1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 12:21:25.30 ID:5WQmpY3A0
静寂だけが支配をしていた。
時折、本を捲る音はするものの、それは静寂を壊すまでには至らず、寧ろ、静寂と同化
している。
朝比奈みくるは、この空間が苦手だった。
いま、部室には、長門有希と朝比奈みくるの二人しか居ない。
古泉一樹は理系クラスにだけある課外をうけ、そして涼宮ハルヒとキョンは掃除当番だ。
誰かが来れば、この静寂ともおさらば出来る。けれど、それまでは耐えなければならない。
――ぺら。
朝比奈は、長門の方を、ちらりと見た。端正な顔をしている。どこか神秘的だ。……それも、
その筈、長門有希は人間ではない。簡単に言えば、宇宙人だ。
(何を考えてるんだろう……)
3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 12:27:24.18 ID:5WQmpY3A0
朝比奈は、しばしばそのことを考える。
長門は、いつでも無表情で、何に対しても、死んだような眼で接している。死んだような眼、
というと、語弊があるかもしれないが、朝比奈には、そう表現することしか出来ない。
(私も、長門さんくらい本を読んでたら、もっと正しい表現が出来るのかも……)
そう思いながらも、朝比奈は、また、長門の方を見た。普段と同じような眼をして、本を読ん
でいる。その眼には、一体どのような字が映っているのだろうか。そして、それを見て、何を考
えているのだろうか。何か、考えているのだろうか。
(知りたいな……)
4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 12:34:14.79 ID:5WQmpY3A0
いつからだろう。朝比奈は、長門と仲良くなりたい、と考えるようになった。
最初は、畏怖しか抱いて居なかった長門に大して、情を抱くようになったのだ。
(食べ物を食べてるときの長門さんは可愛いし、それに、お茶を飲んでるときの長門
さんも可愛い……)
たまに見える長門の人間らしい部分に、朝比奈は、それが当たり前のことだ、とでも
言うかのように、すいすいと惹かれて行った。けれど、引き寄せることが出来ない。
例えば、話しかけるにしても、今日の天気は良いですねぇ、だとか、今日の授業はくた
びれましたぁ、だとかいう世間話しか出来ないのだ。私生活に立ち入った話は全く出来な
い。
(無神経って思われそうな気がするんだもんな……)
涼宮ハルヒのように、無邪気に身体を引き寄せたい、と思う反面、その無邪気さ、を無神経
だと思われないかを恐れている。キョンのように、世話を焼きたい、と思う反面、その御節介を、
無神経だと思われないかを恐れている。
要するに、朝比奈は、長門に嫌われることを恐れているのだ。
5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 12:37:17.17 ID:5WQmpY3A0
――ぺら。
本を捲る指は細く、拙い。
(昨日の夜ご飯、何を食べたのかな……)
聞きたい。けれど、聞けない。
この静寂を壊すことが出来ない。
(もし、この静かな空間を壊しちゃったら……)
どうなるのだろう。ふと、朝比奈は考えた。
もしも、この静寂を壊したならば、朝比奈と長門の関係が崩れるだろう、と、朝比奈は、
今までそう考えていた。しかし、実際はどうだろう。
(崩れる程の関係なんて持ってたっけ……)
そうなのだ。関係が崩れるだろう、もくそもない。元から、崩れるような関係など持って
いないのだ。
7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 12:38:33.52 ID:5WQmpY3A0
(それなら……)
と、朝比奈は開き直る。
(もし、この空気を壊しても、失うものなんて何も無い……)
8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 12:41:32.52 ID:5WQmpY3A0
「あ、あの……」
意を決して出した声は、掠れていて、そして小さく、酷く震えていた。けれど、静かな部屋に
響くのには充分で、長門はその声に、そっと顔を上げた。
(うわ……)
声を出したのはいいものの、何も話すことを考えていなかった。
(私のばか……うう……)
長門は、何を考えているのか分からない眼をして、じっと朝比奈を見つめている。朝比奈に
は、その眼を見つめ返すことが出来ない。
(とにかく、何か話さないと……)
13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 12:44:52.63 ID:5WQmpY3A0
「あ、あの……歴史の話なんですけど……」
今日、クラスの男子が喋っていた話をすることにした。
「1192年の鎌倉幕府の覚え方って、いいくに作ろう鎌倉幕府じゃないですか……」
長門は、うなずくでもなく否定するでもなく、朝比奈を見ている。
「でも、いいくに、の部分を、よいくに、にしたら、4192になって……」
一息置いてから、朝比奈は最後の言葉を捻り出した。
「未来の話になっちゃいますよね……えへへ……」
また、静寂が訪れた。
19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 12:48:58.99 ID:5WQmpY3A0
(私のばか……完全にしくじった……)
訪れた静寂に怯え、顔を上げることが出来ない。
本を捲る音が聞こえないことから察するに、長門は、未だ朝比奈の方を見ているのだろう。
けれど、長門は何も言葉を発しない。
(うう……涼宮さんとキョンくん、早く掃除当番から帰ってこないかな……)
お前を殺す、と言わんばかりの静寂が朝比奈に襲い掛かる。いっそのこと殺してくれた方が
楽かもしれない。そんなことを考え始めた時に、長門が口を開いた。
21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 12:54:06.26 ID:5WQmpY3A0
「普通に考えれば、四千百九十二年の話ではなく、千百九十二年の話だと分かる筈」
「そ、そうですよね……」
長門の声は、冷ややかで透明感がある。
その声から発される言葉は、他の人間が発する言葉よりも、大きな威力を持つ。
「それに、あなたはただでさえ未来の人間。未来に、そのようなことが起らないのは分かって
いる筈。仮に、あなたが四千百九十二年に位置する人間ではなかったとしても、それは言
い訳にはならない。何故なら、未来人は、過去の人間よりも深く、過去について知らなければ
ならないから。違う?」
「違いません……」
「あなたは冗談のつもりかもしれないけれど、鎌倉幕府は、いま凄く傷付いている筈。謝って」
そう、ほんの冗談のつもりだった。
それが、ここまで進展するとは思わなかったのだ。
(私って、本当に馬鹿だな……)
29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 12:59:19.44 ID:5WQmpY3A0
「鎌倉幕府さん、ごめんなさい……」
朝比奈は、長門の眼を見て、謝った。
謝るべき相手は、長門ではない、鎌倉幕府なのだ、と頭の中で認識はしているものの、
何故か、そうしなければいけないような気がしたのだ。
「もう、間違えたりしません。冗談でも……」
「そう」
それだけ言うと、長門は、また本へと視線を落とした。
(……嫌われちゃったな……)
朝比奈は、少しだけ涙ぐむ。泣いても、何も解決しないと分かってはいるものの、勝手に涙腺
が緩むのだから、仕方が無い。
(平気で、歴史を傷つけるやつだと思われた……最低なやつだと思われた……)
長門の発言したことは、全て真実であった。
(すごい、心臓を直接叩かれたみたいだった……)
33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 13:02:51.69 ID:5WQmpY3A0
『それに、あなたはただでさえ未来の人間。未来に、そのようなことが起らないのは分かって
いる筈。仮に、あなたが四千百九十二年に位置する人間ではなかったとしても、それは言
い訳にはならない。何故なら、未来人は、過去の人間よりも深く、過去について知らなければ
ならないから。違う?』
頭の中で、長門の言葉を反芻する。
(本当に、長門さんの言うとおりだ……)
二時間目の休み時間のことだった。
クラスの男子が、「おいおい、いいくに作ろうも、よいくににしたら、未来だぜ? 歴史なんて
うんこだろ」と発言していたのが、やけに朝比奈のツボにハマった。一緒に居た鶴屋も大笑い
をしていた。
(だから、長門さんも笑うかなって思ったけど……)
笑うどころか、怒らせてしまった。
37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 13:07:01.11 ID:5WQmpY3A0
数分前の自分を酷く恨んだ。
どうせ崩れる程の関係を持っていないのだから、何も失うものなどないのだから、怖いこと
など何も無い、と簡単に空気を壊した考え無しの自分を、殺してやりたくなった。
(本になりたい……)
そしたら、朝比奈自身も本になったら、長門に好かれるだろう。
(でも、私みたいなのが本になっても、読まないよね……)
そこまで考えて、瞳に溜まっていた涙が、不意に零れた。
(仮に読んだとしても、不快なだけだ……)
涙が止まらない。
38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 13:09:59.39 ID:5WQmpY3A0
(やだ……なんで泣いてるんだろ……こんなとこ、長門さんに見られたら、呆れられる……)
必死で涙を拭うものの、涙は次から次へと溢れてくる。
(……呆れられるも何もないや……元から、呆れられてるんだもん……)
終いには、嗚咽まで零れてきた。
泣きながら、朝比奈は、長門の視線を感じた。
そっと顔を上げると、長門がこちらを見ている。
「どうして泣いてるの」
40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 13:13:00.29 ID:5WQmpY3A0
長門の問いかけに、朝比奈は首を振ることしか出来ない。
長門は、そんな朝比奈の様子を、ただただ凝視している。
部屋に、朝比奈の嗚咽がやけに大きく響く。
43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 13:17:17.84 ID:5WQmpY3A0
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「何故謝るの。あなたの謝罪は先程済んだ筈」
朝比奈の震える声に対して、長門の声はしっかりしている。
「でも、長門さんを……怒らせ……ちゃって……」
嗚咽に邪魔をされ、途切れ途切れにしか喋ることが出来ない。
「ただ……長門さんと、喋りたかった……だけなんで……す……」
それは、切々とした告白だった。
「長門さんと、同じ言葉を……共有したかったんです……」
長門は、ただただそれを聞いている。
「もし、私の話で長門さんが笑ってくれたら……私の言葉に、長門さんが笑ってくれたら……、
それだけで、幸せだなって……ごめんなさい、浅はかで、ごめんなさい……」
48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 13:25:01.81 ID:5WQmpY3A0
長門の眼は、普段と同じもので、何を考えているのか朝比奈には全く分からなかった。
もっとも、朝比奈の視界は涙のせいでぼやけていて、仮に長門の眼に、何かしらの感情
が浮かんでいたとしても、読取ることは不可能だっただろうが。
「もしも」
長門が静かに切り出した。朝比奈は、必死で嗚咽を抑え、長門が何を言おうとしている
のか聞こうとする。
「あなたが良ければ、私は、あなたに、歴史を教える」
朝比奈は、その言葉をうまく頭の中で処理することが出来ない。
「もしもあなたが良ければ、私はあなたに、私の読んでいる本を貸す」
けれど、段々と、朝比奈の頭の中で、長門の言葉は溶け出した。
「もしもあなたがよければ、私はあなたの世間話を聞く。……これは、言葉の共有にはならない?
あなたの望んでいるものとは、違う?」
51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 13:30:15.44 ID:5WQmpY3A0
長門の言葉に、朝比奈は一層強く泣き出した。
その行為が、長門には理解出来ない。
「何故、泣くの。私の出した条件と、あなたの望みが見合っていない?」
長門には、ある程度規則的な人間の感情しか分からない。
泣くのは哀しいから、笑うのは嬉しいから、怒るのは悔しいから――この漠然とした定義は、
全て本によって得たものだ。
「違います……」
けれど、朝比奈は、違うと言う。
「嬉しくて……長門さんの言葉が、嬉しくて泣いてるんです……」
泣きながらも微笑む朝比奈の真理を、長門は理解出来なかった。
56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 13:36:37.66 ID:5WQmpY3A0
「私は、人間を理解しようとするために、そして、伝えなければいけない状況を、なるべく上手く
言語化するために本を読んでいる。本からの学習によると、人間は哀しいときに泣き、嬉しい
ときに笑い、悔しいときに怒り、そして全てがどうでもよくなったときに、諦める。けれど、あなた
は、いま泣いているのに、嬉しいと言う」
長門の言葉に、朝比奈は優しく返す。
「人間には、嬉しいときに泣くこともあれば、哀しいときに笑うこともあるんですよ」
「本には、そのようなことは書いていなかった」
「それじゃあ、私が教えます」
朝比奈は、長門の指にそっと触れた。長門には、朝比奈の体温が、やけに暖かく思えた。
(これが、人間……)
「長門さんは、私に、私が知らない歴史や宇宙とかの、そういう難しい話を教えてください。
その代わりに、私は、長門さんに、人間の感情とかを教えます。……上手には、教えられない
かもしれないけど……。そして、世間話もして、長門さんの好きな本の話もして……」
そこまで言って、朝比奈は自分の言葉の傲慢さに気付く。
「す、すみません、調子に乗っちゃいました……」
59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 13:43:24.62 ID:5WQmpY3A0
ふと我に返った朝比奈は、長門の指に、自分の指が触れていたことにも気付き、そっと
離そうとした。
――けれど、長門がそれをさせなかった。
長門の細い指は、離れようとする朝比奈の指をしっかりと掴む。
「どうして、離れようとするの」
強い長門の問いかけに、朝比奈は戸惑う。
「迷惑だと思って……」
「私は、そんな発言はしていない。寧ろ、あなたの体温を心地良いと感じた。あなたの提案も、
とても良いものに思えた」
長門の低い体温が、朝比奈に釣られて、段々と高くなっていく。
「私も、あなたと言葉の共有をしたい」
長門の言葉に、朝比奈は微笑んだ。もう、涙は止まっていた。
長門も、朝比奈に応じて微笑もうと試みたが、頬の筋肉を上手く動かすことが出来なかった。
(まずは、頬の筋肉の動作方法を教えてもらう……)
そんな長門の心の中を見透かしたかのように、朝比奈が微笑みながら言った。
「大丈夫です。笑い方も、怒り方も、泣き方も、全部教えます」
62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 13:51:48.01 ID:5WQmpY3A0
「ねえ、キョン、最近、みくるちゃんと有希、すごく仲良くない?」
涼宮ハルヒは、キョンに問いかける。
「そうか? まあ、確かに長門の雰囲気は少し変わったが……」
キョンの発言通り、以前は、近寄り難い雰囲気を纏っていた長門だったが、今は柔らかな雰囲気を纏っている。
「なんだか、嫉妬しちゃうわ。むー、団長を差し置いて仲良くなんて許さないんだから!」
そう言う涼宮の顔は、しかし、嬉しそうだ。
キョンは、そんな涼宮を見て、やれやれと肩をすくめた。
「そんなこと言って、嬉しそうじゃないか、お前」
キョンの言葉に、涼宮は、唾を吐き掛ける勢いで答えた。
「当たり前でしょ! 団員が仲良くすることを喜ばない団長が、どこに居るのよ!」
「くちゅん」
「風邪?」
「風邪じゃない、と思いますけど……誰かが噂してるのかなぁ」
「きっと、あなたの親衛隊が、あなたが可愛いと言っている」
「ひぇぇぇ、違いますよぅ。それに、長門さんの方が可愛いです」
「それは、前田健のアナルがきついと言ってるようなもの」
「えへへ、長門さんは、たくさん本を読んでるだけあって、やっぱり例え方が違いますね」
「そう」
(完)
66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 13:57:11.55 ID:5WQmpY3A0
支援をして下さった方、読んで下さった方、コメントをして下さった方、色々な方に感謝します。
ありがとうございました。
終わりの呆気なさに、腑に落ちない方もいらっしゃるかもしれません。すみません。
前健のアナルは、少し緩めだと思います。
90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 15:36:03.26 ID:5WQmpY3A0
「三日後に、未来に帰ることになりました」
朝比奈みくるの言葉に、長門有希は眼を見開く。
「もう、涼宮さんの精神も充分安定したし、涼宮さんが世界に影響を及ぼすことは何も無いから、
私がこの時代に居る必要もないだろうって……」
本当は、黙って居なくなるつもりで居た。
けれど、様々な人間としての感情や言葉を教えておきながら、黙って居なくなるのは、とても惨い
裏切り行為に思え、朝比奈は長門に、真実を告げることにした。
「そう」
相槌を打つ長門の眼は、心なしか沈んで見えた。
91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 15:40:58.35 ID:5WQmpY3A0
「色々、未来に帰る準備もあるから、ゆっくりしてられるのは、今日くらいかもしれないです。
だから、長門さんの今日を、私が貰ってもいいですか?」
朝比奈の問いかけに、長門は黙って頷く。
「えへへ、でも、いざ、貰うとなると、何をすればいいのか分からないですねぇ……。とりあ
えず、私の家で、良いですか?」
「構わない」
長門の返事が、朝比奈には、普段より少し素っ気無いように感じた。
(……怒ってるのかな)
残り三日で、未来に帰ると告げられたことを怒ってるのだろうか。
本当は、二週間程前から、未来に帰ることは規定事項だった。
92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 15:43:58.72 ID:5WQmpY3A0
「お邪魔します」
「どうぞ」
靴を脱ぎ、そしてきちんと並べる長門を可愛く思いながら、朝比奈は台所へと向かう。……筈だった
のだが、それは適わなかった。長門が、朝比奈の腕を掴んだのだ。
「長門さん?」
「どこに行くの」
「お茶を……」
「いい」
朝比奈の腕を掴む長門の手は、小刻みに震えている。
「あなたは、もう居なくなる。だから、せめて、今はここに居て」
95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 15:50:01.37 ID:5WQmpY3A0
朝比奈は、目頭が熱くなるのを感じた。
そして、後悔をした。
(やっぱり、言わなければ良かった……)
こんなことを言われては、未来に帰れなくなる。帰りたくなくなる。
以前は、違った。早く未来に帰りたかった。一人、家族と離れ過去に飛ばされ、毎日が不安で、
そして寂しくて堪らなかった。
けれど、今はどうだろう。家族との再会よりを楽しみに思うよりも強く、長門との別れを寂しく感じ
ている。
「長門さん……分かりました。じゃあ、一緒にお茶を入れましょう。それでいいですか?」
「いい」
「えへへ、とびっきり美味しいお茶を入れましょうね」
朝比奈は、泣きそうになるのを、長門の細い手に、縋り付きそうになるのを必死で堪えた。
それをすれば、長門が苦しくなることを知っていたからだ。
97 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 15:55:59.07 ID:5WQmpY3A0
「あなたの淹れるお茶は美味しい」
二人でこたつに入り、ぬくぬくとお茶を飲む。
テレビから聞こえてくる司会者の声が、やけにわざとらしく響いた。
「長門さんに、そう言ってもらえて、すごく嬉しいです」
「でも、あなたのお茶を飲むのも、これで最後」
長門は、じっと茶碗の中を覗き込んでいる。
「実感が沸かない」
「私もです」
こうして、一緒に居るのに、三日後には、もうそれも適わなくなる。
いま、こうして同じテレビ番組を見ているのに、もうそれも適わなくなる。
同じ時間に、同じものを見て笑うことすら許されない。それが、違う時代に居るということなのだ。
「こうやって、同じ酸素を吸うことも、もうなくなるんですね」
何気なく呟いた言葉に、心臓を抉られる。
99 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 16:02:14.32 ID:5WQmpY3A0
「えへへ……ねえ、長門さんは、覚えてますか?」
心臓の痛みには気付かないふりをして、朝比奈は笑いながら、長門に話を振る。
「鎌倉幕府の話をした、あの日のこと」
「覚えている。あの日は、私の誕生日のようなもの」
そう答える長門の表情は、とても柔らかい。
「あの日に、私は、あなたによって、産み落とされた」
「大袈裟ですよ」
「違う、あなたのお陰で、私は色々なことを知ることが出来た。頬の動かし方、嬉しいときの
感情表現、楽しい本を読んだときの気持ちの伝え方、哀しいのに笑わなければいけない
理由、嬉しいのに泣いてしまう理由。その全てを、あなたは私に教えてくれた。そして、私
はそれらを覚え、使用することが出来た」
「…………」
「こうして笑えているのも、あなたのお陰」
そこまで言うと、長門は静かに笑った。
朝比奈も、笑い返そうとした。けれど、出来なかった。
どうしても、ひくひくと頬の筋肉が引き攣り、不自然な笑みになってしまう。
笑いたいのに、笑って安心させたいのに、それが出来ない。
100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 16:07:17.10 ID:5WQmpY3A0
「あの時、あなたは泣いている理由は、嬉しいからだと言った。あの時は、それを理解する
ことが出来なかった。でも、今は出来る。そして、いまのあなたの気持ちも、理解すること
が出来る」
長門の指先が、そっと朝比奈の指先に触れる。
先程まで茶碗を持って居た長門の指は暖かい。
「あの時は、あなたの体温の方が高かった。けれど、今日は私の方が高い」
テレビの騒がしさと相反するかのように、部屋の中は静けさに包まれている。
けれど、それを気まずくは感じない。寧ろ、心地良く感じる。
「私が、あなたを暖める」
長門が、朝比奈の手を、そっと包む。
そこから、たくさんの感情が伝わりそうな気がして、朝比奈は動揺する。
(……笑って、さよならしたかったのに……)
104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 16:16:14.01 ID:5WQmpY3A0
「私……本当は、二週間前から、未来に帰ることは分かってたんです……」
長門の暖かさに溶かされるように、朝比奈は言葉を吐き出す。
「黙って、居なくなろうと思ってました……だって、長門さんが、苦しい思いをすることが分かって
たから……自意識過剰に聞こえるかもしれないけど、そうじゃなくて……うまく言えないけど、
でも、長門さんが、すごく苦しくて、そして悲しむことが分かってたから……」
瞳に溜まった涙は、中々落ちようとしない。
落ちたら最後、きっと泣き止むことは不可能だ。
「でも、そんなの違う……それは、私の弱さだって気付いたんです……。だって、私が居なくなった
ら、長門さんは、遅かれ早かれ傷付くでしょう? 私が居なくなったことに気付いたら、長門さんは
一人ぼっちで、静かに苦しむでしょう? そんな長門さんの姿を想像して、私、やっと気付いたんです」
そこまで言うと、朝比奈は少しだけ喋るのをやめ、少し深呼吸をした。
それから、また、ぽつぽつと喋り始めた。
「私は、長門さんの傷付く姿が見たくなかっただけなんです。私は、逃げたかったんです。……ずっと、
責任を感じていました。私があの日、余計なことを言わなかったら、長門さんは、何に対しても無感情で、
無関心で、それはすごくつまらなくて哀しいことかもしれないけれど、でも、その分傷付くことも、苦しむこと
もないんじゃないかって……。最初の頃は、長門さんに本の感想を聞いても、淡々と喋るだけだったのに、
段々と感情的に感想を語る長門さんを見て、嬉しく思う反面、怖かったんです……」
108 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 16:21:06.72 ID:5WQmpY3A0
「そんなことを、ずっと考えていたの」
長門の言葉に、朝比奈は頷く。
「……私は、寧ろ、あなたに感謝をしている。あなたのお陰で、以前よりも、深く読書が出来る
ようになった。あなたのお陰で、人間の言動の一つ一つの奥底にある本音を考えようとする
ことが出来た。あなたのお陰で、私は、毎日を楽しいと思えるようになった」
そんな長門の言葉に、朝比奈はただ頷くだけで、顔を上げようとしない。
「顔を上げて」
長門の懇願を無視し、朝比奈は俯いている。
「お願い。あなたの顔が見たい」
触れ合う温度だけでは足りない、と思うこの気持ちは何なのだろう。
「お願い」
110 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 16:28:13.30 ID:5WQmpY3A0
長門の言葉に釣られるようにして、やっとのことで顔を上げた朝比奈を、長門はじっと見つめる。
そんな長門を見つめ返す朝比奈の眼は、涙を流しては居ないものの、赤く充血している。
「我慢をしなくてもいい」
そう良いながら、長門は優しく朝比奈の手を撫でる。
「あなたが強いことは、よく知っている。だから、泣いてもいい」
朝比奈は、何も言わずに、じっと、長門の手を見ている。
「あなたが泣かないと、私は泣けない」
その言葉に、安心したのかもしれない。
朝比奈は、嗚咽を漏らし、泣いた。
そして、長門も、泣いた。
静かに、静かに、涙を流した。
言葉は無かった。もう、言葉など、必要無かった。
『言葉の共有をしたいんです』
表面的な共有を求めていた。
いつの間にか、表面的な共有を求めなくなった。
手から伝わる互いの温度が、どんな言葉よりも確かだと知った。
112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 16:37:10.77 ID:5WQmpY3A0
「泣かないって決めたんだけどな……」
「私を置いていくのに、泣かずに行くなんて許さない」
「えへへ、そうですよね」
散々泣いた後、二人で静かに話をした。
テレビの電源は切り、規則正しく鳴る時計の音と、二人の呼吸だけが部屋に響く。
「忘れないで下さいね」
言いながら、まるで呪いのようだと、朝比奈は思う。
「あなたも、私のことを忘れないで」
呪いをかけ、そしてかけられ、そんな絆でさえも二人は愛しく思うのだろう。
「もし、生まれ変わりがあるなら、今度は長門さんと同じ時代に生まれたいです」
「私は生まれ変わりには、期待しない。する必要がない」
きっぱりと断定する長門に、朝比奈は首を傾げる。
「何故なら、生まれ変わらずとも、私とあなたはまた会えるから。違う?」
問いかける長門の眼には、不安が宿っていた。肯定すれば、その眼に宿る不安を消すことが、
出来るのだろうか。朝比奈は必死で考える。けれど、何をしても、不安を消すことは出来ない気
がした。その場限りの約束は、相手を傷つけるだけだ。
「そうですねぇ……会えたらいいですねぇ」
肯定も出来ないけれど、否定も出来なかった。曖昧な言葉で誤魔化すと、長門が、ふ、と笑った。
「あなたらしい答え」
夜は、静かに、けれど、確かに更けていった。
113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 16:38:38.35 ID:5WQmpY3A0
「それじゃあ、未来に帰る準備もあるので……」
「分かった。……それでは」
靴を履き、玄関から出て行く長門の後姿を、そのまま見送ることが、朝比奈には、どうしても出来なかった。
「待ってください!」
長門が、そっと振り向く。
「……そこまで、送っていきます」
116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 16:44:43.54 ID:5WQmpY3A0
よく、二人で歩いた並木道も、これで最後かと思うと、感慨深くなる。
けれど、もう涙は出なかった。全てを、昨日出し尽くしてしまっていた。
指を繋いで歩く。
二人の間に言葉はない。
話したいことはたくさん有る筈なのに、どれも言葉にならない。
ただ、互いの温度だけを感じている。
「あ」
ある程度歩いた頃、長門が声を上げた。
「どうしたんですか……あ」
長門の視線の方を辿った朝比奈の眼には、僅かに咲いている桜が見えた。
「もう、咲いてるんですね」
117 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 16:50:48.35 ID:5WQmpY3A0
「もう、同じ時間に、同じテレビ番組を見て笑うことも、同じ天気に喜んだり悲しんだりすること
は出来ないけど、こうやって同じ季節に、同じ花を見て、微笑むことは出来るんですね……」
朝比奈の言葉に、長門は静かに頷き、そして手を離した。
「あ……」
突然遠ざかる体温に、朝比奈は、思わず声を上げてしまう。
「ここまでで良い。あなたにも準備がある筈」
「そうですね……」
本当に、これが最後なのだ。
今更、実感が沸く。
もう、言葉を交わすこともない。
「それじゃあ、身体に気をつけて、お元気で」
「あなたも」
けれど、うだうだと別れの時間を延ばしたりはしない。
それに、これが別れだと決まったわけでもない。昨日の長門の言葉の通り、また会えるかもしれないのだ。
まだ見ぬ絶望よりも、まだ見ぬ希望を信じ、二人は笑い合い、そして言った。
「また、今度」
(完)
119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/07(土) 16:53:11.54 ID:5WQmpY3A0
余計な蛇足だったかもしれませんが、頭に思い浮かび、そして書きたくなったので書きました。
ここまで読んで下さった方、保守をして下さった方、コメントを下さった方、沢山の方に感謝します。
本当にありがとうございました。