
俺は笑い出しそうになってしまった。
そんな俺を見てふくれっ面を作る鶴屋さんの可愛さったらなかったのだが、
非難の色がますます濃くなっていくのを受けて降参の白旗を上げた。

それでも必要以上に俺を責めることはなく居住いを正して俺の手を取り
卓台の中から行燈のような電池式の照明を手に持つと暗い足元の廊下を迷うことなく進んでいく。

本物の日本家屋には無粋な蛍光灯というものは全く存在しないらしい。
確かにこの雰囲気の中で赤々と蛍光灯が灯っていたら興ざめではある。

そうすることを常識だと思っているに違いない鶴屋さんが
俺が暗がりの中を恐る恐る進んできたという話を聞いたらどう思うのだろう。

大笑いするのか、苦笑いするのか、
それとも教えなかった自分を恥ずかしく思うのか、やはりまったくの未知数だった。

54 名前:39-3[] 投稿日:2010/03/19(金) 21:35:07.03 ID:imSbaqCO0


こうして俺の手を取って歩み進む鶴屋さんは
俺の知っている鶴屋さんであって、そして俺の知らない鶴屋さんでもあって。

しかしその言葉の裏の意味に俺は今しがた思い至った。
つまり、こういうことではないだろうか。

結局のところ俺が知っている鶴屋さんというのは
俺と一緒に居た時間の鶴屋さんである。

そのまま言葉のままの意味で、俺は俺と過ごしたその時間の鶴屋さんしか知り得ない。

俺の知らない俺の居ない場所でも、鶴屋さんの時間は変わらずにそこにある。
それもやはり俺の知らない鶴屋さんなのだ。俺の知ることのできない鶴屋さんなのだ。

まだ俺の知らない色々な面が鶴屋さんにはある。
そしてそれを受け入れる用意が俺にあるのか。

あの質問にはこういう裏の意味があったのだと今ながらに思う。

思えばそれは当たり前のことだ。俺にだってある。
鶴屋さんの知らない俺の時間が。俺だけが過ごした俺だけの時間が。

そうしたものも含めて、自分が受け入れてもらえるのかどうか。
きっと鶴屋さんはそれを俺に尋ねたかったのだろう。

時間の輪がどうとかではなく、
物語の本筋がどうとかではなく。

ただ当たり前のありきたりの質問を俺にぶつけただけなのだ。

55 名前:39-4[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:38:33.11 ID:imSbaqCO0


たとえ俺の気に入らない側面が自分にあってもいいのかと、
それでも自分を好きでいてくれるのかと。

そういう当たり前のことを俺に尋ねたんだ。

その当たり前の質問に、
当たり前ですと答えられた俺は正解を導き出すことができた。

今ここにたどりついて、
ようやく俺はありのままの鶴屋さんを受け入れる用意が整ったのかもしれない。

そう思えば今の鶴屋さんがかつての鶴屋さんと
どう違うかなどという疑問に意味がないことがわかる。

それでもその質問が選ばれたのは、
やはり、俺の真意を問い質すにはうってつけだからだ。

そうすることでようやく俺は自分の気持ちを真正面からとらえることができた。
さ迷うことなく、安らぎと共に鶴屋さんとここにいられる。

俺はかつてあの時計のある広場で鶴屋さんにされた質問を思い出す。

俺と鶴屋さんの違いとは何か。
やはりあの質問にも答えなどなかったのだ。

ただ求められていたのは、俺の気持ちだった。
ありのままの感情だった。
臆病になっていたのは鶴屋さんではない。俺自身だった。
今なら素直にそう思える。

56 名前:39-5[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:41:47.60 ID:imSbaqCO0


こうして自分の感情に気づくことができたのは鶴屋さんのおかげで、
やはり俺はここにきて伝えた通りにこの人のことが必要なんだ。

鶴屋さんなしでは生きられない。
それほど、俺の中で鶴屋さんと過ごした俺の時間は大きなものになっていた。
だからこそ、ここでこうして二人で居るということに意味がある。

素直にそう思うことができた。

そうしてしばらく歩きいくつか部屋を横切りながら奥へと進むと
それほど広くもないが天井が高くいくつも採光窓がある部屋にたどりついた。

生活感のあるその部屋は誰かの私室のようにも見えた。
それが誰の、とは考えるまでもなく。

あらかじめ敷かれた布団の上に引き倒されるままに
俺は鶴屋さん上に四つん這いになった。そばに転がった照明だけが俺達を照らす。

うっすらと照らし出される灯りの中で鶴屋さんが俺を見る目には
まだ怯えが残っているような気がした。

俺が自分の気持ちや質問の意味について気づくことができて
ようやく感じることができるような、些細な変化だった。

下手をしていれば永遠に見過ごしていたかもしれない
その不安をぬぐうことができるのは今この時を置いて他にない。
俺は鶴屋さんの耳もとに口を寄せて静かにささやく。

キョン「あの時……広場で俺に質問したことを、覚えていますか……?」

57 名前:39-6[] 投稿日:2010/03/19(金) 21:45:18.80 ID:imSbaqCO0


鶴屋さん「えっと……広場でしたのは……確か、
      あたしとキョンくんがどう違うのかって話……だったよねっ?
      あ、あれはもーいいのさっ、ただ単にその場の勢いで
      言っちゃっただけだからさ、キョンくんが全然……
      気にすることなんて……ないっから……さっ……?」

ひょっとするとそれは鶴屋さん自身も気づいていない感情なのではないだろうか。

鶴屋さんが俺の隠された感情に気づかせてくれたように、
俺も鶴屋さんからそれを引き出すことができるかもしれない。

そしてそれがおそらく、俺がこの人にしてあげられる唯一の、
たった一つのことなのだ。それに今ようやく気付くことができた。

キョン「でも俺はその答えに辿りつきましたよ。
    きっと、鶴屋さんも気にいってくれるんじゃないでしょうか」

鶴屋さん「ん……そこまで言うんだったらさっ、じゃぁ、聞かせてもらうよっ。
      キョンくんが見つけたっていう、答えってやつをさっ」

俺の方へと顔を向けて話す口ぶりには若干以前の鶴屋さんがにじみ出ていた。

やはり内心気になっていたらしい。
そうして興味深そうに俺の目をじっと見つめてくる。
その瞳には明らかに期待の色が浮かんでいた。

まったくもって素直じゃいのにあけっぴろげに
素直なその態度に微笑ましさを感じながら、俺は言う。

58 名前:39-7[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:48:36.91 ID:imSbaqCO0


キョン「どうでもいいです」

鶴屋さん「……えっ?」

呆気にとられたような顔をして目を丸くした鶴屋さんは俺の表情をしげしげと観察する。

まったく嘘を言っている風には取れなかったのか、
それが余計に疑問をかきたてるのか。

未知の対象と遭遇したような驚きに満ちた表情で俺を見つめてくる。
そして我慢しきれなかったのか俺に直接尋ねてくる。

鶴屋さん「ほんとに、ほんとにどうでもいいってことなのかいっ?
      興味がないってことじゃなくって、何がどう違ってても、
      ほんとに全然気にしないって、そう言いたいにょろっ!?」

俺は素直に短く大きく頷く。
正真正銘俺の本心なのだから他に言いようも飾りようもない。

そんな俺の清々しい表情を見て信じられないといった表情を浮かべた鶴屋さんは
手強い難敵でも見るような視線で俺をねめつけていたが、
やがて頬を緩ませ笑みを浮かべると次の瞬間には大笑いし始めた。

俺は頬杖を突きながらしれっとした顔で鶴屋さんの一人爆笑大会を見守る。
嬉しそうに転げまわる鶴屋さんに何度もぶつかりながら、
そんな攻撃では効きませんと挑発するとやはり嬉しそうにムキになった鶴屋さんが
俺の体をバシバシと叩いてきた。
それでも俺が平然としている姿を見るや否や考え込むような表情を作った後
何かを思いついたらしい悪意に満ちた邪悪な笑みを浮かべる。

60 名前:39-8[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:51:41.06 ID:imSbaqCO0


八重歯に証明が反射してキラリと光った、ような光らなかったような。

多分この人の八重歯が光るのは普段ちゃんと歯磨きをしているせいだな。
謎が解けた。やはり超常現象でもなんでもなかったらしい。よかったよかった。

そんな馬鹿なことを考えていると突然鶴屋さんが俺の上に飛び乗ってきた。

馬乗りになったまま胸の前で手を交差させると
わきわきと指先を小刻みに動かして俺の覚悟を促す。

その構えはまさに俺が以前鶴屋さんに見せたものである。
丸鶴デパートの雑貨屋で超然と俺へのいじめをやめない鶴屋さんをとっちめるための必殺技、
というほどのものでもない単なる小技である。ただ必笑なのは間違いがなかった。

一文字違っている気もするが。まぁそれもよくあることである。
貝が怪になったり名が迷になったりするなんてことは。わりとよくあることである。

鶴屋さん「キョンくん、覚悟するっさっ! あん時の恨み、今こそ返してあげるよっ!」

そうして掛け声と共に青ざめる暇もなく瞬時に伸ばされた手で
全身のありとあらゆる笑いの急所をまさぐられ、
俺は鶴屋さんに負けないくらい大声でのたうちまわった。

鶴屋さん「うりうりうりうりっ!
      ここかいっ、ここが弱いのかいキョンくんはっ! そらそらそらっ!」

そうしてボロボロになり果てるまでなぶられ弄ばれ攻撃の手が緩んだ頃には
畳の上にはみ出して力なく横たわる羽目になった。
温まった布団と違って本間の畳は若干冷たかった。

62 名前:39-9[] 投稿日:2010/03/19(金) 21:56:57.48 ID:imSbaqCO0


息も絶え絶えに布団の方を見ると鶴屋さんは
せっかく直した着物をはだけさせたまま嬉しそうにこちらを睨んでいた。
してやったりという表情を浮かべて満面の笑みを浮かべる。

まったくもって鶴屋さんらしいその表情に俺は安心さえ覚えた。

やはり鶴屋さんはこうでなくてはならない。こうでなくてはつまらない。
そうして俺を時めかせてくれることこそが
俺が鶴屋さんなしでは生きられなくなった根本の原因なのだ。

責任の一つも取ってもらいたいと全くもって男らしくもないことを考えてしまうのは
鶴屋さんが男らし過ぎるからなのだろうか。いや、違うな。

それは単純に、俺がそうして欲しいからで。そして何を隠そうそれは。

俺がこの人にしてあげたいことそのものだった。

それをわかってかわからいでか、
挑発するように着物の肩をよりはだけさせた鶴屋さんは
その全体的に控え目な胸元で俺を煽ろうとする。

鶴屋さん「仕返し、しないにょろっ?」

舌先を少しだけ覗かせながら誘い出そうとさえしてくる。
そんな風に言われれば動かないわけにはいかないし、
そんな風に誘われれば乗らないわけにもいかない。

布団の上に戻った俺はそのまま鶴屋さんを崩し伏せて
再び四つん這いの格好になる。

63 名前:39-10end[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 21:59:44.18 ID:imSbaqCO0


微笑みをたたえて俺を見上げる鶴屋さんの瞳には
もう何の陰りも迷いも浮かんでいなかった。

今ようやく、鶴屋さんの方でも俺を受け入れる用意が整ったのだ。
嬉しそうに楽しげに俺に笑いかけてくれる鶴屋さんに引き寄せられるままに
鶴屋さんの唇に自分のそれを重ねて、深く永い口づけを交わした。

離れたときに引いた糸を舌先で舐め取った鶴屋さんは
そのまま俺を抱き寄せて耳打ちするように囁く。

鶴屋さん「ありがとっさ……キョンくんっ……」

そうして呼びかける鶴屋さんの声が耳をくすぐって、なんとも言えない心地になる。

嬉しそうに強く抱きしめてくれる鶴屋さんに同じようにそうしていると、
朝まで眠ることはなく。

抱き合ったままでいられたのだった────。










140 名前:40-1[] 投稿日:2010/03/20(土) 20:02:54.63 ID:BgQph/eG0


なんだかんだで結局その日は鶴屋さんの家に泊まってしまった。

確か日が昇るまでは起きていたと思うのだが、
その後で思いっきり寝てしまったらしい。

まぶたを開くと鶴屋さんが隣に寝ていた。
最後に終えた後崩れた布団を直して並んで寝たのだから
当たり前ではあるんだが。

ただ前と違って壮絶な寝返りを打たれることもなく安眠できたことには驚きだった。
この人もフツーに寝れるんだなと感心したが、思えばそれは当たり前の話で、
おそらくこっちが鶴屋さん本来の寝相なのだろう。
俺をしばきまくっていた鶴屋さんもあれで案外無理をしていたのかもしれない。

おそらく今がきっと、一番自然な関係なんだろうな。
そんな風に思った。

なんともおしとやかになってしまったお姫様を起こさないように
そっと立ち上がろうとしたのだがいつの間にか俺の腕やら足やらは
その姫様にがっちりとホールドされてしまっていた。ほとんど身動きが取れない。

前言撤回、やっぱり鶴屋さんは鶴屋さんだった。
安らかに眠るその頬をふにふにと二三回つつくも一向に起きる気配はなかった。

なんかもうどうしようもない。
仕方なく俺は鶴屋さんを自分ごと布団にくるんだまま抱え上げた。

お姫様だっこ、と行きたいところだったが
さらすわけにもいかなかったのです巻きを小脇に抱えるような形になってしまった。

141 名前:40-2[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:05:44.07 ID:BgQph/eG0


雰囲気もムードも余韻もまるごと台なしにしたまま
当のご本人はいまだに夢の中で戯れていらっしゃる。

マジでどうすればいいやらわからなかった。
仕方がないので一応服だけは着せておくことにした。

一晩最初が一番大変だったのだがまぁなんとかなった。
ハタから見れば完全に犯罪者で逆回しにすればすごいことになっていようとも、
それはそれで笑えるからまぁいいかとも思えた。人には絶対見せられんが。

一通り着せ終わったので自分の着替えに取り掛かる。
着たきりのシャツに若干嫌な匂いを覚えるもののすぐに慣れた。

慣れてはいけなかった気もするのだが仕方がない。
家人のものを借りるのはさすがにためらっちまうからな。

くぅくぅと寝息を立てる和装娘さんを今度こそお姫様風に抱え上げた俺は
障子戸を開いて朝の光の中に踏み出した、
と思ったのだが朝どころか思いっきり昼の太陽だった。

天頂からそそぐ光は縁側いっぱいを照らし出していた。
どうりで部屋の中に届く光が弱いと思った。真上から射していたわけだ。

思いっきり学校には遅刻どころの話じゃないが、不思議と気にはならなかった。

142 名前:40-3[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:08:42.89 ID:BgQph/eG0


そのまま俺はお姫様だっこをされている鶴屋さんを
気をつけてゆっくりと下ろしながら自分の膝の上、
というか縁側に投げ出した両足の太ももに鶴屋さんを寝かせ、
ようと思ったのだがいまいち据わりが悪かったので仕方なく膝の間に座らせることにした。

くたっと俺の首元にもたれかかった頭を支えながら
そのまま鶴屋さんが起きるのを待った。

ここはやはりあれをやっておくべきなのだろうか。
日当りのいい縁側の陽光注ぐ陽だまりの中ですやすやと眠るこの人を起こすには
あれしかないのだろうか。

というか単に俺がそうしたいだけなのだが
まぁバレなきゃいいというかバレても多目に見てもらえるだろうからかまいやしない。
いざ、実行の時。

そんな不埒なことを考えていると突然大きく跳ねた鶴屋さんの後頭部が
俺の顎先に強かに命中した。

「おふんっ」と奇妙な呻き声を上げたまま俺は背後にぶっ倒れた。
痛む顎をさすりながら見下ろすと鶴屋さんはまだすやすやと眠っていた。

俺の腹の上でもそもそと寝返りを打とうとしている。
どうやらその寝返りの一撃を運悪く食らってしまったらしい。

寝相はいいと思ってたんだがな……。
思いっきり推理を誤った俺はそれでもまぁ当然かと思い直す。
今の俺は探偵ではない。
ましてやさ迷ってなんか絶対いない。

143 名前:40-4[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:12:13.11 ID:BgQph/eG0


ただ俺は俺として。ジャストライクザットな俺として。
この人の下敷きになって寝具の代わりをつとめている。

さっきのは俺の不埒への罰みたいなもんだろう。
その裁きを受けたなら、俺はもう犯人でもない。

幸いにしてこの世は有限責任だった。
罰を受けて償いを終えた巨大な悪は、それでもまだ受け入れてもらえた。

この人の傍にいることが許された。そうして罪を重ねながら。罰を受けながら。
この人のそばに居続けようと俺は決めた。

迷探偵でも真犯人でもないただの俺として。
この人のそばに。
鶴屋さんのそばに。

そんなことを思っていると一際大きく伸びをした鶴屋さんは俺の腹の上から
ムクッと起き上がると寝ぼけ眼を指でこすった後で元気一杯に朝の、
もとい昼の挨拶をしてくる。

鶴屋さん「おっすっ! おはようキョンくんっ!
      今日も爽やかでいい朝だねっ、にゃははっ♪」

キョン「おはようございます、鶴屋さん。
    というかもう昼ですけど、爽やかなのは間違いないですね」

鶴屋さん「ありゃっ、そーなのかいっ。
      それだと学校の方には思いっきり遅刻だね!」

145 名前:40-5[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:16:32.18 ID:BgQph/eG0


キョン「ですね、今から出たら思いっきり放課後ですよ」

鶴屋さん「まーいーじゃんっ!
      放課後でもあの子達はまだ残ってるはずだしさっ、
      行こーよ! きっとみんな心配してくれてるにょろっ」

そう言って俺の腹の上で少しだけ上体を起こした鶴屋さんは
腹ばいのまま胸の上まで昇ってくると俺の頬に手をそっと添えた。

そのまま優しく撫で上げてくる。
なんともこそばゆい心地の中で見る鶴屋さんの瞳はとろんとしていて、
愛しそうに俺を見上げる表情の柔らかさに吸い込まれそうになる。

俺がその瞳に見とれているといつの間にか顔を近づけてきた
鶴屋さんは覆いかぶさる体勢のまま唇を重ねてきた。

ほとんど強引に奪われるような形になった。
そのまま目いっぱい深くまで舌を挿し入れられる。

そうしてたっぷりと俺の口腔に自分の唾液を注ぎ込んでから
口を離した鶴屋さんは一仕事終えたようなさっぱりとした表情で
俺の額を一発叩いて起きるように促すとそのまま奥の方へと歩いていった。

ふすまを開けながら俺を手招きする。

鶴屋さん「ほらっ、早く着替えないと夜になっちゃうよっ!
      キョンくん、きびきび動くっさね!」


146 名前:40-6[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:21:11.99 ID:BgQph/eG0


若干厳しい口調になるのは本当に時間が推しているからで、
鶴屋さんはおそらくここから学校までの長距離を毎朝毎日
送迎車など頼りにせず徒歩で通っているのだろう。

鶴屋さんが見立てる到着時間には
俺のスタミナも考慮に入れられているのだろうから
本当の本当に時間がないのだ。

俺は慌てて起き上がると思いのほか力の入らない昨日とはまた違う意味で
けだるい足を引きずりながら促されるままに鶴屋さんの寝室へと戻り
自分の上着を回収した。

着替えの邪魔をしちゃあならんと部屋を出ようとしたところで
帯を外して着物を床に落としていた鶴屋さんの裸、
というか下着姿が目に飛び込んできた。

上は何もつけていないので下に一枚だけという
凄まじく扇情的な姿に俺は思わず目を手で覆い隠して
「すいません!」を連発してしまった。

今更何がすいませんなのか。それは俺にもわからない。

それでもなんだか、申し訳ない気がするのはおそらく忠犬根性というか、
飼い主の許しが出ていないのに餌に口をつけた飼い犬が
叱られるのを覚悟するような心地なのである。

卑屈なまでに自分の立場を貶める俺を面白いものでも見るように
興味深々な顔をした鶴屋さんはまたまた良からぬことを思いついたらしい。
あぁ、またか。と俺が後悔した直後、予想通りの言葉が飛んできた。

147 名前:40-7[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:25:00.99 ID:BgQph/eG0


鶴屋さん「当然、キョンくんはあたしの着替えを手伝ってくれるんだよね?」

そう言って嬉しそうにタンスの中から自分の制服を取り出し、
どういうわけだかスカートの方を俺に放り投げて寄越してくる。

キョン「いや、逆でしょう! 普通は────」

と言ったところではたと気づいた。
この人は普通じゃぁ、ないんだと。

というか俺が「普通」という立場に立ち続ける限り、
俺の周囲に居る人間はすべてが自動的にアブノーマラーであり、
それ即ち俺が俺自身であることが原因なのである。
そんな今更なる歴然な事実に肩の力が抜けてしまう。
俺の間抜け面を受けて鶴屋さんが、

鶴屋さん「今更過ぎるよキョンくんっ! 気づくの遅すぎっ!」

とその間抜けをたしなめるようにキツイ言葉を投げかけてくる。
そして俺が後悔をすることもできずに呆然とつっ立っていると
いつの間にか制服の上を着ていた鶴屋さんが、

鶴屋さん「ほら、これもっ♪ 着替えさせてくれたみたいだからさっ……?」

そう言って下の布に指をかけると横に引っ張って少しだけずらすような仕草をした。

とんでもないことをしながらもその表情はなんとも楽しげで、
瞬時に距離を詰めてスカートを差し出した俺に
「重畳っ!」と言うや否やその場で片足を上げ俺に履かせるように仕向けてくる。

149 名前:40-8[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:28:55.92 ID:BgQph/eG0


「マジで勘弁してください……」と言う俺の精一杯の赦宥の言葉を無視して
鼻息一つでその悲痛な訴えを踏みにじる。

目を瞑ったままスカートを差し出すも上手く鶴屋さんの足に通らない。
というかわざと外されているのではないだろうか。悪意を、悪意を感じる。
この上ない邪悪な悪意を感じる。

いつぞやこの人を惑星に例えて優しい女神だったらいいなどと思っていたが
とんでもない、とんでもない暴虐の女神である。
思えば神というのはそういうものなのかもしれない。
きっと俺が困って困って困り倒している姿を見て楽しんでいるのだ。
なんという、なんという恐ろしい女神だろうか。
それはそれで愛されてるってことなのかもしれないが。

おそるおそる目を開くとまぁ、なんだ。
にんまりと笑みを浮かべて嬉しそうな鶴屋さんと、
あとその下腹部の下に素晴らしい眺望が広がっていたわけで、
当然ながら見ずに履かせるというのは土台無理な話なわけで、
自信満々の鶴屋さんにたっぷりと見せつけられながらも
俺はなんとか神の指令を果たした。

鶴屋さん「よくできましたっ♪」

そんな労いの言葉さえ俺の精神に負担をかける。
心臓が、俺の心臓が持たない。
こうすることもいつか気にならなくなる時が来るのかもしれないが、
それでも今こうして困っている俺を見て嬉しがる鶴屋さんのいじめっ子モードが
俺にどれだけの被虐耐性を与えようとそれを容易に上回る準備が
この人にはあるように思えた。強く生きよう。そう思った。

150 名前:40-9[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:33:16.26 ID:BgQph/eG0


一方俺の着替えはというとブレザーを羽織るだけで済んでしまった。
なんだか物足りなさそうな鶴屋さんの視線が突き刺さり背筋に寒気が走る。

いかん、このままここにつっ立っていると強引に脱がされるんじゃないか。
とまで考えた俺の不安は見事に的中せず、俺が持ってきた
あのパチもんくさい置き時計で時間を確認した鶴屋さんは
俺の手を取って強引に引っ張りながら屋敷の廊下を突っ走り始めた。

ガタガタバタバタと板が軋む盛大な音を立てながら
廊下を駆け抜けて門口をくぐるや否や九十度ターンし
垣根の通りを俊足で駆け抜けて行く。

俺は必死で体勢を崩さないよう気をつけながら
その手に引かれるままに付いて走った。

息が切れる中で何をそんなに急いでいるのかと尋ねると、
鶴屋さんは底抜けに明るい笑顔で答える。

鶴屋さん「ずっと二人っきりってのもいいけどさっ、
      それでも、みんなでワイワイやりたいときもあるじゃんっ♪
      キョンくんだって、みんなに会いたいって、思うにょろっ!」

それはそう、俺だってそう。俺とこの人の違いはというと、
それを即座に実行に移すか否かなのだということを俺はハッキリと実感した。

151 名前:40-10[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:35:27.22 ID:BgQph/eG0


ともすれば狭くなりがちな俺の生活圏をこの人は広げてくれる。

訪れたことのない場所の、見たことのない景色の、

感じたことのない感傷と、抱いたことのない想いを含めて。

この人は俺に何かを感じさせてくれるのだ。

そこから受ける悲しみも、苦しさも、憤りも、切なさも。

すべてが大切な感情のように思えた。

そこで抱く楽しみも、喜びも、愛しさも、恋しさも。

すべてが貴重な体験のように感じた。

得難いものを得て居るような。そんな充足感と幸福感に浸らせてくれる。
それはとても難しいことでいて、とても簡単なようでいて。

奇跡のような確率の中でこの人と出会って、好き合って、愛し合って。
そこから生まれ、また続いていくこの瞬間の繋がりが、
思い出が宝物のように思える。

こうして、楽しい思い出も、苦しい想い出も、全部ひっくるめて積み重ねていけたら。

続いていくことができたら。忘れられない夜を重ねることができたなら。

生まれてきたことを感謝せざるを得ないないような、
そんな幸福を感じることができる。

152 名前:40-11end[] 投稿日:2010/03/20(土) 20:37:39.10 ID:BgQph/eG0


そんな期待と楽観を含めて、
俺を支えて引っ張ってくれる鶴屋さんの優しさと力強さに魅かれながら。

頑張ろう、ではなく。頑張りたいと思う自分がいることに驚いた。

そうしてたどり着いた未来ならばきっと、胸を張って誇れるのだ。

自分自身に、この人に。俺自身に、鶴屋さんに。

駆け抜けて行くこの時間は、とても、とても大切な。


俺たちだけの時間なのだから。



154 名前:41-1[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:40:55.93 ID:BgQph/eG0


学校にたどり着いた俺と鶴屋さんはまず職員室へと出向いた。

俺の失態、というか一連の暴挙を一緒に謝ってくれるらしい。
少なくとも校舎内の追走劇に関しては自分にも落ち度があるのだから
謝らなきゃいけないと、明るい表情とは裏腹に責任を感じているようだった。

職員室には一年の時担任だった岡部が居た。
どうやら二年になっても俺のクラスの担任らしい。

俺の姿を認めるや否や椅子を回してこちらに来るよう促してきた。
その前まで歩み寄って俺は頭を下げる。
隣で鶴屋さんも一緒に頭を下げてくれていた。

その後がどうなったのかはわからないが、
どんな処分でも俺は甘んじて受けるつもりだった。
古泉はなんとかしてくれると言っていたが、結局俺の態度が悪いままでは何にもならない。

そうして精一杯の謝罪することだけが俺にできる唯一のことだった。
しかし次に岡部の口から語られた言葉に俺は呆気に取られた。

なんで頭を下げるんだ、と聞き返されてしまった。
呆然とする俺と鶴屋さんを交互に見るや一つ咳払いをした岡部はこんなことを言ってきた。

若いのは結構なことだが春休みに少し喧嘩して気まずくなったくらいで
学校中を走り回ることはないんじゃないのか、
おまけにそれをからかってきたクラスメイトを殴り飛ばすこともないだろう、
そのまま運悪く足を滑らせ机の角に頭をぶつけて怪我をさせたのはお前も悪いが、
相手の方も謝ってきているので大事にするつもりはない、
そして結局は学生同士の痴情のもつれとして処理されたのだという。

155 名前:41-2[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:44:11.02 ID:BgQph/eG0


顔中を真っ赤にした俺と鶴屋さんを交互に見るや、
珍しく頬を吊り上げて机に向き直って言う。

岡部「ところで古畑任三郎の新しいシリーズが始まるそうだが、お前たちは知ってるか?」

なんでも今朝から校内はその話でもちきりだという。
俺たちの追走劇などはとっくのとっくにすっ飛んで今は誰も話題にすらしないらしい。
なんとも言えない妙な感覚である。

おそらくは長門と古泉の合わせ技というか合体ツープラトンというか、
二重の隠蔽工作の末にこうなったのだろう。

しかし俺達の追走劇のせいで新シリーズまで始まっちまうとは。
驚き半分、楽しみ半分である。いや、楽しみ全部かもしれない。

案外隠れファンが多いらしく、俺もその一人で、
もちろんのこと宇宙人のお済みつきなのできっといいシリーズになることだろう。

隣を見ると鶴屋さんも嬉しそうに笑みを浮かべている。
あぁ、きっとこの人もファンだったんだろうな、となんだか妙に安心したような
不思議な心地になる。探偵ものは、いついつの世でも面白い。
この場合は刑事だが、まあいいか。似たようなもんだ。根っこは同じ、そう、同じだ。

別にいいよな、俺が探偵で、鶴屋さんが助手で、ハルヒや長門や朝比奈さんや古泉が刑事だって。

同じことだ。仲間外れなんかじゃ、ないんだよな。
なんとなくそんな風に感慨に浸っていると鶴屋さんが俺の手に自分の手を重ねてきた。
指と指を絡めてしっかりと、恋人同士がするそれのように。
放課後だがまだ人の気配が多く残る校内でも構わずに。

156 名前:41-3[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:48:50.19 ID:BgQph/eG0


堂々と俺の手を握ってくる。
そして嬉しそうに恥ずかしそうに笑いながら俺を見上げてくれる。

俺もいい加減、このしまらない苦笑いを卒業する時がきたのかもしれない。

自然に、ナチュラルに。
俺は頬と目元を柔らかくして鶴屋さんに微笑み返す。鶴屋さんも笑ってくれた。

どうやら俺の今の顔は、単なるニヤケ面ではないらしい。
鏡で確認して覚えておきたかったが、残念。

俺のこの表情はきっと俺の記憶にも残らずに、鶴屋さんだけのものになったのだ。

不意に伸ばされた繋がれていない方の手で俺に
「よしよしっ♪」をした鶴屋さんが俺の手を引く。俺たちは部室棟へと歩き始めた。

歩きながら、俺は携帯を取り出して谷口にメールをする。
渡り廊下の途中で立ち止まり鶴屋さんに待ってもらいながら俺は谷口の返事を待った。

机に叩きつけたことが周囲の記憶から消えたとしても
俺があいつを怪我させたという事実には変わりがなく、
それを脇に置いたままにしておくことはできなかった。

そうして一分ほど待っているとやがて返事が届く。
文面には一行、「なんのことだ?」とだけ書かれていた。
驚いた俺はそのまま谷口の電話に発信をかける。
が、1コールも続くことなく切断されてしまった。

呆然としていると二通目のメールが届いた。

157 名前:41-4[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:51:32.62 ID:BgQph/eG0


そこにはこう書かれていた。

[女に振られて辛い気持ちはよーくわかる けど殴ることないだろ?
 許してやらないでもないがその代わり俺が振られた時は
  お前を殴らせてもらうからな そん時を覚悟しておけ]

これには思わず笑ってしまった。
そのぐらいは当然の権利で、俺の義務だよなと思いながらも
よからぬことを思いついてしまった俺はこう返す。

[それじゃぁ俺はあと何回殴られればいいんだ?]

すると三十秒も経たない内にたった一言 [るせぇ!] と返事が来た。

次いで [当然その回数分だ] と続けて届く。

俺は [周りに机のない場所ならな] と返す。

すると間もなく [じゃぁ椅子のある場所にしておいてやるよ] と帰ってきた。

椅子のある場所には普通机もあるもんじゃないのか?
などというくだらないツッコミは返さないでおいた。

なんだか無粋な気がしたし、
なにより放ったらかしにされている鶴屋さんの機嫌がよろしくないからだ。

どうもメールを打っている俺の横顔が楽しそうに見えて仕方がなかったらしい。
自分ではかなり苦い顔をしていたと思うのだが、
そうは見えなかったようだった。

158 名前:41-5[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:55:14.54 ID:BgQph/eG0


自分にはそういう顔をしてくれないとでも言いたげな
不満の浮かぶ表情でじとっと横目で睨まれてしまう。

なぜにそんな寂しそうな表情をなさるのか、とかつての俺ならそう思っていただろうが、
今ならもう少しマシな言葉をかけられる。そのぐらいの智恵は身についていた。
主に鶴屋さんに鍛え上げられることによって。

キョン「鶴屋さんとメールしてたときは、
    きっともっと面白い顔をしてたと思いますよ」

俺がそう言うと瞳を数回ぱちくりさせた鶴屋さんは
片手を頭の後ろに回して「たっはーっ!」と盛大な声を上げると
自分にも思い当たる節があったらしく「面目ないっ!」と謝ってきた。

キョン「や、鶴屋さん、そんなに謝らなくてもいいんですけど」

鶴屋さん「それもそーだねっ、待ってたのはあたしだしっ」

そう言ってあっけらかんと事実を述べて見せる鶴屋さんに睨まれて、
若干調子に乗っていた自分を反省しつつ今度は俺の方から手を差し出した。

その手を取って満足げに胸を張った鶴屋さんの偉そうで尊大な態度に
精一杯卑屈な笑みを浮かべて返すと、
鶴屋さんは後ろ向きのまま俺の手を引いて後退し始める。

あんよが上手、とでもされているような気分だったが、
ステップらしきものを踏もうとしている鶴屋さんのそれに合わせていると
それなりに様になっている気がしてきた。

159 名前:41-6[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 20:59:00.29 ID:BgQph/eG0


片手を離してその場でくるりと半回転、
俺の隣に並び立った鶴屋さんは満足げな表情を浮かべて
腕に抱きついてもたれかかってくる。

俺がわざとらしくため息のようなものを吐くとクスクス笑いが聞こえてきた。

本当に、嬉しいときは嬉しそうに笑う人だな、と思いながら
俺はなんとなく納得するような感覚を胸に抱きつつ歩みを進めた。

時折俺の顔をのぞきこんでクスクス笑う鶴屋さんの声に耳をくすぐられる。

そうして気持ちよく収まった鶴屋さんは階段を登る時以外はずっとそうしていた。

踊り場を横切るたびに抱きつかれているんだか体当たりされてるんだか
わからないような時はあったもののなんとか無事に
SOS団の部室の前まで到着できた。

このタイミングで階段から滑り落ちるなんていう
あんまりにもあんまりな珍事を回避した俺は内心で安堵していた。

腕に抱きつかれる感覚が引くように去って俺は鶴屋さんの方へと向き直る。

鶴屋さんは理由はわからないが居心地悪そうにしていた。
先程までの底抜けの明るさからは一転、迷いのような感情も伺える。

それもなんとなくわかる気がした。俺が動かずに後悔する人間なのだとしたら、
鶴屋さんは動いてから後悔する人なのだろう。

たとえどんなに根が明るかろうと後悔しない人間などいない。

161 名前:41-7[] 投稿日:2010/03/20(土) 21:03:02.32 ID:BgQph/eG0


それが俺から見た俺の知っている鶴屋さんに似合わなくても、
ありのままの鶴屋さんを見るならばそれは間違いなく
鶴屋さんらしさなのだと言える。

かつて鶴屋さんが言った「あたしらしさって何?」という言葉。

それはある意味では俺にも言えるし、もちろん鶴屋さんにだって、誰にだって言える。

似合わない涙を流したり、似合わない言葉を口走ってみたり。

一人ならばそれは問題のないことなのかもしれない。
ただ誰かと共に過ごして行く中である瞬間にそうした境界が揺らいでしまうのは
仕方がないことだ。たとえ俺が俺自身としていついつまでも変わらない俺でいたとしても、
鶴屋さんと一緒にいるときの俺っていう奴は、
鶴屋さんのそばに居るときだけの存在なのだ。

その時だけに感じられる新しい自分自身なのだ。
だからこそ、鶴屋さんは今揺らいでいる。

それがわかるようになるくらい俺は鶴屋さんからたくさんの感情をもらったし、
同時にそのらしさって奴をを揺らがせるくらい
鶴屋さんに多くの感情を与えてきた。

言いにくそうにしながらも鶴屋さんは怖ず怖ずと口を開く。

俺は黙ってそれを聞く。
待つことも、促すこともなく。

離れては繋がる言葉の境界に息を合わせて。

163 名前:41-8[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:06:26.71 ID:BgQph/eG0


鶴屋さん「キョンくんっ、あたしはさっ……
      キョンくんがあたしのこと好きだって言ってくれたことが、
      本当に嬉しかったんだよっ! ほんとさっ!
      もう、この後どうなってもいいって思えるくらい、すっごく嬉しかったんだよっ!」

普段なら何気なく言えることでも言い辛い時間と場所はある。
一生懸命に言葉をつなぐ鶴屋さんを見つめながら俺は黙って胸の内に受け入れる。

悔しそうに、言葉をつなぐ鶴屋さんのその想いの一つ一つを。

言葉の合間と合間に照れ笑いをはさみながら鶴屋さんは続ける。

鶴屋さん「でも、あたしはやっぱダメさっ……
      今、ここに堂々と正面から入るってのはさ……無理っぽい感じだよっ……
      やっぱもちょっと離れたとこからじゃないとさ……
      なんか、調子狂っちゃってさ……ダメなんだよね……ごめんっ……!」

上手く答えられない俺も辛いが、
一番辛いのは目の前のこの人なのだと自分に言い聞かせて次の言葉を待つ。

俺が覆した鶴屋さんの今までの立ち位置と、これからの新しい立ち位置の。

今はその境界線上なのだ。
時と場にも、気持ちの上にも。不安にならないわけがなかった。

鶴屋さん「でもね……キョンくんのそばには、居られるよっ!
      そんでできれば……この先もっ……ずっと……ずっとさっ……」

切なげに言葉を選ぶ鶴屋さんを見ていると俺の方までたまらなくなってくる。

165 名前:41-9[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:09:46.08 ID:BgQph/eG0


それでも今は聞き役に徹する時で、
それになんとなく鶴屋さんが言わんとしていることがわかってきた。

その一言を返す時は目いっぱい真剣に、
そして笑える表情を浮かべておくといいだろう。

鶴屋さん「そんでさっ、キョンくんが困った時は……
      また遠慮なくあたしを頼ってよ! 全力でサポートすっからさっ!
      あたしにできることだったら……なんでもすっからさ……
      ほんとだよっ……」

そう言って切なげ笑う鶴屋さんに、俺は冗談みたいに真剣な言葉を返す。

もちろん、そこに込めた感情は冗談なんかではなく、
期待と願望と、淡い下心と。

ついでに溢れる若さも込めて。


キョン「鶴屋さん……結婚してください」

そう言い放った次の瞬間、鶴屋さんの表情が大変なことになった。

その場でバタバタと悶え始める鶴屋さんは
その顔が俺から伺えないように両腕を交差させて隠して、

鶴屋さん「ちょっ! な、なんてこと言うのさっ! ま、まだ早いよっ」

などと必死で否定しながらもやがて恐る恐る腕の隙間から眼を覗かせて言う。

169 名前:41-10[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:14:42.65 ID:BgQph/eG0


鶴屋さん「その……一年くらいっ……だっけ?」

俺は思わず口元を手で隠しながら笑ってしまった。
それでもやはり目元の緩みだけはどうしようもない。

なんだか鶴屋さんの剣呑な視線が突き刺さっているような気がする。
すっかり開き直った俺は自分の誕生日から計算するまでもなくありきたりな答えを返す。

キョン「そのぐらいですね。
    そしたら俺はもう、完全に鶴屋さんから逃げられませんね」

鶴屋さんは顔の前で交差していた腕を胸元まで下ろし
「そんなつもりないくせにっ!」と言いたげな瞳で責めるように俺を見る。

だがその口元は緩んでいて、そんな睨みながらも嬉しそうな表情を見ていると
俺の首にかけられた手綱が根差すのはそうした契約でも、
まぁその、なんだ。体の関係でもなく。

ただ単純にこの人自身なのだと思うと
背中の真ん中らへんがこそばゆくなる思いでいっぱいだった。

鶴屋さん「キョンくんっ……あ、あたしのこと……あ、愛してるっ……のかなっ!?」

恥ずかしさでちゃんと眼を開いて言えない鶴屋さんはうっすらと目元を潤ませながら
精一杯の勇気を振り絞って半目がちになりつつ俺に尋ねてきた。

唇をきつく結んでうーとかぅーとうなりながら恥ずかしそうにしている。
放っておけばこのまま泣き出しそうでそんな鶴屋さんも見てみたい、などと不埒なことを
考えるまでもなくそれ以前にボコボコにのされるだろうことに思い至れる俺の頭脳は別の手段を考える。

170 名前:41-11[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:18:57.09 ID:BgQph/eG0


それを言うのは何度目か、と思ったが今の今まで俺は一度も
その”あ”から始まる言葉を口にしていないことに思い至った。

しかしそれを言うにはなんだかとってもはばかられるというか気恥ずかしいというか、
それを堂々と言える鶴屋さんの肝はなんと据わっているんだろうか、などと
自分に言い訳をしながらもとりあえずこれが俺の精一杯。

キョン「当たり前です……」

80点、いや、60点と言ったところか。
鶴屋さんの若干微妙に睨んでいるような喜んでいるような複雑な表情から見るに
ぎりぎり落第点はクリアーしたというところだ。

昨日はこれが百点の解答だったはずなんだがなぁ。
問題文に不正があったんじゃないか?
などと愚痴をこぼしながらもそんな不出来な答えでも
内心とても喜んでくれていたらしい鶴屋さんは恥ずかしそうに微笑みかけてくれる。

そして何かを宣言するかのように姿勢を正すと元気一杯に大きな声で叫ぶように言う。

鶴屋さん「てっへへっ……キョンくんはっ、ほんとにほんとにっ、しょうがない子だねっ!
      もう、ほっとけないったらないっさ! と、いうわけでさっ!
      あたしはこれからも君を、キョンくんを観察し続けるって誓うよ!
      今日も明日もこれからも、絶対に!」

ニカッと八重歯を覗かせて笑う鶴屋さんのその笑顔がどれだけまぶしくとも
俺はもうたじろがない。単に姿勢のことではでなく、気持ちの部分で。

今なら恥ずかしがらずに見れる。この人の笑顔をまっすぐに。

172 名前:41-12[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:21:10.56 ID:BgQph/eG0


また明日。絶対に。

そのフレーズは今この時でも息づいていた。
俺と鶴屋さんが春休みに何度も交わした、あの大切な約束は。

まだ生きているのだ。そしてそれは恐らく、この先もずっと変わらずにそこにある。

今日も、明日も、その先も。
絶対に。

たとえたまに無理曜日で、来れないデーがあったとしても。
そうした絆が俺達を支えてくれる。互いを想う気持ちが支えてくれる。

俺達の関係を。俺達の未来を。
それがこの先も続いていくのだと確かに感じさせてくれるのだ。

鶴屋さん「ほっとけないからっ! ほっとけないからさっ!
      だからあたしのものになっちゃいなよ!
      さぁっ、どうなんだいっ! キョンくん!」

そう言って力強く手を差し出してくる。
責めるようで命令するようで、
それでいてこれ以上ないくらい下手に出る鶴屋さんの姿に俺は思わず笑ってしまった。

そんな俺の反応を受けて鶴屋さんは顔を真っ赤にして押し黙る。
それでも差し出した手は引っ込めずに、
本当に真っ赤な顔のまま唇を結んで恥ずかしさに耐えている。
鶴屋さんに尻尾があったらきっと今頃盛大に左右に振れていることだろう。
そんなやかましさは今この場には、とてもお似合いなのだった。

173 名前:41-13[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:25:14.68 ID:BgQph/eG0


キョン「俺の手綱、離さないでくださいね」

差し出すその手を取った時、ついに俺は逃げられなくなった。

鶴屋さん「そんなの……当たり前さっ!」

そのまま強引に引き寄せられ、体勢を崩しつんのめった俺を受け止めると
鶴屋さんはそのまま自分の唇を俺のそれに重ねてきた。

まるでマーキングでもされているような気分だった。
所有権を主張するように強く強く俺を抱き寄せる鶴屋さんに負けないくらい、
俺も鶴屋さんを抱き寄せた。

舌が絡み合い粘膜と粘膜が触れ合う度に唾液が糸を引いた。
時折漏れる熱を帯びた息遣いが耳を、喉を、肌をくすぐってくる。
甘い香りがした、とまで感じたのは俺の頭が沸騰しているからなのかもしれないが、
とにかくいい香りがした。

それは鶴屋さんの髪の毛に鼻をくすぐられたからかもしれないし、
吐息なのかもしれないし、
艶やかな肌のそれなのかもしれない。

手を添えたうなじのサラリとした肌触りと、重ねる唇の柔らかさと、
耳をくすぐる口づけの音と、なんとも言えないこの滑らかな舌触りと。

耳の裏、首筋に添えた手を動かすたびに
鶴屋さんが俺を抱き寄せる手が深く絡みついてくる。
息をするのも忘れそうになるくらい、喉の奥から熱い息がこみ上げてくる。
互いの舌を滑らせるように絡め合わせる。

174 名前:41-14[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:27:47.70 ID:BgQph/eG0


そうしてたっぷりと互いの味覚を堪能していると背後で突然ドアが開くような音がした。
それもゆっくりではなく一気に開かれたような激しい音が。

驚いた俺達が振り返るとハルヒが思いっきりこちらを見ていた。
俺の額を冷や汗が伝う。

なんだかまずい場面を見られたような気がして思わず変な顔になってしまう。
鶴屋さんはというと困ったような恥ずかしがるような表情で
「こ、こんちわっ、ハルにゃん! たっはは……」などと笑ってごまかしている。

なんつうか、やっちまったって感じだ。
こう、わりとお約束の展開ではあるのだが
いざ自分の身に降り懸かるとめちゃくちゃ心臓に悪い。

蛇に睨まれた蛙のようにすくみあがってしまう。
頭の中は完全に鶴屋さんと二人きりのモードになっているので
まったくもって状況に対応できない。頭脳は即座にオーバーフローしていとも容易くショートする。
自分の頭のめぐりが今ほど悪いと思ったことはなく、鶴屋さんも似たような感じだった。

そうしながらもその場でしっかりと抱き合ったままの俺達を見るや
ハルヒは大きくため息を一つ吐くと顔を真っ赤にしてまくし立てる。

ハルヒ「あんたらさっきからうっさいのよ! 中までまる聞こえだったんだからね!
     あ、鶴屋さんはいいの、気にしないでね。問題はコイツよ、バカキョン!」

そう言ってハルヒは俺を睨みつける。

その気迫に思うも思わずもたじろいでしまいなんとなく親に叱られているような気分になる。
気まずい、逆らえない、反論の仕方がわからない、って俺は小学生か。

175 名前:41-15[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:31:58.79 ID:BgQph/eG0


そんな残念な感じの大きな子供をジロリと睨みつけた我らが団長様は
俺の眉間に向けてズビッと人差し指を突き出すと死刑でも宣告するように言う。

ハルヒ「キョン、今ここでハッキリ言葉に出して誓いなさい。
     鶴屋さんを自分の命よりも一生をかけて大切にしますってね。
     そんでもって苦労も絶対させないこと! 浮気なんてもっての他よ! いい!?」

ハルヒの剣幕に気圧されるも俺だって言い返したいことぐらいある。

「お前に言われんでも、じゃない、なぜにお前に命令されにゃならんのだハルヒ!」とは
声に出さずに心の中で反論しておいた。
俺の真実の言葉というか喉をついて出る音はヒューとかコホーとかいう
かすれた呼吸音だけである。微妙にしゃっくりが出そうな感じさえする。

そんな情けない俺を放ったらかしにしてハルヒは自分の言いたいことを言いたいだけ言う。

ハルヒ「約束しなさい、キョン! そしたら、このあたしが公認してあげてもいいわ。
     あんたと鶴屋さんが幸せになれるように祈ってやってもいいわよ。ただし!
     団の活動に支障をきたさないよう慎むべきときは慎みなさい!
     今のさっきみたいに部室の前でイチャコラされたらたーまったもんじゃないわよ! 馬鹿!」

鶴屋さんが申し訳なさそうに頭の後ろをかく。
俺はというとまともにハルヒの顔を見られないまま額に手を当てて唸るのだった。
何はともあれハルヒの公認を得るというのは凄まじいことである。
頼もしいなんてもんではない。

神のお済み付きを得たような心強さすら感じる。これ以上ない味方をつけてしまった。
本当に後戻りできないなこれは。そんなつもりは元々ないが。


176 名前:41-16[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:35:10.09 ID:BgQph/eG0


鶴屋さん「まーっ、でもっ!」

いつの間にか正体を取り戻していた鶴屋さんが不意に何かを言い始める。

鶴屋さん「あたしは別にキョンくんとずぅっと一緒に居られれば、
      後はキョンくんが誰とどうなろうとかまわないにょろよっ?」

俺とハルヒは驚いて同時に鶴屋さんの方を見る。
俺がそんなことをしないとわかりきっている鶴屋さんがからかうつもりで……
言ったのではないようだ。

あっけらかんと笑う鶴屋さんは威厳に満ちているというか、
余裕に満ちてしゃくしゃくであるというか、どっしり構えて不動なること雲山の如し、
というかマジで真実本気の堂々たる目つきである。うっすらと笑みさえたたえていらっしゃる。

どうやら真実本気に冗談ではないようだ。
鶴屋さん、あなたどんだけ懐深いんですか、深すぎますよ鶴屋さん、ねぇ!

というかこの御方は一体俺みたいな俗人の何歩先をお往きなさってらっしゃるんだろうか。
既に神仙の領域である。やっぱり鶴屋さんは普通でも俺と同じでもなんでもなかった。
ある意味宇宙人未来人超能力者神、ついでに迷探偵を超えるほどの
特別で強烈なパーソナリティーを持ってらっしゃるんじゃないだろうか。

内面から滲み出すその凄みに気圧されながらも頭の片隅に可愛いなどというワードを
ふわふわと漂わせているあたり俺の惚気っぷりも仙人クラスなのだった。

俺がそんなことを思っている間にハルヒがあんぐり呆然と我を失っている間に、
いつの間にか姿勢を崩して人刺し指を立てて空気をくるくるとかき混ぜながら
眼をつむった鶴屋さんが暗唱するように言い放つ。

178 名前:41-17[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:40:29.19 ID:BgQph/eG0


鶴屋さん「それでもっ! 一番乗りはあたしっかな〜♪」

そう言って珍しく間延びした声を出す。

それは鶴屋さんが何か企んでいるときの、
もとい言葉に裏があるときに発する上ずりである。

鶴屋さん「ま、この辺がね、慎み切れないかもしれないけど許して欲しいっさ!」

そう言って前のめりになりながらお腹を抱えて笑ってみせる。

俺もハルヒもさっきからずっと開いた口が塞がらなかった。

そして鶴屋さんは固まって動かない俺の耳元に口を寄せると
俺にだけ聞こえるよう小さな声でそっと囁く。

鶴屋さん「春休みの……十三日目っ!
      あの日がなんの日だったかじっくり推理してみるといいっさっ♪
      きっと、すぐにわかってもらえると思うっからさっ!
      ねっ……たんてぇーくんっ♪」

最後の方はいつもの大声になり言いたい放題言い切った鶴屋さんは
ハルヒのもとへ駆け寄るやそのまま体当たりするように抱き着いて
動揺するハルヒを後ずらさせながら部室へと突入していった。あの日何の日、ふっふーじゃねぇ、
真面目に考えて時間の自浄作用って奴が記憶だけを操作したんであれば、
まぁ、その、なんだ。つまり既成事実は消えてないってことだ。
あのまま俺まで忘れてたら素敵にえらいこっちゃになってたんじゃないだろうか?
いや、確実にそうなってただろう。
約半年後ぐらいにそれはそれは愉快な珍事になっていたことだろう。

180 名前:41-18[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:43:34.71 ID:BgQph/eG0


まさかそこまで見越して、ということはないだろうが、
いやしかしなんというか、ただでは転ばない人だなほんとに。

砂を噛んでも立ち上がる、そんなバイタリティもまたこの人の無敵さを支える一柱で、
たまらない魅力の一つなのだった。

それにしてもさっきまで遠慮するだのどうだの言っていた人と
同一人物だとはまったく思えない。
しかしそれがとっても鶴屋さんらしい姿なのだからどう異議の挟みようもない。
やっぱりこの人は、なんだ。すげえっていうよりは。

面白い人だな、と。素直にそう思った。

俺が部室に入ると鶴屋さんは朝比奈さんと、
もとい朝比奈さんをハグハグしたまま全身をまさぐっている最中だった。

その耽美かつびあ〜んな花香る桜の園に
俺は内心「ほ〜ぅ」と感嘆しつつ顎に手を添えて唸った。

おまけにそこに負けじとハルヒが加わるもんだから現場は一層悲惨なことになった。

みくる「た、助けてキョンくん、鶴屋さんダメ、涼宮さんも〜ふえぇ〜」

と必死で俺に助けを求める朝比奈さんの悲鳴を無碍にしつつ
春爛漫の素晴らしい光景を堪能しているとどちらかというと夏の男、
紅色の脳細胞ならぬ紅色のなんか光る丸い玉、もとい古泉が話しかけてきた。
そしてその隣に長門が……長……長門さん?
不思議なことに、まったくどういうわけか長門は
もじゃもじゃヘアーのカツラではなくデコっパゲのカツラをかぶっていた。

184 名前:41-19[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:46:27.95 ID:BgQph/eG0


いや、それは、さすがにどうだろう。
なんとなく残念な心地になった俺はその額をピシャリとはたき、はせずに
両手を添えてそっとカツラを持ち上げた。

俺も残念そうな顔をしていると思うが、
長門の方もとても残念そうな顔をしていた。

キョン「こっちは、ダメだ……お兄さんとの約束だぞ……」

そう力なく言う俺に長門は黙って小さく頷いた。
隣で古泉が苦笑いを浮かべている。

宇宙人の突然の豹変ぶりに驚いているのかもしれないが、
お前の口元にだってわけのわからない口ひげがくっついてるぞ。
どれ、むしり取ってやる。かしてみろ。

俺がそう言って手を伸ばすと「遠慮しておきます」と丁寧に辞退した古泉は
自ら付け髭をあっさりすっきりパリッと簡単に剥がしたのだった。

ちっ、皮膚ごと剥がしてやろうと思ったんだがな。
俺のそんな悪態を受けても古泉は笑みを絶やさない。
次いで真面目な表情に変わると本題に移る。

古泉「ここから続いていく時間というものにはまったく保障はありません。
   何が、どうなっても、世界が滅んでも、誰と誰が手を取り合っても、
   何もかもが予期しえぬ世界です。僕たちの組織は頓着しませんが、
   未来人達は困っているかもしれませんね。
   それでも鶴屋さんがああいうことを言う人ですから、
   ひょっとするとあんまり変わらないのかもしれません」

185 名前:41-20[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:48:36.12 ID:BgQph/eG0


キョン「浮気すんなよって言われたりしても気にしないって言われたり、
    こっちとしてはえらいことなんだが……」

古泉「それは自分を嫌いになるな、という命令みたいなものではないでしょうか。
    彼女なりにあなたに気を使っているんだと思いますよ。
    そして、変えてしまった未来に対しても」

キョン「未来……か」

俺はなんとなく朝比奈さんの方を見る。
朝比奈さんは相変わらずハルヒと鶴屋さんにもみくちゃにいじくり回されていた。

朝比奈さんが未来人でも、いついつどの時代の人間でも。
鶴屋さんにとっては大切な親友で、かけがえのない人の一人なんだ。

そう思えばわかるような気がした。
この人がどうして、あんなにも思い悩んで苦しんだのか。

そして鶴屋さんのそんな優しさに、俺は頭が下がる思いで一杯だった。

次いで長門が口を開く。
その口から話される内容はとても真面目で、真剣な話だった。

長門「実際的無限と可能性無限の境界に我々は常に立っている。
   そこが反復を繰り返す地平面上だとしても常に上昇を続けていく。
   その先がどんな未来で結末だったとしても。
   貴方達は前に進まなければいけない。これは、義務」

義務。つまり法則っていうか、そうせざるを得ない運命ってことか?

186 名前:41-21[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:51:00.49 ID:BgQph/eG0


その運命って奴は俺たちを傷つけもするし、また何かを気づかせもする。

鶴屋さんとのあの激しい戦いの中で学んだこと。
それは辛さ乗り越えて勇気を振り絞って、
目の前の壁を飛び越えなければ何も得られないのだということ。

そしてそれは飛び越えてしまえば、
新しい発見を俺たちに与えてくれるのだと。

無理だダメだ、それはいけないことだと思っていても。
超えてしまえば案外、それはそれで俺たちの今までいた世界と変わらずに、
超えたという事実そのものが俺たちの過去の積み重ねで礎になっていくのだと、
そう納得できた。

俺はなんとなく長門の頭を撫でたくなってそこにぽんと手を置いた。

長門は何を言うでもなく俺を見上げていた。

キョン「今の俺は、どういう風に見える?」

何気なく尋ねた言葉に長門は、

長門「今のあなたも。とてもユニーク」

といつか聞いた言葉を返した。今も、今までも、か。

キョン「ありがとな、長門。春休みの間も裏でハルヒの面倒を見ててくれてよ。助かったぜ」

長門「気にしないで。あなたはただ私に見せてくれればいい」

187 名前:41-22[] 投稿日:2010/03/20(土) 21:54:18.13 ID:BgQph/eG0


キョン「何をだ……?」

長門「───を」

突然のハルヒの叫び声でかき消されたそれを俺は確かに理解した。
音は聞こえなくとも唇の動きでわかった。
特徴的な口使いで始まる単語。”も”で始まるその言葉。

口元を緩ませながら俺は、「あぁ」と、短く答えた。
それで十分だった。

視線を鶴屋さんハルヒ朝比奈さんに戻すと
いつの間にか桜の園の主役は鶴屋さんになっていて、
その場でハルヒが鶴屋さんに何かを言わせようとしていた。

真っ赤になって恥ずかしがる鶴屋さんに朝比奈さんが後ろから声援を送っている。
そんな朝比奈さんのエールを受けてうっすら涙を浮かべた鶴屋さんが朝比奈さんを抱きしめる。

そして「みくるがあたしのお嫁さんになってくれたらいいのにっ!」などととんでもないことを口走った。
「いっそキョンくんと二人でうちに婿入りと嫁入りしないかいっ!?」とこれまた
大胆かつ破天荒な提案をする。
春休みに俺にコーヒーカップを投げつけたときのあれはなんだったのだろうか。
実は鶴屋さん、ホントにそのケがあるんじゃないのか?
俺に真実を言い当てられて狼狽した部分もあったんじゃないのか。

もしかすると鶴屋さんはとてつもない天然の女たらしなのかもしれない。
男子が好意を抱く云々以前に鶴屋さんに想いを寄せる女子達の妨害を受けるのかも。
そう考えると俺のしたことと言うのはその女子達からしてみれば
極刑クラスの暴挙なのではないだろうか。一気に背筋が寒くなった。

188 名前:41-23[] 投稿日:2010/03/20(土) 21:56:28.17 ID:BgQph/eG0


ついさっきまで手をつないで校内を練り歩いてしまったではないか。
明日からマジで謎の暗殺者に狙われるかもしれない。
Gでも、バーコードでも、弾道を曲げるアレでもない生身の人間に背後から
襲われるかもしれないというリアルな恐怖に戦慄しながら俺は鶴屋さんの言葉を待った。

そうしてハルヒと朝比奈さんに押し出されながら鶴屋さんは怖ず怖ずと口を開く。

らしくない不安を眉根に浮かべながら、それでも最後には、
やっぱりいつもの鶴屋さんに戻るのだった。

元気いっぱいに、高らかに、ハキハキと。

気持ちのいい風を吹かせるのだ。

心地好い春風を。一年中、いついつどの時でも。

鶴屋さん「えっと……その……キョ、キョンくんっ!
       あっ……愛してる……にょ、にょろっ!」

それでも言い終わる頃にはすっかり顔中を真っ赤にさせてよろめいて、
朝比奈さんやハルヒに支えられてしまうあたりまだまだ不慣れな感情なのだなぁと
その初々しさに感じ入りながらも、それに返す俺の答えだって当然ながら決まっている。

俺はその場にいる全員を一回ずつ視界に収めてその姿を脳裏に焼き付けてから向き直る。
ハルヒ、長門、朝比奈さん、古泉、最後は鶴屋さん。

鶴屋さんは顔中を真っ赤にしたまま俺の答えを待っている。
さっきのはきっと鶴屋さんの精一杯の勇気というか、負けん気というか。
それが人前でも内心を正直に白状させたのだろう。

189 名前:41-24[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 21:59:22.15 ID:BgQph/eG0


その頑張りに敬意を表して、俺も応える。

鶴屋さんに、目の前で涙を浮かべて真っ赤になっている
偉大で可愛い先輩に。

キョン「鶴屋さん……愛してます」

俺の言葉を受けて目をまん丸に見開いた直後、
うつむいてしまった鶴屋さんはふるふると肩を震わせる。

ハルヒや朝比奈さんが心配そうに顔を覗き込むも、
次いでその表情が困ったような表情になった。

しょうがない、とでも言いたげな表情でハルヒと朝比奈さんが俺の方を見る。
鶴屋さんが一体どんな表情をしていたのかは、
ハルヒと、朝比奈さんと、鶴屋さんの。三人だけの秘密なのだった。

そんな俺の心配を余所に次の瞬間、顔を上げて目いっぱい
元気いっぱいのいつもの笑顔を浮かべた鶴屋さんは俺の言葉にこう答えてきた。

鶴屋さん「うんっ! 知ってるっさっ!」

そう言ってあっけらかんと言い放つ鶴屋さんの笑顔はまぶしくて、
見たことがないくらい晴れやかで、そして何よりキュートだった。

そうして駆け寄ってきた鶴屋さんに抱きしめられるのかと思った矢先、
照れ臭紛れの右ストレートがみぞおちに飛び込んでくる。
「おふんっ」と奇妙な呻き声を上げながらもなんとかその場に
身体を残した俺に鶴屋さんは追い打ちの二撃三撃を叩き込む。

190 名前:41-25[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 22:02:00.80 ID:BgQph/eG0


ただそれはまったく痛くなく、まったく手加減されていて、
ぜんぜん痛くも痒くもなかった。むしろくすぐったいぐらいだった。

そうしてひとしきり俺にじゃれついて満足したのか、
鶴屋さんは堂々たる威厳をまとって俺に言い放つ。

鶴屋さん「キョンくんっ、愛してるよっ! これからもずっと、ずっとさっ!
      あたしからは絶対に逃げられないんだからね!
      覚悟するっさ! にゃははっ♪」

そうして俺を力いっぱいに抱きしめる鶴屋さんのいい香りに包まれて。

人目もはばからずに交わされた口づけの甘ったるさと言ったらなかった。

やれやれと言った表情で俺を見るあいつらのため息が聞こえる。

俺を引き寄せて離さない鶴屋さんを、
俺もしっかりと抱きしめ返して応えれば見える気がする。

ここから始まる、俺と鶴屋さんの物語を。

ここから始められる、俺たちの明るい未来の時間を。

唇を離しても、そこから交わされる言葉で俺たちは繋がることができる。

いついつでも、その気持ちを、言葉にして伝えることができる。

耳をくすぐる吐息に混じって愛を囁くことなんて。

191 名前:41-26end[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 22:04:38.24 ID:BgQph/eG0


とても容易くできるんだ。

勇気があれば、できるんだ────。


鶴屋さん「めがっさっ、大好きっ!」

この時既に俺の頭の中も目の前も、鶴屋さんの笑顔で一杯だった。

鼻をこすりあわせながら額をくっつけ合った俺と鶴屋さんは、
そのまま指と指を絡め合わせて。

宇宙人、未来人、超能力者、神に見守られながら。


キョン、鶴屋さん「愛してる……」



そう囁き合うことができたんだ。







fin.

193 名前:都留屋シン ◆wScl9LyheA [] 投稿日:2010/03/20(土) 22:06:58.48 ID:BgQph/eG0


長い時間、お付き合いいただいて本当にありがとうございます。

まだもう少しここに残っているので
質問などがあれば答えていきたいと思います。
なにかありましたらお気軽にどうぞ。

206 名前:エピローグ[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 22:58:20.81 ID:BgQph/eG0


鶴屋さん「キョンくん、あたしたちがさっ、
      ずっと一緒に居られることってすっごいレアなんだよね?」

下校途中、何気なく発された一言に俺ははたと立ち止まる。
なぜにこの人はそんなことをお尋ねになるのか。

意図は見えないまでも不安を感じていることはわかった。

キョン「えぇ、まぁ。それはもうレアリティが高いらしいですよ」

鶴屋さん「やっぱそっか……そうなんだよね……」

キョン「何か気になることでも……?」

鶴屋さん「いやね、なんかね。……不安になるのは仕方がないっていうか、
      どうしてもっていうか、二人っきりになると思うにょろ。
      その……あたし達はさ、これから何に寄って立てばいいのかな……?
      何か支えになるもんがないとさ……その……不安でさっ……」

それはそうだろうな、と俺は思う。

207 名前:2[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 23:07:32.29 ID:BgQph/eG0


確たる足場を俺たちは持たない。何者からも切り離された自由な存在だとしても、
時には休む場所が必要なのだ。

どうしようもなく傷ついたときに身を託せる場所が。

これから俺たちが向かう場所。それは何を隠そう俺の家で、
そんでもってその後は鶴屋さんの家に直行なのだった。

とっくのとっくで肉体関係を結んでいた俺達がいい加減これから
巻き込むことになるであろう人達に対してできることはというと、結果報告。

誰が仰天して飛び上がってひっくり返ろうが後の祭り、
既に来年の祭りの準備が始まっているのである。

鶴屋さんの不安の正体というのも俺にはわかる。

気持ちの問題は時間が癒せるかもしれないが、
身体の方はというとそうはいかず。
わけのわからない組織や存在が背後にうごめく世界に
直接さらされることになった鶴屋さんの胸の内はおそらく、
俺が最初に感じた戸惑いと同じものなのかもしれない。

鶴屋さんは強い。強いからこそ、立ち向かおうとする。
そして今全力で怖がっている最中なのだ。

そうした恐怖の中で俺がしてやれることと言ったら、
そうしたことに一年先輩、
いわば超常現象二年生の俺として新一年生たる鶴屋さんに
アドバイスできることと言ったらたった一つしかない。

210 名前:3[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 23:19:28.27 ID:BgQph/eG0


キョン「普通にしてればいいんです。普通にね」

普通にする、というよりは普通にしておく、と言った方が正しいかもしれない。

不満そうな表情を作った鶴屋さんは
それでも納得できないと言いたげな表情で俺のことを睨む。

それだけじゃないんだぞ、とでも言いたげだ。実際それだけじゃないんだろうな。

まともじゃない世界で自分を、普通さって奴を保つのは相当な根気がいる。
気が触れたっておかしくないくらいのストレスにさらされて、
それでも自分を保たなきゃいけない。

不安も、恐怖も、俺がスーパーなんちゃらに変身して
取り去ってあげられればいいんだが、そういうわけにもいかなかった。

鶴屋さん「キョンくん……あたしはさっ、たださっ!
      一緒にいられればいいって言ったけど……それでもさっ、
      怖いって思っちゃうのは、なんでなのかな……
      こういうのは初めてだからわかんないんだよね……
      どしてもさ、不安になっちゃうんだよ……」

弱いままでは、生き続けていくことはできない。
にも関わらず、誰かを好きになる度に俺は弱さを抱えていくし、当然ながら鶴屋さんだって。
心がなく、誰にも気持ちを開かず、ざっくばらんで居続けられたなら。

もしそうなら傷つくことなんてないのかもしれないし、
深い絶望に打ちひしがれることもないのかもしれない。

212 名前:4[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 23:36:53.36 ID:BgQph/eG0


抱き寄せるだけでは済まない、そんなためらいもある。

無機的な世界に感情だけが取り残されていくような感覚がするのは仕方がないことだった。

キョン「鶴屋さんの部屋で俺が毎日寝起きするってのは、
     どうですか? 安心できますか?」

顔を赤らめて苦い表情を作りつつ唇を結んだ鶴屋さんは責めるように俺を見る。

鶴屋さん「そ、そーいうことでもなくてっ! ……も、もーいいよっ、
      あたしがしっかりしてれば済むことなんだからさっ!
      キョンくんには頼らないからねっ! いーっだ!」

俺に頼りにして欲しがる先輩は俺を頼りにするつもりはないらしい。
そりゃ俺は頼りにならないこと請け合いではあるが、
それでもこのままこの人に無理をさせるわけにもいかない。

鶴屋さんの無敵さにひたすら甘え続けられるほど俺の神経も太くはない。
俺だけが居心地のいい関係というのは、全然気持ちよくなんてないんだ。

鶴屋さんが俺たちの関係をよくしようと頑張ってくれるなら、
俺はそれ以上に頑張らなくては。
そうするうちに鶴屋さんの半歩でも先を歩けるようになったなら。
きっと鶴屋さんだって俺のことを頼りにしてくれるに違いなかった。

213 名前:5[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 23:44:51.79 ID:BgQph/eG0


キョン「鶴屋さん、そりゃぁないんじゃないですかっ!
    俺だっていろいろ頑張ってるんですから、
    ちっとは褒めてくれたっていいじゃないですかっ」

わざとムキになった振りをするのはゲーム開始の合図であり、
当然ながら受けて立たないわけにもいかない鶴屋さんとの間で
ついに戦いの火蓋が切って落とされた。

キョン「春休みにもけっこーひどいこと言ってくれましたよね。
    あたしの何を知ってるんだとか勝手なことを。
    鶴屋さんだって俺の名前すら知らなかったくせに!」

鶴屋さん「だ、だからそれは……で、でもキョンくんが、
      キョンくんがアホすぎるからいけないのさっ!
      キョンくんがもちょっと賢かったらあたしもあんな風にならなくてよかったにょろっ!
      全部キョンくんのせい! 絶対そうさ!」

キョン「それにしたって鶴屋さん、
    もう少しホントのことを俺に教えてくれたっていいじゃないですか。
    秘密主義っていうのは誤解を招くものなんですよ。
    そういう意味では俺に負けないくらい鶴屋さんだってアホです!」

鶴屋さん「な、なにさなにさ! あ、あたしだって、あたしだってさ!
      もっと早く仲良くなりたかったさ! もっといろいろしたかったさ!
      なにさ! いいじゃん別にっ、上手くできなかったことぐらいさっ────!」

そこまで言ってようやくハタと気づいたのか、
涙を流しつつスカートを握りしめていた鶴屋さんは
うつむいていた表情を再び俺に向き直らせる。

217 名前:6[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 23:57:14.22 ID:BgQph/eG0


なんだかとても居心地がよかったのだが、
鶴屋さんはというとバツが悪そうに視線を落としてしまう。

この人の強さってのは、また弱さでもある。
優しい、強い、激しい、明るい。

それはすべて鶴屋さん自身がそうしていたいという姿であって、
そうでない自分が受け入れられてもらえるのか、安心できるのか。

そこまで慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだった。

これは俺の問題であると同時に、鶴屋さんの問題でもあって。

そうして抱えた問題に、俺たちはまだ一年生だった。
たとえ鶴屋さんが俺の上級生で、
俺が鶴屋さんより一年長く超常現象を体験していようとも。

俺たち二人のこれからはまだ始まったばかりなんである。

キョン「残念な子なのは、俺だけじゃないみたいですね」

鶴屋さん「キョンくんが……あたしをこんな風にしたんじゃんっ……
      責任取るにょろっ!」

キョン「責任なんか取れません」

俺の言葉に失望するように鶴屋さんは再び唇をきつく結んで押し黙ろうとする。
俺はそんな鶴屋さんに拳を一つ、えいやっとは言わないまでも優しく小さく、
その胸にトンと添える。

219 名前:7[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 00:00:11.23 ID:0EgrYtKD0


驚いたような表情で見上げてくる鶴屋さんに言うべきことはというと、
さっぱりすっぱり俺の本心なのだった。

キョン「そのままの鶴屋さんが、俺は好きなんです。
    ダメな子でも、残念な子でも、明るい子でも……激しい鶴屋さんでも」

鶴屋さんの瞳がまん丸に見開かれる。
珍しいものでも見るように、俺のことを見上げてくる。

その視線のくすぐったさといったらなかったが、
それはさておき、締めの句が残っていた。

キョン「俺がどんなにダメな奴でも、ずっと、鶴屋さんの味方です。
    ダメな残念なままの俺でも。鶴屋さんの味方でいます。
    だから、俺と。タッグを結成しませんか?
    辛い立場の、普通人間同盟って奴を」

味方です、の当たりで止めて置いて欲しかったのか、
最後の普通人間同盟を聞いたあたりで鶴屋さんは驚くのをやめて
責めるように俺を睨んできた。それを俺が気にしないかというと、
そんなことはなかった。まだ締めの句は途中なんである。

キョン「不安なのは、同じです。俺だっていついつでも不安げです。
    でもところがどっこい、俺には今心強い味方が居るんです。
    何を隠そうそれが貴女で、そんでもって、
    そんな人がいつか俺を頼りにしてくれたらって思うと。
    胸が踊るような気がします」

鶴屋さん「じゃあさ……一つ約束してよ……」

220 名前:8[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 00:10:37.25 ID:0EgrYtKD0


キョン「なんですか?」

鶴屋さん「敬語……やめよ……?」

今度は俺の方が目を丸くしてしまった。
そんな俺の表情の変化に戸惑いながら鶴屋さんはしどろもどろに言葉を続ける。

鶴屋さん「その、あの、なんていうのかな……えっとさ……
      もっと、気さくな感じで、ざっくばらんな感じで!
      その……男らしい感じに……してもらってもいっかなっ……?
      なんか、後ろからついていきたくなる感じでさ……」

ああ、と俺は頭をはたく。
どうも俺は今のいまだに鈍い自分を卒業できていないようだった。

なんとなく不安だが、ここは一つ気を引き締めるしかない。
鶴屋さんの不安の正体というのは結局、
俺の心が揺らがないかどうかという不安なのだ。

不安げな鶴屋さんの表情に向き直って、俺は言う。

キョン「俺たちは……ひょっとしたら。ずっと一緒にいられないかもしれません。
     不安を抱えたまま、続けていくことって……きっと難しいことなんですよね」

222 名前:9[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 00:18:02.30 ID:0EgrYtKD0


鶴屋さん「キョンくんをさ、独り占めしたいっていうのは、
      ほんとにあたしの、ただのわがままだからさ……
      まだそういうとこがあるのは自分でもわかってるよ……
      でもさ、お願いだよ……キョンくん……」

ともすれば嗚咽になりがちな息遣いの中で、鶴屋さんは声を搾り出すように言う。

鶴屋さん「あたしと居るときは……あたしだけのキョンくんでさ……
      居てほしいのさ……じゃないと……不安になっちゃうにょろ……
      怖いんだよ……キョンくんと居るのが……でも、でもさ……」

次いで語られた言葉は、この人がずっと抱えてきた本心だと思えた。
それぐらい一生懸命に、鶴屋さんは言葉を選び出していた。

鶴屋さん「一緒に……居たいよっ……すごく、怖いけど……
      そんなの関係ないって……思わせてよ……
      じゃないとまた……逃げ出しそうになるっから……さ……」

まるで別人のように言葉を吐き出す鶴屋さんの、
その胸の内に去来するものは苦痛でも、重過ぎる誓いでもなく、
自分に勇気を与えて欲しいというそれだけの願いだった。

鶴屋さん「そしたら、そしたらさっ! ……な、なんだってできる気がするのさっ!
      なんだってできるって思えるのさ……だ、だからさ、キョンくんっ!
      あたしに勇気を分けて! お願いっ!」

そうして差し出してくる手をすぐさま握り返して、
強引に引き寄せた俺は鶴屋さんをしっかりと抱きしめる。
苦しそうに嗚咽を漏らす鶴屋さんの口を吐いて出る言葉は、とても悲観的なもので。

224 名前:10[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 00:21:35.71 ID:0EgrYtKD0


とても悲しい言葉を口にする鶴屋さんの、
すべての不安が胸にしみこんでくる。

それでも俺たちが離れられないことはわかりきっていた。
一度知ってしまった温もりから、逃れられないことぐらい。
鶴屋さんにだってわかってるハズだ。
どれだけ辛かろうと、怖かろうと、悲しかろうと。

離れられない、忘れられない温もりがそこにあるなら。
どれだけ喧嘩をしても、最後にはそこに行きつくと思えるなら。

俺達は今この時を精一杯、守っていかなきゃいけないんだと。
理想を脇に置いてまで守りたいものがあるのだと、そう思えた。

鶴屋さん「……キョンくんっ、お願いだよ……
      一つだけ、叶えて欲しい約束があるのさっ……」

キョン「……なんですか……?」

鶴屋さん「あたしのさ……家族になるって……今誓って欲しいのさ……
      そうすればさ、きっと、きっと不安なのも忘れられると思うにょろっ、
      そーすればさ……信じられる……気がするさっ……」

どうやら恋人気分で居られるのはここまでのようだった。
ここからは、どうやら俺は違う責任を果たさなければいけないらしい。
何を今更、というまでもなく、その為にどこそこ誰の家に向かっているのかは関係なく。

鶴屋さんが俺になって欲しい特別な存在というのは最愛の恋人でも、
便りになる男前でもなかったようだ。

225 名前:11[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 00:26:57.33 ID:0EgrYtKD0


ただ単に、家族。それだけだった。

恋人同士を続けていく自信がなくなった鶴屋さんが
唯一続けられると確信するもの。

その答えならとっくに出していたような気もするのだが、
改めて俺は誓いを立てる。

キョン「誓います……そんときは、父親とでも、旦那とでも、なんとでも呼んでください」

泣き出しそうな鶴屋さんの表情がようやく安心したそれに変わる。

そのままきつく抱きしめ返してくる俺と鶴屋さんが歩いていく時間。

それは恐らく、甘ったるいだけの恋人関係なんかではなく、
きっともっと厳しいものになる。

やらなきゃいけないことが山積みで、辛いこともたくさんあるかもしれない。

ただその契約の中に居る限り、俺たちは安心することができる。楽にしていることができる。

その為なら多少の窮屈さは、むしろ気持ちのいいもんだと思えた。

鶴屋さん「そいじゃ、あなたって呼んでも、いっかな?」

楽し気に嬉しげに話す鶴屋さんの表情の晴れやかさと言ったらなかったが、
そこはそれ、一応は呼び慣れた方にしておいてもらった。つまらなそうに唇をとんがらせた後、

鶴屋さん「ま、いいよっ! そのぐらいは譲歩してあげてもさっ♪」

226 名前:12[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 00:32:10.93 ID:0EgrYtKD0


そう機嫌をよくしてついに念願の座を勝ち取った実感を得たらしい
鶴屋さんは小さくガッツポーズを取った。

自分の立ち位置を究極的に確かなものとして、
安心しきった鶴屋さんが俺にすることなど決まりきっていた。

照れくさ紛れの殴る蹴る。
さんざん浴びせられながらも、
何もかもが緩みきった鶴屋さんの一撃がそう重いハズもなく。

ぽすぽすと間抜けな音をさせながら
嬉しそうにじゃれついてくる鶴屋さんを見ていると
首にくくられた手綱が手に周り、足に周り、腰に周り、
胴に回って身動きが取れなくなったとしてもそれはそれ、
居るべき場所に居続けられているんだからいいじゃないかという実感が持てた。

時が勝手に進んで行って世界がどれだけ変わろうとも、
変えたくないものがそこにあるなら変えないでいることもできる。
ゆるがせたくない想いがあるのなら、
壁を一つ飛び越えた頼りない足場の上にだって築いていける気がした。

明日の礎を、投げ出すことなく。
二人手を取り合いながら。

そうして歩いていくうちにやがて俺の家の前にまで到着した。
いい加減不安がる時間的余裕もなくなってしまっていた。

キョン「さぁ、鶴屋さん。覚悟はいいですか。二連戦の初戦ですよ。
    ここで慣れておけばきっとあとが楽です」

230 名前:13[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 00:43:33.76 ID:0EgrYtKD0


鶴屋さん「そ、そうだね……い、妹ちゃんだって居るし、
      そうさねっ、勝手知ったる我が家だと思えばいいんだからね! あっはっは!
      ところでキョンくん、あたしの髪の毛、乱れてないかな?」

キョン「別に乱れてないですけど」

鶴屋さん「ちょっとこの辺見てくれるにょろ?」

そう言って額の生え際の辺りを指さしている。
俺は少しだけ身を屈めて覗きこむ。

キョン「なにもおかしくないですけど……」

鶴屋さん「もっとよく見て! ほら、この辺とか! ほら!」

キョン「いえ、別に何もな────」

俺がさらにかがんで頭の高さがそう変わらなくなった所で
不意に唇が奪われた。数十秒ほどそうした後で、
新しい俺たちが交わした初めての口づけは
鶴屋さんの「ぷはっ!」というなんとも間抜けな声と共に終わりを迎えた。

キョン「……もうちょっとムードがあってもよかったんじゃないですか?
    不意打ち以外の選択肢もあるでしょうに」

鶴屋さん「いーのっ! これぐらいでっ!
      じゃないと、恥ずかしくってさ! おかしくなっちゃうからね!
      というわけで、キョンくんっ! 気合入れていくっさー!」


234 名前:14[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 00:58:27.24 ID:0EgrYtKD0


そう叫びながら戦車のように突撃していく鶴屋さんが
取手に手をかけ勢いよく開こうとした瞬間、
ガチンと金属同士がぶつかる盛大な音がした。

フツーに鍵が閉まっていたようだ。

そのあんまりな惨状で鶴屋さんが発した
「キョンく〜ん……」というSOSを受けて
俺はズボンのポケットから自宅の鍵を探り出す。

キョン「後先考えてくださいね、ホントに」

鶴屋さん「たはは……面目ない……」

そんな風に鶴屋さんに謝られつつ鍵を差し込んだところで
突然ドアが勢いよく開かれる。

鍵が開くような音とほとんど同時に飛び出してきた扉を
思いっきり頭にぶつけられた俺はそのまま仰向けにぶっ倒れた。

唖然と俺を見下ろす鶴屋さんの隣、
扉の影から驚きの表情で同じく俺を見下ろしている奴。
何を隠そう残念な俺のそう残念ではない妹だった。

キョン「いきなりドアを開くな……このままだといつか俺は死ぬぞ……」

妹ちゃん「ごめんねキョンくんっ、あ、目の下が黒くない! なんか元に戻ってる!
      よかったねっ、あ、それとお父さんとお母さんがカンカンだったよ!
      どこほっつきあるんてるんだーってさ」

235 名前:15[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 01:06:39.69 ID:0EgrYtKD0


鶴屋さん「キョンくん……いつもこんな目に遭ってるのかいっ……?」

キョン「いえ、そんなこともないと、思いますけど……多分……」

妹ちゃん「あ! 鶴屋さんだ! どーして鶴屋さんがここにいるのっ、ねぇねぇ!」

いつぞや雪山で楽しく雪だるまを作りっこした相手、
優しい美人のお姉さんこと鶴屋さんを妹は忘れてはいなかったようだ。

らんらんと瞳を輝かせて俺のことを放ったらかしにしたままはしゃぎ始める。

鶴屋さんの方はというとすっかり懐かしい気分に浸っているのか
妹とそう変わらないテンションで飛びかかってくる我が妹を抱き閉めてくるくると周り始める。
なんとも楽しげで幸せそうな二人を見上げながらなんとも心細いような気分になる。

誰かが間に挟まる限り
こういう邪見にされる日々が待ち構えているような、そんな予感がした。
強く生きざるを得ないくらい、盛大に放っておかれるような待遇が
容易に想像できて俺は痛む頭をそっと撫でた。

まぁそれでも、それはそれでいい風景なんじゃないだろうか。
こうしてなんだかんだで巻き込まれつつ、
今後一切しっとりとしたムードが訪れないのだとしても、
いやまぁそんなことはないだろうが、夜とか夜とか、夜とか。

まぁいいんじゃないか、こういうせわしない感じのほうが。
無駄に腹を探り合うより、絶えず相手を気にかけるより。

ずっと楽で、続けやすいものなんじゃないかと。なんとなくそう感じた。

238 名前:16[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 01:16:38.86 ID:0EgrYtKD0


こんな感じで明日が続いていけばいい。
そうだな、これなら無理をしなくてもいい気がする。
どっちが頼るとか関係なく、当たり前のようにそこに存在することができる。

そういう時間と空間を、俺は手に入れたのだ。

朝起きたら鶴屋さんが隣で寝ていることが当たり前になるような、
そんな時間と空間を。そういうことなら俺ももう少し、肩肘張らずにいられるかもな。
無理せず、楽にしたままでよ。

鶴屋さん「キョンくんっ、ぼさっとしてないで早く起きるっさっ、
      なんでも妹ちゃんが一風変わったチーズをご馳走してくれるそうだよっ
      楽しみだねっ♪」

それはおそらく父親の酒のつまみだとは思うのだが、言わないでおいた。
鶴屋さんがなんか気に入りそうな気がしたからだ。理由はわからない。
ただなんとなく予感がしただけだ。

キョン「それ多分スモークチーズじゃないでしょうか。チーズを煙でいぶした奴です」

鶴屋さん「そうかいっ、それは楽しみだねっ! あ、ところでキョンくんっ」

俺に言葉をかけた後で家の中を覗き込み妹が近くに居ないことを確認し、
そっと小声で囁くように鶴屋さんが俺に尋ねて来る。

鶴屋さん「ところでさっ、あたしが好きな人って、誰だか知ってるにょろっ?」

俺は呆気に取られてキョトンとしてしまう。
いついつだったかあの時の、あの質問の答えが今、明かされようとしていた。

240 名前:17[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 01:26:02.43 ID:0EgrYtKD0


鶴屋さん「あたしが好きな人は────キョンくんさっ! 知ってたかいっ?
      にゃっははっ♪」

そう言って笑いながら扉の影へとひっこんでしまう。
そんな風に言われたら、笑ってしまう他ない。追いかける他ない。

扉をくぐって限界に出た俺を誘うように、
招くようにスキップを踏む鶴屋さんの後を追いかけて、
嬉しそうに振り返って俺に笑いかけてくれるその向日葵みたいな笑顔に誘われて。

追いかける俺から逃げるように飛び跳ねる鶴屋さんの軽快さに翻弄されながら。

たまらなくくすぐったそうにする鶴屋さんをようやく捕またと思ったらまた逃げられて。

そうしてキッチンでようやく鶴屋さんを抱きしめたときに
不意に俺の目に飛び込んできた妹のキョトンとした瞳。

勝ち誇ったような邪悪さを含んだ笑い声を上げて、

鶴屋さん「まっ、そーゆーことさ! よろしくねっ、妹ちゃんっ!」

と改めて挨拶をした鶴屋さんは見せつけるように俺に額をすりよせてきた。

妹の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
肉親のこういうシーンを見るというのがどれだけ気まずいもんなのか、
一体全体どういう心地なのだろうか。

俺にはまだわからない感情である。妹がもうちょっと成長したころには
わかるのかもしれないが、今の俺にはとてもわかってやれそうもない。

244 名前:18[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 01:39:21.58 ID:0EgrYtKD0


キョン「まぁ、そういうことだ……」

どういうことだ、までは言わないが、
結果だけは理解したらしい妹はこくこくと数回首を縦に振る。
おれがおかしかった理由も春休み中に何度も出かけた理由に納得してもらえたようだった。

余計な説明の手間が省けたのはよかったが、さてどうしたもんだろう。

ゴロゴロと甘えてくる鶴屋さんは、
自分の親の前でもこんなテンションで居るつもりなのだろうか。

それはそれは恐ろしい光景が広がるのか、あらあらまぁまぁと
微笑ましい光景が広がるのかは未知数であるものの、
まぁなんとかなるんじゃないだろうか。鶴屋さんの親なんだ。
どーせちゃらんぽらんに決まっている。

鶴屋さん「でさっ、キョンくん……も一ついいこと教えておいてあげるねっ
      あたしの親は実はすっげー厳しいからさっ、覚悟しておいた方がいいにょろっ」

とんでもない事実をさらりと告げられて額に油汗が浮かんでくる。
そんな俺の反応を見て「にししっ♪」と嬉しそうに笑った鶴屋さんが、

鶴屋さん「嘘だよっ! うちの親はむちゃくちゃちゃらんぽらんなのさ!
      きっとキョンくんのことも気にいってくれって! なははっ♪」

という言葉にまともに返事も返すことができないまま、あぁとかうぅとか呻きながら
想いを馳せた未来の景色。鶴屋さんが居る世界。俺の隣に居る世界。

朝起きたら鶴屋さんが隣で寝ていることが当たり前の世界。

246 名前:19[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 01:54:24.02 ID:0EgrYtKD0


それを思い描くだけで俺の不安は吹き飛ぶのだった。
少々の困難ぐらい、むしろ上等だとさえ思える。

ただ締めるべきところは締めておかないとな。

俺は鶴屋さんの額をぴしゃりと軽くはたいて
「うにゃっ!」と声をあげた鶴屋さんが額をさすりながら
責めるような視線を送ってくるのも構わずに俺は言う。

キョン「もうちょっと、やさしく扱っていただけませんか?
    そこだけです、俺があなたに望むのは」

そんな俺の言葉を受けて「ごめんごめんっ」と調子に乗っていた自分を
素直に反省した鶴屋さんは呟くように言う。

鶴屋さん「じゃっ、あたしのこともそーしてもらおっかなっ、
      その為にはほらっ、態度で示さないとね」

そうして肩手を自分の腰の回したまま唇を数回指先で打つ。
妹が目を丸くして硬直しているのも構わずに、
ねだられたなら応えるしかない俺は大人しくそうする。

そうして重ね合わせた唇の甘ったるさと言ったらなく、そして、
重ね続けている限りは囁くことができない言葉のもどかしさったらなかった。
唇を話した鶴屋さんが開口一番俺に言い放った言葉。

鶴屋さん「キョンくんっ、愛してるよっ!」

それに俺が同じ言葉を重ねたのは、ねだられたからでもなく。

247 名前:20[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 01:58:52.67 ID:0EgrYtKD0


気遣う為でも、ましてや手段や犯行としてなんかではなく。
俺の正直な想いとして、伝えるのだった。

キョン「俺も、愛してます」

「百二十点!」と叫んだ鶴屋さんが俺に抱きついてくる。

なんとも気まずそうなに困ったような表情を浮かべる妹を気の毒に思いながら、

何度も何度も同じシーンを繰り返しながら。

こうし続けていれば見られるかもしれないな。


いつか、夢の続きを。

俺と鶴屋さんが並んで立った、春休みのあの日々の。

250 名前:21end[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 02:08:37.76 ID:0EgrYtKD0


夢のような日々の続きを────。



鶴屋さん「めがっさおつかれっ! キョンくんっ!」

きつく抱きしめねぎらってくれる鶴屋さんのいい香りと、深い優しさと。

惜しげもない愛情に包まれながら、俺は。


そんな風に思った。










tomorrow is for ever. look inside now.

252 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 02:13:25.64 ID:0EgrYtKD0


長々とエピローグをつづってしまいましたがここで一旦幕引きにしたいと思います。
なんだかんだで方向を見失いつつも
この場で追記できて良かったと思っています。
もうちょっと居ますので何かおっしゃりたいことがあればなんなりと。
できるだけお答えしていこうと思います。

275 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 09:22:10.36 ID:0EgrYtKD0


散漫な文章ですがつらつらと思ったことを書き上がった順に投稿していきます。

なぜに二次創作でこの分量で、
なぜにキョンと鶴屋さんで、
探偵もので恋愛ものかと言いますと。

前回、作品を書き終わって胸の内に去来した感情が発端となっています。
この物語に先はあるのか? と。文脈上あることにはなっていますが、
際限なくあの続きを書くことはありえないわけで、
物語が進めば進むほどに敷居が上がって行ってしまう構造にもやるせなさを感じていました。
このままだとデータの海に沈んでいったそれこそ単なる過去ログに過ぎず、
なら別の形でそこに価値を与えることができるのではないかと思い
純粋に自分が書いてみたいというアイデアの後押しもあって
反転構造を意識しながら描きました。当然ながら恋愛ものとしての筋は通したままで。

文章にすれば
前回は 鶴屋さんがキョンを好きになった物語 で、
今回は キョンが鶴屋さんを好きになる 物語 です。
「好きに」という目的部分を残したまま意思決定の主体や時系列を入れ替えました。

そうすることで場面に説得力が生まれればいいと。
あの時間の輪という設定はそのまま二次創作という
活動に対する昔からの疑問から生まれました。

パラレルワールドは=ここだけの話。 記憶改竄は=ここまでの話。
というように解釈していただきたいです。当て馬に関しては
恋愛ものにありがちな主人公を忘れて別の人を好きになる、もとい作者が
そうさせるある種の回避行動、とまで言うのは酷でしょうが見えざる神の余計なお世話のことです。
つづく

274 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 09:15:59.01 ID:uy8d2oxP0

読んだ感触として、モチーフの多くは西洋の寓話の方が比較的多い気がする。
ちょっと嬉しかったのは、ケイゾクの遠山金四郎?っぽいフレーズが有ったところ。

その周辺に、臭いを気に掛ける描写も有った気がするから真山さんktkr?も…。www

ケイゾクアンソロ本のサムライガンの作者の漫画も、着想の一要因になってたりしますか?

276 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 09:36:47.83 ID:0EgrYtKD0

>>274 モチーフに関しては実は、ないんです。まったく。
何かを参考にすることもありませんでしたし、
ただ結末まで必要な過程を盛り込んで行く上で物語の原型として
同じ道筋を辿ったのかもしれません。

匂い、肌触り、味覚をプッシュしまくったのは無機性と有機性を区別する為で、
容姿や言葉という普遍的な要素、感情に因らない無機的な要素と
それを土台として表現される有機的な要素をどうしても含みたかったからで、
性描写にまで踏み込んだのもそれ故なのだと今振り返ると思う次第です。

最初の一回目は単純に前回要望があったからなのですが、
二回目は物語上の必然として意識しながら書きました。
肉体的な接触の後で精神的な繋がりを取り戻す過程に
キョンが暮らす灰色の世界=無機的な物質の世界の上に
深緑色=鶴屋さんの感情を乗せることが欠かせなかったんです。
つづく

277 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 09:42:18.64 ID:0EgrYtKD0


恋愛ものの類型、一人主人公対多数ヒロインのシチュエーションの中では
必ず報われない結末というのがあって、それは最初に提示された

作品単位のヒロイン と
物語単位のヒロイン の相違が生み出しがちな軋轢、

例えば作品全体(シリーズ)を通してのヒロインはハルヒですが、
物語単体(ストーリー)として例えば消失のヒロインが長門であるように、

潜在的な欲求、誰とだれが結ばれて欲しいという願いと
作品の前提として作者と読者の間で結ばれる約束事、
誰がヒロインであるかと読者の欲求の相違、それが最大の障壁でもありました。

279 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 09:51:33.09 ID:0EgrYtKD0

鶴屋さんの罪悪感というのは物語の枠の上ではそれで、
現実世界を含めれば単純に
「自分の想いが報われると大切な誰かの気持ちを踏みにじるのではないか」
といういろんなヒロインを支持する人達のジレンマというか、やるせなさを代弁すると同時に、
鶴屋さん自身が持つ常識的な感覚と抑えられないほどの欲求がぶつかることで生じる変化。
そのテーマを正面から見据えない限り絶対自分は納得し切れない。その一念を抱き続けることで
鶴屋さんとキョンの直接対決という難しいシーンも乗り越えられた気がします。
あれは本当に大変でした。ながらも向き合う価値のあるテーマでした。

280 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 10:02:33.71 ID:0EgrYtKD0


普遍性に関しては意識しています。
だからこそ前回、自分の趣味を全面に出したことを反省するというか
補完する意味もあって鶴屋さんが好きな人だけでなく
そうじゃない人達にも支持してもらえるような、
そういう激しい山と誰にでも起こりうる問題を乗り越えることで
新しい可能性を提示することが今回の最大の狙いでした。

そして、それは二次創作という媒体の中でできうる限界というか
どこまでやっていいのかという限界意識との戦いでもあったわけで。

キャラクターに歩み寄ってもらった前回の反転、
今回はどれだけキャラクターに歩み寄れるか、それもテーマの一つでした。

281 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 10:10:26.73 ID:0EgrYtKD0

いろんな作品を見て行くことで抱えていく疑問、
サブヒロインを好きになる度に抱えて行くやるせなさ、
どうして許されないのか どうして許され”ていない”のか。
そういう疑問に対して一つの答えを出すことが目標でしたが、
これはやはり永遠のテーマなのだなと痛感させられることもありました。
それでも一方、際限なく傷ついていく中でどうしても失ってはいけない感情があり。
好きだという純粋無垢な気持ちを傷つき倒れていく中でも持ち続けることができるのか。
憎しみや狂気に走ることなくどれだけ誠実でいられるか。キョンが怪人になりかけたのにはそういった意味があります。

282 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 10:18:24.05 ID:0EgrYtKD0

守り守られる関係の中で対等になれればきっと乗り越えられるだろうと思い、
その一つの答えとして家族という結末に至りました。
即興のエピローグを通してその答えに至ってから鶴屋さんが突然生き生きし始めたのには
その答えが間違っていないと思わせてくれるくらい書いている自分でも驚きを感じました。
安心できる場所があれば、きっとなんとかなるんだと思います。
そうした感傷と感情を込めて、結末の後に導き出せた答えに私自身安心感を覚えます。
結末を描き切ってもなんだかんだでまだ物足りなかったわけです。
そうして描くことができて本当によかったと思います。

283 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 10:28:58.86 ID:0EgrYtKD0

前回と同じ山を違った道順で、
時には険しい道筋を辿りましたが、
頂上に着いた後はゆっくりと身体を休めて、
そして坂を下って元々暮らす場所に帰っていって。

最初に時間の輪が閉じた時点を見ていただけるとわかる通り、
視点の時系列をズラして部分的に切り取るなら、
ハッピーエンドがバッドエンドになり、
バッドエンドがハッピーエンドになり、
そうした永遠に続くであろうやるせなさの循環の輪から
抜け出してキョンと鶴屋さんが自分たちだけの世界を
築くことができたことが救いなのだと、
今改めて意識しているところです。

それができてようやく、パワーバランスを超えた絆というものが築けるのだと。
うつろっていく時間の中で唯一変わらない関係を築くことができるのだと思います。

284 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 10:34:35.75 ID:0EgrYtKD0

まだ語っていないことはありますが、
一番言いたいことは言えたのでこの場で置いておきたいと思います。
自分も身体を休める番だと思いますので。
この場限りで終わってしまうのは残念ですが、
興味がありましたら名前で検索してみてください。
きっとこの名前を使い続けると思いますので。

286 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/03/21(日) 10:39:52.30 ID:0EgrYtKD0


そんな感じで、
いろんな機会を築いていけたらいいと思っています。

一応どこぞに投稿しようかと思っていた一次創作の方も
推しに推してますので(汗

まぁなんとか、します。がんばって、無理でも次もまたやります。

そんな感じでいろんなことが続いていけばいいと思っています。

私のまとめは以上です、
読んでいただいてありがとうございましたノシ

まだ答えていないレスはもちょっとまとめてからしっかりしたいと思います。
落ちるまではちょこちょこ覗いていますので、何かありましたらどうぞ。ではノシ



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